めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

保険が無いと生きられない日本人

2018-04-07 14:05:38 | 日本人

今やあらゆる事に保険を掛ける時代と成っています。
当然、健康に関する事、日常生活関する事、全ての事に
保険を掛ける事で安心を得ようとする日本人が多いです。
当然その心は、もしもの時の為、と言う事なのでしょうが、
様々な事を克服して来たはずなのに、文明が進歩すればする程
私達は、様々な事に不安を覚えるのは興味深い事です。

日常的に様々なアクシデントに晒される可能性が有った太古の時代
人々は、突然起こる出来事に恐怖を覚え戸惑いました。
些細な事だけでなく、時に、人命にかかわる事も発生したことで
如何にそれらの事に対処し、日常生活を安全に、そして未来に安心を
求めたのでした。

その為に、食料を保存したり、自分達の生活を外敵から守るための
様々な工夫を行う事で、より、自分達のテリトリーをひろげ、
安心できる世界を作って来たのです。
例え、現代の様な近代国家と成ってもその基本は変わらず、
自らが守って来た生活や安全を、それを専門とする業者に委ね
財産と命を守る事に心血を注ぐようになったのです。

しかしながら、様々な保険を掛けるも、その時は、滅多に訪れません。
アクシデントの比率は、太古の生活とそれほど変わらないのです。
その内容が違っているだけで、私達が、思いがけない事に遭遇する事は
それ程多くないのです。
確かに、その時の為に、様々な保険を掛けておくことは安心である
と言えるのかもしれませんが、保険の必要性を感じる思いが、
常に、日常的に心の中に存在している事が問題と言えます。

日常生活のあらゆることに不安を感じ、自分自身が行う事にも
自信が持てません。
すると、心の基準が失われ、常に、何か不動のもの、自分を守って
くれるもの、つまり、保険に委ねてしまうのです
本来ならば、一番大きな心の支えは国家であるべきなのですが、
現代日本のリーダー達は、国民を守る術を知らず、己の欲望を
満たす事を最優先としています。

今や、メディアからの情報の多くが、健康に関する事、更には
生活や健康を守り保障する為の保険で溢れています。
様々なリスクを並べ、いわば恐怖感を抱かせる事で商品を買わせたり
保険に入らせたりと言うのが常道です。
自分の生活や健康に不安を感じている人達にとって、正に渡りに船であり
多くの人の心の拠り所が、健康産業である事は言うまでも有りません。


しかし、この様な不安にさらされている日本人が、保険によって
健康で安全な生活が得られるかと言えば、そうでもないのが問題です。
この不安感が、外部の力で守られたとしても、不安感は、不信感と成って
対人的に大きな悪影響を与えているのです。
人を見たら泥棒と思え、とは言いませんが、現代人が、対人的に恐怖を感じ
他人に対する信頼感が薄らいでいる事は明らかです。

この事は、一番安心な家族間であっても絆が失われ、守られているはずが
家族の中に在りながら、孤独感を味わっている人は実に多いのです。
この人間不信は、子供達にも蔓延していて、子供の世界では、イジメの形で
社会問題とも成っています。
例え大人の世界と言えど例外とは言えず、今や、イジメ、差別、嫌がらせ
パワハラ、セクハラと言った、様々な社会問題の形を変えて人々を苦しめます。
一番守ってくれる同じ人間同士が不信感を抱き合って生活する事のストレスは
全ての世代に大きな負担となり、保険では守り切れない心の病を育てています。

保険と同じく、私達現代人が心の基準として頼るものが、外見的な地位名誉
そして経済性である事が次なる問題として挙げられます。
保険が自分を守るものとしての役割ならば、その自分の価値とする物が、
世の中の人々が望む、豊かで便利な生活であり地位や名誉財産である事です。

消費経済社会に在って、より経済的に豊かであれば、自分の望む物は何でも
手に入れる事が出来、自分の幸せの基準がその欲しい物であるとなると、
その間に、人間としての対人的な豊かさは必要でなくなるのです。
どんなに人格的に優れようが、経済的に豊かでなければなんの魅力も感じず
ともかく、自分が豊かな生活が出来る事を優先します。

このの物欲溢れた社会が現代社会と言えるのです。
経済的に豊かになりさえすれば、欲しい物が何でも手に入るとなったら
子供達が望むのも、大人たちが求める物も、全て共通の、人々が欲しがる
豊かで便利な生活と言えます。
対人関係も、自分の物欲や経済欲を叶える為に在り、他人がどの様に思おうが
嫌な思いをしようが、何の気にもなりません。

今や、自分の欲望を前面に出す事を何のためらいも無く出来る人が増えています。
あらゆる社会、もちろん学校の教育現場に於いても、子供も大人も、自分の欲を
叶える為に勉強し、仕事をしていると言っても過言ではないのです。
しかも、その様な社会を国も企業も求めているのですから、益々、人々の生活は
荒んだものに成って行くのは道理と言えます。

現代社会に生きて行く為の必要性を問われ、買い求めた数えきれない物品の中で
埋まる様に生きているのが現代日本人の典型と言えます。
しかし、物は増える一方で、買い求める片端から過去の欲望と変わり、新たなる
魅力的な商品に手を出す様に仕組まれています。

その事に何の不信も感じないで、消費経済生活を続けている限り、日本人は
いつまで経っても不安であり心の平安を得る事は出来ないのです。
生きる為に行っている日常生活の行為に全て関わる商品を生み出し、その是非を
常に問いかけ、常に新しい物を消費する様にする事で、企業は膨大なる利益を得
消費者である庶民は、いつまで経っても現実の生活から逃れられないのです。

私達は、自分の考えで生きているように見えて、常に、周囲の環境を感じ取り
人々と関わり合って生きて来ました。
中でも対人的には、自分の考えと違う考えを知る事に依り、より豊かな生活を
知る事が出来ました。
それが家族であれ友達関係であれ、自分とは違う考え方生き方を直に感じる事で
心の成長を図り、集団で幸せに生きて行く為の術を身に付けて来たのです。

所が、その術を、家族や周囲の人から得るのではなく、商業的に利益を得ようとする
経済社会を担っている人達に委ねてしまう事で、個人的な生き方ではなく
社会的な経済社会を発展させるための目的の為に利用されてしまうのです。
人々は、多くの人が求める物を自分の求める物と勘違いしてしまい、
本当に必要としているものが見えなくなってしまうのです。

自分自身が認めるものでは無く、社会的に認められるものを自分の基準とする事で
流行発信者達の言い成りになってしまうのです。
素晴らしいと思って手に入れた物も、直ぐに新たなる魅力あるものに価値が変わり
常に散財を続ける事で資産を失い、自分自身が本当に求めているものを見つけられず
一生を通じて、豊かな人達に貢献して行く生活を強いられるのです。

本当の幸せは、自分の中に在り、ヒントは、周囲の人の心の中に在ります。
経済的に豊かな暮らしは、あくまで手段であり目的ではないのです。
恋人が出来て、目の前に常に心を寄せる人が現れると、人は、誰もが、常に
相手の気持ちが気になります。つまり、相手が如何に考え、何を求めているかが
いつも気になるのです。そして、その思いを達成したり、助けてあげる事で
蜜月の日々、つまり、幸せな日々が送れるのです。

この事は、決して、恋人同士の関係で成り立つ事ではなく、日常的に、家族であれ
友達同士であれ、同じように、相手の事を気遣う事が出来ると、お互いに、幸せで
満足できる関係が築けるのです。
当然、この関係に不安を感じ保険を掛ける事も有りません。

しかし、お互いが感じられなくなり、不安を感じ始めると、相手ではなく、他に
安心や幸せを求め、その関係は破綻して行くのです。
人間の行う、あらゆる生活に於いて、上手く行く行かないは、極めて単純な人間関係で
成り立っていて、例えそれがスポーツであっても、その競技や対戦相手に、常に
気持ちが向けられている事から、素晴らしいプレーヤに成ったり、魅力的な
運動表現が出来たりするのです。

何事も上手く行かないと言う人の多くは、その関わっている事に対して、直接的な感覚を
持つことが出来ず、社会的に説明できるレベルの事しか行っていない事が多いのです。
つまり、どれ程深く、関連した仕事だけでなくそこに働く人達に関われるかと言う事です。
目的の仕事や運動に関わると同じく、それに関わっている人と深く理解し合えるかが
とても大切なのです。

スポーツに於いても、メディアに載る事やハウツー的なテクニックを幾ら身に付けても
本当に上手に成れないのは、スポーツを実際にしている人の心の状態が解らないで
ただ外見的な真似ばかりしているからと言えます。
スポーツも踊りも、外見的に感じている事と演者は、全く別の感覚である事を知らないと
本当の力は身に付かず、更には、その面白さも味わえないのです。

今や、あらゆる情報で溢れていますが、その情報の殆どは、誰にでも共通な方法論の様なもので
個人的に本当に有効な情報は、自分自身が選択する力によって得られます。
誰もが手に入れる魅力的な商品と言っても、個人的に本当に必要と言えるのは、万に一つです。
いくら大衆的に魅力的な物を手に入れても、それが自分の心の欲求にマッチしなければ、
また新たなるものを探さなければならないのです。

この、満たされない状況を作る事で消費経済が成り立っているのです。
戦後の様に、何もない時は、何でも手に入れる事が幸せだったのかもしれませんが、
現代の様に、何でも手に入る時代では、自分自身にしか合わない物を見つけられる事が
本当の幸せを見つける方法ともいえるのです。

健康も安全も、自分自身が本当に求める物を見失っている不安から人に委ねなければならない
と言えるのです。
近頃、断捨離と言って、身の回りで本当に必要な物と無駄な物を区別して、生活を改める事が
流行しています。
ただ闇雲に欲しい物を手に入れて、物に溢れて自分を見失ってしまった生活をしている人が
本当の自分の生活を見つけようとしているのです。

現代社会は、何でも手に入るように見えて、何も欲しい物が手に入らない社会なのかもしれません。
もう一度、自分自身と向き合って、一体何を求めて生きているのか、更には、身の回りの人に
関心をもって、自分とは全く違った生き方考え方を持っている事を知り、生きる為のヒントを
見つけて行く事も大切と思われます。