ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

ゴメリのホテルの「そうじしてください」カード

2015-12-25 | つれづれ写真
 ベラルーシの地方都市ゴメリのホテルの「そうじしてください」カード。
 言葉はない。絵だけで説明。外国人用。
 なにゆえに萌え系メイド?!? 

 ちなみに実際にホテルの清掃をしていたのは、普通のかっこうをした普通のベラルーシ人のおばさんでした。

ゴメリのホテルの「起こさないでください」カード

2015-12-25 | つれづれ写真
 このブログを読んでくれているうちの子だが、おもしろいのは「つれづれ写真」ぐらいなので、更新しろと言ってきた。
 なので久々の更新です。

 2012年(←古。更新する気ないなあ、私。)ゴメリにあるホテルに宿泊したときのこと。
 部屋のドアにいわゆる「Don't Disturb」カードがぶら下がっていた。
 外国人宿泊客のためであろう、言葉はなし。絵だけで説明。単純明快。誰でも分かりますね。すばらしい。ゴメリのホテルの気遣い。

 が、もう1枚の「Make Up Room」そうじしてくださいカードを見たとき、私は驚いた。
(次の記事を見てください。)
 

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第187回」

2015-12-21 |   ビタペクト配布活動
 12月21日にビタペクトと「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第187回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はセルロースを8個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを2部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2365個、セルロースの合計は74個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2116部となりました。
 今回で通算202回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2365人の子どもにビタペクトを、約65人の子どもにセルロースを、2116家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42

(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 現在のところビタペクト3のチェコからの搬入がなく、代わりにセルロース(1個で1人分)を配布することになりました。

 チロ基金は以前にもビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a


 今回はこちらの投稿記事でご紹介しているタイプのロシア製セルロースを1人1袋(150グラム)渡すことになりました。

 今回は2家族がミンスク州からSOS子ども村に保養滞在していました。


(家族A)

 ミンスク(チェルノブイリ原発から約350キロ)から来た家族。お母さんが6人の子どもを引率していました。この家族には3個のセルロースを渡しました。▽の印の子どもに1個ずつセルロースを渡しています。それぞれの測定結果はこのとおりです。

母親(事故発生時15歳)21ベクレル
長男(16歳) 9ベクレル
次男(12歳)23ベクレル ▽
三男 (8歳)27ベクレル ▽
長女 (5歳) 0ベクレル
四男 (4歳)17ベクレル 
次女 (1歳)26ベクレル ▽ 

 お母さんに子どもたちの健康状態についてお話をうかがいました。
 長男は腎臓が肥大しており、運動量が制限されているそうです。
 三男はアデノイドで、手術が必要と医者に言われているそうですが、様子を見ている状態。
 四男は遠視です。
 1歳7ヶ月の次女ですが、セルロースには年齢制限が特にないので(乳児には常識的に考えて無理だと思いますが。)セルロースを飲ませることにしました。

 このお母さんは今のウクライナのイワン・フランコフの出身ですが、チェルノブイリ原発事故が起きてから2年目、進学を機にミンスクに引っ越しました。その後同郷の男性とミンスクで結婚し、子どもたちも全員ミンスク生まれミンスク育ちです。
 母の実家は放射能汚染されていない地域だそうで、そこで採れたキノコを乾燥させたものを毎年ミンスクへ郵送してもらっているそうです。
 もちろんこのキノコを測定したことは一度もありません。念のため一度測定してはどうかとアドバイスしました。
 お母さんは小児科医だそうで、どちらかというとWBCの再測定を受けたいと話していました。
 
 この一家はパン焼き器を持っていて、毎日焼きたてパンを食べているとご馳走してくれました。保養先にも持ってくるほどなんですね。
 セルロースをあげたら大喜びして、これからセルロースを混ぜたパンを焼く、と話していました。
 これなら簡単においしく確実にセルロースを摂取できますね。 

 
(家族B)

ゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から来た家族。お母さんが5人の実子と友人の子ども2人を引率していました。この家族には5個のセルロースを渡しました。▽の印の子どもに1個ずつセルロースを渡しています。それぞれの測定結果はこのとおりです。

母親(事故発生時4歳)0ベクレル
長男(12歳)22ベクレル ▽
長女(10歳)24ベクレル ▽
次男 (9歳)17ベクレル 
三男 (7歳)22ベクレル ▽ 
四男 (5歳)16ベクレル 
女子(12歳)30ベクレル ▽ 
女子 (4歳)22ベクレル ▽

