めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

周囲の人を味方に付けるには

2016-06-09 13:48:28 | 人生

日本人の素晴らしい所は、人に対する優しさ思いやりが
国民性として強く、常に、自分以外の人々や環境に対し
敏感に反応する事です。
その為、対人的にも、対自然的にも、様々な感性を持っていて
表情や行動ははっきりしなくとも、心の中では、海外の方が
想像し得ない程の豊かな躍動感が有るのです。

かつて欧米人にとって、日本人の行動や言動は、ミステリアスであり

イエス、ノーの判断が非常に難しい民族と言われていました。
この事は、日本人の物事に対する消極性や曖昧さとして
御互いにはっきりとしたやり取りをしなければいけないビジネス社会で、
大きなハンディともなっていました。

しかし、早急な判断をしない事に因り、十分な調査、深い判断が出来る事で

大きな失敗をしない可能性が高くなるとも言えて、長い目で見れば、
有利に働く人間性として評価する方々も多いです。
とは言え、世の中は増々スピードアップし、あらゆる人間生活は、短時間で
多くの問題処理を求められます。
そのため、人々に対して、常に豊富な知識とスピーディな仕事が求められ
現代人の多くがこの要求に対し、日常的に悩みを抱えているのが現状です。

でも、長い歴史の中で培われて来た対人センスや物事の判断スピードが

その様に簡単に変えられるものでは有りません。
グローバル化によって、日本社会も世界の流れに合ったスピードを要求され
余儀なく、欧米化された社会システムに同調せざるを得ない現代人は、
いかに、多くのストレスを抱え、苦しみ悩んでいる事でしょう。

仕事としては、社会の流れに合わせる事は有っても、プライベートに成れば、

誰もが、自分の世界を守りたくなるのも解ります。
今や、日本人の性格を計るにあたって、かつての優しさ思いやりから、
自分の世界を守るための手段として、先ず、真っ先に表れる事が、
自分以外の世界に関わらない、と言う事です。

他人から自分の世界を覗かれたくない以上に、他人の世界に関心を持たず、

自分のテリトリーを守ることが、生きて行く為の手段として前面に出てくるのです。
対人的にも、相手を知ろうとする事以上に、関わらない事が前提と成っています。
関わることの利益より、関わる事に因るトラブル発生を恐れるのです。

この事は、決して自らも相手の領域に入って行かない事から、対人的に

トラブルを起こす事の可能性が低く、一見、平和な日々が送れる様に思えますが、
日本人の日常は、増々無表情に無感動に見えることにより、ますます世界からは
考えている事が解からない、不可解な民族と見られがちなのです。

しかしながら、大きな問題を生んでいるのも事実です。
人との関わり合いを持たず、自分の世界を守る性格は、
対人的な圧力や攻撃に極めて弱く、対処の方法に疎い事が
上げられます。


いわゆる、事なかれ主義的な生き方は、一度問題が起きると、

的確な判断と行動が出来ず、一方的な圧力に屈しやすく、簡単に
主導権を握られてしまうのです。
この事は、スポーツの世界での常識であり、勝者は、常に実践に置いて
スキルを磨いた者に与えられるのです。

私達日本人の対人的な反応は、カタツムリの反応によく似ていて、

ちょっと触角を突かれると、すぐにカラの中に閉じこもり、外敵が
居なくなるまで耐えて待っています。
しかし、この時、更なる問題が生まれるのです。
耐えて待っている時に、触角を触った外敵ではなく、近くにいた鳥に
簡単に食べられてしまうと言う事です。

では、外からの刺激が来たら、積極的に出向いて行き、早急に問題を

解決すれば良いかと言えば、長い間カラの中で閉じこもる生活をしていると
本当の敵を判断する力が失せてしまい、結局、何だかの外敵の餌食と成って
食べられるのが落ちなのです。

日本人は、対人的に非常に熟考して、相手の動きや考えを察する民族です。

その時点で、多くの海外の方よりもしっかりと判断が出来ているのです。
ところが、それ以上に考えてしまい、自分が動いた後の相手の反応まで考え、
その結果、何もできなかったりするのです。

私達日本人は、自分が何か行動に移した時、その時の周囲の反応を

非常に気にする民族です。
自分の行いより、それに対する周囲の反応が気になり、更には、
その反応をネガティブに考えがちです。

しかし、人は、自分が周囲からどの様に見られるかを考えると言う事は

相手の行為は、実はさほど関心が無く、自分が思っている程、誰も
自分の行動や姿に関心が無いのです。
世の中での自分の存在は、自分が思っているより遥かに薄い事が
解っていない方が多いのです。

特に、人が集中する都会に置いて、殆どの人は、他人に関心が有りません。

余程人々に関わる行動をしない限り、全く空気のような物なのです。
その為、かなり奇抜な服装でも誰も振り返ってくれません。
つまり、自分の存在を知らせるには、自分が思う様に行動しても
先ず、周囲は半分も感じない事を知る事です。

それ程に、人々は他人を受け入れない生活をしているのが現状です。

しかし、関心を持たれる程の行動と成ると、周囲の人はその行動と
その人の存在を認め、周囲の環境の一部として心に留めるのです。
この事が、自分の存在価値を認めさせ、自分の思いを遂げる一歩と
成って行くのです。

現代の様な閉塞的な世の中は、誰もが、これ以上何も出来ない様な

自分の夢は果たせない様な錯覚に陥ります。
特に日本人の様な性格は、中々積極的な行動に移せず、挙句の果ては
自分の心の中で悩む事と成るのです。

大切な事は、悩んで何もしないより、先ず自分の思いを周囲に示し

自分の存在を知らせる事です。
そして、重要な事は、自分の存在が周囲に認められた時、これこそ
その認めてくれた人々に対して、心のケアを怠ってはならないのです。

誰もが関わり合いを持ちたくないのに、関わり合いを持たされることは

相手の心に、新たなるプレッシャーを持たせることになるのです。
しかし、その新たなる認識が、相手にとってプラスになり喜びになると
しっかりと思わせるケアが大切であり、この時、私達日本人の
他人を思いやる力の強さが発揮されるのです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