僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

思い出の サロマ湖100キロマラソン

2011年02月02日 | ランニング

250キロを一気に走りぬくほどの鉄人ドイロンも、昔から僕と同じように不整脈に悩まされており(不整脈では年下の彼のほうが先輩である)、これまで数回の手術もしていた。 先日のメールでは、「昨年末にまたまた心臓の手術をして、いよいよトライアスロンやウルトラマラソンは卒業となりました。最近はウォークと軽いジョギングの日々です」 とあった。 

あのドイロンからこういう言葉を聞くのはとても寂しいことである。
人が年齢と共に体力が衰えるのは仕方ないことだけど、なぜか、せつない。

ドイロンも僕も、仲の良かったマラソン友だちも、み~んなタフだった頃。

あの1991年(平成3年)の7月7日の七夕の日に走ったレース。
サロマ湖100キロマラソンを懐かしく思い出す。 42歳の時だった。

キタちゃんとマルちゃんとドイロンと僕の4人で北海道へ行き、走った100キロ。
僕以外の3人はいずれも30代で、同じ役所の仲の良い友人たちである。 
キタちゃんは別大マラソンにも出場した超一流の市民ランナーだ。
マルちゃんは無口で時々 「だはは~」 と笑う天才肌のランナーで、努力を嫌がる。
そしてドイロン。 この旅行の世話人役を一手に引き受けてくれていた。
 
7月6日、旭川空港へ降り立ち、そこから旅行社のバスに揺られて6時間。
受付会場の常呂町から宿泊ホテルの北見へ行き、翌朝午前2時半にホテルを出発。

そして、7日の午前5時に、湧別町総合体育館前からレースがスタートした。
日本全国から集まってきた出場選手は、約800人であった。

実力者のキタちゃんは一瞬にして前方の人ごみの中へ姿を消して行った。
マルちゃんとドイロンは慎重に走り始めるが、僕にはそのペースさえ速かった。
ドイロンが 「あれ?」 という表情で振り返り、僕を探しているのが見えた。
しかし僕はほとんど最後方に近い位置で、ゆるゆると走った。

正直なところ、僕はこのレースで完走できる自信はなかった。
練習では最長70キロ走までやり、多少の見通しも出てきた頃、

レースの1ヶ月ぐらい前だけれど、40キロを過ぎると左足の膝が痛み出した。
他の3人とは格段に実力が落ちる僕が完走できれば、宿願の全員完走となろう。
しかしそれは、とても難しいことのように思えた。

レースはどんどん列が長くなってきた。
20キロ地点で止まり、屈伸運動をしていたら、近くに待機していた大会役員さんが、
「棄権されるのでしたら、この車でゴールまで送りますよ」
と、心配そうに声をかけてくれた。
「いえ、ちょっと体操しているだけで…。 大丈夫です」
まさか…20キロで棄権してどないすんねん。

心配していたとおり、40キロ付近で左足の膝が痛み始めた。
あぁ、万事休す…か。 
しかしあきらめてはいけない。
何とか少しでも前に進まなければ…と、走り方を変えてみた。
前向きに走るのをやめ、左足に負担がかからないように、斜めを向いて走ったのだ。
まぁ、大げさに言えば、カニさんが横に走る感じに近かったと思う。

この走り方にしてからは、痛んでいた箇所がウソのように何も感じなくなった。
別に深い考えもなく、とっさに思いついた窮余の一策であった。

50キロ地点を通過しようとしたとき。
ちょうど、その場所が50キロの部のレースのスタート場所だった。
これからスタートしようとする選手たちが、沿道に溢れていた。
その中の一人の女性が僕に
「100キロの方、いいペースよ、がんばって~」
と、声をかけてくれた。 こういうのって、すごくうれしい。

トコトコと斜めを向きながら走っていて、気になることがあった。
ゴールの制限時間は、12時間半である。
スタートが午前5時だから、午後5時半にレースは 「強制終了」 するわけだ。
それまでにゴールしなければ、その時点でリタイアということになる。

あれやこれや考えながら走り続け、とうとう80キロまで来た。
なんと、ゴール会場である常呂町民センターがすぐそこに見えた。
しかし、まだ20キロ残っている。 このあとが大変だった。

ここからワッカ原生花園というサロマ湖の海側の道を10キロ先まで走り、戻ってくる。
最後の20キロのこのコースが、とてもとてもきつかったのである。
 
原生花園に入るところで、向こうからマルちゃんがやって来た。 
間もなくゴールである。 すご~い。 練習嫌いなのに、さすが天才肌。
マルちゃんは 「がんばって…」 と僕に小声で言って、すれ違って行った。

これならキタちゃんは、とっくにゴールしているに違いない。

ゴール地点に背を向けて、残りの20キロに、うんざりしながら臨む僕であった。

ワッカ原生花園の美しい景色も、なんの感動も湧かない。
僕にとっては、ただ、延々と続く意地悪な道、というだけだ。

あ、向こうからドイロンが走って来た。

「のんさん。 なんか、けったいな走り方してはりますね~」 
と笑いながら、走り去った。

レース後、彼から聞いたところによると、斜めを向いて走ってくる人がいるので、
「おかしなフォームやなぁ、と思ってよ~く見たら、のんさんでしたがな」

ワッカ原生花園コースの先っぽまで行き、そこで折り返す。
あと10キロだ。
まわりのランナーも、みんな疲労困憊している。
半分以上の人たちが、走れなくなり、歩いている。 
マラソン大会というより、ウォーキングの大会みたいな光景だ。

僕も、走っているとは言いながら、歩く速度と変わらない。
あぁ、つらい。 早く終わりたい。 ゴールしたい!

そして…。 聞こえてきた。 ゴール会場のアナウンスが…。
夢にまで見たゴールが、すぐそこに迫ってきた。
時間は…? なんとか5時半までに到着しそうだ。

朦朧として走っていると、
「わぁ~。 やりましたね~。 ゴールまであと少しですよ!」
キタちゃんが途中まで走って迎えに来てくれたのだ。 
100キロ走って、まだ、こんなに走れるんだ、キタちゃんは。

青息吐息でゴールイン。 欲も得もなかった。

僕のタイムは12時間24分13秒だった。
制限タイムまであと5分余りという、ギリギリのところであった。

キタちゃんは8時間43分で41位。 
マルちゃんは10時間18分で194位。
ドイロンは11時間44分で396位。
そして僕は12時間24分で584位。

完走者は611名で、そのうち男子が532名、女子が79名。

北ちゃんの8時間台での41位は、まことに見事な成績であった。

僕は、611名中584位で、後ろには20数人しかいなかった。

…あれから、ちょうど、今年で20年が経った。 ふた昔前の話である。

 

    
      目もうつろ。 ヨレヨレになりながらゴールする。 



    
      完走証。 

 

 

 

 

 

 

コメント
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