僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

 ホノルル空港の謎

2008年01月16日 | 旅行

1月10日の夜から14日まで、3泊5日でホノルルへ行ってきた。

妻と妻の姉と僕の3人旅である。
これは、かなり以前から決めていた旅行である。

ところが、年末から正月にかけて、風邪や耳鳴りや心身症で僕の体調が最悪の状態となり、出発直前まで、行けるかどうか甚だ不安なままに日が過ぎて、ギリギリまで迷い、悩んだ。でも、義姉らは何ヶ月も前からハワイを楽しみにしている。その期待を、自分の体調のせいで一挙に暗転させるわけにはいかない。

旅行は中止し、この3連休は家で静養すべきではないか…?
もし、向こうでダウンするという事態になったらどうするのか…?

あれやこれやと思案し不安を抱えながらも、8日ごろから体調は少し回復し始め、なんとか10日午後10時、関西空港を発つ便に乗れたことは幸いであった。

やれ耳鳴りだの心身症だのと言いながら病院通いをしている生活の中に、突如ハワイ旅行が入るのだから、自分でも妙な感じだった。しかしそういう予定になっていたのだから、何とも仕方がない。とにかく、体調を維持して無事に帰国しなければならない…。旅行のチラシでは「現地で病気になったとき」の項目ばかり読んでいた。とにかく旅先では身体に最大限の注意を払い、無理せず過ごさなければ…。

な~んて感じで、わりと悲壮な決意をして、臨んだ旅行であった。
だから今回は、旅行前の、あのシビれるようなワクワク感というのはゼロ。
14日、健康な身体で大阪に帰ることだけしか念頭になかった。

1月10日(木)。
関西空港を午後10時に離陸して、ホノルル空港に到着予定は午前4時20分。

所要時間はわずか6時間20分である。

それなのに、JALは離陸1時間後、つまり午後11時に「夕食」を出した。ボリューム満点の食事だったらしい。…らしい、というのは後で妻から聞いた話で、僕は食事を断りすぐにアイマスクをして眠る態勢に入ったからだ。しかしザワザワガヤガヤとしてなかなか眠れない。飛行機の轟音の中でも耳鳴りははっきりと聞こえる。耳鳴りとは音の高さが違うので相変わらず「キーン」と頭の中で響いている。家のベッドでもなかなか眠れないのに、飛行機の座席で眠るのは至難のワザだ。しかし眠らなければ、明日に影響が出る。元気な時ならいいが、今はわずかな寝不足でも日中の体調に影響が出る。とにかく眠らなければ…

…が、安定剤を飲んでも眠くならず、アセると余計に眠れない。目をつぶっているだけの状態で悶々と姿勢を変えたりしているうち、アイマスクを外すと、やがて暗かった機内に照明がついた。時計は午前3時過ぎ。到着の約1時間前だ。

ここで「朝食」のパンが出た。
わずか6時間余りのフライトなのに、2度も食事が出るんだ。
乗客は眠っているヒマなどない。

日本とハワイの時差は、19時間である。ハワイが19時間遅い。
日本時間10日の午後10時に大阪を発ち、翌11日の午前4時20分にホノルル空港に着いたが、ホノルル時間は10日の午前9時20分であった。19時間というとややこしいのだけれど、要するに日本時間に5時間足した時間がハワイの時間なのだ。ただし、日は前日に戻る。だから、僕たちは10日午後10時から6時間ちょっと飛行機に揺られて、日本時間の11日午前4時20分、現地時間の10日午前9時20分にホノルルへ着いたことになる。

ちなみに、行きは6時間20分でホノルルへ着いたのだけれど…
帰りは、ホノルルから関西空港まで、なんと9時間半もかかった。
旅のしおりを見ると、往路は7時間、復路は9時間40分と書かれている。
5年前にクイズに当たってマウイ島とオアフ島へ行ったことがあるけれど、そのときは、それほど往復の所要時間が違っていたようには思わなかったなぁ~。
なんで行きと帰りが3時間も違うのか…謎である。
どなたか知っておられる方は教えてくださ~い。

さて、ホノルル空港に到着して、狭い座席から立って通路に出た。

あぁ~、眠い。今日はしんどいだろうなぁ…
今が夜だといいのになぁ…。ならすぐにホテルで眠れるのだけれど。
午前9時20分ではなぁ…。
そんなことを思いながら機外へ出て、入国審査の場所に向かう。


ホノルル空港でのその入国審査のとき、思いも寄らぬ事態が起きた。

入国審査の列に並んでいた僕たち3人。
やがて順番が来て、僕と妻がいっしょに審査を受けた。
「シンコンリョコウデスカ?」
検査官は大声で僕らにそう言って、グワッハッハァと笑った。
僕らも大声を出して笑った。
そこまではよかった。

僕がまず顔写真(目の写真)と、指の指紋をとられた。
以前はなかったことだが、何年か前から審査が厳重になってこんなことをする。
僕の次に妻が顔写真と指紋を…。
指紋は、スキャナの上に左右の人差し指を順に乗せる。
妻がどちらかの指を乗せたとき、検査官が「チョットマッテ」と言った。
そして、日本語のできるスタッフを大声で呼んだ。

ん? なんだ、なんだ。何かモンダイがあったのか?

