僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

ニューヨークシティマラソンの思い出

2017年11月05日 | ランニング

きょう11月5日はニューヨークシティマラソンが開催される日です。

と、まあ、いきなりアメリカで行われるマラソンの話などを出して恐縮ですが、実は僕は1983年(昭和58年)に行われたこのレースに参加しました。その時は34歳だったのですが、あれから34年が経ちました。34歳の時から34年経ったということで数字が揃ったので(笑)、きょうはこのニューヨークシティマラソンの思い出を、少し記してみます。

またこの旅行は、僕が生まれて初めての海外旅行でもあったので、どんな些細なことでも強烈な印象を受けたものです。たとえば

ニューヨークの街を歩いていると、前を歩いていたおじさんが後ろを振り向き、二本の指を口に当て「ピュ~~!」と口笛を吹いてタクシーを止めたのを目の前で見て、「へぇ~、カッコええなぁ。さすがアメリカやなぁ」と、すご~く感心したものです。

また、賑やかな路上で男女が抱き合ってキスしている。「チュ~!」という音がまわりに聞こえるほどの派手なキスを延々と続けている。それを間近で見て「うむ。さすがぁ」と感心しました。当時の日本では見たことのない光景でしたからね。

とにかく、どんな細かいことにも目を見張り、仰天をし、外国ってこういうものなんだ~、と感心ばかりしていた旅でした。

さて、ネットで見ると、昨今のニューヨークシティマラソンの参加者は5万人を超えています。僕が参加した時は1万7千人で、それでも超特大の規模のマラソン大会だという印象が強かったのですが、何と今は5万人規模とはねぇ。この大会も益々盛況になってきているようです。

僕はこの前年の3月に初めてフルマラソン(丹波篠山マラソン)を走りました。その頃、朝のラジオ番組「道上洋三のおはようパーソナリティ」で、その道上さんが篠山マラソンを完走したので、「あれなら僕でも走れるのでは」と思って練習を始め、翌年の篠山マラソンに出たというわけ。で、無事に完走できました。

次の年の3月にまた同じマラソンに出たあと、さて次はどの大会に出ようかと思っていた時、たまたまランニング雑誌で「ニューヨークシティマラソンツアー」の募集記事を見つけました。ツアー代金も何十万という高額で、2人の小学生の息子を抱える身でもあり、悩みましたが、どうしても海外を走りたいという気持ちを抑えることができず、妻に打ち明けたところ、快く行かせてくれたのは嬉しかったです。

まあ、マラソンを走ると言っても、僕などは記録も4時間台で完走するのがやっとという程度でした。このニューヨークでも約4時間半かかり、順位も完走者が1万3千人くらいの中で1万2,227位と、ほぼビリに近い順位でした。それでも、ニューヨークの街をゆっくり眺めながら走れたので、むしろ「お得」でした。同じツアーで行った人の中には、自己記録めざして頑張り過ぎて沿道の風景はほとんど目に入らなかったと言ってました。これではもったいないですよね~

このレースはニューヨークの5つの全ての区を走る片道コースになっています。スタートがステッタン島という一番南側の区で、そこからベラザノ橋を渡ってブルックリン区に入ります。ここは黒人のほか、プエルトリコ、ギリシャ、イタリア、ユダヤなどの系統の人たちが居住しており、そんな人たちが声援を送ってくれました。その次がクイーンズ区で、この辺からマンハッタンの摩天楼が視界に入り、中間地点を過ぎてクインズボロ橋という美しい橋を渡ってマンハッタン区に入り、いったんブロンクス区に入ったあと、再びマンハッタン区に戻って、さらに黒人街のハーレムの真ん中を走り、最後は5番街からゴールのセントラルパークへと続きます。まさに「NY観光コース」でした。

また、この日はスタートからゴールまでずっと雨が降っていたのですが、にもかかわらず沿道は大観衆で埋まり、僕が胸に日の丸とJAPANの字が入ったシャツを着ていたので、あちらこちらから「ヘーイ、ジャパ~ン!」という応援を受けました。握手やハイタッチを求めてくる人も大勢いました。日本の沿道の観衆よりとびきり陽気だし、大声で声援を送ってくれるので、それはもう、賑やかだったこと!

そんなことで、毎年、この季節になると思い出深かったニューヨークを思い出します。それでもブログにはあまりそのことは書いてこなかったのですが、34歳の時から34年が経ったという記念の年(?)なので、ちょっと書いてみました。

もしニューヨークシティマラソンをテレビ中継してくれたら、沿道の光景なども改めて思い出せるのでしょうけど、当然ですがそんな中継もありませんよね。

本棚の奥にマラソンに関するいろんな資料を詰め込んだファイルがあったので、今朝は久しぶりにそのファイルを引っ張り出してみました。その中から、この大会の完走証を見つけたので掲載します。34年の歳月を象徴するかのように、紙も変質してきて、隅っこの方は黄ばんでいますけどね~


  


右側の真ん中あたりに黒い字で僕の名前があり、その下に4時間28分26秒というタイムと、12,227位という順位が書かれています。これを見るのも、たぶん34年ぶりのことだと思います。ブログをしているおかげで、こんなものも探し出し、ここに残すことができるので、いい記念になります。

 

  


で、これは過去に一度載せたことがありますが、ゴールの瞬間です。僕が死んだとき、この写真を棺の中に入れてもらおうと思っています。今ではもう、なかなかランニングを続けるのは難しいですけど、死んでからまたゆっくり走ろうと思っていますので(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「9人の切断遺体」 の狂気 | トップ | エアフォース・ワンの “謎” »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ランニング」カテゴリの最新記事