僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

大文字の思い出も…

2011年08月17日 | 思い出すこと

昨夜、京都の大文字山などで「五山送り火」が行われた。
今年は大きな物議を醸したが、なんとか無事に火がともったようだ。

8月16日… 大文字…

8月16日といえば僕には「大文字の日」以外の何物でもない。
赤く染まった大の字が、遠くて暗い空間にゆらゆら浮かぶ…
それが僕の心の原風景として、今でも残っている。

僕は京都市上京区の生まれで、幼稚園までそこに住んだ。
生まれ育ったのは母の実家だったが、幼稚園の時、
母と父が離婚して、僕は母に連れられて大阪へ行った。

しかし、その後、大阪に移り住んでも、夏休みになると、
必ず一人で京都の生家に戻り、休み期間中ずっとそこで過ごした。
そこには祖父母と、僕と同じぐらいの年齢の叔母が2人いた。
僕はこの家が、大阪の家よりもはるかに好きで、居心地も良かった。

そして8月16日の夜は、大文字が楽しみだった。
この日は、町内会はお祭り騒ぎと化す。

大勢の人たちが外へ出てきて道路を埋めつくし、西の方向を仰ぎ見る。
「おぉ~」という歓声と同時に、はるか彼方に大の字が浮かぶ。

その風景は、とても鮮烈であった。

その頃は行事の意味も「送り火」という言葉も知らなかった。
山の上で大の字が燃えるというダイナミックな光景に魅せられたのだ。

僕が小学生の頃だから、もう半世紀も前のことになる。
そんな昔でも、その頃の心の風物詩として今も懐かしく思い出す。

本来なら、昨日の大文字も、そんな郷愁に浸るところであった。

しかし、その大文字が今回、大変な事態を引き起こした。

「京都の恥」として全国に轟いたことに、大きなショックを受けた。

東日本大震災の津波で倒れた岩手県陸前高田市の松の薪を、
大文字の送り火で燃やす計画が7月に明らかになったのだが、
放射性物質が検出されなかったにもかかわらず中止になった。
この中止にしたことが、そもそもの、つまづきの原因である。

薪に鎮魂のメッセージを書き込んだ陸前高田市の皆さんは、
どんなに情けなく、そして腹立たしく思われたことだろう。

それらの薪が陸前高田市で燃やされた頃、
中止への批判や猛抗議が京都に集中した。

すると大文字保存会と京都市は、
批判をかわすためか、再び実施することを決めた。

しかし今度はその薪から放射性物質が検出されたとして、
京都市からまたまた中止という発表があったのである。

「もう勝手にしてくれ」
陸前高田市の人たちの怒りは、おさまらなかったろう。

このブログにコメントを下さる「のこたん」さんも、
妹さんとご家族たちが、陸前高田市で被災しておられる。
その思いを想像したとき、いよいよ胸が張り裂けそうになる。

燃やす。
いや、燃やさない。
いや、やっぱり燃やす。
いや、やっぱり燃やさない。

何なのだ、これは。

すでに放射能は、日本のあらゆる地域に広がっているのだ。
問題は、その濃度がどうかということなのだ。

放射能に関する明確な基準値も示さず、
行き当たりばったりで燃やす・燃やさないだけを繰り返す。
こんなことをしているから、国民はどんどん不安に陥るのだ。

京都で生まれ、少年時代に大文字を見て育った人間として、
50年後に、まさかこんな騒動を見せつけられようとは…

思いも寄らなかった出来事に、複雑な思いが胸中を去来する。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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