ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ゴメリ在住一家への支援活動・第2回」(4)

2012-09-22 | チロ基金
 今回この一家は大変よい結果が出て、みんな大満足でした。
 しかしSOS子ども村の保養のことを考えると、体重1キロあたり20ベクレルをワジーム君は超えていますし、サーシャ君もほとんど20ベクレルなので、もう一度ビタペクト3を飲むことになりました。
 お母さんも大人とはいえ、成人の判断基準である70ベクレルを超えているので、ビタペクト3を渡しました。
 長女のエレーナさんの結果が気になるところですが(たぶん他の3人と同様に減っていると思うのですが、測定していないので、20ベクレル以下にまでなったのか分かりません。)やはり、結果が分からないと、ビタペクト3を渡せるかどうか、判断できませんので、今回は見送りました。

 こうして今回は、お母さん、ワジーム君、サーシャ君の3人に1個ずつビタペクト3をチロ基金から渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は1956個となりました。
 今回で通算151回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、1956人の子どもにビタペクトを配布したことになります。

 画像はゴメリ市内でお母さんとワジーム君を記念撮影したものです。(小倉羊羹の紙袋にビタペクト3が入っています。)(^^;)

 お母さんからお話をうかがうことができました。
 この一家が極端に被曝していた原因は、きのこだということでした。
 お父さんがきのこが大好きで、毎年わざわざ電車に乗って、自分のお気に入りのきのこがたくさん生えている森まで行き、大量のきのこをとってきていたそうです。
 もちろん測定などしていません。食品はゴメリ市内の中央市場にある測定器で安い料金で測定できます。
 しかしお父さんは放射能のことは全く気にしていないそうです。森へきのこを採りに行くときは、友だち数人と連れ立っていくそうです。(気合が入っていますよね。)そしてその友だちも今まで自分が採ったきのこを測定したり、放射能のことを気にすることなく、平気で食べているそうです。
(このお父さんや友だちの体内被曝が気になります・・・。)

 今回のことでお母さんはお父さんにもいっしょにWBC測定に行くよう勧めましたが、お父さんは全く関心を示さず、放射能のことは気にしていないようでした。
 お母さんは
「もう二度ときのこは食べない。子ども達にも食べさせない。」
と宣言しましたが、お父さんはやはり今年も友だちときのこを採りに行ったそうです。
 今、家にたくさんのきのこがありますが、お父さん1人で食べているそうです。(あーあ・・・。)

 私が「お父さん、そんなにきのこが好きなのなら、測定をして、それからゆでて、ゆで汁は捨てて・・・」と説明し始めると、お母さんは
「でも、私と子どもはもうきのこは絶対に食べませんから。」
とお父さんのことはあきらめているようでした。

 他にもお母さんは
「どんな物を食べたらいいのか。」
など熱心に質問していました。
 (お父さんのことはあきらめてしまっていますが、子どもたちのためには、勉強熱心になっていて、このようなお母さんが1人生まれた、というだけで、チロ基金が支援した甲斐があったと思いました。)

 エレーナさんとワジーム君はスウェーデンとドイツに(エレーナさんはドイツは2回)一ヶ月弱の保養に行ったことがあります。しかし、どちらもWBCの測定はしなかったそうです。
 ベルラド研究所でワジーム君が測定をしなかったら、こんな数値であることや、食習慣を改めないといけないことなど、今でも知らないままに過ごしてきたと思います。
 さらにゴメリ市内にWBCがあって、パスポートを提示するだけで市民は無料で測定できるのに、自分の周囲の友人や知人は測定を受けたことがない人がほとんどだそうです。
 子ども達も順番待ちもなく、すぐ測定できたそうです。
 (私から言わせれば、恵まれた環境にいるのに、利用しないのはもったいないです。)
 第1診療所のほかにもゴメリ市内には何箇所かWBCがあり、有料ですが測定できるところもあります。

 SOS子ども村から保養に帰ってきたワジーム君が測定結果を見せると、お母さんはびっくりしてかかりつけの小児科医のところへ相談に行ったそうです。
 しかし医者は「私は放射能のことは分からないの。内分泌科のほうへ行ってください。」という答え。それで内分泌科医のほうへ行くと「私も分からない。」という頼りない返事でした。

