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おさかな’sぶろぐ

日々感じたことを徒然なるままに。。。

龍谷大学大宮学舎(京都市下京区)

2008年01月28日 23時02分39秒 | 旅先にて
龍谷大学大宮学舎は、西本願寺の南に位置します。寛永16(1639)年、西本願寺が設立した「学寮」を起源とし、大学としては大学令に基づく旧制大学からの歴史を有しています。

大宮学舎正門です。

    

上記掲載の正門を含め、本館・北黌/南黌・旧守衛所が国の重要文化財に指定されています。明治12(1879)年に建築された建物です。設計者は、不詳だそうですが、日本人だそうです。お寺が運営する大学の建物が、洋館というのは少し不思議な感じがしますが、とてもいい建物です。

本館です。

    

北黌/南黌です。現在は校舎として使用されているようですが、建築当初は寮だったそうです。

    

    

本館と、北黌/南黌の主要構造は木造です。木材に石材を貼り付けて施工しているようです。

下の煉瓦造の建物は、旧守衛所です。小さな建物ですが、バランスのいい建物ですね。少し遊び心もあってなかなかよいですね~。

    

◆『龍谷大学大宮学舎』詳細データ
 住所:京都市下京区七条通大宮東入大工町


京都島原界隈(京都市下京区)

2008年01月26日 21時08分28秒 | 旅先にて
島原界隈を歩いてきました。

島原の歴史は古くて、日本で最初の公許された花街だそうです。室町時代に「九条の里」という傾城局が設置されたのが始まりだといわれています。桃山時代に豊臣秀吉によって花街が二条万里小路(二条柳町)に移され、江戸時代になると六条付近にうつされて「六条三筋町」と称され、吉野太夫等の名妓が輩出しました。なにかトラブルがあって、朱雀野付近に強制移住させられました。このことが島原の乱に似ていたため以後「島原」と呼ばれるようになったという説と、周りが田原であったため、島にたとえて呼ばれたという説があります。最盛期は元禄期で、その後は幾度かの盛衰を繰り返したものの、あまり栄えなかった。これは立地条件が悪かったことと格式の高さが原因だと言われています。大半の人々は祇園町、祇園新地、上七軒等の花街を利用していたようです。島原の大門は2箇所存在し、廓の女性達は自由に廓の外へ出ることができ、一般人の出入りも老若男女問わず自由。清河八郎や頼山陽のように、実母を「親孝行」として揚屋で遊ばせた例があり、世間一般に誤解されがちな「遊廓」とは異なる存在であった。幕末には西郷隆盛、久坂玄瑞や新撰組らが出入りしていて、明治以後は公家、武家の常連客がいなくなり、さらに窮状に置かれるものの「太夫道中」などの行事で支えていたが、昭和後期にお茶屋、太夫、芸妓の人数が減り、ついにはお茶屋組合が解散して普通の住宅地となりました。残存していた多くの建物や門も、取り壊しや車との接触事故などで姿を消し、現在は「大門」、「輪違屋」、「角屋」がわずかにその面影をとどめているだけです。

●「大門」

    

島原の正門で、花屋町通にあります。現在の門は慶応3(1867)年に建てられた。一間幅、本瓦ぶき、切妻の高麗門です。京都市指定登録文化財です。

●「輪違屋」

    

創業元禄元(1688)年で、300年以上の歴史を誇る置屋です。現在の建物は安政4(1857)年の再建で,明治4(1871)年にはほぼ現在の姿になった。ここは今も営業しています。なので、内部を見学するには利用すればいいのだけど、もちろん一見さんじゃ入れないから、わたしゃ無理っすね。。。京都市指定登録文化財です。

●「角屋」

    

江戸期の饗宴もてなしの文化の場である揚屋建築の唯一の遺構として、重要文化財に指定されている。幕末の頃には諸大名をはじめ、西郷隆盛や久坂玄瑞、坂本竜馬らが利用したことでも有名なところです。今は「角屋もてなしの文化美術館」として一般公開されています。当日は休館日だったので、中を見ることは出来なかったのですが、次回チャンスがあれば見学してみたいですね。建物は、寛永18(1641)年に建てられ、内部に数寄屋造を採り入れた木造2階建の町家で、台所と座敷がある1階では与謝蕪村筆『紅白梅図屏風』(重文)など所蔵品を展示。予約すれば表2階と奥2階の座敷が見学できるそうです。