 お母さんのお話では、三男と四男はアデノイドで、三男はすでに切除手術を受けたそうです。
 子どもたちは比較的健康ですが、四男はよく風邪をひくそうです。
 12歳の女の子もアデノイドで、かんきつ類のアレルギーを持っています。
 
 キノコは森で採ってたものは測定してから食べるようにしているとのことでした。さすがゴメリ市民。
 ベリー類も検査済みの店で販売されているものしか食べないそうです。

 ベラルーシでは子どもが3人いると多子家庭として認められます。
 お母さんが5人以上生んで、末っ子が1歳未満の場合、母親英雄の称号を与えられます。
 「母親英雄って何? ヒーロー?」と思われるかもしれませんが、要するに国民栄誉賞ならぬ母親栄誉賞です。
 母親栄誉賞をもらった人は、50歳で定年退職が認められます。つまり50歳から年金をもらえます。
(ただし今の時点の法律なので、将来変わるかもしれません。)

 少子化問題のある日本も全く同じようにしたらいいのに、とは思いませんが、考え方によってはたくさん子どもを生んだ女性は、それだけたくさんの未来の労働力を生み出したということになるので、年金の額をいくらか多めにするとかそういう出生率アップにつながる施策を検討してもいいかもしれません。


 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、着物から作った巾着袋をプレゼントしました。
 子どもたちはノートまで持ち出してきて、「もっと日本語を書いて!」とすごくねだられました。
 日本語を勉強することをお勧めします。もしかしたら隠れた才能があるかも。
 しかし外国語に関心があるのはすばらしいことですね。
 
 画像は記念撮影した様子です。しかし通学していて写っていない子もいます。

 今年最後の活動も無事終了しました。

 セルロースのの購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書、巾着袋など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。
 来年もどうぞよろしくお願いいたします。
 

ストルブツィ市立児童図書館で「世界のお茶」講演会

2015-12-19 | 日本文化情報センター
 12月19日ストルブツィ市にある児童図書館で行われた「世界のお茶・お茶の世界」イベントに参加しました。
 ストルブツィはミンスクから約80キロのところにある町です。ベラルーシを代表する文学者ヤクプ・コーラスの生誕地として有名です。

 人口1万6000人の小さな町で、図書館は2箇所だけ、学校も4校しかしかないそうですが、最近は交通が整備されてミンスクに通勤・通学するのが簡単になったため、若い世代の住民が増加し出生率も上がってきているそうです。
 児童図書館が文化発信の場所として、大事な役割を担っているのも理解できますね。
 活発にさまざまな活動をしているというお話でした。
 ストルブツィ市立児童図書館のサイトはこちらです。(ロシア語ですが、画像が見られます。) 

 今回どうしてストルブツィの児童図書館から依頼が来たのかと言うと、以前SOS子ども村でビタペクトを配ったときに知り合った保養家族のお母さんの1人が、この児童図書館で働いている司書さんだったのです。 
 図書館で働いている者同士は助け合うものなのですよ。(^^)

 そこで日本の茶道について紹介してほしいということでしたが、さすがに茶道そのものはお見せできなかったので、ビデオや画像で説明しました。
 登壇したのは私だけではありません。
 図書館員さんたちが、事前に世界のお茶事情を調べて発表。これが詳しくてとてもおもしろかったです。
 緑茶に塩を入れる国や、ナツメグを混ぜる国などいろいろあるんですね。

 そしていよいよ日本の茶道について。これについては日本人の私が説明をしました。
 質疑応答では「どうしてこんなに少ししか飲まないんですか?」「順番にお茶を点てるということは同時にみんなが飲むわけじゃないんですか?」などなど、ベラルーシのお茶会とはずいぶんちがうことに驚いていました。
 
 いつかこの図書館で茶道をのデモンストレーションをしたいですね。毎年やっているんですが、順番待ちがあって、なかなかすぐに実施できないのが問題なのですが・・・。

 講演の後にはみんなでティータイム。図書館側の計らいで、いろんな種類のお茶、ジャムやお菓子が振舞われました。
 私はざくろのお茶なるものを初めて飲みましたが、とてもおいしかったです!

