goo blog サービス終了のお知らせ 

おさかな’sぶろぐ

日々感じたことを徒然なるままに。。。

石塀小路(京都市東山区)

2008年02月29日 22時30分10秒 | 旅先にて
石塀小路は、「下河原通り」から「ねねの道」まで登っていく細い石畳の道です。住宅街の中の小路といった雰囲気といった感じでしょうか。

            

傾斜地ですから、敷地と道との間に高低差が発生し、土留めの石張りの擁壁部分を石塀と見立てて石塀小路と名付けているようです。

            

石畳は、昭和50年代に廃止された京都市電の敷石を移設したそうです。

            

隠れ家のような宿や料亭、バー等があって、とても風情があってよいですね。

            

少し歩き疲れたので、『いし塀』という喫茶店で少し休憩しました。毎朝八坂神社で汲んできた水で、珈琲を入れてくれます。

            

小さな坪庭ですが、庭を眺めながらの珈琲はとても良いですね~(^^)v

            

◆『いし塀』詳細データ
 住  所:京都府京都市東山区下河原通石塀小路
 電  話:075-551-3458
 定休日 :木曜
 営業時間:11時~17時



建仁寺(京都市東山区)

2008年02月28日 20時53分10秒 | 旅先にて
 建仁寺は、京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院です。本尊は釈迦如来で、開基は源頼家、開山は栄西です。
 日本で最初の禅寺であり、京都五山の第3位に列せられています。建仁寺といえば、俵屋宗達の「風神雷神図」(国宝)ですよね。原版は、京都国立博物館に寄託されているので見ることが出来ませんが、複製の屏風は見ることが出来ます。風神雷神と言えば、この図を思い浮かべるほどスタンダードになっていますが、もともとは三十三間堂の風神雷神像にリスペクトされたものだと伝えられています。

○勅使門です。

    

 建仁寺の南側正面、八坂通りに面した四脚門です。平教盛の館門を応仁の乱後に移築したものとだとも伝えられています。様式的には鎌倉時代末頃の建築です。国の重要文化財に指定されています。

○三門(望闕楼)

    

 静岡県浜松市の安寧寺から1923年に移築したもので、江戸時代末期の建築です。


○法堂

    

 仏殿と法堂の両方を兼ねているそうです。明和2(1765)年の建築です。平成14(2002)年に創建800年を記念して天井に小泉淳作により双龍の絵が描かれています。なかなか迫力のある龍ですよ。

    

○方丈

    

 室町時代の建物で、もともと広島の安国寺にあったものを、安国寺恵瓊が慶長4(1599)年に建仁寺に移築したものだそうです。国の重要文化財に指定されています。
 建物の周囲の庭は奇麗に整備されています。ゆったりとした空気の中で、いろんな表情を楽しむことが出来ますよ。

    

個人的には、とても気に入ってる写真です。

            

    

    

○庭の中には、東陽坊という茶室があります。

    

 千利休の高弟の一人である、真如堂長盛の好みといわれ、豊臣秀吉の北野大茶会の際、紙屋川の土手の上に建てられた副席と伝えられています。

            

◆『建仁寺』詳細データ
 住 所:京都府京都市東山区小松町584
 宗 派:臨済宗建仁寺派大本山
 本 尊:釈迦如来
 創建年:建仁2(1202)年
 開 基:源頼家、栄西(開山)


ギオンコーナー(京都市東山区)

2008年02月26日 21時46分41秒 | 旅先にて
花見小路沿いにある、五階建ての建物。とても、存在感のある建物で、弥栄会館といいます。中にはギオンコーナーがあって、外国人や観光客向けに祇園の芸と日本の伝統芸能をショー形式で紹介している場所だそうです。

    

建物は、鉄骨鉄筋コンクリート造で、地上5階地下1階建です。各階に銅板瓦葺屋根をかけ、塔屋状の正面中央部は付庇や宝形造屋根が城郭の天守を思わせる造形です。和風意匠の伝統を巧みに織り込んでいてとても印象的な建物です。設計は木村得三郎で、施工は大林組だそうです。

    

設計者の木村得三郎氏は、大阪の松竹座・東京の日劇をも手がけたそうです。3・4階には約千人を収容できる天井高12mのホールがあって、戦時中は軍部に接収され、大空間を利用して風船爆弾の気球生産拠点となっていたそうです。歴史って深いですね。。。

花見小路(京都市東山区)

2008年02月21日 21時09分31秒 | 旅先にて
花見小路(はなみこうじ)は、祇園の中央を南北に抜けている通りです。紅殻格子や犬矢来を備えたお茶屋や料亭が軒を連ねています。メインの通りは、電柱も地中化され景観に配慮しています。先日紹介した祇園新橋とはまた趣の違う街並みを形成しています。

