おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

同窓会(その2)

2007-08-01 08:54:12 | Weblog

 梅雨明けと土用の中日が同時にくるなんて、而も今日からは、もう8月、選挙も終わったが、その話はまずはお預け。

     本文          軽井沢の高校の同窓会にマイクロバスを仕立ててきた故郷勢と、東京方面のメンバーが、千野の駅で合流した時のことである。

 「何だお前どの顔さげて此処へ来た。くるなら借金返してからてのが筋だろう」

 「金より良いもので返すから」

 ことの顛末を知らなかったら、びっくりする会話が私の後ろの席で小声で交わされていた。怒られているSは町にたった一軒あったレストランの四男である。名士が良く出入りして居たが戦後二十年くらい経った時つぶれて今は無い。

 通知を出してもなかなか連絡がとれなかったというSは、友達の誰彼から、お金を百万円単位で借りているということなので、申し合わせてDが代弁したのではなかろうか。

 気をつけて見ていると折角此処に滞在しているのに、単独行動が目立つ。女性四人の私達の部屋で夜が更ける迄話していたりした。

 戦後食料の無かった時代に、彼のグループは、レストランの台所に随分世話になっていたらしい。「出世してるやつに還元しろといっているのだ」と、今更何のことかと思う。次の日X会社の重役のTが仕事の都合で一日早く切り上げ、成田空港へいくとき一人だけ見送りに、同乗して行ったのも、おかしなものであった。

 昔日の坊ちゃんの面影は無く、かと言って企業ゴロとか総会屋にしては今一貫録が無い。子も無いとのことである。

 女性ながら中学の校長になったNちゃんが「Sさん、ダンス教えてよ」と踊っているのは立派な友情である。私も広間から一人去り二人さりして、別荘主と三人だけが残った時、商売に失敗して難儀した過去を語ったりしてSを励ました。

 別れる時、バスに乗り込む私に、彼は明るい顔でしっかりと握手をしてきた。つと目をやると彼の肩越しの草むらに吾亦紅が咲いていた。吾亦紅なり!われも同級生なりと言うように。   1988年

 俳句 * 白糸の滝幾年の流れかな

    * 野辺山の木のふらここや風起こす

コメント
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