昨日の話の続き。
よくよく思い返してみれば、ベータとVHSのビデオの時代は、30年くらい前だっただろうか。しかし、この二つの命は結構長かった。
ところが次のHi8は短くて、あっという間にデジタルに移行したような気がする。
さて、最近では時々しか使わないものにファックスがある。
我が家ではファックスが市場に出回って、まもなく入れたので、最初の機種は長いこと使っていた。
一昨年、それが壊れたので、いっそのこと使わなくてもいいかと思ったが、そうもいかず買いなおした。
残念なことに、一年に数回しか使う機会がなくなってしまった。
郵便だって以前とはすっかり様変わりした。
時々手紙やはがきが来る程度。私も時々手紙やはがきや現金書留を送る程度になってしまった。
大学や公的な仕事は、まだまだ郵送される。最近では宅急便で送られることが増えた。
インターネットのメールが主流で、郵便、宅配便、固定電話、携帯電話、ファックスとすべてを稼動させている。
結局、今のところどれも捨てられない。
便利さが煩雑さを産んでしまう現状を憂いてもはじまらない。
野口三千三先生は、最晩年「文明さん、お先にどうぞ」と宣言に近いことをおっしゃって、とうとうファックスを入れることはなさらなかった。
「ファックスを入れてほしい」
お願いしたことがある。
聞き入れてはいただけなかった。
で、郵送では間に合わないことが多く、お宅に伺ったことを懐かしく思い出す。
とにかく没後満9年5ヶ月を迎えたが、この間の通信手段は凄い勢いで変化した。
私が子供のころのこと。
新宿に住んでいた。
ここは、かなり早い時期に電話が通じていた。
余談だが水洗トイレが家庭につくのも早かったなぁ~。
で、当時、母方の祖母がが住んでいた京王多摩川の家に電話をするときには、交換台を通してつないでもらったことを思い出す。
昭和20年代の後半だものね。
いやはや、昭和は遠くなりにけり!
戦後62年目の夏は、暑かった。
まだまだ残暑は続くのかな?
よくよく思い返してみれば、ベータとVHSのビデオの時代は、30年くらい前だっただろうか。しかし、この二つの命は結構長かった。
ところが次のHi8は短くて、あっという間にデジタルに移行したような気がする。
さて、最近では時々しか使わないものにファックスがある。
我が家ではファックスが市場に出回って、まもなく入れたので、最初の機種は長いこと使っていた。
一昨年、それが壊れたので、いっそのこと使わなくてもいいかと思ったが、そうもいかず買いなおした。
残念なことに、一年に数回しか使う機会がなくなってしまった。
郵便だって以前とはすっかり様変わりした。
時々手紙やはがきが来る程度。私も時々手紙やはがきや現金書留を送る程度になってしまった。
大学や公的な仕事は、まだまだ郵送される。最近では宅急便で送られることが増えた。
インターネットのメールが主流で、郵便、宅配便、固定電話、携帯電話、ファックスとすべてを稼動させている。
結局、今のところどれも捨てられない。
便利さが煩雑さを産んでしまう現状を憂いてもはじまらない。
野口三千三先生は、最晩年「文明さん、お先にどうぞ」と宣言に近いことをおっしゃって、とうとうファックスを入れることはなさらなかった。
「ファックスを入れてほしい」
お願いしたことがある。
聞き入れてはいただけなかった。
で、郵送では間に合わないことが多く、お宅に伺ったことを懐かしく思い出す。
とにかく没後満9年5ヶ月を迎えたが、この間の通信手段は凄い勢いで変化した。
私が子供のころのこと。
新宿に住んでいた。
ここは、かなり早い時期に電話が通じていた。
余談だが水洗トイレが家庭につくのも早かったなぁ~。
で、当時、母方の祖母がが住んでいた京王多摩川の家に電話をするときには、交換台を通してつないでもらったことを思い出す。
昭和20年代の後半だものね。
いやはや、昭和は遠くなりにけり!
戦後62年目の夏は、暑かった。
まだまだ残暑は続くのかな?
野口先生をご存じない方が多くなって、みなさん勉強されています。
知ってらっしゃる方も、改めて懐かしがって。
サジさんが輪に入られたら、その後を少しだけ追ってみたいと思っています。
でも、原稿の校正がはいってくるこもあって、長い巻紙をもう一回送り返しています。そういう出版社は、青息吐息の会社なので、原稿料をいただけないんです。ちゃんといただけるところは、PDFっていったかしら、この言い方怪しいですが、添付メールできます。
なんだか悲しい。
ここまで来ると、戻れないんですよね。
かれこれ4年前、突発性難聴を患って、2週間入院したときに、新聞・本・雑誌・ラジオ・テレビ・時計・電話、そして面会も絶ちました。自分のからだにしっかり向かい合えた2週間でした。退院したら、すぐ、もとに戻ってしまいましたが。それが現実!