僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

大相撲沈没 ~八百長問題~ 

2011年02月05日 | スポーツの話題

あぁあ~、今年1年の目標だったブログの毎日連続更新は早くも途切れた。
でもまあ、いいか。 

1月が終わったとき、この1ヶ月間、ブログ1日も欠かさなかったことを振り返ってみると、ネタというか題材には、思ったほど苦労はしなかた。日々の生活、社会現象、過去の思い出などをはじめ、食指が動く題材は山ほどあったし、あれも書きたい、これも書きたいと思うと、無尽蔵に思い浮かぶ。さらに、長い話には1回完結でなく、読んでもらいやすいように何回かに分けたりすると、たとえ1年間であっても、病気でもしない限り続けられそうである。

しかし、続けていくうちに、なにかこう、毎日欠かさず…ということにこだわることに、いったいどういう意味があるんだろう…という思いに、ふと目覚めるのだ。前日書いたものが、翌日の更新で早くも過去のものになってしまう。これがズンズン積み重なっていくと、なんとなく脱力感が忍び寄ってくる。ブログは自分の記録として書いている部分も多いが、これだけ毎日となると整理するのも大変で、後年、モミィたちに読んでもらおうと思っても、量が多くて手がつけられないのではないか。もう少し、まとまりのあるものにしなければならない。

だけどまあ、おかげで、これまで不完全だった早起きの習慣が完璧になったし、目に付いた新聞記事などは以前よりいっそうマメに切り抜くようになり、毎朝、アクセス数を見る楽しみも、格別のものであったことは事実なので、それはそれなりの貴重な経験をし、それによって良い生活習慣が身についたと思う。

ところで、そのアクセス数のことだけど、昨日はブログを書かなかったが、閲覧数が742で、訪問者数が262だった。ブログを書いた一昨日は閲覧数722で訪問者数が254。書かない日のほうが多くの人に訪れてもらっていた…というわけだ。

僕が逆に読むほうだったら、毎日更新する人のブログって、読むのがしんどいかもしれない。

…と、まあ、言い訳はそれくらいにして。

昨日から書きたいと思っていたのは、大相撲の八百長問題のことである。

大相撲にいっさい八百長がない…と信じている人はたぶん相撲のことを知らない人だけだろうと思う。ひとつだけ例を出すと、1年前に現役を引退した大関千代大海の場合だ。彼は大関で13回という驚くべき回数のカド番ピンチをすべて乗り切り、勝ち越して大関に居残っている。特に13回目のカド番を迎えた2009年の5月場所は12日目まで5勝7敗で、体調も悪く、こんどこそ負け越して大関から陥落するだろうと思っていたら、残りの3日間を全部勝ち、終わってみれば8勝7敗で大関の座はまた安泰。千秋楽の把瑠都戦など、まさに絵に描いたような八百長相撲であった。 と同時にその日は、琴光喜、魁皇の両大関も7勝7敗だったが、2人とも勝った。それを見ていて呆れた僕は、その日の夜、ブログにさっそくこのことを書いた。

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/15bb125cd9832d0d90ddf8f72cdc3c67

去年の夏ごろ、僕はブックオフで見つけた「週刊ポストは『八百長』をこう報じてきた」という文庫本を買って、読んだ。この週刊誌は1980年から、他のマスコミがそれまで取り上げたことのなかった八百長問題を初めて継続的に取り上げた。それらの記事が盛り込まれて1冊の本になったものである。今回の騒動で、再びその本を読み直してみた。これを読むと、想像や作り話では到底成り立たないほどの怪しい現象が、相撲界に蔓延していることが一目瞭然である。

昨日だったか、石原東京都知事が、「こんなていたらくで大相撲が国技なんて、ちゃんちゃらおかしい」と言い放った様子が報道されていた。石原知事のコメントは歯切れが良く、いつもスカッとさせてくれる。尖閣諸島に関する中国の態度を「暴力団と一緒じゃないか」と言ったり、現役当時の横綱朝青龍を「強いからと言って文化を壊す…そんな人間は相撲界から追放して当然だ」と言ったり。

で、この本の中にも、昭和38年に大鵬と柏戸の両横綱が千秋楽に全勝同士で対決し、柏戸が勝った相撲について、当時はまだ国会議員にもなっていなかった作家・石原慎太郎が、「八百長あり」と日刊スポーツに書いて協会から告訴を受けたという話が載っていた。

当時中学生だった僕も、大の相撲ファンで、「巨人・大鵬・玉子焼き」の一人だったので、この相撲をよく覚えている。柏戸は横綱になってから2年間で1度しか優勝しておらず、逆に大鵬は優勝を積み重ね、大横綱への道を着々と歩んでいた。世間は柏戸に同情し、なんとかこの憎らしいほど強い大鵬を負かしてほしい…という判官びいきが支配的な空気の中で、大鵬は不自然な負け方をしたのである。

八百長は、いつの時代にもあったのだろう。

「過去に八百長はいっさいなかった」と放駒理事長は強調していた。よくもまあ、ぬけぬけと言えるものだと、かえってその能天気ぶりに敬意を表したほどである。理事長の現役時代の魁傑は大好きだったけど。

また、この「週刊ポストは『八百長』をこう報じてきた」では、千代大海の師匠である元横綱千代の富士の残した華麗なる実績についても、「八百長で作られた大記録」と、通算31回の幕内優勝や、53連勝などの裏に何があったかを克明に記述している。具体的な根拠も次々と並べられている。これを読んだからそう思う、ということだけではないけれど、千代の富士を相撲をテレビを通じて毎場所見てきた者としては、たしかに千代の富士は強い力士だったけれど、そこにプラス何かが加わらなければ出来ないような数々の記録を達成した…というふうにも思える。

今、大相撲の魅力はどこにあるのか…? 間近に迫りつつある魁皇の引退。そうすれば、横綱・大関のすべてが外国人で占められることになる。相撲内容も、はたき込みやいなしが多く、かつての横綱貴乃花のような、正々堂々の力相撲というものには滅多にお目にかかれなくなってきた。過去から週刊誌等で何度も指摘され続けてきた八百長も、協会はなんのかんのと言いながら、あるいは無視しながら、その場その場をしのいできた。しかし、携帯メールという新兵器の前に、ついに八百長の実態が物的証拠として白日の下にさらされたのである。

もうどんな抗弁も通用しない。そろそろ年貢の納め時である。
大相撲はいったん解散をして、一民間のスポーツとして再生すればいい。

 

 

コメント (4)
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