めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

トランプの野望と日本人の絶望

2018-04-19 15:11:12 | 日本人

日本が内輪揉めをしている間に、世界の情勢はあっと言う間に変わってしまいました。
想像通りと言ったらなんですが、蚊帳の外に置かれた我が国の首相は、見るからに
哀れで、まるで牙を抜かれた虎の様に、縁側の猫に成り下がってしまいました。
自らが撒いた内輪揉めの種が、どんどん、党内の膿を引き出す結果となってしまい
今や、おしりに火が付いていると言うより、断末魔の状態です。
玉虫色で誤魔化せると思っていた不祥事が、次々に暴かれる仲間たちの失態により
もはや修復の余地は有りません。
党内からも、無能さを指摘され、とても、日本を牽引して行くリーダーとは言えません。

しかしながら、問題は、不祥事や疑惑を解明する事ではなく、日本の未来に対する
大きな不安です。
例えリーダーが変わったとして、どれだけ海外に対する日本の権限が変わると言うのでしょう。
日本が置かれている対外問題の多くが、自力で解決できることが殆ど無く、常に、先を走る
アメリカを始めとする先進国の決断にゆだねられているのです。 
日本を守ると言っても、親方トランプの顔色次第で有り、我が国の未来が、諸外国の思惑で
簡単に変わってしまう現状に、国民の憤りと不安は高まるばかりです。

日米首脳交渉と言っても、殆どがトランプの我儘ともいえる言いたい放題の政策を聞くだけで
我が国のリーダーは、今以上の打開策を述べる事も出来ず、相変わらずの、国内でしか
通用しない、言い訳を前提とした提案ばかりです。
アメリカのご機嫌を伺い、日本の財界の思惑をちらつかせながら、自分自身の責任とならない
極めて曖昧な玉虫色の考えで有り、日本の将来を保証する程の力強さは皆無と言えます。

つまり、日本は、相変わらずのアメリカの植民地と言っても過言ではなく、その象徴は
現実の沖縄を見れば明らかと言えます。
どんなに経済的に発展したとしても、アメリカの一存で将来が決まってしまうと言う事は
やはり、砂上の楼閣の様に、日本の未来は簡単に失われてしまうと言えるのです。
誰が考えても、日本は、アメリカの最前線の基地で有り、何でも手に入る文化的な先進国
と言うカモフラージュで日本国民の反感を受け流しているだけなのです。

アメリカの友好国で有り、安全保障条約により守られていると言う、いわば大樹の陰で
戦後の平和を築いて来たわけなのですが、この大樹は、簡単に、他の国々の陰へと
鞍替えをしてしまうと言う事を知らなければなりません。
何故、いまだに、日本を守ると主張するかと言えば、日本国民が大切というのではなく
防衛的価値と経済的な価値があるとするからであり、その考えを前面に押し出しているのが
商人であるトランプと言えるのです。

日本の核心を問わない政治を理解して、国民感情も合わせ、親日的な繋がりを保って来た
トランプ以前の大統領とは全く違った、まず、自国の利益、更には自分の利益を前面にした
大商人と交渉をしていると考えなければ、日本は、直ぐに置いてけぼりと成ってしまい
気が付いたときは蚊帳の外に置かれてしまうのです。
日本の立場や国内状況を考える様な大統領ではない事を理解しないと、誰がリーダーと成っても
腰ぎんちゃく以上にはなれないのです。

利益を与えれば気を利かしてくれるなどと、日本的な考えで取引をすると、簡単に首を絞められ
元も子も無くなってしまうのです。
例え、北朝鮮と戦争と成って、日本が核で汚染され、国家が危急存亡となろうと、トランプにとっては
対岸の火事ぐらいにしか感じません。
もし、彼が心配するとしたら、多くの駐留軍人が犠牲になり、自分の国内支持率が落ちる事だけです。

今や、アメリカは、大統領が権限を握っているのではなく、商人トランプが権限を握っているのです。
この状態は、日本のリーダー達が、財界のリーダーと相対している時と同じであり、国内経済を
握られている事から、例え首相であっても頭が上がらない事と同じなのです。
ならば、経済を握られているから、大人しく従っていれば良いと言うのでは有りません。
例え経済的に実権を握られていても、国民を幸せにする方法を考えるのは政治家なのです。
つまり、日本の未来への指針を決めるのは政治家なのです。

この事は、国際政治に於いても同じ事が言えるのです。
たとえ大統領であっても、トランプの考えは、利益本意の商人の考え方に過ぎません。
国のあらゆる人達の思いを受け取り、民主主義国家として、全ての人達に幸せをもたらすと言う
政治では無いのです。
個人的な利益、自分の関わる者達の利益でしか無いと言えるのです。
この事は、未来永劫続く様なものでは無く、消費経済国家を発展させるための手段に過ぎません。

経済社会に在って、政治家ではなく商人が実権を握ったのがアメリカの実情と言えるのです。
利益の為ならなりふり構わず、身勝手な判断で政治を行うのですから、取り巻きはたまったものでなく
頻繁に役職を解任される政治家が出て来るのです。
考え方や立場は違うとはいえ、北朝鮮の金正恩も同じような性格で有り、唯、自分に逆らうものは
殺害すると言う手段を取るだけなのです。
つまり、どちらも独裁者である事には変わりなく、今や、お互いが利益を得る為に戦っている
と言う事なのです。