大原野界隈(京都市西京区)

2008年01月23日 23時43分40秒 | 旅先にて
おさかなの母方の叔父が京都市西京区大原野に住んでいました。その叔父の7回忌の法事に出席してきました。法要が済んだ後、墓地へお参りに行きました。例年だと寒いということもあって車で向かっていたのですが、今年は比較的暖かかったので、歩いていくことにしました。約1kmくらいの距離です。大原野は、京都市の西の端の方に位置し、長岡京市の北あたりになります。竹林が広がっていて、とてものどかな場所です。街並みも昔ながらの風景が残っていて、とてもゆったりと時間が流れているところです。

    

    

    

おさかなの生息している、香川県丸亀市も、少し前まではこういった住宅はまだ多く残っていたのですが、だいぶ少なくなってきました。

下の写真の住宅の玄関はなかなかいい雰囲気を醸し出していますね~。

            

モブログでも紹介した、良心市です。ほのぼのとして、とても良いですね。殺伐として世の中になってきていますが、こういったものが残っているってこと自体、とてもうれしくなっちゃいますね~。

    

            

後で、教えてもらったのですが、叔父がこの地に家を構えたのは、この空気感に一目ぼれしたからだそうです。流石です。やっぱ、住むならこういうところがいいな~。。。

教王護国寺(東寺)(京都市南区)

2008年01月22日 23時46分55秒 | 旅先にて
京都駅の南に位置する教王護国寺。東寺真言宗の総本山で、通称『東寺』と呼ばれています。京都のシンボル的存在の五重塔がで~んとそびえています。平成6(1994)年12月には「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録されました。

国宝に指定されている五重塔は、高さ54.8メートルで木造塔としては日本一の高さです。現在の塔は5代目で、寛永21(1644)年、徳川家光の寄進で建てられました。

    

 東寺の略歴を紹介しますね。延暦13(794)年の平安京造営に際し、平安京の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺」という2つの寺院の建立が計画された。その2年後、これら2つの寺院は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院として創建された。「西寺」はいまはもう存在していないのですが。その後、弘仁14(823)年になって、東寺は空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えていました。何度かの火災を経て、東寺には創建当時の建物は残っていませんが、南大門、金堂、講堂、食堂が南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のままと考えられています。平安後期には一時期衰退しますが、鎌倉時代からは弘法大師信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として、皇族から庶民まで広く信仰を集めるようになりました。中でも空海に深く帰依したのは後白河法皇の皇女である宣陽門院(1181年-1252年)でした。中世以後の東寺は後宇多天皇、後醍醐天皇、足利尊氏など、多くの貴顕や為政者の援助を受けて栄えていました。文明18(1486)年の火災で主要堂塔のほとんどを失いましたが、豊臣家、徳川家などの援助により、金堂、五重塔などが再建され、今に至っています。

下の写真は、金堂です。国宝に指定されていて、現在の建物は慶長8(1603)年、豊臣秀頼の寄進によって再建したものです。内部には広大な空間の中に本尊の薬師三尊像が安置されている。中尊の像高2.9メートルに達する巨像で、日本の仏教彫刻衰退期である桃山時代におけるものです。重要文化財に指定されています。

    

講堂側からみた金堂です。

    

下の写真は、講堂です。室町時代の延徳3(1491)年の再建で、国宝に指定されています。金堂が顕教系の薬師如来を本尊とするのに対し、講堂には大日如来をはじめとする21体の密教彫像が所狭しと安置されています。これらは、日本最古の本格的な密教彫像である。講堂の諸仏は空海没後の承和6(839)年に完成しているそうです。堂内中央には五仏(五智如来)、堂内向かって右には五大菩薩、向かって左には五大明王を安置するほか、堂内の東西端には梵天・帝釈天像、壇上四隅には四天王像を安置しています。これら21体の仏像のうち、五仏のすべてと五大菩薩の中尊像は後世の補作に代わっており、残りの15体が国宝に指定されています。(五仏は重要文化財に指定)

    

下の写真は、御影堂(大師堂)です。南北朝時代に建てられた住宅風の仏堂で、国宝に指定されています。この堂のある一画を「西院」といい、空海の住房跡とされています。康暦元(1379)年の火災による焼失後、その翌年に再建されたのが現存の建物です。ただし、堂の北半分は弘法大師像を安置するために明徳元(1390)年に増築されたものだそうです。堂の南側には空海の念持仏とされる不動明王坐像(国宝)を安置していますが、秘仏で非公開です。日本の不動明王像としては最古の作例の1つだそうです。

    

◆『教王護国寺(東寺)』詳細データ
 住 所:京都府京都市南区九条町1
 宗 派:東寺真言宗総本山
 本 尊:薬師如来
 創建年:延暦15年(796年)
 開 基:官立(桓武天皇)



京都国立博物館(京都市東山区)

2008年01月19日 21時43分20秒 | 旅先にて
『京都国立博物館』です。この日の目的地のメインだったのですが、ついつい街歩きに夢中になっていてお昼を大きく廻ってしまいました(^^;;

「旧帝国京都博物館」として、明治30(1897)年5月に開館し、現在に至っています。下の写真は、表門(正門)で、重要文化財に指定されています。

    

本館です。この建物も重要文化財に指定されています。設計は、宮内省内匠寮技師片山東熊(かたやまとうくま)で、明治28(1895)年に竣工した建物です。重厚感のあるいい建物ですね~。

    

本館は、特別展の際に使用しているようです。当日は「憧れのヨーロッパ陶磁-マイセン・セイヴル・ミントンとの出会い-」が開催されていました。

    

こちらは、常設館の新館です。設計は、京都大学名誉教授森田慶一で、昭和41(1966)年竣工の建物です。本館・新館ともに、建てられた時代の背景が反映されていてなかなか趣がありますね~

    

博物館は、楽しいね。いくら時間があっても足りないくらい引き込まれてしまいます。おさかなの生息地の近くにあるとうれしいのだろうけど。。。まっ、近くにないから、こうやって鑑賞にやってくるのが楽しいのかもしれませんが(笑)

当日、公開されていた茶室「堪庵」です。昭和33(1958)年に上田堪一郎氏より寄贈された茶室で、江戸時代初期京都における公家文化の伝統を受け継いだ数寄屋造りの建物です。茶会等の利用に一般開放しているそうです。

    

    


◆『京都国立博物館』詳細データ
 住  所:京都府京都市東山区茶屋町527
 開館時間:9時半~17時
 休館日 :月曜日





大和大路通り界隈(京都市東山区)

2008年01月18日 21時22分36秒 | 旅先にて
妙法院を後にして、法広寺、豊国神社を通り、大和大路通りに出てきました。京都国立博物館に向かう前に、界隈を散策してみることにしました。

下の写真は、甘春堂東店です。甘春堂は慶応元(1865)年創業の老舗和菓子屋さんです。和菓子屋さんにはこういった建物がピッタリですよね~。

    

創業天保二(1831)年の老舗旅館「晴鴨楼(せいこうろう)」です。犬矢来が京都らしさを醸し出しています。

            

玄関です。こういった老舗旅館に宿泊するのも憧れるな~。樹齢400年の高野槇のお風呂があるそうです。見てみたいです。。。

    

丸窓にひかれて、写真を撮っちゃいました。なんかいい雰囲気を醸し出していますね~。

    

普通にこういった古い家があるのがいいですよね。

    

京料理のお店「道楽」です。お店が建っている場所は、関ヶ原の戦いの際、石田光成方の猛将であった島左近の屋敷跡だそうです。創業370年の老舗料理店です。

    

鶏肉のお店です。なんだかとてもいい雰囲気を醸し出しています。

            

そして、京都国立博物館の正門前です。

    

結構、歩きましたよ(^^;;

