おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

 香  り

2013-11-22 15:33:43 | Weblog

 今年は殊のほかの夏の暑さで、秋が短かった。
それでも十一月に入るとあちこちで、かぐわしい菊花展が催されている。
 日本人の風習で懲りにこった菊の着物を着た人形が、晴れ姿を誇っている。
 菊花展、薔薇展、蘭展など今までに、何ヶ処行ったことであろうか。不思議とそう言うものは、夫、子供、母、妹など親族で行った事が多く会社の旅行では神戸での花博(大阪だったかしら)以外行った事が無い。
 人間、五官も千差万別で妹と一緒に居ると「良い香り」「いやな臭い」などといつも聞かされていた。
 その都度敏感に反応出来ない自分に「私は鈍感なのよ」と言い聞かせて来た。
 三十年近く前に岩崎に住んでいたころ日進市の木と言って金木犀の苗木が配られて来たが、どうしたことか根着かなかった。
 今この家に銀木犀があるが高く刈上げてしまっているせいか咲いてから散っているのに気がつかずに居て唖然とした。
 自転車で通る道には街路樹の金木犀が続いていて散り始めているが、ほのかな香りがしただけで辺りに漂う香りは私には届かなかった。
 そういえば私の俳句には香りを詠んだ句が全く無い。
 一度耳鼻咽喉科を尋ねてみよう。日常生活に格別の支障を来たさないのでそのまま過ぎているが考えれば由々しき問題である。
 梅や水仙や百合など季節の花を床の間や食卓や下駄箱の上に欠かさず活けているのにただそれだけの事であった。
 百合が活けてあった時、客に「狂おしいほどの香りですね」といわれて「あらそうかしら」と言ったものである。
 あちこち身体の疾患を感じるようになって来たこの頃、耳や鼻や目も管理をゆるがせにしないで良い状態で保持するように神経を使おう。
 春の梅のころには、あたり一面馥郁と梅の香りがと言ってみたいものである。

   俳句  美容院晴れがましきは十一月 
       心燃ゆるもののありけり神の留守

コメント (2)
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