商人的な考えからすれば、戦争をして北朝鮮を屈服させたとしても、利益を得る事は少なく、
少なからず米軍にも被害が生じるわけですから、出来る事なら、自分の思い通りに動く
韓国大統領の様な存在に置きたいと考えるのでしょう。
もしそうなれば、アメリカの最前線は北朝鮮と成り、より強固な前線基地を、一番の難敵である
ロシアの前に於けるわけで有り、更には、経済成長著しい中国を監視することも出来ます。

つまり、アメリカ本土を守る前線基地を、より敵国の近くに作ると言うメリットがあるのです。
ただでさえ、中国やロシアの力が増している世界市場に有って、アメリカが独占するには、
包囲網を如何に広くするかが重要と考えて居るのです。
もし、平和交渉が実現して、核の脅威が無くなれば、アメリカにとっては願っても無い事と成ります。
それ程にも密接にアメリカ経済を左右しかねない東アジア情勢をコントロールする事は、
軍事的のみならず経済的にも、アメリカが主導権を握るという野望を叶える事と成るのです。

沖縄を始めとした東アジア包囲網は、アメリカの平和を守ると共に、将来の世界経済を担い
かつて世界のポリスと言われた絶対的な王者の地位をとりもどす事と成るのです。
それに比べ、日本が東アジアにおける存在は、余りにも弱すぎます。
アメリカの傘の下で政治には関係ない個人スキャンダルやハラスメントであたふたしているとは
一体、我が国は、何処に向かって進んでいるのかが一向に解りません。
国民にとって、経済的に豊かな生活をすれば幸せに成れるとする、まるで発展途上国の様な
見た目の政策を掲げているだけでは、誰も納得しないばかりか、相変わらずの無能さを
さらけ出しているに過ぎないのです。

今や、多くの日本人は、政治家たちの無策ぶりに、辟易としているのです。
どんなに裕福な生活をしても満足できず、唯、見てくれの豊かさを求める生活に
少なからず嫌気を指しているのです。
人々の上に立つ人が、政治家のみならず、あらゆる社会のリーダー達の悪行が
頻繁にニュースになり、その多くが個人的な欲望から発している、極めて
大人として成長していない方々の不義、不祥事、不貞です。

それなりに地位が有ったり、人々から崇められる生活をしている人達の
見苦しい醜態が暴露される事が多くなっています。
正に、社会的経済的に豊かに成りさえすれば、何でも我儘が出来ると言った
人間的に全く進歩していない、唯、我欲ばかりが先走った人達が、
様々な社会で目立つのです。

この事は、地位や名誉がある人達がその様な蛮行を行うと言うのではなく、
たまたま知名度の高い人達がニュースに取り上げられているだけで有って、
現実は、日本国民全体の問題と言えます。
殆どの国民が、小さい頃から、社会的に豊かな生活をする為の教育を受け
表向きは、人としての成長を願って作られたとする教育機関が、実際は
自分の事しか考えられない、社会的に地位が高い人となる教育と成っているのです。

今や、日本人は、人の価値を経済的社会的な地位や外見を持ってしか見られなくなり
他人の心の中を読む力がかなり衰えていると言えます。
その為、簡単に人を傷つけたり、己の欲望の為には、他人の苦しみは何とも思わない
とする、人の迷惑に成らない事を教訓としていた日本人と逸脱した新たなる
トラブルメーカーも増えているのです。
ストーカー、クレーマー、イジメ、差別は、日本社会に広がるばかりで有り
様々なハラスメントが取りざたされるのは、如何に社会が病んでいるかが解ります。

経済的に豊かに成れば幸せに成るとする政府の見解は、如何に薄っぺらい考えで有り
自分達の政治が、どれ程底が浅く、その場限りの見てくれの仕事であるかが解ります。
国民の為に政治家に成っていると言うのは真っ赤な嘘で有り、政治家という職業で
自分の欲望を満たしているに過ぎないのです。

日本を牽引して行く立場にある多くの地位が高い人達の人間的レベルが
如何に低いかというだけでなく、この手の問題が日本中隅々まで広がっていて
日本人自体の人間性を問われているとも言えるのです。

しかしながら、多くの国民は、日本の教育を受けている訳ですから、
残念ながら、幸せの基準が、経済性と考える人が多いと言えます。
常に、上の人を見て、経済的に豊かな人達を見て育っている事から
自分の幸せは、そこに在ると信じて疑わない事から苦しむのです。
当に自分が求めているものは、他人によって与えられる事を、
しかも、物ではなく対人的な心のやり取りによって得られる事を
知らなければなりません。

どんな生活をしていても、その経済的レベルに於いて、其々の幸せを
見つける事が出来るのです。
自分にとって一番相応しく、自分の心を癒してくれるものは何なのか
それを見つける事が、本当の自分を見つける事にもなるのです。