連日、マスコミを通じて、被災地の現状が伝えられています。
被災当時の惨状が、まるで別の街の様に変わった事に、月日の流れと
この災害の大きさを改めて感じさせます。
新たなる記憶を呼び戻す番組も多く、連日、この大災害に関連した
様々な企画が催され、これからの被災地の問題が、決して他人事でなく
これからの日本に大きく関わって行く事を知らされました。
五年の歳月が過ぎたにも関わらず、相変わらず、多くの爪痕が残り
原発事故に関しては、いつ終える事もない先の見えない戦いに
被災者のみならず、事故を起こした発電所の処置に携わる多くの
技術者や作業員の顔には、深い憤りと苦しみが滲み出ています。
地震をきっかけに起きたとは言え、この災害は、かつて私達が
経験した事の無い惨事で有り、収束と言う期限を定める事が出来ない
人類が背負い続けなければならない辛い負の遺産と成ってしまいました。
しかしながら、人々は諦める事無く、かつて、国中を焦土と化した
あの戦争から立ち上がったかのように、一歩一歩、足を前に進め
またいつか幸せが訪れる事を祈りながら、苦しい毎日に耐えています。
所で、幾つかの情報番組を見ていると、被災地の姿は日々変わっているのに
人々の置かれた環境は、当時と殆ど変ってい無くて、復興を請け負っている
国や業者、支援者たちとの考えと大きな差が有ることが伺えます。
被災した街が以前の面影も無いほど変わってしまっている事に、
復興の成果と胸を張る政府関係者も多いですが、多くの被災者たちは
仮設住宅から新たなる地へ移り住む事も無く、例え故郷の地に
新たなる街が出来たとしても、全員が移り住むとは考えていないのです。
住む所が無くなれば、新しい街を作れば良いと言うのは、
現地に住んだ事も無い、机の上や、議会でしか考えられない
自分たちの思いでしか考えられない人たちの、いわゆる
他人事としての考えであり、どんなに立派な住居を作ったとしても
都会の様な街を作ったとしても、それは、自分たちが住んだとして
快適と思うだけであり、被災者や現地の方々の気持ちとは
根本的に違っているのです。
物の価値観と言うのは、千差万別で有り、衣食住に関しては
その土地土地で随分違っているのが当たり前なのです。
私達が、生まれ故郷に郷愁を抱くのは、その地で育まれた
思いや価値観が有るからです。
強引に新しい生き方や生活を押し付けるのは、昔で言う
植民地政策と何だ変わりません。
日本人の優しい性格からか、歴史的にも、争いの後は
支配者の描く街として作り変えられても、何も言わず
従ってきた事実が有ります。
争いを繰り返すたびに、新たなる支配者の言いなりになって来た
日本の歴史が、物事にこだわらない、なんでも受け入れ、
熱しやすく冷めやすい日本人の性格を作って来たのかも
知れませんが、それは、遠い昔の話なのです。
ヨーロッパにおいても、第二次世界大戦の後、焼け野原に
変わってしまった国土を全て近代的な街に作り変えたかと言うと
長い年月を掛けて、もとの歴史的な街に復興しました。
その姿は、その地を訪ねると、驚くほど過去の建物に執着し
それをこれからも残そうと努力しているのに驚かされます。
街並みが世界遺産として登録されている街も多くあります。
日本に於いて、美しい自然や、神社仏閣は世界遺産として
登録される事は有っても、人々が生き続けてきた街並みが
残されている事は稀です。
今の日本は、何処に行っても、殆ど同じ街並みであり、
単に人口が多いか、建物が密集していたり、高層建築が
立ち並んでいるかでしかなく、何処の街も個性は有りません。
これは、街の機能性だけを重視して、その地に住む人たちの
思いやその地の風土自然を無視してきた結果に他ならないのです。
マスコミを通じて、街とは人とは、生活とはと、一方的な情報で
画一的に作られてきた日本は、今や、岐路に立っているとも
考えられます。
そんな中、ネットと言う力で、それまで言いなりになっていた人々は、
個の大切さと意味を知り、家族、会社、学校という集団で有っても
心は、バラバラの状態を作り始めているのが現在の状況です。
それを、また、一つにまとめようと、ネットの力で強引に
人々を管理しようとしているのが、現在のリーダーたちの思惑です。
私達は、故郷の自然から風土から引き離され、全国共通の
価値観の元、同じような生活と同じような価値観を持たされました。
この事は、人々を統率する側、莫大な収益を得る側からすると
非常に便利なのですが、そんな国の人々は、どこかの他国に
併合された植民地の奴隷と何だ変わりません。
今や、マスコミの情報により、人生の価値観、生活するすべてを
共通の考えに置き換える事に因り、より、支配するものとされるものの
二極化が起こっているのです。
災害に遭われた方々は、本当に不幸だとしか言いようが有りませんが、
復興と言う名のもとに、故郷の思いが失われた、何処の街か解からない
支配者たちの息がかかった街になりつつあることに、災害以上に
可愛そうに思えてなりません。
トラックが行き交い、クレーンが唸りを上げ、かさ上げされて、
見る影もない故郷が出来た事で、この五年間、被災者たちは
どれ程喜びを得られたでしょうか。
寒くて暑くて、生きる為だけの仮設住宅での五年間、
将来幸せがやって来ると言う新しい故郷の槌音に、幸せを感じた方々が
果たして何人いたでしょうか。
例え国であっても、一部の人の幸せで成り立って行くものでは有りません。
人々がお互いに助け合い、御互いの気持ちを思いやり、御互いが
幸せになる事で成り立っているのです。
相手が一体何を欲しているのか、それを正しく判断して、相手が
喜ぶような事を行なえるのが、御互いの幸せを呼ぶカギと言えます。
例え、自分が正しいと思う事でも、相手にとっては苦痛であることも
結構多いものです。
個であろうが、団体であろうが、地域、国同士であろうと、
何かを相手にする時は、どれ程相手の気持ちを理解できるかが
その後の友好関係を保つ大切な事であると思われます。
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