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おさかな’sぶろぐ

日々感じたことを徒然なるままに。。。

東福寺方丈「八相の庭」(京都市東山区)

2014年05月28日 22時38分57秒 | 近畿地方
 東福寺の方丈は、明治14(1881)年の火災により仏殿・法堂・庫裏とともに焼失したのですが、明治23(1890)年に再建されました。広大な方丈には東西南北に四庭が配されて「八相成道」に因んで「八相の庭」と呼ばれています。方丈の四周に庭園を巡らせているのは東福寺の方丈のみの珍しい形態となっています。先日紹介した芬陀院の雪舟庭園を復元した作庭家・重森三玲氏によって昭和14(1939)年に完成したものです。鎌倉時代の質実剛健な風合いをベースに、抽象的な構成を取り入れた見事な庭となっています。

□南庭
 枯山水の庭で、巨石によって四仙島を表現し、渦巻く砂紋は八海を表し、苔に覆われた築山は五山をなぞらえています。






□西庭
 刈り込まれたサツキと砂地とで市松を表した「井田市松」と呼ばれる庭です。


□北庭
 スギゴケと敷石で市松模様を形作っています。



□東庭
 円柱で北斗七星を構成し「北斗の庭」と呼ばれています。


□通天台からの風景




東福寺(京都市東山区)

2014年05月27日 22時47分26秒 | 近畿地方
 臨済宗東福寺派の大本山『東福寺』です。京都五山の第四位の禅寺として中世、近世を通じて大いに栄えた寺院で、明治の廃仏毀釈で規模は縮小したものの、今でも25の塔頭を有する大寺院です。
 応永32(1425)年に足利義持によって再建された三門は国宝に指定されています。現存する禅寺の三門としては日本最古のものになります。折衷様の五間三戸二重門です。


 本堂は昭和9(1934)年に再建されたものです。間口は40mを超えるお堂で、昭和期の木造建築としては最大級のものになります。


 禅堂は貞和3(1347)年に再建されたもので、中世期より現存する最大最古の禅堂で、重要文化財に指定されています。


 長禄3(1459)年に建てられた浴室は、国内最大で奈良・東大寺の湯屋に次いで古い浴室建築です。こちらも重要文化財に指定されています。


 百雪隠と呼ばれている東司は便所の遺構になります。禅僧は用便も修行のひとつで、東司へ行くにも厳しい作法が定められていました。日本最大最古の禅宗式の建物で重要文化財に指定されています。



◆東福寺◆
住所:京都府京都市東山区本町15丁目778
宗派:臨済宗東福寺派
寺格:大本山、京都五山四位
本尊:釈迦如来

芬陀院(京都市東山区)

2014年05月26日 22時30分13秒 | 近畿地方
 東福寺の塔頭のひとつ芬陀寺は、雪舟が作庭した“鶴亀の庭”で有名な寺院です。


 雪舟が少年時代に過ごした岡山県の宝福寺は、東福寺の末寺ということもあって、雪舟が本山来山の際には、芬陀院にて起居していた関係から、当時の大檀徒であった、一條兼良の所望で禅院式枯山水の庭を作ったそうです。


 長く荒廃していた状況になっていたのですが、昭和に入って作庭家・重森三玲氏の手により復元されました。


 その際に、重森氏の手により新たに東庭がつくられています。左手奥に見える建物が昭和44年に復元された恵南亭です。


恵南亭の丸窓から見える東庭です。




露地です。


唐門は及び大玄関は、桃園天皇の皇后恭礼門院より賜った御所内宮殿を移築したものです。




◆芬陀院◆
住所:京都府京都市東山区本町15丁目803
宗派:臨済宗東福寺派
寺格:東福寺塔頭
本尊:阿弥陀如来

宇治市にて

2014年05月23日 18時47分04秒 | 近畿地方
 京都市伏見区の『伏見稲荷』と宇治市の『平等院』の見学に行ってきました。伏見稲荷は、商売繁盛の思いもあって参拝してきたのですが、平等院は、先日お色直しが終わったとのニュースが出てたので、創建当時に彩色され直した姿を拝観しに行ってきました。まだ尾楼は改修の最中でした。また改めて、各々の記事は書くとして、今日は歩き疲れた体をクールダウンするためにいただいたかき氷の写真を紹介します。JR宇治駅の近くに店を構えている『中村藤吉本店』です。