 こんなふうに世界に関心の目を開いているのがストルブツィの人たちはすばらしいなあ、と思いましたし、そういう場所を児童図書館が提供しているのが、またいいことですよね。

 ビタペクトのおかげで、こういうつながりへと発展していったのもうれしいところです。
 ストルブツィはそんなに遠くないので、また機会があれば、児童図書館と協力し合っていきたいなと思いました。
 
 交通費は出張公演ということで、チロ基金から出させていただきましたが、往復で日本円に換算して260円でした。ベラルーシは電車代安すぎますね。距離で言うと全部で160キロ近く移動しているんですが・・・

 交通費がほとんどかからないので、ミンスクに限定せずにこれからも、ベラルーシ中の各地をできるだけ訪問して、広く日本文化の紹介をしたいと考えています。
 チロ基金支援者の皆様、この場をお借りして御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・ 
追記です。

 地元ラジオ局から取材を受けたのですが、そのアーカイブがサイトからよむことができるようになりました。
 リンク先はこちら。

夫婦別姓 ベラルーシでは

2015-12-17 | ベラルーシ生活
 日本では夫婦同姓は合憲、という判断が示されました。
 ベラルーシの場合はもちろん夫婦別姓が認められています。
 ちなみに私たち夫婦も別姓です。
 日本人でも外国人と結婚すると、別姓が認められます。つまり日本人の苗字のままにしてもよいわけです。
 だから結婚しても夫婦別姓のままでいたい! と言う方は国際結婚しましょう・・・というのは冗談です。(^^;)別姓にしたいから無理やり外国人と結婚するわけにもいきませんからねえ。
 
 私としては選べるようにしたらいいのにと思います。個人の権利や苗字選択の自由があるほうが21世紀社会だと思います。
 ただ一つ気になる点があります。
 それは後回しにして、ベラルーシではこんな状況だとまずご紹介します。

 そもそもベラルーシは日本と同じ父系社会です。
 昔は結婚すると、妻が夫の姓に変えるのが当然でした。
(例外。貴族は二重姓、つまり夫の苗字と妻の苗字を合体させた苗字を使うことがあった。ベラルーシに住んでいてもユダヤ系は母系社会であるため、妻の苗字が優先されることが多かった。)

 しかしソ連社会になり男女平等が謳われるようになり、姓を選択できるようになりました。
 同性にしてもいいし、別姓にしてもいいわけですが、実際妻が別姓を選ぶのがこういう場合です。
 独身の頃から著名なスポーツ選手などでその苗字が広く知られている場合。
 妻の家系が元貴族、妻の実家が有名人一家など、その苗字が有名でステータスを持っている場合。
 夫のほうの苗字の意味が変だったりかっこ悪い場合。(「馬鹿」とか「犬」とか「ごきぶり」とかそういう苗字がたまにあります。)

 こういうケースは少数派です。
 そんなわけで、選べるといっても結局夫のほうの苗字に変えるというケースがほとんど。
 子どもももちろんお父さんの苗字をもらいます。

 次にもし夫婦別姓となった場合、子どもの苗字はどうなるの?という問題が起きます。
 その場合、子どもの苗字を父と同じにするのか、あるいは母と同じにするのか選べます。
 しかしベラルーシの場合、もともと父系社会なので、父親と同じ苗字にすることが多いです。
 でも赤ちゃんのときに親が決めるものであって、本人が決められません。そこで、もし子どもが成人したときに、
「父親からもらった今の苗字を母親の苗字に変えたい。」(あるいは母親の苗字を父親の苗字に変える)ことは手続きさえすればできます。

 ついでにいうと、兄弟で違う苗字をつけることもできます。例えば長男の苗字は父親の苗字。次男の苗字は母親の苗字、ということもできます。

 次にもし離婚となった場合、日本では妻は旧姓に戻すのが普通だと思います。
 しかしベラルーシでは同性にしていた夫婦が離婚後、旧姓に戻るのか、それとも夫の姓を名乗り続けるのか選べます。
 日本人の感覚からすると、感情的に
「夫が大嫌い → 離婚 → 嫌いな元夫の苗字を名乗り続けるなんて絶対イヤ!」
と思いますが、ベラルーシ人の場合、
「パスポートも夫の苗字になっているし、変更するの面倒くさい。」
などの理由により、離婚後も元夫の苗字を名乗り続ける人がいます。