    

            

    

でも、路地を入っていくと、祇園新橋とよく似た雰囲気の通りもあったりします。

            

メインの通りは、祇園新橋と比べると、入りやすい食べ物屋さんが多いようです。それだけ、観光化されていることなのだろうけど。

    

路地をぐっと入っていけば、こういった場面にも遭遇します。やっぱ、京の街は、和服だよね。。。

    

南座(京都市東山区)

2008年02月20日 19時37分04秒 | 旅先にて
京都東山区にある『南座』。正式名称は「京都四條南座」と言うそうです。松竹が経営しています。

            

江戸時代から続く歌舞伎の劇場で毎年11月末日より12月末まで行われる顔見世公演は京都の風物詩となっています。顔見世公演の際には、役者の名前を勘亭流で書いた「まねき」と呼ばれる、白木の看板が劇場の入り口上にずらりと並べられています。勘亭流のフォントは、年賀状ソフトなどに添付されているから意外と馴染みがある書体なのですけども。。。現在では、歌舞伎以外の演劇も上演されているようです。

現在の建物は1929年に竣工し、1991年に外観を残しつつ改装されたもので、登録有形文化財に指定されています。

10年ほど前に、大阪在住の友人に歌舞伎を教えられ、以来、おさかなの生息地である香川県の金丸座(琴平町)という木造の歌舞伎小屋で毎年4月に開催される歌舞伎の公演を観劇しております。ここ、南座でも観劇してみたいな~(^^)v




祇園新橋(京都市東山区)

2008年02月19日 21時55分39秒 | 旅先にて
祇園新橋は、八坂神社周辺の茶屋町として江戸時代中頃から賑わった地域で、祇園六町のうち新橋通りを中心とした茶屋町です。重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

    

祇園新橋を含む祇園地区には、江戸末期にはお茶屋が500軒、芸妓、舞妓、娼妓合わせて1000人以上いたそうです。その後、徐々に規模は縮小していったのですが、それでも昭和30年代から40年代にかけては、お茶屋150軒、芸妓、舞妓合わせて600人くらいの規模を維持していたのですが、その後急速に、衰退していき、一時期祇園のシンボルである舞妓さんも20人に満たない人数へと落ち込んでいました。最近は、徐々に回復し、現在は30人弱にまで増えているそうです。

    

茶屋の建物は切妻造桟瓦葺、平入二階建てで元治2(1865)年の大火直後の建築です。一階は千本格子、二階は縁を出し「すだれ」を掛けていて、隣り合う庇は同じ高さで統一感があります。

    

白川沿いの建物です。また少し趣が違っていていいですね~。

    

ゆったりと食事をしてみたいものです。

    

京都は、神社仏閣も素晴らしいけど、こういう街並みもほんと素敵ですよね。京都にはまってしまう要因の一つでもあります。

    

ほんと、街歩きは楽しいです(^^)v



青蓮院(京都市東山区)

2008年02月18日 20時47分52秒 | 旅先にて
青蓮院は、知恩院の北に位置する天台宗の寺院です。三千院、妙法院とともに、天台宗の三門跡寺院とされています。江戸時代の天明8(1788)年、内裏炎上の際、青蓮院は後桜町上皇の仮御所になったことから「粟田御所」と呼ばれてもいます。また、日本三不動のひとつ「青不動」のある寺としても知られています。

長屋門と立派な楠です。この楠は親鸞聖人の手植えと伝えられています。また、長屋門は、明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築したものだそうです。

    

宸殿です。寺内で最も大きな建物です。入母屋造、桟瓦葺きで、明治26(1893)年の焼失後に復興された建物です。「宸」は皇帝の意で、有縁の天皇の位牌を祀る堂です。苔の庭がとても印象的です。

    

小さな建物ですが、本堂です。方三間、宝形造の小堂で、堂内の厨子には青蓮院の本尊である熾盛光如来の曼荼羅を安置しています。

    

小御所です。本堂の北側に位置し、入母屋造桟瓦葺きの建物です。天皇の仮御所として使用されていました。明治26(1893)年の焼失後に復興したものです。

    

小御所の東北側に広がる相阿弥の作と伝えられる庭です。

    

相阿弥の庭の北側に位置する、霧島の庭です。小堀遠州の作と伝えられています。

    

茶室の好文亭です。青蓮院を仮御所としていた後桜町上皇が学問所として使用していたそうです。平成5(1993)年に放火で焼失したのですが、2年後に完全復元されました。