っちゅうことで、次回に続く。。。

妙法院(京都市東山区)

2008年01月16日 22時38分43秒 | 旅先にて
新日吉神宮参拝後は、『妙法院』へ行きました。妙法院は天台宗のお寺で、開基は最澄です。皇族や貴族の子弟が歴代住持となる別格の寺院を「門跡」と呼ぶのですが、ここ妙法院は青蓮院、三千院とともに「天台三門跡」と称されてきた名門寺院だそうです。また、後白河法皇や豊臣秀吉ゆかりの寺院としても有名です。

    

門をくぐると、正面に庫裏が見えます。この庫裏は、国宝に指定されています。桃山時代に建てられたものです。通常、庫裏屋根を切妻造とするものが多いのですが、妙法院は入母屋造(本瓦葺き)となっています。内部の小屋組が見れなかったのが残念ですね~。

    

越屋根がかっこいいですね~。とてもバランスの良い建物ですね。さすが国宝です。

    

庫裏の南隣に建っているのが、書院と玄関です。江戸前期の元和5(1619)年に建てられたものです。屋根はこけら葺きです。こけら葺きとは、薄くひいた板(3mm程度)を何枚も重ねていった仕上げていく工法なんです。耐用年数は約40年くらいといわれています。

    

庭園の奥に見えるのが、本尊である「普賢菩薩」を安置している本堂(普賢堂)です。庫裏や書院等、大きな建物に比べて、本堂は小さな建物で、少し不思議な感じがしますね~。

    

◆『妙法院』詳細データ
 住 所:京都府京都市東山区妙法院前側町447
 宗 派:天台宗
 本 尊:普賢菩薩
 創建年:慶平安時代初期
 開 基:最澄

新日吉神社(京都市東山区)

2008年01月15日 20時33分05秒 | 旅先にて
新日吉神宮(いまひえじんぐう)は、智積院の北側に位置します。東大路通から智積院と妙法院の間の坂道を5分程登ったところに位置します。

    

永暦1(1160)年、後白河法皇が法住寺殿を造営し、近江日吉山王の神を勧請したのが始まりで、その後、社地は転々としましたが、明治期に現在地へ移ってきました。酒造、医薬、縁結びの神として信仰があるようです。

新日吉神宮の狛犬は、犬じゃなくて猿なんです。近江日吉山王の神使いはマサル、漢字で書くと「真猿」、または「魔猿」と書くそうなのですが、そこに由来があるのでしょうね。何故か金網に覆われています。鳩よけでもなさそうなのですが、どういう意味が込められているのかな~?

    

    

創建当時の拝殿を含む本殿は応仁の兵火で焼失してしまいました。現在の建物は、天保6(1835)年に建てられたようですね。朝廷の崇敬厚い神宮でしたので、数多くの天皇の遺物、宸筆が収められているそうです。

    

◆『新日吉神宮』詳細データ
 住 所:東山区妙法院前側町451番地の1

    

智積院(京都市東山区)

2008年01月14日 19時27分48秒 | 旅先にて
智積院にやってきました。ここは、真言宗智山派総本山の寺院です。広い敷地内に多くの伽藍と文化財も貴重なものが多く残っています。

    

見所は、長谷川等伯・久蔵父子による書院の障壁画と、書院の庭園です。

下の写真は、書院です。

    

長谷川等伯・久蔵父子の障壁画は、収蔵庫に納められていて、こちらで鑑賞することが出来ます。当時26歳であった長谷川久蔵の「桜図」は見事なものでした。等伯の「楓図」も素晴らしい。ほんと見事な障壁画で、圧倒されましたよ。

智積院庭園です。山は「廬山」を、池は「長江」をモデルにしているそうです。

    

    

下の写真は、平成になって再建された講堂です。とてもバランスの良い建物ですね~。この建物も長い歴史を刻んでいくのでしょうね。

    

しっかりと整備された広い敷地は、なんだか時代劇の一コマの中に入ってしまったような空気感であふれていましたよ~。

    

            