 離婚して母親が子どもを引き取っても、子どもの姓は元夫のまま・・・というパターンがほとんどです。

 さて、ここで日本の夫婦別姓についてです。
 私が子どもの頃、こういう知り合いがいました。仮名ですが、山田さんと鈴木さんが結婚して、妻の鈴木さんが山田さんになりました。その後男の子が2人生まれました。山田お父さんは一人っ子。山田お母さんはお兄さんがいて鈴木家を継いでいました。しかしお兄さんには子どもが生まれませんでした。
 長男のほうは山田家を継ぎますが、鈴木家を継ぐ人がいないので、次男のほうを鈴木家へ養子に出しました。
 次男の苗字は鈴木になりました。しかしまだ未成年なので山田家で生みの両親に育てられています。
 つまり家族の中で1人だけ苗字がちがうのです。
 そして法律上の両親はおじさん夫婦です。

 今日本では一人っ子が増えています。しかも「苗字を残してほしい。家名を絶えさせてしまってはご先祖様に申し訳が立たぬ。」という慣習にとらわれている家庭が多い場合、日本で夫婦別姓を認めたとしても、子ども、つまり兄弟の苗字は統一しろ、という決まりのままだと、結局は別姓選択の価値が減ってしまうと思います。

 (日本社会が変わって「うちの苗字? 別になくなってしまってもかまわんよ。」という人が大部分になれば、こういう条件は抜きで考えればいいと思いますが。)

 夫婦別姓反対派の意見の中に「一つの家族の中で苗字がばらばらだと家族の絆が弱まる。一体感がなくなる。」と言う意見がありますが、上記のケースのように家族の中で苗字が違う場合はすでに存在しており、そのせいで家族の仲が悪いとは限らないのではないでしょうか。
 
 江戸時代なんて家族の中で苗字がばらばら、というケースはしょっちゅうあっただろうと思いますが、かといって親子の情が少なかったとか、そういうことはなかったと思います。

 大体世の中を見渡せば、同じ苗字を名乗っている夫婦の間が冷め切っていたり、同じ苗字を名乗っている親子の間で家庭内暴力とか殺人とかいっぱいありますよ。
 苗字が同じだから家族の絆が強くて仲がいいとは限りません。

 ですから家族の中で苗字が違っていてもいいと思うし、偏見の目で見ないほうがいいと思います。

 日本社会にあった夫婦別姓を認めるのであれば、子どもの苗字も個々に、どちらの姓を名乗らせるのかこれも選択できるようにする・・・この二つをセットにしなければ、夫婦別姓の権利が持つ価値が減ってしまうと思います。

 余談になりますが、国際結婚すると二重姓も認められます。
 「スミス・山田」という感じの苗字になります。
 私はベラルーシで結婚したので、婚姻関係の書類を日本大使館経由で提出しなければなりませんでした。
 大使館へ行くと担当の大使館員が「結婚後の苗字は二重姓にしなさい。」としつこく勧めてきました。
 そのほうがメリットあるのに、というアドバイスだったのかもしれませんが、あまりのしつこさにかえって怪しく思った私は「いえ、二重姓にはしません。旧姓のままにします!」と記入して書類を提出しました。
 大使館員は残念そうにしていました。
 あれは何だったのでしょう?
 いまだに謎ですが、外国人と結婚した日本人の差別化を図っているように感じ、不愉快でした。

 このようなわけで、私は苗字を変えていないのですが、それで満足しています。
 日本のケースですが「結婚して苗字が変わり、本人確認できないので、年金がもらえない。」などというニュースを聞くと、ベラルーシにも似たようなケースがあるので、名前を一切変えず、本当によかったと思います。

 子どもにも私の姓を名乗らせたので、ご先祖様への責務も果たしましたよ、私は。
 今後どうなるか分かりませんが、うちの子も結婚後、苗字は変えたくないと言っています。(日本人男性と結婚する場合、日本の法律に沿った選択をしないといけませんけどね。)

 家族の中で1人苗字が違う夫ですが、別に疎外感なんて感じていません。
 そもそもベラルーシではよっぽど著名な家系でもない限り、先祖代々子々孫々家名を残さねば、というような意識がありません。だから気楽な社会です。(^^;)

 
 
   

