めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

被災者の心の奥を癒す為に

2016-04-23 15:05:26 | 災害

地震、雷、火事、おやじ、と昔から言われていますが、地震以外はともかく
今の時代も、地震の恐ろしさは、被災者のみならず、日本中の人々が
強く感じていると思います。

熊本大地震が中々収まらないものの、日本全国、世界からの援助が差し伸べられ

被災地の方々にも笑顔が見られる様になってきました。
しかしながら、その前途は厳しく、一人一人に科せられた未来への足かせは
無くなることなく続いて行きます。

私達同じ日本人として、少しでもその負担が無くなり、一日も早く元の生活に

戻れる様に援助の手を差し伸べ続けなければならないのですが、この事は、
もはや、一地域の災害と言うだけでなく、近年日本中に発生している地震や
その他の災害で多くの犠牲を強いられた人々に対しても同等に成されて行く事が
重要と思われます。

遠く離れた所から、メディアを通じで刻々と状況が伝えられるものの、災害は

実際に体験した方々しか解からない、心の底からの恐怖や不安が有ります。
日本中の人々が、何とか被災地の役に立たないかと心を痛めていますが、
そんな気持ちも、人々の努力も、一瞬にして消し去ってしまう程の力を持つのが
大地震です。
私達が出来る事は、本当に小さなものかもしれません。
しかし、その力を少しずつでも集め合って、何とか被災地の復興の力とし
苦しんでいる方々の心を癒していかなければならないと思います。

熊本の親友の住んでいたマンションは、老後を静かにゆっくりと過ごすための

大切な場所でした。
今回の地震で、倒壊は免れたものの、亀裂が幾つも入り、今後住む事は出来ません。
最初の地震で家の中は滅茶苦茶に成り、入る事すらできません。
離れた所にある実家に身を寄せてはいますが、今後の見通しは全く考えられず
穏やかに余生を楽しむつもりが、一瞬にして重い十字架を科せられた様です。

しかしながら、私が心配するのを感じてか、いつもよりも遥かに明るく話す言葉に

心配を掛けたくないと言う気持ちと、その裏にある厳しいこれからの生活を感じました。
被災者の方々は、どなたもこれからの厳しい未来をひしひしと感じていると
思いますが、メディアからの質問や放映に対しては、逆に気を使っている様に
感じるのは私だけでないと思います。

被災者としての一人の自分に戻った時、先の見えない家族達と言葉を交わす時、

どれ程苦しくもどかしい気持ちになるのでしょう。
今後、大型重機が日本中から持ち込まれ、街の残骸が次々に取り払われて行く時、
何も残らない我が家や故郷に、人々の慟哭の思いが込み上げて来る事は否めません。
災害から生き延び、怪我を免れたとしても、かつての街も家も消えてしまった故郷に
人々の心の思い出は辛い記憶に変わってしまう事もあります。

復興は、人々の生活のレベルをもって計る事が出来ます。

これまで様々な災害地が新たな街に変わって来ました。
以前よりも便利で機能的な街に変わった所も有ります。
しかしながら、本当の復興は、人々の心の中に有ります。
被災者たちの心の復興は、以前の幸せと変わらない、
更にはそれ以上の幸せを誰もが感じる様になった時、

初めて完了と言えるのです。



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