 お母さんからすると、ゴメリ市内にどうして被曝の専門家がこんなに少ないのか、とがっかりしたそうです。
 またもっと学校や幼稚園へ巡回測定をすればいいのに、とこぼしていました。
 第1診療所の測定はベルラド研究所と同じ椅子型で、座るだけで3分間というタイプのものです。
 
 ただこの結果表だけを見ても、知識がないと意味がよく分かりませんよね。
 全身のセシウム137の数値は印刷されていますが、その横に手書きでミリシーベルトに換算したと思われる数値が書き込まれていますが、換算方法がよく分からないし、あまり意味がないような気がします。
 質問しても詳しい説明もなく「大丈夫な数値です。」と言われたら、そのまま信じてしまいそうですね。

 このような放射能のことや被曝対策について、学校で勉強しないのですか?という質問に、ワジーム君は
「チェルノブイリ原発と言う事故があった、という教育ビデオを学校で見ました。そのときに放射能とは何か、という知識もビデオで見て勉強しました。」
と答えていました。
 お母さんは
「学校の保護者会に行ったときに食生活の改善により、被曝を抑えられるので、家庭内で実践してください、と学校側による勉強会がありました。つまり家庭内での食事の内容に保護者側は注意するようにしなさい、という指導がありました。」
と話してくれました。

 さすがゴメリ市ですね。ミンスクに住んでいて、何度も保護者会に出た私ですが被曝の話なんて一度もありませんでしたよ。
 しかし、ベクレルとシーベルトの違いなど、もう少し詳しく学校や保護者会で教えてくれればいいのですが・・・。
 このお母さんは最初違いが分からず、電話で間違った数字を私に言っていたので・・・。

 とにかく、今回のビタペクト3摂取後、再々測定に行く、とお母さんは話していました。
 1カ月ほど先の話になりますが、その結果が分かりましたら、このブログ上で発表します。
 (この一家に協力いただいて、チロ基金としては大助かりです。)
 ビタペクト3を購入するため、ご支援してくださった日本人の方にも深謝申し上げます。
 今回の測定結果が、体内被曝を心配されている日本人の方々のご参考になれば、と思っています。
 
 

チロ基金の活動「ゴメリ在住一家への支援活動・第2回」(3)

2012-09-22 | チロ基金
 そして次男、サーシャ君の再測定の結果です。
 512.4ベクレル、とありますが、これも体重1キロあたりに換算すると、19.70ベクレルになります。
 このサーシャ君もビタペクト3を摂取しました。

 すばらしい結果だと思います。
 長女エレーナさんは勉強のため、今忙しく測定できる時間帯に診療所に行けない、ということで、再測定していません。
 しかしお母さんは
「同じようにビタペクト3を飲んで、私と次男はこんなに数値が下がったのだから、長女も下がっていて当然。安心です。」と話していました。

 サーシャ君とエレーナさんは特に持病などはありませんが、風邪をひきやすいということでした。

チロ基金の活動「ゴメリ在住一家への支援活動・第2回」(2)

2012-09-22 | チロ基金
 そしてこれがお母さんのオリガさんの再測定結果です。
 全身で4396ベクレル、とありますが、これも体重1キロあたりに換算すると、73.26ベクレルとなりました。
 約180ベクレルだったのが、ビタペクト3摂取後、このように減りました!

 お母さんは特に持病はないということですが、疲れやすいということです。
 しかし、ビタペクト3摂取後は疲れやすさがずいぶん改善した、というお話でした。
 

チロ基金の活動「ビタペクト無料配布151回・ゴメリ在住一家への支援活動・第2回」(1)

2012-09-22 |   ビタペクト配布活動
 2012年6月に極端に体内放射能が多かったゴメリ在住の一家に支援活動を行いました。
 そのときの測定結果についてはこちらをご覧ください。

チロ基金の活動「ビタペクト無料配布146回・ゴメリ在住一家への支援活動」(1)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/1d751f175cb20f180b09671de459c1c4


チロ基金の活動「ゴメリ在住一家への支援活動」(2)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/d21e6a2f4b7324b320d3a79b79e6606b


チロ基金の活動「ゴメリ在住一家への支援活動」(3)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c162749e332a584e230cd8b9b32b1812


チロ基金の活動「ゴメリ在住一家への支援活動」(4)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/f028ad700f332b339402147b1c0dae4d


