めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

心の癒えない年月

2014-03-05 19:47:31 | 日記

一雨ごとに春が近づいています。
雪に変わるかもしれない冬の雨から、何となく優しい
人も自然も潤う暖かい雨に変わってきました。

同じ雨でも、心の持ち方で濡れたくない気持ちと
頬にあたる小雨をぬぐう事もせず、雨を待つ植物の様に
身を委ねる気持ちにさせるのは、近づく暖かい春を待つ
心のゆとりがそうさせるのかも知れません。

普段の気持ちもそうありたいもので、家族が暖かい気持ちで
居られる時はいつも相手を思う気持ちが言葉を受け入れる
余裕となるように思えます。

何十年連れ添っても、時に、言葉が鋭く感じたり、冷たく感じるのは
その言葉の裏に相手を思う気持ちが無くなった時のように思えます。
いつもの同じ言葉が優しく感じるかきつく感じるかは、お互いに
相手の事をいつも大切に思う気持ちが無ければならないと思います。

苦しみの中で3年の年月を迎える多くの被災者に、我々はいったい
何をしてきたでしょうか。
多くの犠牲者を出し、故郷の大切なものを失ってしまった人々に
我々は今までどの様に対してきたのでしょうか。

支援をすることがどれだけ彼らの気持ちを癒してきたでしょうか。
確かに、日本中から世界中から沢山の支援が被災地に届けられ
なんとか生活できる状態にはなりました。
しかし、我々が思っている支援は、本当に被災者たちが望んだ
支援だったでしょうか。

家を失った人には仮設住宅を与え、食料を与え、衣類を与え、
生きていくための日常生活のすべは援助してきました。
でも、被災者の心はあの時と変わっていない様に思えます。
と言うより、支援に対する不信感と苛立ちで以前より落胆の表情が
多くの方に見られるのはどうしてでしょう。

殆ど帰還できない故郷に帰る事を熱望する被災者は、
我々災害を体験していない者が思う事ととは違う援助を求めている様で
思ったことを言えない様な口ごもった表情に深い憤りを感じます。

豊かな自然の中で生活してきた彼らが、求めているのは
自分たちを生かしてくれた故郷を思う気持ちが解ってもらえない
もどかしさの様にも思えます。

住む所が除染され、衣食住が満たされても、周囲の自然は
今だ除染されないまま、それは、砂漠の中の刑務所と同じです。
被災者は我々が生活しているような経済的に豊かな生活でなく
周囲の人や自然に生かされている生活に戻りたいと
思っているのではないでしょうか。

我々都会人が忘れがちな繋がりのある生活をもとめているのでは
と彼らの表情を見ていると思えてなりません。
国や支援団体が資本の力で経済を復興しても、
被災者の心は癒すことはできないのではと思えます。
3年の年月が経っても今だ復興しないのは、
人々の心が癒されていないからではないでしょうか。