    

◆『青蓮院』詳細データ
 住 所:京都府京都市東山区粟田口三条坊町69-1
 宗 派:天台宗
 本 尊:熾盛光如来
 創建年:久安6(1150)年
 開 基:行玄






知恩院(京都市東山区) その2

2008年02月16日 23時30分51秒 | 旅先にて
昨日に続いて知恩院の紹介です。

本堂(御影堂)の北には、大方丈があり、京都市指定名勝の方丈庭園があります。

    

    

僧・玉淵坊によって作庭されたと伝えられています。池泉回遊式の庭園です。冬で緑が乏しいですが、それでもとても美しい庭だということが伺えます。

    

    

方丈庭園の奥には、権現堂が建っています。徳川三代(徳川家康・秀忠・家光)の位牌と肖像画を安置しています。

    

手前には、茶室もあって、とてもいい雰囲気です。

    

再び方丈庭園です。ここも緑の豊かな季節にもう一度行ってみたいですね。

            

    

方丈庭園見学を終え、石段を登って行きます。

            

山亭庭園です。知恩院で一番高い場所になるところです。小さな庭ですが、いい雰囲気を持っています。それに京都の町並みを一望できるのもよいですね。

    

勢至堂です。法然上人終焉の地である大谷禅房の旧跡で、知恩院最古の建物で、室町時代享禄3(1530)年の建築になります。重要文化財に指定されています。

    

知恩院は、寺域も広く、見ごたえのある場所ですね。また次回ゆっくりと訪れてみたいです。


知恩院(京都市東山区)

2008年02月15日 20時42分23秒 | 旅先にて
知恩院は、京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院です。本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)で、開基は法然です。

もともとは、浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごした場所に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降です。

    

国宝に指定されている三門です。日本の三大門の一つに数えられています。元和7(1621)年の建立の、五間三戸の二重門である。(「二重門」とは2階建てで、1階・2階の両方に軒の張りだしがあるものです。)高さ24メートルの堂々たる門で、東大寺南大門より大きく、寺院の三門としては日本最大のものと言われています。組物を密に並べるなど、細部の様式は禅宗様であり、禅寺の三門に似た形式となっています。

    

階段がとても良い雰囲気ですね。

    

本堂です。この建物も国宝に指定されています。寛永16(1639)年、徳川家光によって建立。宗祖法然の像を安置することから、御影堂とも呼ばれています。入母屋造本瓦葺き、間口44.8メートル、奥行34.5メートルの壮大な建築です。建築様式は外観は保守的な和様を基調としていますが、内部には唐様(禅宗様)の要素を取り入れています。正面軒下には名工・左甚五郎が魔除け(火災)に置いたと伝えられる傘が残されています。

            

霊塔です。塔は好きな建物です。綺麗ですよね。

    

阿弥陀堂です。本尊である阿弥陀如来坐像を安置する。明治時代の再建です。

    

鐘楼です。鐘楼に吊るされている鐘は、高さ3.3メートル、口径2.8メートル、重さ約70トンだそうです。京都方広寺、奈良東大寺と並ぶ大鐘として有名です。新年の除夜の鐘のシーンでは、時折映像が流れています。この大鐘は、寛永13(1636)年、に鋳造されたもので、重要文化財に指定されています。っで、この大鐘を支えている鐘楼は、この大鐘を支える鐘楼は延宝6(1678)年に建てられたものです。力強く堂々とした建物です。

    

宝仏殿の屋根ですが、雨垂れ部分には波形の瓦がかぶされています。やっぱ、本瓦だと雨漏りしちゃうんだね。

◆『知恩院』詳細データ
 住 所:京都府京都市東山区林下町400
 宗 派:浄土宗総本山
 本 尊:法然上人像(本堂)、阿弥陀如来(阿弥陀堂)
 創建年:承安5(1175)年
 開 基:法然




円山公園(京都市東山区)

2008年02月11日 17時51分48秒 | 旅先にて
円山公園は、八坂神社の東に位置し、知恩院とも接している、8万6600m2の広大な面積を持つ公園です。国指定の名勝に指定されています。明治19(1886)年に開設した京都市最古の公園です。

    

池泉回遊式庭園を中心に、料亭や茶店があって、なかなかいい風情を醸し出しています。もとは八坂神社の境内で現在の園地計画は武田五一がまとめ、園内にある回遊式の日本庭園は小川治兵衛が作庭したそうです。

    

    

京都随一の桜の名所で、花見時の‘祇園の夜桜’は圧巻だそうです。いつか桜の季節に来てみたいものです。「祇園枝垂桜」も桜があれば奇麗なのでしょうが、1月だとこんな状態です。