チロ基金の活動「ゴメリ在住一家への支援活動」(5)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/0a1afd7d22f562be6b2d1a92e2841e6d


 
 2012年4月30日に長男のワジーム君(14歳)がベルラド研究所で測定すると、体重1キロ当たり261.49ベクレル
の結果でした。チロ基金がSOS子ども村で出会った時に、ペクチン配合セルロースを飲み始めました。
 そして2012年5月にお母さん、お姉さん、弟がゴメリ市内の第1診療所でWBCの測定を行いました。
 その結果がお母さん(オリガさん)が179.95ベクレル。
 長女(18歳。名前はエレーナさん)103.83ベクレル。
 次男(7歳。名前はサーシャ君)が32.76ベクレルでした。

 6月にこの3人がビタペクト3を飲み始め、1カ月ほどで飲み終わりました。
 そして9月に再測定のため、ゴメリ市第1診療所に長女のエレーナさんを除く3人が行ってきました。
 その数日後、私はちょうどゴメリ市に行く用事があったので、お母さんとワジーム君に会うことができ、再測定の結果も知ることができました。

 画像はワジーム君の検査結果です。(自宅住所など個人情報に関する部分は画像を加工しています。)
 全身のセシウム137の数値が2213.1ベクレルと左下に出ているのですが、体重1キロ当たりに換算しました。
 その結果、46.10ベクレルにまで減っていました!

 ペクチン配合セルロースでもこんなに大きな結果が出せました!
 本当によかったです。このような具体的な結果が出ると分かり、この一家の協力に感謝しています。

 お母さんからお話をうかがったのですが、ワジーム君は疲れやすく、3年前から両ひざが痛くて痛みが始まると30分は続く、ということを繰り返してきました。医者は成長痛です、という説明でした。しかし最近はひざの痛みは和らいできたそうです。

ゴシケーヴィチの胸像は北方歴史資料館にあります!

2012-09-21 |   イオシフ・ゴシケーヴィチ
 7月に以下の記事を投稿しました。
「函館のゴシケーヴィチの胸像はどこにあるの?」

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/890a01b6c44a2ac0ff3b5f1140625de2


「函館のゴシケーヴィチの胸像についてマラジス先生にききました」

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/a217e78e6ecf18761826f5e5f612b262


 その後、箱館高田屋嘉兵衛資料館に質問しようと思っていたのですが、HPがどうしても文字化けしてしまったり、メールアドレスが分からなかったりで、調べることができませんでした。高田嘉七さんが運営していたと思われるブログのほうにも問い合わせしたのですが、ご本人が亡くなられているので、回答はこないだろうとあきらめていました。
 
 ところが、高田嘉七さんが館長を務めていた北方歴史資料館の新館長(高田屋嘉兵衛の8代目子孫)の方が、ベラルーシの部屋ブログの記事を見つけてくださり、先日ゴシケーヴィチの胸像が北方歴史資料館内にあることを、連絡してくれました。
 本当にありがとうございます!!!

 ご丁寧に胸像の画像も送ってくださいました。
 ちゃんと函館にゴシケーヴィチの胸像があると分かり、大変うれしかったです。このことはベラルーシの関係者にも伝えなくては・・・!
 2014年にはゴシケーヴィチ生誕200年シンポジウムが開催されますが、そのときにも函館のゴシケーヴィチの胸像について発表したいと思っています。
 
 北方歴史資料館について、このような記事があります。  

http://www.ehako.com/news/news2011a/4919_index_msg.shtml


 高田嘉七さんが亡くなられた後、閉館していたのですね・・・。知りませんでした。このような事情があったにも関わらず、ご丁寧に新館長様から、ご連絡いただき恐縮です。
 現時点では来年3月までの予定だそうですが、皆様もぜひ北方歴史資料館ご訪問の際は、ゴシケーヴィチの胸像を見てくださいね。
 そして北方歴史資料館が存続してほしいです。北方歴史資料館のフェイスブックはこちらです。(ここにもちゃんとゴシケーヴィチの胸像の画像がありますね・・・。新館長さんは「銅像を動かしたい」とおしゃってますが、もしかしたらゴシケーヴィチのコーナーが別の場所に移動するかもしれませんね。)