日本語のできるおばちゃんが走ってきて、検査官の話を英語で聞いたあと、
僕たちに向かって、
「奥さんの指紋が合わないから、一緒に別の場所に行ってください」
と言った。

なぁ~~~にぃ~~~…??????

「指紋が合わない…?」
僕と妻は顔を見合わせた。
なんのこっちゃ?

1昨年、ロスアンゼルス空港の入国審査で僕たちは指紋押印をした。
その妻の指紋が、その時のものと合わない…という意味なのであろうか?
検査官がブースから出てきて、「こっちへ」という仕草をする。
僕たち3人は、わけがわからないまま、誘導されて歩いて行く。
なんだか、「連行」されるみたいな、いや~な気分である。

そして、廊下の向こうの左側の部屋に、妻は連れて行かれた。
妻のパスポートは、検査官がしっかり握っている。
僕もついて行こうとすると、別の検査官の男が、
「ダメだ」というジェスチャーをして僕の前に立ちふさがった。
「なんでやねん!」と叫んだけれど、ここらの検査官に日本語は通じない。
「私は彼女の夫である。だから一緒に行くのだ」
と、心配で胸が一杯の僕は、カタコト英語で言うのだが、相手は非情にも「ノー」と言うだけで取り合おうとしない。

妻の姿が消え、僕は蒼ざめた。
義姉も僕の後ろでぼう然としている。
いかにハワイとはいえ、ここはすでに外国である。
何があったのかも定かではない。
「指紋が合わない」というだけで、どこに連れて行って何の調べをするのか、何の説明もしてくれずに、あちらへ行け、というのだ。
それって人権侵害じゃぁないのか。
もっとわかるように理由を言え、理由を!
…と言ってもここは日本ではないので、どうしようもない。
妻がひとり連れて行かれるのを、何もできずに見ているだけなんて…。

…とイライラして廊下に立っていると、その検査官の男は、
「ここにいてはだめだから、下へ降りろ」と言う。
「イヤだ。ワイフがそこにいるから、私もここにいる」
と突っぱねると、
「ダメだ、ダメだ。早く下へ行け」
と身体を軽く押し始めた。
そこへ、アロハシャツを来たさっきの日本語のわかるおばちゃんが来て、
「下へ降りて荷物を取って、税関の前で待っていなさい」と言った。
「妻はいつ戻ってくるの?」と僕は日本語でおばちゃんに聞く。
「たくさんの人たちがいるからね、順番があるから、いつになるかわからないよ」

いつになるかわからない? そんな無責任な答えがあるかっつ~の。
まったく~。

隣では検査官の男が早く行け、としつこく促す。
どこまでもイヤな奴だ。
「じゃあ、そこで待っているけど、絶対ワイフは戻るんだろうね」
と、おばちゃんに念を押す。頼れるのはこのおばちゃんだけなんだから。
「いつになるか時間はわからないよ。でも税関の外へ出ちゃだめよ」
そう言って、さぁ、早く、というように、せかす動作をした。

あれだけ大勢の人が並んでいた入国審査場に、乗客は一人もいなくなっていた。

僕と義姉は、重い足を運び、エスカレーターで降りた。
降りたすぐそばに、ターンテーブルがあった。
そこに、僕たちの荷物だけがポツンと2つ、取り残されたように置かれていた。
あたりに乗客らしい姿はない。みんな何事もなく出て行ったのだろう。

荷物を取り、またエスカレーターの下まで行って、妻を待つ。
誰も、エスカレーターから降りてこない。
義姉にそこにいるように言い、また僕は上に上がった。
さきほどの部屋に少し近づいた。
数人の検査官が雑談をしているが、今度は咎められなかった。

あまり近づくと、また例の男が来そうだったので、遠くから眺める。

じっと立って妻が戻ってくるのを待つのだが、誰も出てこない。
たしか「たくさんいるから、順番があるから、いつになるかわからない」
と、おばちゃんが言ってたけれど、誰も出てこない。
ということは、最後に入った妻が出てくるのは、いったいいつになるの?
不安は膨れる一方だ。

あぁ~
途方に暮れる、とはまさにこのことである。
僕は、天井を仰いだ。
もともと良くない体調が、ますます崩れそうになる。
なんだか、絶望的な気分になってくる。
不整脈の前触れのような動悸もし始めた。
あわててウエストバッグの薬を探す。
いや待て。今は何時なんだ?
時差があるので、薬を飲む時間がわからなくなってきた。
でも、そんなことは言ってられない。不整脈の薬をグイと水で流し込む。