 黒蜜と抹茶蜜をかけていただきます。きめ細やかな氷で美味しかったです。お茶とセットになってるものをチョイスしました。


 かき氷に熱いお茶もいいですね~


 安政元(1854)年創業の茶商で、かき氷をいただいた本店は、『重要文化的景観』を構成する代表的な建物として位置づけされていいます。


清水寺の仁王さん

2014年05月22日 21時42分59秒 | 近畿地方
 久し振りに京都市東山区の清水寺に行ってみました。生憎改修工事の最中のようで、仮囲いがそこかしこにあって、ダイナミックな境内を十二分には堪能することが出来なかったのですが、それでも、敷地形状を見事に取り入れた、空間を満喫してきました。
 世界遺産に指定されてることもあって、参拝者は外国人の方がおおいですね。半分以上がそうだったいうな気がします。主には、アジアの国の方が多いようです。記念撮影をやたら頼まれました。英語が話せれば、コミュニケーションもとれるのでしょうが、カメラを見せられ、写真を撮ってほしいのポーズに対して、OKのみの返事で、パチリです。まあ、いろんなタイプのデジカメが触れるから、それはそれで楽しいのですけども(笑)

 下の写真は、仁王門の仁王像です。鎌倉時代の様式と記載されてた通りの、力強い仁王像です。カッコいいです。





 境内入口には、狛犬が並んでいるのですが、どちらも阿形でした。通常は阿吽の対なのですが、珍しい形態ですね。






ストライク軒(大阪府大阪市)

2014年01月23日 14時34分57秒 | 近畿地方
 大阪市北区天神橋5丁目の『ストライク軒』です。ラーメンのメニューが、「ストレート」や「シンカー」ってなってたり、カウンターの座席番号が、ファースト・セカンドなど思いっきり野球用語です。かといって色もんかっていうわけじゃなく、鶏ガラベースの体に優しいスープにてラーメンを提供してくれる、しっかりとした屋さんです。
 今日は「ストレート」を食べてみました。



お店の入り口は、ビニールシートでつくられてて、天満駅周辺のディープなお店の雰囲気を醸し出しています。



■『ストレート軒』詳細データ
 住  所:大阪府大阪市北区天神橋5-8-8
 電  話:06-6352-0633
 営業時間:11時~売切次第
 定休日 :月曜日

奈良県奈良市[1998年11月13日]

2014年01月05日 20時03分52秒 | 近畿地方
 正月休みの間、撮りためていた画像データの整理に取り掛かったのですが、あまりにも大漁で全部は無理でした。随時合間を見て作業を進めていかなければっちゅうか、撮ってすぐに整理すればいいのだけど、それがどうもできないもので。。。(笑)
 これをきっかけに、過去の訪問地(画像データの残っているものですが)を振り返ってみようと思います。そのほうが整理する目的が発生しますから、一挙両得!まあ、あくまで随時ですけども(^^;;
 整理してて、一番古いデータが1998年11月13日の奈良市散策でした。この前後のデータがどうもみあたらなく、多分資料室の中で眠ってるパソコンの中か、今は無きフロッピーディスクの中かもしれない。それはそれでもう追いかけても仕方ないので。。。
 さて、現在の自由業になる前、会社勤めの頃に記録した写真です。多分このあたりでデジタルカメラを購入したのだと思う。もともと出かけることは好きだったのだけど、この頃は積極的にカメラで記録を残すってことをしてなかったです。なので1998年は、この奈良県奈良市で記録に残した以下の写真2枚が比較的状態の良い写真となっています
 画像データのプロパティには、カメラの機種名が記録されてなく品番はわからないのですが、多分EPSONのデジタルカメラだったと思います。