国立ベラルーシ文化芸術大学で日本文化の夕べ

2015-12-11 | 日本文化情報センター
 国立ベラルーシ文化芸術大学文化学部主催の「日本文化の夕べ・日本の謎」に参加しました。
 この学部のスモリク教授とゴシケービッチに関する論文を共同執筆したことがあり、そのつながりでこの発表会に招いていただきました。

 この学部に所属している学生、そして大学院生で、希望者が日本に関するテーマを自ら選び、研究したものを発表しました。
 予想以上にテーマが多岐に渡っていました。
「日本におけるキリスト教史」(ゴシケービッチやニコライ主教のほか、隠れキリシタンのことなど。このテーマについて大学で研究しているベラルーシ人はこの発表者の方1人だけだとか・・。)
「日本映画」(黒澤明の「羅生門」が一番のお勧めだそうです
「俳句と短歌」「女武芸者が使用していた武器」「ギャル文化」・・・

 日本のギャルについて発表した学生さんは、自分自身がこんなかっこうをするのはいやだ、と言っていました。
 質疑応答ではやっぱりギャルのときに質問が殺到。発表者が答えられないことは、矛先が日本人の私へ・・・

「ギャルは異性の間でもてるのですか? もてたいからあのようなかっこうをするのですか?」
(→ ギャルを連れて歩きたいという男性もおれば、連れて歩くのは恥ずかしいという男性もいるでしょう。)

「髪を金髪にしたり、どうして日本人女性は西洋人に近づこうとするのですか? (日本人女性の良さがなくなってしまう・・・)」
(→ 日本人はみんな黒髪、黒い目、黄色い肌で同じ。ヨーロッパでは髪の色や目の色にバリエーションがあるから、生まれながらに外見の個性を持てるけど、アジア人は難しい。個性的であるためには、日本人とちがう外国人の容姿に人工的に近づけたらいい、と思う心理状態・・・というのが理由の一つ。)

「日本の女性向け雑誌の表紙に外国人(あるいはそれに近いギャル)のモデルを起用することについて、日本政府は危機感を感じていないのですか?」
(→ 日本政府は危機感など感じていないと思います。日本人は日本人の美しさを若い世代に教えるべきだという意見は、実にベラルーシ人的発想だと思いますね。とにかく「これがきれいで、あこがれる。」と思う基準が今はこのようになっています。黒以外の色の髪、小顔、高い背、やせている、若く見える、異国情緒。日本人が西洋人にあこがれるのはそういう理由からですが、遺伝子が理由だと言う説もあります。近親相姦という言葉を聞くだけで不愉快になりませんか? ほら、なったでしょ。それは皆さんがまともだから。遺伝子が近すぎる者同士から生まれる子どもは健康上のリスクが高くなります。それを避けるために本能的に自分と遺伝子が近い者どうしが好きにならないようになっています。逆に言えば、遺伝子が遠い者どうしは、好きになる可能性が高い。遠ければ遠いほど惹かれる、というのは遺伝子が理由なのかもしれません。今日だってなんでわざわざベラルーシの大学で日本文化の夕べを見に来るの? 似ていないものに人間はあこがれることが多々ありますよ。)

 さらには芥川龍之介の「羅生門」のほうをモチーフにした寸劇も上演されました。
 学生さんたちの衣装として浴衣を貸し出したのですが、ちゃんと小柄な人を選んでくれてよかったです。思っていたよりずっと着物が似合っていました。
 この寸劇ですが、演技と同時にビデオ映像が投影され、死人の頭から髪の毛を引っこ抜いて売る・・・というあの会話が映像の中で再現されていました。ベラルーシ人なので、髪の毛が亜麻色でしたが、かえってそれが怖い・・・
 ベラルーシバージョンの羅生門でしたが、かなり怖くて、作品の世界を独自に表現していたと思います。監督をしたのは文化学部の先生で、やっぱり上手だなあと思いました。

 大学の文化学部主催とあって、レベルが高かったです。
 これからも日本文化情報センターとして協力できたらと思います。
 


ノーベル賞授賞式

2015-12-10 | ベラルーシ文化

 12月10日のノベール賞授賞式、感動的でした。
 日本人2人が受賞したのももちろんうれしいですが、壇上にベラルーシ人女性がいるというのが、歴史的瞬間でしたね。
 こちらのニュースサイトをご紹介します。
 アレクシエービッチ、うれしそうですね。梶田さんもいますよ。(^^)