せっかくの旅行だと言うのに、なんというスタートなんだ。
僕はまたエスカレーターで下に降り、義姉と2人で椅子に座る。

海外旅行にはアクシデントがつきものだけど…

ブダペストでは数人に取り囲まれてパスポートを奪われそうになった。
イタリアではフィレンツェ空港に着いたはずが、ボローニャ空港だった。
パリでは、帰国時の空港を間違えて大慌てしたことがあった。
サンフランシスコからの帰国便では後部のドアがはずれて、途中Uターンした。

まあ、いろんなことがある。

でも、今回のように「公権力」で妻と引き離される事態など、初めてのことだ。

いろんな妄想が頭をよぎる。

タイへの卒業旅行で知らぬ間に麻薬をバッグに入れられ、空港で捜査官に逮捕され懲役刑を受けたアメリカ女性2人の実話を描いた映画「ブロークダウン・パレス」のシーンなんかを思い出してしまう…。ずっと昔に見た映画で、すっかり忘れていたのに、縁起でもないそんな映画がこんなときに限って浮かぶ…。映画の中の、主人公のクレア・デーンズの恐怖におののく悲鳴が、耳に響いてくる。ぎゃぁ~。

妻が、何かの間違いで逮捕された! なんてことに…。
でもここは東南アジアではない。ハワイだからなぁ。そんなアホなこと、あるわけないだろ。いや、それでも外国のことだ。何が起こるかわからない。ぎゃぁ~。

…何をバカなことを考えているんだ、と気を取り直して、じっと待つ。

どれくらいの時間が経過したのか、よく覚えていない。
多分、1時間も待たなかったと思うが、その時間は永遠のように思われた。

エスカレーターから降りてくる妻の姿を見たときは、へなへなとその場に座り込みそうになった。

「ああ~、よかった。無事でよかった」
僕は妻に駆け寄った。
妻は比較的冷静な表情で、中の様子を語った。

部屋の中には20人前後の日本人や外国人がいて、数列の長椅子は満席。
妻は後ろで立っていたという。
奥にカウンタがあり、係官が誰かの名前を呼ぶ。
呼ばれた人がカウンタに行くと、「英語は出来るか?」とか聞かれている。
そしてまた、長椅子に戻る。
次に呼ばれた人も、何事かを言われてまた長椅子に戻る…。
そんな感じで、誰も退室を許可されるものはいなかった。
(そういえば、僕が待っている間、誰も出てこなかった)
やがて、ドアの後ろから妻のパスポートを持った者が来て、妻の名を呼んだ。
そして、妻にパスポートを渡し、行ってよろしい、ということになったという。

結局何が何だかわからないままだったけれど、身柄の「拘束」は解けた。
一番あとのほうに部屋に入った妻が、一番先に出てきたことになる。
何にしてもよかった、よかった。

税関の出口はすでにロープが張ってあったが、担当官が僕たちを見て、外へ出してくれた。税関を出て左側に団体出口がある。やれやれ、と安堵しながら出口を出ると、JTBの現地係員が僕らを見て、「○○さん、ですか?」と名前を呼んだ。
ずっと待ってくれていたのだろう。
「そうです。遅くなってどうも…」
と僕は現地係員にあいさつをして、
「実は、妻の指紋が合わないということで足止めされていたんですよ」
と、当局を非難する口調でボヤいた。
「なんであんなことするんやろなぁ、ほんまに、腹立つでぇ」
と、思わず大阪弁も出た。

「あ、そうでしたか?」
と、僕の話を聞いた若い女性の現地係員は、流暢な日本語で
「よくあるんですよね、そういうことが」とうなづいていた。
「えぇ…? よくある?」
「そうです。奥様の指がひび割れしていたんじゃないですか? そうすると、指紋が合わないということで、一応チェックされるんです。お客様の中にも、そういう方がたくさんいらっしゃいますよ」
「ひび割れ…??」
僕は妻を見たあと、思わず自分の人差し指を確かめた。
人差し指のひび割れが原因…??

一時は妻が逮捕されるのではないかとまで心配した僕は、拍子抜けした。
それにしても、ひび割れ → 指紋が合わない → 取調室…
なんという連鎖であろうか。

みなさん。
冬場にハワイへ行かれるときは、両手人差し指のお手入れをお忘れなく。

…とまあ、こんなふうなオチで、この話は一段落して、僕たちは空港からバスに乗ったのである。

それにしても…。
妻はすぐに「解放」されたけれども、そのほかの20人ほどの人たちは、どういう理由で長時間、取調べの部屋に足止めされているのであろうか。

謎である。

 

 

 

 

 

 

コメント (8)
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