            

こちらは、名物「いもぼう」のお店です。

    

園内には、野外音楽堂や坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像もあるようです。


長楽館(京都市東山区)

2008年02月09日 19時34分01秒 | 旅先にて
 円山公園の南側に建っている3階建ての洋館が『長楽館』です。明治の煙草王として知られる村井吉兵衛の別荘として建てられてものです。現在は、喫茶室のほか、レストラン、レディースホテルとして利用されています。

    


 煙草で大成功を収めた村井氏は、国内外の賓客をもてなす迎賓館として利用していたようです。設計は、立教大学学長で宣教師の、アメリカ人、J・Mガーデナー。建築家でもあったガーデナーのによって、5年間かけて1909年に完成したそうです。建物内部は、ルネサンス風の広間を中心に、すべて異なるスタイルで造られた応接室、食堂、客室、貴婦人室、喫煙室、そして和室などが配されており、その随所にロココ、ネオクラシック、アールヌーボーといった華麗な建築美術によって装飾されているようです。残念ながら内部を見ることが出来ませんでしたが、次回は内部も見学してみたいです。

    

 英国のウェールズ殿下、米国財閥のJ・ロックフェラー、西園寺公望、山形有朋、大隈重信ら、多くの賓客や貴人がこの迎賓館に滞在したそうです。伊藤博文が「この館に遊ばば、其の楽しみやけだし長へなり」として、ここを『長楽館』と名づけたそうです。1986年にこの建物は、京都市有形文化財に指定されています。

◆『長楽館』詳細データ
 住  所:京都市東山区祇園丸山公園内

八坂神社(京都市東山区)

2008年02月08日 20時28分38秒 | 旅先にて
祇園祭が行われることから「祇園さん」と呼ばれている八坂神社は、京都府京都市東山区祇園町にあります。日本全国に約2300社ある、素戔嗚尊(スサノオ)を祭神とする神社の総本社です。

四条通りの突き当たりに位置する、「西楼門」は重要文化財に指定されている建物です。明応6(1497)年に建てられた切妻造の楼門です。

    

凛々しい狛犬です。

    

提灯もなんだか良いですね。

    

本殿です。こちらの建物も重要文化財に指定されています。承応3(1654)年に建てられた建物です。本来神社では、本殿と拝殿を別棟として建てられているのですが、ここ八坂神社の本殿は、本殿と拝殿を1つの入母屋屋根で覆った独特の建築様式で建てられています。この様式を「祇園造」と呼びます。

    

南楼門です。

    

「美御前社」です。美の神様として信仰を集めているそうですよ。

    

◆『八坂神社』詳細データ
 住 所:京都府京都市東山区祇園町北側625番地
 主祭神:素戔嗚尊、櫛稲田姫命、八柱御子神
 創建年:斉明天皇2(656)年


三千院(京都市左京区)

2008年02月03日 19時05分31秒 | 旅先にて
三千院は、京都市左京区大原にあります。昔から一度、行ってみたいと思っていたのですが、京都市内からは離れているためなかなか機会に巡り合えませんでした。今回は、jokaさんの案内で初めて訪れることが出来ました。

    

三千院は、天台宗の寺院で、本尊は薬師如来、開基は最澄です。青蓮院、妙法院とともに、天台宗の三門跡寺院の1つに数えられています。もともとは、比叡山に建てられた円融房が起源で、その後、坂本に移り、たびかさなる移転の後、明治4(1871)年にこの大原の地に移転してきたそうです。

当日は、正月三が日明けということもあって、観光客が極端に少なく、なんだか貸し切り状態で三千院を満喫することが出来ました。

    

石垣や白塀がお城のような雰囲気を醸し出していますね。

    

江戸時代の茶人金森宗和が手がけた庭です。冬で、落葉樹はさみしい状態ですが、とても奇麗な庭です。緑豊かな季節にもう一度眺めてみたいです。

    

坪庭も、いい雰囲気です。

            

奥に見える建物が、旅行ガイドとかによく掲載されている「往生極楽院本堂」(重要文化財)です。

            

往生極楽院は、平安時代末期の12世紀から大原の地にあった阿弥陀堂で、明治4年に三千院の本坊がこの地に移転してきてから、その境内に取り込まれたものです。入母屋造、杮(こけら)葺き、妻入の建物で、内部は船底天井になっていて、高さ2.3mの阿弥陀三尊像を堂内の空間一杯に安置しています。平安時代末期、12世紀の創建ですが、江戸時代の元和2(1616)年に大幅な修理をおこなっており、外回りはほとんど江戸時代のものです。