http://www.facebook.com/pages/北方歴史資料館/394759183878826


 函館市民でなくても高田屋嘉兵衛について、もっと日本人は知ってほしいです。
 こういう人物が今の日本にいたらなあ、といつも思います。


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 追加です。北方歴史資料館がHPを開設しました。

http://takadayakahei.com/


 このHP内に「彫像・塑像」のページがあり、ゴシケーヴィチの胸像の紹介もされています。

http://takadayakahei.com/takadayakahei/cat7/


 製作年月日、製作者氏名など詳しくは上記の弊ブログ内記事「函館のゴシケーヴィチの胸像はどこにあるの?」をご覧ください。

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 追記です。残念ながら2013年3月北方歴史資料館は閉館しました。ゴシケーヴィチの胸像は函館市役所の管理に置かれるそうです。  


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 2014年10月の追記です。
 ゴシケーヴィチの胸像は函館市地域交流まちづくりセンターに移設されました。
 よかったです!
 詳しくはこちら
 

茶の湯の紹介 第10回 その8

2012-09-12 | 日本文化情報センター
 次々と茶の湯に挑戦する子どもたちです。
 こうして大盛況のうちに今年も無事に茶の湯の紹介ができました。

 こちらは後日カリンコビッチ・ニュースというサイトに掲載された記事です。

http://www.knews.by/?p=2593


 カリンコビッチ市立第3学校のサイト内でもたくさんの画像とともに紹介されています。ぜひご覧ください。

http://kalinkovichi-s3.ucoz.ru/index/vstrecha_s_gostjami_iz_japonii/0-37


 この学校の生徒さん、ご協力くださった教職員の皆様に喜んでもらえ、本当によかったです。
 カリンコビッチは人口4万5000人、と小さな町なのですが、茶の湯が終わった後も日本のことを覚えてくれたら・・・と思いました。

 茶の湯の後も教育委員会の人たちと教育についての話など、熱く語り合いました。
 今回の茶の湯デモンストレーション開催のため、尽力してくださった日本人の方々にこの場を借りて深く感謝申し上げます。

茶の湯の紹介 第10回 その7

2012-09-12 | 日本文化情報センター
 デモンストレーションのあと、いよいよお試し会です。
 お茶を飲んでみたいけれど、正座ができない、と断念する人もいましたが、勇気のある(^^;)人たちが参加しました。
 デモンストレーションをしっかり見ていて、ちゃんと茶碗を回したり、お辞儀をしたり、と1回見ただけとは思えない記憶力でお抹茶を飲んでいる人もいました。

 お抹茶なんて砂糖も入ってないので、まずいと言われるかと思ったのですが、
「おいしい。お菓子もおいしい。」
とカリンコビッチの人には大変好評でした。
 日本のお菓子はベラルーシのお菓子と比べると甘さ控えめなので、おいしくない、と思う人が多いのですが、今回はとても喜ばれました。


茶の湯の紹介 第10回 その6

2012-09-12 | 日本文化情報センター
 そしていよいよ茶の湯のデモンストレーションです。
 私、両親、娘の4人で主人、主客、次客、三客の役を受け持ちます。ベラルーシ人の皆さんにも分かるようにロシア語訳つきです。
 すごく真剣に皆さん見ていました。

茶の湯の紹介 第10回 その5

2012-09-12 | 日本文化情報センター
 そして茶の湯の前座(^^;)としてY子が日本の踊りを披露。
 でもベラルーシのダンスとはずいぶん趣が違うので、ぽかんとする人、とにかくカメラのシャッターを押しまくる人、に分かれました。(どこが踊りとしていいのか少し理解に苦しむかも。)
 しかし、盛り上がりました。

茶の湯の紹介 第10回 その4

2012-09-12 | 日本文化情報センター
 他にも学校からはカリンコビッチのことを紹介する本や、ガラス工芸の作品、牛の角で作ったペン立てという変わったベラルーシのお土産をいただきました。
 こちらからも日本を紹介する書籍を図書室に寄贈、また立体おりがみのみみずくも寄贈しました。普通の折り紙は学校の授業で習っているそうですが、立体折り紙には驚いていました。
 寄贈してくださったありがとうございます。おかげで役立っています。

