おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

能戸清司  「夜は明けない」の書評

2013-01-18 05:45:52 | Weblog

 第二次世界大戦中日本の占領下にあったマレー半島は戦後再びイギリスの支配下に置かれ一九四六年マラヤ連合が発足した。
 これを心良く思わぬ者達がマラヤ共産党の武装蜂起を呼び起こすこととなった。
 しかし中国系が多いマラヤ共産党はその戦いをマラヤ民族全体の解放戦争としたものの、さほど人々の支持を得ることは出来なかった。
 主人公は第二次大戦の折、中学校から士官学校に進んだ。市谷の校舎から休日ごとに銀の襟章をつけ、真新しい軍服姿で街に出てくる時の自負心は行き交うすべての人々から羨望の視線を受け、羽毛でくすぐられるような快い羞恥に悶えた。それに続く士官候補生、そして少尉任官、死をかけた栄光の甘さであった。
そんな自分が 終戦を迎えたマレー半島から、おめおめと焦土と化した日本に帰る気には毛頭なれず、解放軍に身を投じニキと名乗って異質の栄光を勝ち取ろうとした。  
 しかし開放軍はマレー半島に於ける共産主義と言う主体性が希薄なばかりにすべての活動の規範を中共に仰ぎ、中国の出先機関かと思える現実に、翻弄された。こうしてその後一二年もの間嘱望されてはいたものの民族の違う仲間との軋轢や得体の知れない懐疑にとりつかれていた。

 マレーの共産党も無益な武力の抗争からイデオロギー革命をするようになって、イギリスが親英的な自治政府の樹立を認める方針に転換しマラヤ連邦が独立することになった。
 その式典の日、大英帝国はじめ各国の使節団の中に日本の使節を見つけたニキは「俺は日本人だ、俺を日本に一緒に連れて行ってくれ」と叫びたいのに、首相に着くアブドゥル・ラーマンを撃つ任務を背負って群集の中に居る身にはそれが出来ない。
 人間は選んだ環境と、置かれた位置と、心境が行動を規範するが本質的なものは変えられない、変わらない。「夜は明けない」という短編であった。
 さすが文筆業で一生来た筆者の作品の批評は私には荷が勝ちすぎる。やっと大意が書けた有様である。
 最初同じ一冊に収められている「マゼランの首」の感想を書きたかったが書き足りないのか読み足りないのか、その時代に日本人が、南方の島あたりに居るのが合点が行かず、それに戦の攻防は、洋の東西と言えど源平の陸奥での戦いに似通っているのでやめた。
 マゼランの首より、マゼラン海峡発見の仔細のほうが知りたかった。   

    俳句 知らぬ世の島の仔細や冬籠 

        鴉二羽閲兵するや鴨の陣

 

コメント (4)
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