■平城宮跡朱雀門<奈良県奈良市佐紀町>

 平城宮は、奈良の古都平城京の大内裏です。平成10(1998)年12月に「古都奈良の文化財」として東大寺などと共に世界遺産に登録されました。なので、写真は登録される一カ月前のものなります。平城宮跡は、国の特別史跡にも指定されています。
 写真の朱雀門は、復元直後ぐらいだったと思います。築地塀はまだ工事中の状況だったようです。2010年には第一次大極殿も復元完了しています。

■唐招提寺<奈良県奈良市五条町13-46>

 唐招提寺は、中国の高僧・鑑真が天平宝字3(759)年に建立した寺院です。南都六宗の1つである律宗の総本山で、本尊は廬舎那仏です。こちらも「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されています。
 写真の金堂は、国宝に指定されています。奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のものです。2000~2009年にかけて解体修理が行われ、現在は写真のものよりスッキリとしたものになっていると思います。他にも、講堂・鼓楼・経蔵・宝蔵が国宝に指定されています。礼堂と興福寺旧一乗院 宸殿、殿上及び玄関は重要文化財の指定となっています。

三田の町並み(兵庫県三田市)

2013年12月17日 23時02分40秒 | 近畿地方
三田は、九鬼家三万六千石の城下町として明治期を向かえた町です。城下町といっても城の築城は許されず、陣屋を置いて藩の運営にあたっていました。

現在の屋敷町のあたりが武家屋敷があった場所にあたります。現在資料館として利用されている『旧九鬼家住宅』が残されている遺構になります。と言っても建物は明治期の擬洋風建築ですが、なかなかバランスの良い建物です。



少し坂道を上るとカトリック三田教会があります。





もともと武家屋敷地区であっただけあって、落ち着いた街並みとなっています。







こちらは、三田町になります。摂津の米の集散地として発展した町人町です。摂津の米相場を決めるほどの賑わいがあり、多くの豪商を輩出していたそうですが、いまはその喧騒を感じることはできないです。とはいっても、かつての面影を残す建物もちらほらと残っています。



















昭和な雰囲気を醸し出してる建物もあったりします。





カフェとかもいい感じです。



連続した街並みではないですが、趣のある町でした。



道の駅みつ(兵庫県たつの市)

2013年12月16日 22時56分46秒 | 近畿地方
県外に出かけた際、高速道路のサービスエリアや一般道の道の駅の存在は心強いものです。

ちょっと疲れた時や、ご飯時になった際にはよくお世話になってます。

先日、たつの市の『室津』へ街歩きに出かけた際に『道の駅みつ』に立ち寄って見ました。

海に面して湾曲した形のなかなかお洒落な建物です。



建物中央部の広い階段を通って、砂浜へと降りることが出来ます。



建物屋上はデッキとなっています。



『シーサイドレストラン魚菜屋(ととなや)』でお昼ご飯をいただきました。
今は「牡蠣」が旬のようですが、『穴子丼』をチョイス。



少し量は少なめですが、とても美味しかったです(^^)v
瀬戸内海の穴子はやっぱ美味しいですね~

◆『道の駅みつ』詳細データ
 住  所:兵庫県たつの市御津町室津896-23
 電  話:079-322-8500
 開館時間:9時~19時
 休館日 :水曜日



三輪神社(兵庫県三田市)

2013年12月05日 20時38分20秒 | 近畿地方
兵庫県三田市のJR三田駅の北方に位置する『三輪神社』は、奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)から分祀された神社です。主祭神は大己貴神です。8世紀の中頃には存在してたようで、三田市内では一番歴史のある神社の一つに数えられているようです。



