めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

批判できても実行出来ず

2018-04-17 15:34:09 | 東京

確実に時は過ぎ去って行きます。しかも、物凄いスピードで。
人は、嫌な記憶は捨て去り、楽しい記憶を残そうとするらしく、
過去の出来事の多くは、例え頭の中に残っていたとしても、自ら認識する事は
難しいと言えます。
その為、写真やムービーで記録された昔の姿を見ると、突然鮮明によみがえり
一瞬にしてその時の思いが脳裏を駆け巡ります。

しかしながら、過去を振り返る時は有っても、未来の自らの姿を想像する事は
とても難しいものです。
こう在りたいとする人生設計も、時として、全く違ったストーリーに変わってしまい
想像もしない生き方をしている事も多いのです。
若い頃は、特に、未来に関して、自分自身の希望や欲望が全面に押し出され、
少なからず、ハッピーエンドを望むものですが、今の時代までの足跡を辿ってみても
正に、波乱万丈とも言える人生でした。

私達が人生を生きると言う事は、多くの場合、未知との遭遇と言ってもよく、
仕事だけでなく、対人的にも、予想だにしない展開となる事が多いです。
希望通りの職に就く人もいるでしょうが、全く、想像もしなかった仕事に就いていたり
家族や人間関係がまるで誰かに仕組まれたかのように、ドラマチックと成って
展開の意外性に、いまだに、どうしてこのようになったのか、理解できない事も
多いのです。

若い頃は、知識も経験も無く、自分の浅い知識と経験から、将来の夢を目指すのですが、
この夢すら、現実となる事は難しく、成長するにつれ、様々に思いが変わって行き
望む人生も予想しない方向へと進んでしまう事の方が多いのです。

とは言うものの、いかなる波乱万丈の人生を体験する人であっても、最終的に
自らが望んだ方向に進んで行った人もいて、一体、いかなる人生を歩んだら
悔いない一生を送れるのか、中々答えを見出す事は出来ません。

物事に関する印象も、若い頃と、年を重ねて振り返った時では、全く考え方が
違っている事も少なく無く、時に、自分の好みすら、否定的に成ってしまう事も有ります。
人生のみならず、社会に対する価値観も、定まる事無く、常に流動的であり、
片時も心休まる事は有りません。
当然、日々変化する社会環境の影響も有るのですが、自分自身の心の成長度合いに合わせ
物事の見方考え方が著しく変わって来るのです。

 

まるで、政治の世界の与党と野党の様に、自分の心の中が、全く違う立場に揺れ動き、
何をもって正解として良いのか、自分自身で理解に苦しみます。
それまで嫌っていた事に賛同するとなると、自分を納得させるために、自分自身への
言い訳を考えます。正に、懸案に対する、与野党の攻防の様です。
その時々の環境により、人間関係により、大きく舵を取りかえる自分自身に、如何に
シッカリとした人間としての意思が感じられず、現在の日本社会への批判が、実は
自分自身の心の中への批判とさして変わらない様に思えて、少なからず恥ずかしさが
募って来ます。

本当に人間は弱い物であり、中でも、自らの意志を貫く力は弱いと言えます。
簡単に誘惑に負け、日常生活に於いても、確固たる計画が、簡単に反故にしてしまう
いい加減さは、とても他人を批判できるものでは有りません。
そもそも、他人を評価すると言う事は、少なくとも、人として誰からも認められる
人格が有り、更には、より素晴らしい結果を導ける能力が有ると言う事です。

多くのテレビ番組で見られる、各界の人達の、個人的見解では、番組は成り立っても
現実問題は、全く解決しないのです。
今や、メディアの発達も有って、日本人は、一億総評論家と成ったと言えます。
様々な知識をもって、マイクを向けられれば、誰もが、自分の意見を平気で述べます。
例えそれが、テレビやメディアからの請負であっても、他人を批判する事に
躊躇いは有りません。

ネットに於ける炎上は、正に、この言葉によるハラスメントの典型と言え、
他人に対する評価が、まず、相手の否定であり、自分を上位に置く事で満足する
マウンティングと言えます。
少しでも人よりも豊かな生活を得る為に、より高い地位や財産を得ようとするだけでなく
自ら他人を陥れる事に依り満足を得ようとする、人間として、益々卑劣と成っています。

国会中継を見ていても、画面の外から頻繁に聞こえて来る罵声は、日本の中枢で行われている
議会制民主主義とは程遠い、口先だけの我儘な我欲に富んだ売り言葉であり、この議場が
私たち日本人の未来を決めているとは到底思えません。
しかしながら、辛辣な批判を繰り返す方々であっても、風向きが変わると途端に手のひらを返し
甘言を並べ立てる事は、政治家の常套手段とも言えます。

この様に、日本人の最高の頭脳集団ともいえる方々がこの様な現状であると言う事は、
その後に続く国民も、差ほど彼らを批判できないと言わざるを得ません。
それ程にも政治家を批判するならば、自分が代わりにやって見ろと言われれば
殆どの方がたじろぎ、狼狽する事は目に見えています。
しかし、少しでも能力の長ける人が、人々を導く事も道理であり、その地位を任されれば
誠心誠意をもって、職務に尽くしてくれる事を望むのは、国民として当然です。
開き直りともいえる言い訳三昧は、例えトップクラスの政治家であっても、国民には
見苦しく、とても、支持しようとは思えないのです。

さりとて、彼らも、最初から、その様な見苦しい姿を目指していたのではないはずです。
少なくとも、多くの国民に支持され期待され職務に就いたのです。
その先は、支持者だけでなく、多くの国民から絶大なる賛辞を浴びたかったはずです。
一体どこから、国民の殆どを敵に回してしまう様に成ってしまったのでしょうか。

やはり、この原因の多くは、現在の日本社会が生み出した消費経済優先思考と言えます。
少しでも多くの所得を得て、少しでも多くの消費が出来る事が、人間の価値であるとする
日本社会の暗黙の認識があるからと言えます。

人間教育として行われると言う教育制度は、外見的には、豊かな人間育成と言いながら、
現実では、より経済社会に相応しい、勝ち組を生む為の制度と言えるのです。
社会で生きて行く為の人間としての行いやマナーは、単に、欲望のカモフラージュに
利用しているに過ぎず、本音としては、如何に、自分の欲望を達成するかと言う事が
生きる目的と成っている方が非常に多いのです。

より高い成績を上げ、社会的に勝ち組となれる進学校を目指し、豊かな暮らしへの
門戸を開こうとするのが、大方の日本人の心の中の思いと言えます。
本当は、其々の価値観を持った生き方をしたいと思いつつも、日本社会の要求が
より経済的に豊かで地位や財産を所有する人が優先されるとして、人間的な価値より
経済性や外見を求めてしまうと言えるのです。

この事は、たとえ、政治家に成ったとしても、三つ子の魂百までと言う様に、
心の奥底に眠っていて、建前としての国民の為に尽くすと言う言葉の陰で
常に私腹を肥やしているのが現状と言えます。

この二枚舌の様な生き方が、何かのはずみで、暴露されると、現在の様な
人間的につまらないと言うより、実態を暴かれた議員のみじめな姿と成るのです。
問題は、その馬鹿げた言い訳三昧が、まだ人間的に成長していない子供なら
いざ知らず、立派に成長し、人々の上に立つ様な方々にある事が、国民を
ガッカリとさせるだけでなく、にわか評論家を多く生むだけと成るのです。

行いを批判したり反省したりするするのでなく、批判する側は、
如何なる方法を取るべきか、具体的にシッカリと示すべきであり、
反省する側は、批判する側を納得させる、国民にとって利益となる方法を
具体的に示す事が大切です。

ただ、首を挿げ替えたり、役職を解いたり、感情に訴えているだけでは
国会審議と言うのは全く意味を成さないのです。
多くの税金を使って審議すると言う事は、いかなる懸案であっても、
国民の具体的利益となる事を示さなければなりません。
近年の国会中継を見ていても、全く進展が見られず、まるで井戸端会議の様に
その場の意見交換に過ぎません。

多くの頭脳明晰な方々ががん首を揃えているのですが、いかなる審議を行っても
その日のノルマを果たす事と、立場を変えたディベートを行っているに過ぎず、
一体、これらの審議が、国民の如何なる利益を生んでいるのかが解りません。
例え、政治家同士の結論が有ったとしても、その事が、具体的に国民に反映される
とは言い難い事があまりにも多すぎます。

決められた多くの懸案が、多くの関係者を通って、様々な方々の利益配分が決まり
最終的に国民の元に降りて来ると、全く違った、国民の期待とは裏腹な事と成って
ただ、腹立たしさと諦めを生んでいるだけと言えます。

議会制民主主義とは、本当に聞こえの良い言葉です。
しかし、この言葉の裏には、多くの人の欲望が渦巻き、それを取りまとめる為に
政治家たちが存在していると思うと、その中で、自分達も利益を得たいとする
厄介な政治家が出てくるのも否めません。

日本を担うトップクラスの政治家たちの信じがたい言動が日々流れる中で、
一体彼らは何を考えその地位にいるのかと腹立たしくなるのですが、
考えて見れば、戦後の歴史はその繰り返しであってのです。
日本人を幸せにする政治家というのは真っ赤な嘘であり、自分達を豊かにする為に
政治家という職業を利用している私利私欲に塗れた人が、日々、井戸端会議を行っている
と言っても過言ではないのです。

もし反論が有り、自分達の地位を認められたいのなら、国民がこの国に生きて
本当に幸せと思える様な政治を行って欲しいものです。
外見的な格好良さは、タレントに任せておけばいいのです。
本当に信頼され、中身のある政治家である事を示してこそ、国民の上に立って
日本を引っ張て行ける能力が有ると認められるのです。
個人的な利益の為に、地位を利用している様では、世界の政治家と渡り合うのは
とても難しく、日本が、世界の孤児となる可能性も高いと言えるのです。