茶の湯の紹介 第10回 その3

2012-09-12 | 日本文化情報センター
 日本側からは一家を代表し、私の父がパンを受け取ったのですが、慣れていないのでその前に
「どうしたらいいの? 受け取ればいいだけ?」 
ときいてきました。それで先生に私が訳して
「パンをもらうだけでいいのでしょうか?」
と尋ねると、先生は「キスをしてください。」という返事。それをきいた父は「誰に?」という間の抜けたことをきいていました。(^^;)
 というわけで、日本人の皆さん、ベラルーシでパンと塩の歓迎を受けたら、パンにキスしてください。
(私がマリ村の小学校へ行ったときは、パンをちぎって、塩につけて食べるよう言われましたが・・・。地方によって習慣がちがうようです。)

 

茶の湯の紹介 第10回 その2

2012-09-12 | 日本文化情報センター
 カリンコビッチの民族衣装を着た先生と生徒さんが登場し、伝統的な「パンと塩」のお出迎えを受けました。
 (実際には塩の代わりに甘い砂糖とココナツがふりかけてありました。最近はこういうパンと塩もあるのですね。)
 先生は音楽の先生で、ベラルーシ語の民謡まで歌ってくださいました。これがまたとても上手なのです。

茶の湯の紹介 第10回 その1

2012-09-12 | 日本文化情報センター
 毎年日本文化情報センター創立記念日である9月に行っている茶の湯の紹介についてご報告です。今年でついに10回目を迎えました。
 今回の会場はゴメリ州カリンコビッチ市第3学校の体育館。
 この学校の校長先生夫妻がSOS子ども村に子ども達を引率してきていたことがあり、そのときに茶の湯のデモンストレーションを頼まれていたのですが、やっと今年実現しました。
 (希望者が多いのと、1年に1回しかできないので、なかなか順番が回ってこないのです。)

 この学校の生徒数は約500人。学年は1年から11年生までです。そのうち比較的年齢が上の生徒さん、教職員の方々、そしてやはりSOS子ども村で保養滞在していて、この学校に通っている子どもたちと保護者の方々、マスコミ関係者、さらにはカリンコビッチの教育委員会の方々が集まりました。

 体育館の壁には桜の絵と「歓迎」の文字が・・・!!!
 先生は「インターネットで漢字の検索をしましたが、正しいですか?」と話していました。
 とても歓迎してくださって、これだけでも恐縮でしたが、これだけではありませんでした。


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過去に茶の湯を開催した会場とご報告はこちらです。

2002年 日本文化情報センター創立3周年記念

2003年 グロドノ市立中央児童図書館

2004年 日本文化情報センター創立5周年記念

2005年 ポーロツク市立第7児童図書館

2006年 スベトロゴルスク市立中央児童図書館

2008年 SOS子ども村

2009年 日本文化情報センター創立10周年記念

2010年 オシポビッチ青少年創作センター.

2011年 アガレビッチ村立学校.



 

千羽鶴プロジェクト

2012-09-09 | 日本文化情報センター
 2012年9月9日、日本文化情報センターは創立13年を迎えました。
 それを記念して「千羽鶴プロジェクト」を開始しました。

 日本文化の一つ、折り紙は気軽に作ることが出始められできるのが魅力なのですが、やはり鶴が長寿や幸福のシンボルとして、ベラルーシでもよく知られています。
 SOS子ども村へ行ったときは、私が作った折鶴をあげたり、折鶴の作り方がかいてある紙を配ったりしていたのですが、これを機会に特別な紙を用意しました。
 折鶴の作り方とともに、その紙を切ってすぐに鶴を折れるようにしました。

 鶴の羽の部分には「日本文化情報センター」と日本語で書いてあります。
 また紙の裏には、鶴にちなんだ万葉集の和歌が一首書いてあります。
 翻訳について関心のある子どもは、日本文化情報センターのHPにアクセスすると、そこにロシア語訳が公開されている、ということになっています。
 日本文化情報センターは営利団体でもないので、テレビでCMを流す、といったことはできないのですが、このような形で折鶴たちに宣伝してもらおうと思っています。

 画像は紙の表と裏、そして試しに作った一羽です。

 この紙を千羽鶴にちなんで1000枚用意しました。これからベラルーシの子ども達1000人に1枚ずつ渡して、折鶴を広めていこうと思っています。
 ベラルーシ各地に千羽の鶴が飛び立ってほしいと願っています。

