僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

直木賞作家・新橋遊吉さんって知ってます? 

2018年05月03日 | 思い出すこと

ちょうど1ヵ月ぐらい前のことです。新聞の訃報欄に「あの人」の名前が載っていました。えっ?「あの人」が亡くなられたの?と、その人にまつわる自分の学生時代のことを思い起こしたのでした。忘れられない人だったんですよね。

あれは僕が大学4年生のとき。

梅田にあったサンケイスポーツ社の報道部で、夕方から深夜にかけてのアルバイトをしていました。プロ野球の関西の各球場で取材している記者たちが、社の報道部に電話をかけてくるのですが、その電話を、待機している僕たち学生アルバイトが受け、記者が試合経過や結果を伝えて来るのを電話で聞き取り、原稿用紙に書き込んでいくという仕事でした。受話器を持ちながら、かなり手早く書き取らなければならないし、字の間違いにも注意しなければならない。何度も聞き返したり、モタモタしていると記者から怒鳴られたりする。今は電子機器で送信されてくるので、電話で原稿を書き取るなんていう原始的なことはやりませんが、何しろ時代は今から48年前、1970(昭和45)年のことですからね~。メディアの世界も、まだ電子化されていない時代でした。

僕たちが電話で聞き取って書いた原稿は、主任さんが目を通して加筆修正し、それが印刷に回され、新聞記事になる。そうして出来上がったサンケイスポーツ紙を見て、僕たちアルバイト仲間は、野球記事のあちこちの部分を指さして「あ、これはオレが書き取った部分や」な~んて言い合ったものでした。

さて、そのサンケイスポーツの競馬欄には、競馬通で有名だったある作家がコラムを連載していました。ま、コラムというよりもレースの予想だったでしょうかね。そのタイトルが、

「遊吉の一発勝負!」

というものでした。毎週、競馬がある土・日曜日に記事が掲載されていました。

その作家というのは、新橋遊吉という人でした。少し前に「八百長」という競馬小説で直木賞を受賞した人で、僕も本好きだったので名前はよく知っていました。その新橋遊吉さんが、僕らのすぐそばに来て、主任や編集部の人たちと話している姿に「わっ、直木賞作家がすぐそこにいる」と、かなりコーフンしたものです。

ツノダさんという僕を可愛がってくれていた主任の方がいたのですが、僕が「あの人、新橋遊吉さんですよね。すご~い!」と憧れの念を漂わせていると、ツノダさんは「仕事が終わったあと時々2人で飲みに行くんだよ。次に行くときは一緒にどうや?」と言ってくれました。「ホントですか。やったぁ!」と、僕は直木賞作家という雲の上の人と飲みに行けることに有頂天になりました。

そしてそれが実現したのはそれからほんの数日後で、午後11時前後、仕事もほぼ終わったあと、ツノダさんと新橋遊吉さんが例によっておしゃべりをした後、「じゃ、帰りにイッパイやりましょか」ということになり、ツノダさんが「お~い、一緒に行くか?」と僕に声をかけてくれたのです。

タクシーでどこかの居酒屋まで行き、そこで2人に交じって一緒にお酒を飲み、ツノダさんが「この子はあんたに憧れてるそうやで」と僕を紹介してくれました。「へぇ~。それは、ありがとうね」と、遊吉さんは、極めて庶民的で、僕みたいな学生に対してもやさしく接してくれる人でした。

その店にどれくらいの時間いたのかわかりませんが、さて帰ろうという時、ツノダさんが僕に、「〇〇クン、もう真夜中やから遊吉さんのところに泊めてもらいなさい」と言ったのです。「はぁ?」と僕はビックリ。サンケイスポーツ社からタクシー券をもらっているので、そこから家まで自分で帰ることはできたのですが、横でほろ酔い機嫌の遊吉さんが「いいよ。うちに泊まりなさい。汚い所やけど」と言ってくれたご好意に甘え、ツノダさんと別れて遊吉さんが止めたタクシーに乗り込み、遊吉さんのマンションに行きました。

遊吉さんは独り暮らしで、部屋は、やっぱり散らかっていて汚かったです(笑)。遊吉さんは僕に気を配ってくれのか「何か、食べるものはないかなぁ」と、冷蔵庫を開けて何かを取り出したのですが、それは賞味期限がとっくに過ぎているひからびた豚肉だったり、その他、食べられるようなものは皆目ありませんでした。ま、僕もお腹はすいていなかったので、畳の部屋で座布団を枕にそのままゴロンと横になり、すぐに寝てしまいました。

そして朝、遊吉さんはまた、「何か食べるものはないかなぁ」と冷蔵庫を開けたので僕も「いいです、いいです。もう帰りますから」と笑ってしまいました。

「ふ~む」と、ブツブツと何ごとかをつぶやきながら、遊吉さんはまだ半分、居眠っているような様子でした。

「じゃ、帰ります。ありがとうございました」と僕。
「あ、帰るの? そう? 気をつけて。帰りの道、わかる?」
なんだか子供みたいに思われていたようです(笑)。

直木賞作家の方の家に泊めてもらった、というのは、後にも先にもその1回だけです。行って、眠っただけですが、今から思えば貴重な経験でした。

僕はそのあとすっかりファンになり、遊吉さんの本を何冊も読んだのですが、さすがに時が経つにつれ、徐々に遊吉さんのことは記憶の底のほうに沈んで行きました。

それからもう50年近い歳月が過ぎました。

4月初旬の新聞に、新橋遊吉さんの訃報が小さく載っていたのを発見して驚き、その昔の記憶がみるみるうちに蘇ってきました。

訃報が報じられたのは4月ですが、実際に亡くなられたのは2月ということでした。「腎不全で死去。84歳」とありました。遊吉さんは僕より15歳年上だったんですね。

冷蔵庫からひからびた肉を出して「あれ、これはもうダメやな」と、つぶやいておられた遊吉さんのことを懐かしく思い出しながら、ご冥福を祈った次第です。

 

 

新橋遊吉さんのことは、ここに詳しく出ています。
よくもまぁ、これだけ競馬に関する小説を書けたなぁ、と感心しますわん。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%A9%8B%E9%81%8A%E5%90%89

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする