めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

本当の幸せを示せるのは、日本人

2018-04-11 15:11:31 | 日本人

私たち日本人は、世界でもトップクラスの情報を享受できる民族です。
近年、ネットやメディアからの連日の情報の雨は、様々な知識と成って
日本人の考え方や生き方に大きな影響を与えています。
勤勉な国民性も有って、その知識の量は、先進国の中に在ってもトップクラスで
一般の人でも、日常生活から専門的な事まで、幅広い知識を得ている人が多いです。

特に、新しいも好きな性格は、どんな事にも興味を示し、そのことが、分野を問わず
沢山の知識を得る結果となっています。
その為、テレビなどで得た知識は、翌日には日本中の人々の興味の対象となり
衣食住すべてに関して、次の日からその関連の仕事やイベントは大賑わいと成ります。

多くの人が、同じ興味を抱く事になり、時に、食品などは、直ぐに品薄となって
店舗の一角から消えてしまう事も珍しく有りません。
しかしながら、この盲目的な反応は、決して、日本人にとって相応しいものとは言えず
知識だけでなく、思想宗教と、簡単に洗脳されてしまう可能性も高いのです。

危険な可能性も有るのですが、それ以前に、普段の私達の生活が、情報によって
簡単に決められて行く事には注意が必要です。
世の中で消費される物、売買される物をコントロールする為に、人々を洗脳する事は
テレビのコマーシャルを見れば日常的であり、多くの国民は、画面に映し出せれる
商品やその商品の効能を言葉巧みに伝えると、直ぐに注文したり、翌日には、勇んで
お店に駆け付けます。

しかも、何度もその効能や魅力的な言葉を聞き続ければ、自分の求める物は、コマーシャルが
教えてくれるような心境と成り、常に、盲目的に求めてしまう可能性が高いのです。
これこそ、売り手の願っても無い状況であり、資本主義経済の基本ともいえるのです。
自分達の生活が他人に着色されて行く様で余り良い気持ちとは言えないのですが、
そこそこ豊かな生活を送る意味では、多くの国民にとって便利な方法と言えます。

とはいっても、この社会構造が、長きに渡って繰り返されている事は問題とも言えます。
国民の多くが望む事が、実は、一部の豊かな人達の思惑で作られているとしたら、
私達の幸せは、一部の人達をより豊かにする為に使われていて、しかも、連日多額の
出資を強いられている事と成るのです。

消費経済国家の在り方として考えれば、当たり前の事なのかも知れませんが、誰もが
平等であるとする国家の理念からすると、一部の人の幸せに国民の多くが利用され、
情報によってコントロールされていると言う事は、大きな問題とも言えます。
自由主義社会に於いて、其々の能力に応じて生活レベルが変わって来るのは
致し方ないとしても、消費経済国家に生きている事で、生活が苦しくなると言うのは
本来の目的とは違っていると言えます。

基本的に、生きて行く為の保証が成され、その上での豊かさが求められるのであれば
国民全体の幸せとして考えられるのですが、一部の人達に一方的な利益を図るのでは
人々の不満は募るばかりと言えます。
より豊かで幸せに成ると報じられれば、誰もがその商品を求めるのは道理と言えますが、
現実では、刹那的な幸福感はあっても、更なる投資を求められる様な社会システムは
単に、生活苦を増してしまうだけなのです。

世の中には魅力的な商品が溢れていて、誰もが、お金さえあれば、欲しい物が手に入り
豊かな生活が出来ると信じています。
しかし、豊かな生活をしている人達であっても、心から豊かと感じている人は少なく
常に、不満を抱き、より豊かになるべく、新たなるものを求めているのが現実です。

誰もが望む物を手に入れたとて、世の中にはそれ以上の魅力的な物が溢れていて
それを手にしていないと言う事は、決して幸せとは感じられなのです。
この永遠に続く欲望の連鎖は、人々の心を安心させたり癒したりすることを阻み、
欲望が高く成るにつれて、更なる不満足感も高まるのです。

この事は、資本主義経済国家の最も醜い部分であり、いつまで経っても、人の物が
欲しがると行う、欲求不満の体質を生んでしまう事と成るのです。
メディアは、より豊かで高価な物を紹介し、常に購買意欲をそそる事に依って、
消費社会を高めようとけしたてます。
この繰り返される欲望は、人々の心を益々自己中心的にし、他人とは、競って勝つことを
自分の満足とする心を育ててしまいます。

しかし、日常的に人と競う事を生活の基準とした時から、心は休まらず、常に、不安と
焦りが生れて来るのです。
より安心する為には、他人より更なる高価な物を手に入れ社会的に豊かな生活を手に入れ
自分の周囲の人よりも秀でなければなりません。

所が、自分にとっては理想的な生活であっても、この時、周囲の人々は、一方的な利益と
対人的な格差に多くの不満を抱くのです。
日本に於いて、より豊かな生活を送ると言う事は、より多くの敵を作る事にもなり、
豊かになると言う事は、孤独になると言わざるを得ません。

例え、多くの人が集まって来たとしても、それは利害関係として利益を得たいがために
砂糖に群がる蟻の様に集まって来たのであり、けっして、人間的な魅力として集まって
居ない場合が多いのです。
この傾向は、日本人の全ての生活に共通していて、人が誰かに集まる時物に集まる時は
一時的な利益を求めた結果であり、次なる魅力的な物や人が現れれば、簡単に
潮が引く様に去って行くのが現状です。

つまり、消費経済国家の象徴とも言え、常に新しい物を提供し、国民の興味を引けるか
と言うのが、社会を発展させる基準とも言えます。
つまり、物でいえば、大切に長く使えると言うのではなく、直ぐに捨てられる程のレベルが
最も相応しく、様々な商品はすぐに価値が無くなったり故障して使えなくなることが前提です。

この事は、人間関係にも言えて、長い間関係性を育てて行くと言うより、その場の利益を
得る為の関係であり、目的が変わったら簡単に関係を断つことを厭いません。
人々の生活の基準、心の基準に自らにはなく、常に、豊かさの基準として、メディア情報や
社会基準で決められていて、日本国民が、いつまで経っても、本当に幸せに成れない理由が
ここに有るのです。

人と深く関わる事が無く成って来た事から、常に、表面的な付き合いと成り、本音で語らず
お互いの本当の気持ちが解りません。
人は、お互いに自分とは全く違った人格を持っている事から、その違いを認め合って、
豊かさを享受しているのです。

個人個人の幸せが在り、求める豊かさが有るのです。誰もが食べるであろと思われる、
ファーストフードのハンバーグの味では無いのです。
誰もが共有する便利さであり美味しさは、大衆性としては良いのですが、その前に、個人として
自分の心の基準が無ければ、人は、いつまで経っても満足は出来ないのです。
社の社食や外食は、多くの人に好まれなければなりませんが、個人的な食事は、自分の身体と
心が満足できるものでなければならず、物事の考え方も、公私がはっきりしていなければ
なりません。

世の中の便利さや豊かさは、そのまま自分に当てはめるのではなく、自分自身の心を豊かにする
道具に過ぎないのです。
今の日本社会の問題点は、多くの人の心に大衆の考えであったり、業者の営業的考えが植え付けられ
人々の心が、一部の人達にコントロールされている事です。
見た目豊かな生活をしている様で、考え方も行動も、誰かの請負であったり、企業の思惑であったり
造られた流行であったりしているのです。

私達は、自分の本当の心を知るには、物をいくら多く持っても、高価な物を手に入れても見つける事は
非常に難しく、心は、周囲の人によって作られる事を知らなければなりません。
家族であり、友達であり、社会で関わる人であり、お互いに同じ環境を共有し、同じ空気を感じている時
お互いに相手の心と関わり合って育てて行かなければ、本当の自分の価値観は生まれないのです。

様々な心のやり取りをもって、自分と他人の心が全く違う事を知り、人として、多くの考えを認め
様々な人の幸せを知る事に依って、自分の心の在り方を見つける事が出来るのです。
現代社会の問題は、人と人との繋がりが、利害関係であったり、何か手に入れる為の道具に過ぎないのが
様々なトラブルを生み、欲望にかられたつまらない問題を起こす原因となっているのです。

地位や財産、名誉と言った、外見的な社会価値を人の価値としか感じられない日本人が多いのです。
と言うより、人の心と関わる生活をしてこなかったが為に、人の気持ちが解らない人が増えているのです。
自分の欲望の為だけに生きて来た社会的地位の高い人が多い事が、マスコミのネタとして、三文記事の
題材に登場する事と成っているのです。

最近の、社会的地位の高い人達の不祥事やトラブルが目立つのは、日本人が、経済的に豊かになったとしても
人間としては、決して豊かと成っていない事を表していて、外見的な地位や名誉が、その人の価値では無い事を
如実に表していると言えます。
社会的地位が高く成れば成程、人間として優れていなければならないのに、子供の様なつまらない欲望を出して
人々から嘲笑の的となっている様では、日本の経済発展は、まさに、裸の大様と言えるのです。

今、世界経済の主導権を握っている経済発展諸国は、いずれの国に於いても、この傾向が非常に強く、
決して日本だけの問題とは言えませんが、少なくとも、長き歴史の中で、自然に対しても人間に対しても
深い造詣を持ち、お互いを生かす事で素晴らしい人間性を育てて来た日本人は、この社会問題を、どの国よりも
解決できると思われます。
日本人が多く抱く心の不満が、決して現実の生活に在るのではなく、先祖伝来、日本人の心に育てて来た
人間としての心の豊かさを保てない事に有る事を知らなければなりません。
外見的な豊かさをどんなに増しても、本当に心が癒される事は無く、日本人が人として生きる道を示す事が
先進国としての大きな役割であると言えるのです。