 最初の10枚をこの9月のSOS子ども村訪問のときに、子ども達に渡しました。今後もSOS子ども村をはじめ、機会があれば子ども達に折鶴を渡していく予定です。
 第一の目標は1000枚配ることですが、好評であれば、また新たに1000枚用意しようと考えています。
  
 

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第139回」

2012-09-07 |   ビタペクト配布活動
 9月7日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第139回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

今回はビタペクト3を8個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は1953個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1780部となりました。
 今回で通算150回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、1953人の子どもにビタペクトを、1780家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a



 今回は1家族、10人の子どもたちががボブルイスク(チェルノブイリ原発から約200キロ)から保養に来ていました。
 この家族は家庭タイプ孤児院の家族です。里親がたくさんの里子を育てています。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時26歳)15ベクレル
女子(18歳)15ベクレル
女子(15歳)25ベクレル ○
男子(14歳)24ベクレル ○
女子(13歳)31ベクレル ○
女子(12歳)37ベクレル ○
男子(10歳)22ベクレル ○
女子(10歳)19ベクレル △
男子 (8歳)33ベクレル ○
女子 (6歳)25ベクレル ○
男子 (5歳)19ベクレル △

 △印の子どもが2人いますが、これは20ベクレル以下だったものの、19ベクレルだったので、2人で1個のビタペクト3を飲むことにしたものです。
 子どもたちのうち、14歳の男の子と5歳の男の子は実の兄弟、10歳の男の子と女の子は双子、8歳の男の子と6歳の女の子は実の兄妹です。

 子どもたちの健康状態についてお話を伺いました。

 15歳の女の子は片方の耳がよく中耳炎を起こしていましたが、現在はよくなっています。

 13歳の女の子は甲状腺の大きさが小さすぎるそうです。生まれつき小さいのか、それとも成長にともない大きくなるはずの甲状腺が大きくならないのかよく分かりません。このまま極端に小さいままだと、将来不妊症になる可能性があると、医者に言われたそうです。イタリアへ保養に行ったとき、診察を受けましたが、もう少しようすを見て、大きくなるかどうか待ってみて、それでもだめな場合はホルモン剤の投与をするように言われたそうです。
 
 10歳の双子は2人とも貧血気味です。女の子の方は中耳炎もよく起こし、聴覚が低下しつつあります。また斜視です。

 8歳の男の子も斜視です。アデノイド切除の手術を受けました。引き取られていたときはとても痩せていたそうです。育てのお母さんがそばにいないと情緒不安定になっていたそうです。食事中に失禁してしまうことがあるそうですが、本人は自覚がありません。でもお母さんがいるところでは、失禁などはしないそうです。
 以前はいわゆる窃盗癖があったそうです。窃盗というより、目にしたものを何でも手に取ってしまい、そのまま持って帰ろうとしてしまう感じでしょうか。
 
 6歳の女の子も斜視です。慢性気管支炎、鼻血がよく出ます。3歳のときにこの家に引き取られましたが、生家のほうでは育児放棄されていたらしく、体重が8キロしかなかったそうです。
 言葉はもちろん、歩くこともできませんでした。寝ているときはいびきのような呼吸をしていたそうです。
 それまで食べていた食事とちがっていたのか、育てのお母さんが作った手料理は、全て吐いていました。(今はそのようなことはありません。)
 今は育ての親の元、平穏に暮らしていますが、あるときお母さんが料理中に
「(危ないので)ちょっと離れていて。」
とこの子に言ったとき、引き取られた家から追い出されてしまうのかと勘違いし、驚きのあまり気絶して倒れ、呼吸まで止まってしまったので、あわてて救急車を呼んだそうです。
 生みの親の元ではどんな生活を送っていたのでしょうか・・・。
  
 5歳の男の子はとても成長が遅かったそうですが、現在はよくなっているそうです。

 斜視の子どもが多いのですが、このような斜視や弱視の子どもが通う専門の幼稚園があり、この家族の子どもで斜視の子どもはその幼稚園に通園中、あるいは通園していたそうです。