◆『智積院』詳細データ
 住 所:京都府京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964
 宗 派:真言宗智山派
 本 尊:金剛界大日如来
 創建年:慶長3(1598)年
 開 基:玄宥



ハイアットリージェンシー京都

2008年01月13日 18時47分52秒 | 旅先にて
養源院での拝観を終え智積院に向かう途中、京都国立博物館の南にあるのが、2006年にオープンした『ハイアットリージェンシー京都』です。

    

一度宿泊してみたいな~って思いますが、セレブなホテルなので、おさかなはちょっと無理かも(笑)

下の写真は、「トラットリア セッテ」のエントランスです。スッキリとお洒落なアプローチですね。イタリアのピエモンテ&リグーリア地方の料理を味わえるようですね。ちなみにディナーは7500円のようです。

    

少し、優雅に時間を過ごすのもいいのかな~っと、思いつつも歩き続けるおさかなでした(^^;;

ちなみに、ホテルのホームページです。

ハイアットリージェンシー京都HP

っちゅうことで、次に続く。。。


法住寺~養源院

2008年01月12日 19時20分09秒 | 旅先にて
三十三間堂の拝観を終え、『法住寺』前にやってきました。このお寺は参拝はしなかったのですが、略歴を紹介しますね。

     

法住寺は、平安時代中期に藤原為光によって創設されました。その後、後白河上皇が院政を行ってた時期、この寺を中心に上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれていました。源平の頃、木曾義仲によって法住寺殿が焼き討ちされ、数年後、後白河上皇の死去後は、後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで続いていたそうです。

法住寺の北隣が『養源院』です。養源院は、文禄3(1594)年に豊臣秀吉の側室である淀殿が父親の浅井長政の供養のために秀吉に願って創建したお寺です。その後、火災により焼失するものの、元和7(1621)年、徳川秀忠が正室である崇源院の願により伏見城の遺構を移築し、徳川家の菩提所となったお寺です。

     

門をくぐり、参道であるゆるやかな坂を上がっていくと本堂があります。

     

ここの見所は、俵屋宗達による杉戸絵と襖絵、それに血染めの天井板です。血染めの天井板は、関ヶ原の戦いの前哨戦で、伏見城が西軍の攻撃により落城した際に自刃した鳥居元忠らを供養するため、血に染まった床板を天井板として使用したそうです。手の指の後とか人の形などがみてとれ、結構生々しいものです。俵屋宗達の杉戸絵と襖絵は、その伏見城落城の際亡くなられた将兵たちの供養のため描かれたものだそうです。麒麟や獅子など個性的な表現で興味深いものでした。襖絵は松を図柄として、見ごたえありましたよ。

◆『法住寺』詳細データ
 住 所:京都府京都市東山区法住寺三十三間堂廻り町655
 宗 派:天台宗
 本 尊:不動明王
 創建年:永延2(988)年
 開 基:藤原為光

◆『養源院』詳細データ
 住 所:京都府京都市東山区三十三間堂廻り町656
 宗 派:浄土真宗遣迎院派
 本 尊:阿弥陀如来
 創建年:文禄3(1594)年
 開 基:淀殿、成伯(開山)


蓮華王院(三十三間堂)京都市東山区

2008年01月10日 22時04分00秒 | 旅先にて
今回の京都旅行で一番最初に訪れたのは、通称三十三間堂と呼ばれている『蓮華王院』です。ここは、大学生の時に拝観して以来だから随分と時は流れています。

下の写真は重要文化財の「南大門」です。切妻で本瓦葺きの門で軽車両なら門をくぐることが出来るようです。豊臣秀頼建立だそうです。

    

下の建物は、国宝の本堂です。鎌倉時代の建物です。建物の長さが33間あるから、「三十三間堂」と呼ばれています。

    

建物も圧巻なのですが、なんといっても内部に安置されている仏像が凄いですわ。1001体の千手観音像の前に横一列に並んでいる、表情豊かな木造二十八部衆立像が素晴らしい。なんといっても、木造風神・雷神像が素晴らしい。俵屋宗達が描いた「風神雷神図屏風」の元になった像なんですよ~。

    

