僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

「のんき」の自分史

2011年08月05日 | 読書

前回のブログで「のんきのすすめ」を標榜した限りは、「のんき」についての考察と「のんき」とかかわってきた自分史を回顧することが必要であろう。
そう考えた僕は、いったい、いつ頃から「のんき」を意識し始めたのだろうかと、自分の人生を振り返ってみることにした(大げさやなぁ)。

まあ、自分史といっても、内容のほとんどは、二十歳前後の頃の僕の読書遍歴ということになるのですが

中学までほとんど漫画ばかり読んでいた。小説の類は「貸本屋」で借りて読んだことがあるが、それが習慣になるほどではなかった。父も母も読書とは無縁の人だったので、わが家には漫画と雑誌以外の本というものは存在しなかった。僕が日常的に本に親しみ始めたのは、高校生になってからだった。

高校から大学2年生にかけて(つまり十代後半の頃)は、19世紀のロシア文学とフランス文学…トルストイ、ドストエフスキー、スタンダール、フローベル、モーパッサンなどに傾倒し、日本文学では夏目漱石や太宰治を耽読した。漱石は「猫」は別として、「こころ」や「明暗」が特に好きだった。太宰は代表作の「人間失格」のほか、「晩年」「お伽草紙」などに強く惹かれた。

これらの小説は、野心と挫折、狂おしい恋と悲劇、身を焦がす孤独、利己主義や虚栄心…など、並外れて世間知らずだった僕にとっては、理解がむずかしい未知の世界の話ばかりだったけれど、生理的にはこれらの小説を違和感なく受け入れていたようだった。

兄弟もなく、両親との対話も少なく、そばに仲のいい親戚もいなかった僕は、まわりの人たちに影響を受けるよりも、本のほうに大きな影響を受けていた。

これらの本を読みながら、
「う~む。きっと人生というのはこういうことなんだ」と腕組みをして、
それだけで何だか世の中の摂理をすべて理解したような気になっていた。

しかし、息の詰まるような小説ばかり読んでいると、本当に息が詰まる。
読書で心を和ませることはあまりなく、これからの人生を生真面目に予習する場という堅苦しい姿勢でいろんな本を読んできたのだけれど、やがて
そういう姿勢に、息が詰まりはじめてきたのだ。

ある時、それまで、世界文学全集や日本の文学全集しか興味のなかった僕に、大学の後輩が「おもしろい本を書いている作家がいますよ」と教えてくれた。

それが、どくとるマンボウこと、北杜夫であった。
この人の作品を読んで、僕の人生観が変わった。

どくとるマンボウシリーズは、「昆虫記」を読んだのが最初で、それ以来、病みつきになり、「航海記」「小辞典」「途中下車」などの独特のユーモアに酔いしれた。“迷作中の迷作”である「怪盗ジバコ」は僕のバイブルになった。僕はこのころに、固い人間から抜け出したようである。

大学時代の後半、ひとりの女性とつき合っていた。

「筆まめ」な僕は、毎日のように彼女に手紙を書き、彼女と会って別れる時、「はい、これ」と手渡した。彼女は、帰りの地下鉄の中で、僕からの手紙を読むのが習慣になった。

手紙は、最初から終わりまで、北杜夫調で尽くされていた。
なにせ当時の僕の頭の中は北杜夫によって占領されていたのだから、そのユーモア感覚がわが身に乗り移っていた。いかに文章をもって彼女を笑わせるかと頭をひねりながら、毎日いそいそと手紙を書いた。

「地下鉄で手紙を読んでいて、何度も笑い声を上げそうになったわ」
彼女がそう言ってくれたものだから、調子に乗った僕はさらにせっせと手紙を書き続けたものである。その彼女が現在の妻であることは、改めて申し上げるまでもないだろう。(妻でなかったら、こんなこと、書きませんわい)。

前述したように、北杜夫を読み始めてから、かなり人生観が変わった。
「あくびノオト」「南太平洋ひるね旅」という彼の著作のタイトルにも注目し、僕は自分の「ペンネーム」を「あくび」として、ひとりで出したガリ版印刷の文集の題名にも「あくび」と名づけ、20歳のときの北海道への自転車旅行の時は、知人への手紙に「あくびより」なんて書いたりもした。今でも、知人から僕宛に届いた「あくび君へ」という当時のハガキが残っている。

それ以来、「あくび」とか「ひるね」とかいう、
のんき系の言葉を、強く意識するようになった。

こう振り返ってみると、僕は根はマジメで神経質なのだが(笑わんといて)、
20歳ぐらいの時から「のんきなことはいいことだ」と思っていたようだ。
「のんき」に対する憧憬が、きっとこのころから芽生えていたに違いない。

その起爆剤となったのが北杜夫の著作であり、僕ののんきの出発点となったわけだが、ただ北杜夫自身、神経科医だけれど、躁うつ病患者でもあった。

苦悩の多い人ほど「のんき」へのあこがれが強い、と言えるのかも知れない。

というようなわけで、還暦を通り過ぎたいま、「のんきのすすめ」を自分のラストテーマとし、人生の下り坂を心地よく過ごそうと企てる僕なのだが、前回のブログ「のんきりん」に対して、yukariさんとびんさんが、
「のんきのすすめがとても感慨深いですわ~」
「のんきのすすめを興味深く拝見しました」
というコメントを寄せてくださった。

yukariさんは、
「わたしも忘れていた『のんき』を少しでも生活に取り戻していきたいです」

びんさんは、
坂道をゆっくり下山する時期。無事事故を起さず、ゆとりを持ってゆっくり成熟した豊かな下降をいかに楽しむか。ソフトランディングの秘訣、そのヒントがきっと『のんき』にあるのでしょうねぇ」

そう書いていただいていた。

そうですよね。
み~んなで、「のんきのすすめ」を実践していきましょう。

もっとも、yukariさんやびんさんは、
「下山」するにはまだまだ早すぎますけどね  。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする