おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

  師 走

2011-12-13 17:12:24 | Weblog

 今年三月十一日に東北を襲った巨大地震のせいで、その地方の人でなくても、自重した生活をした人は案外多いのではなかろうか。
 私も同様で、旅行は考えず、せめて日進市の文化協会が毎年主催する外国との文化交流の旅行には同行させてもらいたいと思ったが、協会員でもない私の知らないうちに来年は台湾行と決まり、締め切りも済んでしまった。
 
紅葉も見損なったので、来年に夢を託し一人の生活では走り廻ることとて無い師走をもっぱら読書で過ごしている。
  私は結婚前の五年程を片倉製糸に勤務した事がある。同社友の会の会誌が送られて来、かってこれを見て操業停止後三十年間もこの資産を管理し、世界遺産登録リストに登った片倉所有の富岡製糸工場を見に行ったことがある。これは私自身の中でどんな会社であったか改めて一貫性を持たせたいと言う興味もあったからである。
 今又、市の図書館が十一月に私がリクエストをして置いた念願の「富岡日記」を早速購入してくれた。この本は明治六、七年に殖産興業を担って働いた士族の娘の比類のない記録である。
 その記録を残したのは「和田 英」という女性で当時十八歳の若さで十三歳から二十一歳までの女性十五人を引き連れ信州松代から官営の群馬県にある富岡工場まで徒歩で碓氷峠を越え三日がかりでフランス人技師の許へ製糸技術の習得にでかけたのである。
 掲載されている写真からはいかにも利発な明治の女性が偲ばれる。事あるごとに使用者と自分達の仲の溝をまるく納める機知を持つなど、文明開化のなかで率先してこの仕事に携わった女性史として面白く読んでいる。
「和田 英」は子供が無く養子の誠一の勤める古河鉱業足尾銅山で暮らし七十三歳で亡くなっている。
 私は製糸工場の現場のことは、余り知らないが二歳年上で今飯田に住んでいるSさんにこの本を推薦しようと思っている。指導員だった彼女なら専門用語などがわかってより感激するであろうし、彼女とて師走とは言えお一人様の暇人である。面白がって読むに違いない。
 それにしても炭坑とか製糸工場とかの一次産業から電気機器や化学産業等の二次三次の産業に変わってしまった現
代、これからの人類の行く末はどうなって行くのであろうか。

   俳句 残照を留めて飯田の林檎かな  
      
       見通しの効く街筋や冬ざるる

コメント (1)
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