 18歳の女の子はよく風邪をひくそうです。母親はアルコール中毒患者だったそうで、育児放棄状態でした。5歳前後、いわゆる物乞いをして食べ物を見知らぬ人からもらっては食べていたそうです。
 小学校に入学するのも1年遅れてしまいました。その頃、保護されて今の養親の下へ引き取られました。幼少時に極端な栄養不足にあったと思われます。また母親が妊娠中に大量のアルコール摂取をしていたものと考えられますが、そのせいか、知能に問題があります。
 普通に会話もできるし、一見普通の高校生ですが、自分の名前を正しく書くことができません。また数字が1から12までしか分からないそうです。
 両手の指を使って一桁の足し算ならできるのですが、それ以上の計算はできないし、桁というのものが理解できないようです。
 読書は好きでたくさんの本を読んでいますが、内容を覚えることがほとんどできません。
 書く文字は鏡に写したような文字になったり、右から左へ横方向に書いてしまうこともあるそうです。
 お父さんもお母さんも学校の先生も専門家も「お手上げ」状態だそうです。
 引き取られた直後は情緒不安定だったので、お母さんが絵をかくことを教えました。その結果おとなしく何時間も絵を描くことが多くなり、とても上達しました。作品を見せてもらったのですが、自分で描いた絵を切り取って切り絵にしていました。
 驚くほど上手な絵でした。算数の才能はないけれど代わりに絵の才能はあるのです。
 お母さんは何とかして美術の専門学校に入学させたいと考えていますが、自分の名前も満足に書けないので、心配しています。
 とにかく絵の才能を生かせる職業に就いて自立していけるようになればいいのですが・・・
 本人は「最近は建築に興味がある。」と話していて、金閣寺の写真を見せたら、大喜びでした。
 おそらくこれは学習障害(LD)だと思うのですが、(間違っていたらすみません。)本人は
「自分は名前が書けない。数字が分からない。」
という自覚がちゃんとあります。そのため、「私は頭が悪いから・・・」とか「できない子だから・・・」と悩んでいる様子を見せることもあるそうです。
 そのためか、「高校を卒業したら親に捨てられるだろう。」と考え、涙を流すこともあるそうです。育てのお母さんは「そんなことをするわけがないでしょ。」と話しているそうです。
 得意の絵の道に進んでいけたら、コンプレックスも消え、捨てられる、と泣くこともなくなると思うのですが・・・。

 それにしても育ての両親は献身的に子どもたちを育てていますね。頭が下がります。
 お父さんは保養に来ていなかったのでお会いできませんでしたが、このような家庭タイプの孤児院を始める前は自分の子どもを育てる普通のお父さんで、仕事もエンジニアなのだそうです。
 しかし里子を育て始めてから、
「子どもの心のことを勉強しないといけない。」
と痛感し、大学の夜学を受験して、心理学部に入学しました。仕事を続けながら、勉強し卒業したそうです。
 立派なお父さんですね。機会があればいつかお会いしてお話を伺いたいと思いました。

 この一家ではすでに20人以上の里子が育てられました。大人になって自立して結婚し自分の家庭を持った人もいます。

 今回も子どもたちに日本からのプレゼントを渡しました。きれいな絵葉書、折鶴、折り紙用の紙、お母さんにはアクリルたわしなどです。古い着物をほどいて巾着袋にして寄贈してくださった方がいたので、それも渡すと大変喜んでいました。
 そして今回から新しいプレゼントを渡すことになりました。
 名づけて「千羽鶴プロジェクト」。詳細はこの後の記事でご説明しますが、折鶴の作り方を説明した紙を1000枚用意しました。これからベラルーシの子ども達1000人に1枚ずつ渡して、折鶴を広める企画です。

 子どもたちからも絵のプレゼントをもらいました。切り絵と立体画、そして不思議なアイロン画・・・。
 この家族が滞在中にSOS子ども村へ行く予定があるので、そのときアイロン画の作り方を教えてもらいます。
 ブログでご報告しますね。

 日本を紹介するお話もしました。みんな熱心に耳を傾けていました。でも漢字の話をするととても驚いていて
「どうやったらこんな難しい字をたくさん覚えられるの?」
と言っていました。
 みんなお行儀がよくて、お母さんのしつけの仕方が上手なんだなと思いました。
 画像は記念撮影したようすです。すばらしい養母の元、子ども達みんな心身ともに健康に育っていくだろうな、と思いました。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙やアクリルたわしなど子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。