    

往生極楽院の周囲は、苔が一面に生えている庭です。とても奇麗に管理されています。とてもいい雰囲気ですよ。

    

苔の庭の中には、お地蔵さんが何体もたたずんでいました。なんだかかわいいですね。

    

◆『三千院』詳細データ
 住 所:京都府京都市左京区大原来迎院町540
 宗 派:天台宗
 本 尊:薬師如来
 創建年:延暦年間(782~806年)
 開 基:最澄


京都タワー&京都駅ビル

2008年02月01日 22時56分13秒 | 旅先にて
京都のシンボルである京都タワーは、昭和39(1964)年に営業を開始した高さ131mのタワーです。設計は、建築家山田守で、構造設計は京都大学工学部建築学教室だそうです。

            

ろうそくのような形をしていますが、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたものだそうです。高さの131mは、建築当時、京都市の人口が131万人だったからだそうです。

    

今回の京都遠征で、初めて京都タワーに上ってみました。京都は条例で超高層ビルを建てることが出来ないから、タワーからの眺めはなかなかのものでしたよ。ただ、曇り空だったのが残念ですけど。。。。。(^^;;

一昔前までは、京都タワーが京都のシンボルとなっていましたが、いまは京都駅ビルもシンボル的建物となっています。

建物の設計は、国際指名コンペ方式で行われました。原広司、安藤忠雄、池原義郎、黒川紀章、ジェームス・スターリング、バーナード・チュミ、ペーター・ブスマンの7名の建築家が指名され、最終的に原広司案が採用され、いまの駅ビルが建築されました。

    

    

大きな吹抜けや巨大な階段、空中通路など面白い空間構成をしていますが、ハーフミラーのガラスやアルミパネルを多用した造形が古都に相応しくないという、否定的な意見もあります。でも、いい建物だとは思いますけども。。。


西本願寺(京都市下京区)

2008年01月30日 20時59分15秒 | 旅先にて
西本願寺は、京都駅の北西部に位置します。創建当初からこの地にあったわけではなく、発祥は、宗祖親鸞聖人入滅後、末娘の覚信尼が文永9(1272)年に、東山区林下町(知恩院三門北の崇泰院あたり)に廟堂を営み、遺骨を安置したのが始まりだとされています。その後、各地を転々とするのですが、天正19(1591)年、豊臣秀吉より現在の寺地の寄進を受け、移転してから以後は、この地にとどまっています。徳川の時代になり、東西に分けられ、以降は西本願寺と呼ばれるようになっています。

戦国時代には、一向宗と呼ばれ、時代の権力者と激しく抗争していました。織田信長との抗争は壮絶だったようです。

本願寺境内には桃山文化を代表する建造物や庭園が多く残されており、境内は史跡に指定されています。また、平成6(1994)年12月には、古都京都の文化財の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。建物の配置と構造は真宗建築の典型で、親鸞聖人像が安置されている御影堂(ごえいどう)が本堂よりも大きく造られています。

おさかなの家は、浄土真宗本願寺派の末寺の檀家になるので、まさしくここが本山っちゅうことになるのですが。。。

寺域と堀川通りを挟んだ向かい側に建っているのが、総門です。道の一部となっています。総門をくぐって東へ向かう通りには、仏具屋さんが多く並んでいます。

    

阿弥陀堂門です。桃山時代の雰囲気を残した唐門です。

    

阿弥陀堂(本堂)です。この建物は重要文化財で、宝暦10(1760)年に再建されたものです。東西42メートル、南北45メートル、高さ25メートルの大きな建物です。

    

こちらは、御影堂です。この建物も重要文化財に指定されています。寛永13年(1636)に建立。東西48メートル、南北62メートル、高さ29メートル。阿弥陀堂より一回り大きな建物です。現在改修中で中に入ることはできなかったのが残念。今年の暮れまでかかるようです。

    

経蔵です。「一切経(大蔵経)」を納めています。

    

下の写真は、太鼓楼です。幕末の頃、壬生に屯所をかまえていた新選組が隊員の増加により壬生では手狭になり、本願寺の屯所を移動しました。その際、この太鼓楼を集会所として使用していたそうです。

    

本願寺には、『飛雲閣』『書院』『能舞台』など国宝建築が沢山あるのですが、基本的に非公開なので、目にすることが出来ず残念です。

◆『本願寺(西本願寺)』詳細データ
 住 所:京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル本願寺門前町60番地
 宗 派:浄土真宗本願寺派本山
 本 尊:阿弥陀如来
 創建年:文永9(1272)年
 開 基:覚信尼