徳川期において三田藩は、九鬼家が治めていて 三輪神社 も、藩主の崇敬も篤かったようです。

参道を北上すると小高い丘の上に神社は鎮座しています。



狛犬たちです。上下2段に設置されています。





摂社です。



神社の周囲は杉木立の鎮守の森となっていますが、広葉樹もちらほらとあって、赤いコントラストが綺麗でした。









鎮守の森を抜けると、江戸時代に三田青磁を焼いていた「三輪明神窯」へとたどり着くことが出来ます。




明石城(兵庫県明石市)

2013年11月24日 22時07分51秒 | 近畿地方
JR明石駅の北側に位置する『明石城』は、明石藩6万石の政庁として松平氏が藩内を治めていました。



元和3(1617)年に信州松本城主より明石藩主となった小笠原忠真が、2代将軍徳川秀忠の命により、現在の地に城郭を築きました。

苦心して築城した小笠原忠真であったのですが、、寛永9(1632)年に豊前国小倉藩に転封となり、翌寛永10(1633)年信濃国松本城より松平康直(戸田氏)が7万石で入城したが、急死したため松平光重が城主となった。しかしその松平光重も寛永16(1639)年に美濃国加納藩に転封となると、大久保忠職が7万石で入城。その大久保氏も慶安2(1649)年、わずか10年間で肥前国唐津藩に転封していった。

その後、丹波国篠山城より松平忠国が7万石で入城、その子松平信之と共に名君として知られ、林崎掘割の用水路や一里塚の設置、海岸の防風林の造成、そして多くの新田の開発に努めた。しかしその松平信之も、延宝7(1679)年、大和国郡山藩に転封となると、代わりに郡山城にいた本多政利が6万石で入城する。しかし、領内を収める事ができず天和2(1682)年、僅か3年後、苛政を責められ陸奥国岩瀬藩に1万石に減知転封となり、その後改易になった。僅か50年の間に城主が目まぐるしく入れ替わったが、本多氏転封の後、越前家の松平直明が6万石で入城し、以後明治維新まで10代、189年間親藩として松平氏の居城となっていました。

現在、堀・石垣・櫓が遺構として残っています。城跡は国の史跡、また、巽櫓・坤櫓は重要文化財に指定されています。




石垣


坤櫓(重要文化財)


巽櫓(重要文化財)


武蔵の庭


武蔵の庭の茶室


散策当日は菊の展示もされていました。




竹田城(兵庫県朝来市)

2013年11月18日 23時08分53秒 | 近畿地方
天空の城とか日本のマチュピチュなどと呼ばれている、兵庫県朝来市和田山町竹田にある『竹田城』に先日行ってきました。



雲海に浮かぶ城跡がよく映像として取り上げられていますが、雲海の出る早朝じゃなく昼間に登って見ました。



築城に関しては不明な部分が多いようですが、山名氏によって室町期の応仁の乱の前あたりに築かれたのではないかと考えられています。その後、赤松氏や細川氏との抗争の際には、戦略の拠点となっていたようです。

戦国時代を経て安土桃山時代にかけて、何度か城主が変わり、最終的に徳川家康によって廃城とされたようです。

訪問当日は、少しぱらついた天気だったものの、広場のあたりではお弁当を広げている団体もありました。





なんとか登ってはいたのですが。。。。天守台直前になって激しい雨と風の嵐になってしまいました(^^;;



雨具の用意をせずに登ってきてたものだから。。。びしょ濡れに(^^;;
寒かったです。車には雨具積んでいたのに。。。
備えはきっちりとしないといけないって教訓になりました。

雨降る前には、眼下にはしっかりと街が見えてたのですが。。。




明石玉子焼き(兵庫県明石市)

2013年11月11日 11時38分29秒 | 近畿地方
昨日の夜は、明石市にて打合せだったのですが、打合せ終了後、明石玉子焼きをいただきました。

明石市に来れば、これを食べないとね(^^)



久し振りの『お好み焼き道場』です。駅前再開発で現在は仮店舗になってました。以前は裏路地のディープ感満載だったのですけどね~。。。