おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

 春 の 足 音

2013-02-06 16:39:48 | Weblog

                 俳句  ○  齢の差や曾孫の今日は宮詣り

 
 ぼけっとしていたら、豆撒きの日も何処へも行かずひたすら、佐野真一の「あんぽん」を読んでいて刻を過ごしてしまった。
 節分は朝から雨でゲートボールは休み、キャプテンのIさんから電話が来て小雨なら、練習がしたい様子なので、老人がそんな日にスティックを振り回してると世間体が悪いからと、からおけに行った。
 夜はスナックなのらしいが、昼間はコーヒーを注文して、二三曲歌って気晴らしが出来る手ごろさが受けて、中年客が絶えない。
 喉自慢の常連客が居る中で、Iさんも私の知らない歌を歌い、わたしも場違いな「早春賦」や「惜別の歌」や「旅の終わりに」などを声張り上げて歌って少しはすっきりした。
 五日は同じ1時から交流館で彼女はゲートボールの役員会が、わたしは句座があるので、待ち合わせてそこで一緒に昼食をした。
 「みかんはもう終わったのよ」と伊予柑を持ってきてくれた。
 句座は春待つ句が何句か散見できた。
   ○ 凍むる日は凍みて刻待つ野辺の草 Iさん
   ○ 春めきて空に命の延ぶを見し     Tさん
   ○ 身中に宿る鬼追ふ豆を噛む           先生
 等楽しく句会を終へて家に帰ると病院で療養中の妹から「脱走したい」と電話があり、お互い齢をとるとじっと刻を待たねば為らないよ。それは若い時のように心躍る刻でなくて、或いは死ぬまでの刻を稼いでいるのかも知れないけれど先ずは今の病を克服しなければ、梅のつぼみも開いてきたし確実に治ると信じて・・・二三日の内に行くからと電話を切った。
 
さしずめ私の7日は馬鹿げた保険の後始末に名駅近くの
会社の顧客サービス課まで行かなければならない。
 終身払いにしていたので、もう充分に支払い、今死ねば差損は少なくて済むけれど、九十歳までシミュレーションすると十年も掛け捨てを支払い続けなければならないので、払い済みの手続きをしに行くのである。
 もう人生に賭け事は不要である。あるがままに季節と共に日を過ごしたい。

             俳句  笹鳴きにゴンドラの人華やげり

 

    

コメント (2)
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