イヤホーンをつけても耳が聞こえぬようになったと言うMさんが、体調の勝れぬ私に見舞いと称して一途に車を運転して来てくださった。
茶飲み話は耳のことから目へと移り眼鏡のことになった。
そのテーブルの上の籠にあった眼鏡を見せたら「売るほどあるねー」とおっしゃるので、ここにもこれもと十五程を並べた。
サングラス三ケ遠近両用四ケ老眼鏡など、「捨てれば良いのにね」と言うと「眼鏡はそれぞれ来歴があるから文章を書くには困らないね」と言われた。
1・2と視力が良かった私が六十歳の時初めて和光で遠近両用をつくって嵌めたときには、下を向くと足がもつれるようで、恐かったものである。
手にした眼鏡を「これは森英恵のデザインのフレームで気に入っていたのに、ある日、車の助手席に乗る時ドアにぶつけて割れたので買ってくれた娘にばれないようにと、すぐに修理に出したら片側レンズだけで、二万円以上もしたのに、又膝で敷いてしまったんです」
「今は流行のこの横長をしてるんですが、眼鏡の三木から、お誕生日おめでとうと電話がかかってきたので、その内、修整に行きますわと返事をしておいたんですが十二万円もして未だ一年ですのよ」
「一番多いのが老眼鏡で」と言うと
「私もそれが多いな」
「これだけあっても、これがきっかりと言うのがなくて、どこへ行きたい?と言われれば、即座に眼鏡市場へと言いますわ」等と話した。
Mさんが帰られてから、気が付くと、パソコンで購入した時に送られてきたケースに入ったのがまだ三ヶあった。
十八ヶもの眼鏡を眺めながら最近の私の読書のことを思った。
図書館に井上ひさしの「自伝的小説」が無かったので代りに借りてきた「手鎖心中」は一晩で読んでしまった。
息子が貸してくれた五冊の内「阿片王」や「名古屋地名の由来を歩く」のノンフィクションはすぐに読めた。
それなのに「大女優物語」に至っては若い頃シナリオまで携えて観に行っていた映画のことであるのに、読み始めるとすぐ眠くなって、睡眠薬程の効果しかないので体調のせいか眼鏡のせいかと考えた。
けれどこれはこの本の構成の不味さで、マリリンとリズとオードリーをその都度 からませて書いてあるので、煩雑でわかりにくいからであって、あながち眼鏡のせいではないと老顔鏡をいとほしむことにした。
俳句 初蝶のもつれて飛べリ軒の辺に
みず木の芽ふくらみ外より目隠しに
先客に酒供へられ入り彼岸
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それにしても、メガネの数すごいですね。
しかし、度数が合わなくなっても愛着があってなんか捨てずらい。
机の奥深く大事に保管しておく。
それぞれのメガネに、いろいろな思い出もあるし。
その昔、「TPO」に合わせたファッションが流行ったことがあった。
良く読書されていますね。句づくりには、やはり必要なんだね。
井上ひさし氏は、同郷ですが一冊の読んだことがないので、今度読んでみようかな。
桜も開花して、土筆も顔を出て来た。
俳画に合わせて一句。
朝日浴び土手の土筆の凛として
が、寄る年波には勝てません。今では遠近両用、中近両用(パソコン用)と眼鏡の無い生活は考えられなくなりました。
いつ頃からあったのでしょうか。?
是非は別にしても今は、欲しいものは何でも手に入る時代。
しかし、(今は)良い時代なのでしょうかね。
常に空腹の子供時代。おやつ代わり食べた「にしん」は、美味しかった。
少年のポッケの鰊飛び出せり