この中央の扉の向こうには、本尊の「木造千手観音坐像」が安置されています。

    

◆『蓮華王院(三十三間堂)』詳細データ
 住 所:京都府京都市東山区三十三間堂廻町657
 宗 派:天台宗
 本 尊:千手観音
 創建年:長寛2年(1165年)
 開 基:後白河上皇

サンライズ瀬戸

2007年12月07日 23時44分44秒 | 旅先にて
東京からは、寝台特急『サンライズ瀬戸』にて香川へ帰りました。サンライズ瀬戸に乗車するのはこれが3回目です。飛行機はあまり好きじゃないので、出来るなら列車を利用するよう心がけています。寝台特急なら横になれるので、かなり楽ですよ。

           

今回は、B個室寝台ソロに乗車しました。個室では一番価格の安いタイプなのですが、ちょっと狭いですね。いままではシングルの方を利用していたのですけども。。。

           

足元のあたりが、ぐっと狭くなっています。ハンガーと比べてみるとよくわかりますよ~。

           

寝台だと、夜まで東京を満喫でき、朝起きれば香川という理想的な行動がとれるから好きです。一度夜行バスを利用したことがあるのですが、これは結構きつかったです(^^;;

そうそう、寝台といえば大阪-札幌間を走ってる『トワイライトエクスプレス』に一度乗車してみたいのですが、なかなかチャンスに巡り合えません。乗ってみたいな~(^^)v




東京国立博物館(台東区)

2007年12月06日 23時39分58秒 | 旅先にて
東京国立博物館に行ってきました。東京へは何回か遠征に来る機会はあったものの、なかなかここへ訪れることができなくて、今回が初めての見学となりました。以前から一度行きたいと思っていたので、やっと念願が叶いました。っが、やっぱ、時間が足らず、本館だけの見学となったのが残念です。

ここ国立博物館の収蔵物件は、11万件ほどあり、国宝91件・重要文化財600件以上と、国内随一の規模を誇っています。そりゃ、見学するには時間がいくらあっても足りないですよね。

まずは「本館」です。1937年(昭和12年)に竣工し、翌1938年開館しました。設計は公募で(今だとコンペかな)、渡辺仁さんの案が採用されました。瓦屋根に寺院のような破風を付した、帝冠様式の代表的建築ですね。建物は重要文化財に指定されています。日本の絵画、彫刻、工芸、書跡が展示されています。

   

下の写真は「東洋館」です。谷口吉郎さんの設計で、1968年(昭和43年)に開館。中国、朝鮮半島をはじめ、東南アジア、インド、エジプトなどの美術品を展示しています。

   

下の写真は「表慶館」です。1909年(明治42年)、東宮皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の成婚を祝う目的で開館しました。設計は宮廷建築家の片山東熊さんです。この建物も重要文化財に指定されています。

   

「法隆寺宝物館」にも行きたかったのですが、閉館時間が迫ってきて建物を見ることもできませんでした。東京は日が暮れるのが早いです~。設計は谷口吉生さんで、東洋館設計者の谷口吉郎さんの息子さんになります。おさかなの好きな建築家のひとりです。



不忍池~下町風俗資料館(台東区)

2007年12月05日 23時26分47秒 | 旅先にて
今回の東京遠征では、上野方面に行ってきました。「東京国立博物館」に行くのが目的だったのですが。。。上野方面ってなかなか行く機会が少なくて、前回は7年くらい前だったような気がします。

不忍池です。弁天堂と高層ビルの対比が印象的です。

   

地面の上にいる鴨さんたちの群れ。普段見掛けるのは水の上だからなんだか面白い。

   

「下町風俗資料館」です。江戸の下町の風景を再現して、展示している資料館です。なかなか面白かったですよ。

   

小さな空間を上手に使って生活していたことが認識でき、とても参考になりました。実際に建物内に上がることができるのもよいですね(^^)v

           

           

◆『下町風俗資料館』詳細データ
 住  所:東京都台東区上野公園2-1
 電  話:03-3823-7451
 入館料 :300円
 開館時間:9時半~16時半
 休館日 :月曜日(祝日の場合は翌日)