おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

  無 明 (昭和20年代の小品)

2010-06-02 21:21:12 | Weblog

 盆前の厚生課は特別忙しい。
 給料計算の外にボーナス計算、帰郷旅費、汽車の切符取りや、荷造りやら、400人からの女子工員をあらかた帰郷させると、忙しかった反動で広い工場内はしんとして寂しくなってしまう。
 Тはさきほどから汗を拭き拭き「来る」「来ない」「来る」「来ない」といらいらしながら駅の時計を眺めていた。
 明日から連休と言う日に郡上の盆踊りを見に行こうと同じ課のS子を誘ってみたのだ。
 慌ててホームに駆け込んできた彼女はブルーのデシンのブラウスにグレーのフレヤーのスカート胸元にチュールの白いボー茶と白のコンビのハイヒール、手には小さめの白いバックと妙齢の婦人振りであった。
 二人は風の入り込んでくる車窓側に向き合って掛けた。「家どう言って出てきた?」「友達と郡上踊りに行くと言って、本当でしょ」
 どちらも二人になって幸せな気分であった。
 郡上節が、せつせつと夜空を渡り近郷から来た浴衣の男女が踊りながら街を練り歩く。
 その壮観な様子にS子は踊りの輪に入りたかったがТは、それようにしつらえた別の櫓の上でジルバやマンボに夢中である。顔見知りの女性がここまで来ても数人いるようである。
 ダンスの出来ないS子は所在無げに隅の椅子にかけて涼しい夜風と遊んでいた。
 一晩中そうしているわけにも行かず夜食を取った店で仮眠をさせてとТが交渉した。二人は疲れがどっと出て畳の上に長くなった。頭の下に組んだ腕の上に同じ姿勢のTの腕が重なりS子の鼓動は激しくなったが又人肌のぬくもりにほのぼのとしてもいた。  「八千万人の中の二人である事をわすれずに(当時の日本の人口)つきあっていこうね」とТが言うのを常識的なせりふとS子はおもったが彼女自身それを打ち破るだけの情熱を感じてはいない。
 先ほどから「これからは学歴社会になって行くそうよ一緒に大学を受けましょうよ」と言ってくれたU子や「どうして今貴女が就職なのか僕には判らない心境を教えて」と書いた手紙を自分で届けにきた浪人中のMのことが脳裏にひらめいた。、それならと面倒な手続きをしてOKの申請書が来た通信大学の書類はそのままになっている。
 だから こうしていること自体が、安逸をむさぼっているような気がしてブラックホールに自分から落ち込んでいく気配になるのであった。
 短夜の夏の仮眠は二人を重苦しいものにさせていた。

 俳句  新緑やゲートボールに老い盛ん      
      朝毎に植田一枚づつ増え来

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