おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

男児置き去り事件

2016-05-31 13:32:07 | Weblog

 「置き去り男児依然不明、北海道捜索継続」と今日の新聞にあった。」
何と小学二年生の子を親が車から降ろして走り去ったと言うのである。
  躾けと称してほんの軽い気持ちであったろうと思われるが、
右も左も判らない所で置き去られた男児の気持ちはどんなだっただろう。携帯電話も持ってなかったらしい。
 此の親は自分と子供の年齢差や経験の無さなど考えなかったのであろうか。
 こらしめの愛だったとか言っても最近はマスメデアに一旦取り上げられるとこれでもか、これでもかと何度も取り上げられる。見つかっても見つからなくても、この子の将来は暗澹たるものになること必定である。
 小学生のうちくらいは親に全幅の信頼を寄せて育つし多少の我儘はその証拠である。まだまだ寒い山の中でどうしているのだろう。
 私ことであるが七十年も昔用事があって下の子二人を連れて、実家に行く母をこの
子と同じ小学二年の妹が、学校帰りにすれ違う越美南線の車両で見つけ手をふりあったら三キロを、走って家に帰り貯金箱を逆さにしてお金を出して、進行方向とは反対にある駅までの三キロを走り、来た汽車に乗り美濃大田からは四きろもあるが、こちらも走って、初めて独りで母の実家について周りの大人を唖然とさせたことがある。
 同じ学校に上級生で私が留守番で居たにもかかわらずである。
そういえば私も夫に中村区の小金の陸橋で下ろされて走り去られたり、もう一回は清洲の街中で下ろされたことがある。理由は忘れたが立ち退きにあって住み家をかえる時、気にそまぬことでも言ったとみえる。
当時はタクシーがひんぱんに走っていたのでよかった。結婚して十年、私が未だ名古屋には暗いという若さであった。何年経っても笑えない話である。
 今の子は車を止めて頼むくらいの行動はするかも知れないが、頼まれた大人が、変わったことをする人が有るから心配である。未だ見つからない子の無事を案じている。


      俳句  つんばらの穂のいっせいに車道かな

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする