9年前の10月。出張で新潟へ行った時のことです。
仕事を全部終えて空港へ行こうとタクシーに乗ったものの、まだ時間に余裕があったので、新潟市内を適当にめぐってもらうことにしました。しばらくして、タクシーは海に近づいて行き、人通りのない細い坂道を上がって行くと、右手に学校のような建物が見えてきました。
「この、右に見えるのは中学校なのですが…」とタクシーの運転手さん。
「二葉中学校と言います」
「えっ? フタバ中学校?」と僕は聞き返す。
この中学校にどんな由来があるのだろう…と次の言葉を待ちました。すると運転手さんは驚くべきことを言ったのです。
「この二葉中学校は、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんが通っていた中学校だったのです」
運転手さんの言葉に、思わず「えっ、何ですって?」と聞き返しました。
ここが…? 横田めぐみさんが通っていた学校? ここが…?
いきなりのことだったので、本当に驚きました。
事件が起きたのが1977年(昭和52年)11月15日でした。そして今日、11月15日はその日からちょうど40年が経った日となるわけですが、これは9年前の話ですから、その時は事件後31年の時点だったことになります。
一人の少女が忽然と姿を消したのは、この中学校からの帰り道だったというのです。当時めぐみさんは13歳。中学1年生で、今のモミィより1歳だけ上という、まだあどけない年頃です。
「そうですか。ここがめぐみさんの通っていた中学校だったんですか…」
僕は身を乗り出して右手の窓から校舎を眺めながら、もう、それ以上の言葉は出なかったことを覚えています。
タクシーは海岸公園の横を走り始めましたが、整備の行き届いた道路と公園の木々の緑は美しかった。しばらく海岸沿いを走ったあと、比較的広い道に出たときに、運転手さんが再び口を開きました。
「このあたりでめぐみさんが拉致されたのであろう、と言われています」
ごく普通の道路と、ごく普通の歩道があり、海辺の方角には木々が瑞々しく生い茂っていました。何とも穏やかな風景でした。こんなところで…
この辺のどこかに卑劣な悪魔が潜み、何の罪もない一人の純真無垢な少女を肉親から奪い、少女が育んできたすべてのものを引き裂いて連れ去ったのです。その時、めぐみさんがどんな思いだったかを想像しただけでも身震いがします。残酷すぎます。
車に揺られながらそんなことに思いを巡らしていると、だんだんと気が重くなってきました。
運転手さんは前方を見つめながら、淡々とこう言いました。
「めぐみさんは絶対に生きていますよ。でも…もうこちらには…帰ってこないんじゃないかと、思いますよね。ご本人の意思として…でも、ですね」
そんなことを途切れ途切れに、噛み締めるような口調でつぶやいたのです。
そしてさらに運転手さんは、こう続けました。
「めぐみさんは結婚して、子どもさんもいるし…。それに、あちら(北朝鮮)ではかなり優遇されているんだと思いますよ。もう30年以上もあちらで暮らしているんですからね。そりゃぁ、お父さんやお母さんに会いたいでしょうけど、今の自分の生活や家族も捨てられないのではないでしょうか…」
地元の人たちは、みんなそういうふうに思っているということでした。
もし運転手さんの話のとおりだと推察すれば…
ご両親である横田さんご夫婦にとって、つらいことには変わりないだろうけど、めぐみさんが現地でそれなりに順応して穏やかな生活を送ってくれているとしたら、それは万分の一でも安堵の材料になるかも知れない…と思ったことを今でも忘れません。運転手さんのこのお話も、一言一句しっかりと耳に残っています。
「では、お時間ですから、このまま新潟空港に向かわせてもらいます」
という運転手さんの言葉に「ええ、お願いします」と返事をしたあとは、あまり覚えていません。視界から遠ざかって行く海岸の景色だけが、今も強烈にこの目に焼き付いています。
今日、めぐみさんが拉致されてから40年経ったという報道に接して、9年前のこのことを、また鮮明に思い出した次第です。
横田さんご夫妻や有本さんご夫妻はじめ、ご家族の方々は年々お年を召されています。この拉致問題、何とか解決のきっかけでもつかめないものかと、改めて念じています。
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