おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

節分

2008-02-06 00:16:42 | Weblog

 節分は、立春の前日、もとは四季それぞれの分かれ目を言う語であったが、現在は冬と春の境目のみを言う。 この夜、寺社では邪気を追い払い春を迎える意味で追灘が行われる。民間でも豆をまいたリ、鰯の頭や柊の枝を戸口に挿したりして悪鬼を祓う。

 徳川家康が名古屋開府に際して美濃の大須から移築させた寺、大須観音では派手に節分会が行われる。現代では宝船に乗った七福神がミス観音ものせて、一時頃栄を出発し2キロのパレードをしてきて、三時頃大須観音に到着し本堂前の特設舞台で、名古屋の福の神による鬼追いの儀式で、節分のハイライトを迎える。。

 私の家では炒った豆を升に入れて儀礼的に「福は内、福は内」と豆を撒くだけであったが、一昨年初めて句材を拾いたくて、大須観音へ観に行った。今年も行くつもりだったが、一年の内この頃が一番寒く雪もよいの天気だったので、家に篭ってしまった。

 大須は一昔前、今は亡き舅達の時代には、大層な繁華街であったらしい。七つ寺のお庫裏様が舅の姉で和尚様が、近衛兵時代の友人とかで、何につけても、大須、大須と言っていた。姉妹は、食いはぐれがないようにと、成田さんとか京都の花園とか、お寺へ嫁がせてあった。

 その年の大須観音の豆撒きの様子は、高く組まれた広い廊下の櫓に並んだ年男年女が、恵方に向かってマイクの号令に合わせ、一斉に手にした升から、「福は内」と叫んで豆をまく。撒く人が粛々と入れ替わって並ぶ。私はその下で、見よう見真似で、紙の買い物袋を差し出して豆を受けた。今年はさしずめ雪の用心に持参した傘を開いて、逆さにして受けた人もあった事であろう。大勢の人で、門の並びの芭蕉の句碑まで豆が飛んでくる。鳩も群がってついばんでいた。日本では、こうした古来からの謂れのある行事は、信じる信じないに拘わらず習慣として、踏襲されていくのであろう。

 後で判ったことであるが、句友も一人で行っていて同じ所で観ていたらしいのに、どちらも気ずかなかった。二人でならば帰りの珈琲が美味しかったであろうのに。

  俳句 ○ 鬼やらい鳩の豆追ふ観音寺

     ○ 豆撒きを帽子で受くる善男女

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