ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

新美南吉の紹介記事が雑誌「ビブリオテカ・プレドラガエト」に掲載されました

2014-02-22 |   新美南吉
 2014年1月21日に発行された雑誌「ビブリオテカ・プレドラガエト」の「本棚の上の記念日」特集号に新美南吉生誕100年を紹介する記事が掲載されました。
 翻訳作品そのものが掲載されなかったのは少々残念ですが、この雑誌はベラルーシだけではなくロシアでも読まれている雑誌なので、ロシアでも新美南吉のことが紹介されるきっかけになり、とてもうれしいです。

 新美南吉は少し遅れてしまいましたが、今年生誕450年を迎えるシェークスピアや、160年のオスカー・ワイルドや90年のワシーリイ・ブイコフ(ベラルーシの作家です。)等といっしょに新美南吉の紹介記事が載っています。
 記事には新美南吉の生涯について詳しい記述があり、また昨年7月30日に生誕100年記念朗読会が弊館内で行われたことが紹介されています。記事のタイトルは「日本のアンデルセンがベラルーシで記念日」です。

 去年からずっと待っていたので掲載されてほっとしました。日本の児童文学作家についてこんなに詳しい記事が載ったのはこの雑誌が始まって以来だそうです。

 一部省略したところもありますが、日本語に翻訳しましたので、ここでご紹介します。


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 日本のアンデルセンがベラルーシで記念日 

 リュドミーラ・ネスチェロヴィチ

 子どもの本が異なる人種を一つにすることは昔からよく知られています。人種は違っていても共通点も持っていることを本は読者の目の前に見せてくれます。また文化が異なることに価値があることも証明してくれます。ベラルーシの子どもは喜んでお話を読みます。北の国で作られたものも、南の国で作られたものも、西の国で作られたものも、東の国で作られたものもです。これらの作品は成長していく子どもたちに、世界の人々を一つにする共通するものについて教えてくれます。

 2013年ベラルーシで日本の児童文学作家、新美南吉の生誕100年を記念するさまざまな催し物が行われました。子どもだけではなく、子どものために働く教育関係者、図書館司書など大人も招かれました。
 この日本の作家のことを司会者が紹介したときに、ハンス・アンデルセンのお話の世界を思い起こしました。新美南吉はまだ少年だったとき。遠いデンマークの作家のようにすばらしい作品を書いて有名になりたいと思っていたのです。そのとき彼は自分の生涯が本当に短いことを知るよしもありませんでした。
 30年―それは長い人生ではありません。しかしそれでも作家が自国民の文化に重要な足跡を残すことができた、という例はあります。新美南吉(1913-1943)がまさにそうだと思います。彼の作品はすでに何十年も日本の小学校の教科書に載っているのです。

(ここから「新美南吉は愛知県生まれ・・・」と生涯が紹介される文章が続きますが、翻訳は省略します。また美智子皇后陛下の講演についても紹介がありますが、ここのブログ上では翻訳を省略します。
 新美南吉の生涯が知りたい人はこちらをクリックしてください。)

 新美南吉の作品はベラルーシの子どもにも理解でき、おもしろいものだと思います。日本の作家の作品には全て異国情緒を感じさせますが、それでも誰にでも通じる教育的な一面を内包しています。
 つまり小さい子どもの読者に、悲しみがあっても落胆しないこと、真実が存在することを毎回感じるとは限らないこと、他人の苦しみに同感すること、感謝の心を持つことが大切であることなどを教えてくれます。

 日本の児童作家はこういったことを直接、教えるわけではありません。よい児童文学ではこういうことを形式の中で、そしてあらすじの中で芸術的に教えるものなのです。
 多くのベラルーシ人にとって、新美南吉の作品は強い共感を覚えさせるものだと思います。彼の悲しい人生はベラルーシの純文学者、マクシム・ボグダノビッチの運命と似ていると言ってよいでしょう。両者とも子ども時代に精神的なトラウマを抱えていました。母親の夭折、結核患者であったこと、早すぎる才能の開花、それに対する家族の無理解なども二人の人生を複雑なものにしていました。
 南吉もマクシムも孤独がどんなものかよく分かっていたし、二人とも若くして亡くなりました。そして文学者としての評価は死後訪れました。
 個人的な人生が多くの部分で重なっています。ベラルーシでマクシム・ボグダノビッチが愛されているように、新美南吉もベラルーシ人から支持されると思います。

 2013年7月30日は新美南吉生誕100年の日に当たりました。これを記念してその作品が日本文化情報センターの企画として、ロシア語とベラルーシ語に翻訳されました。センター代表、辰巳雅子さんによって記念朗読会ではプレゼンテーションが行われ、翻訳された作品が掲載されたベラルーシの新聞や雑誌が展示されました。こうしてこの日付がベラルーシでも知られるようになりました。
 日本文化情報センターはミンスク市立第5児童図書館内にあり、日本の児童文学作家の誕生日を祝うのには最適な場所です。ここでベラルーシの子どもが新美南吉の作品に出会うことができました。もしかすると作家自身にとってうれしかったのは、自分の作品が日本から何千キロも離れた国へ行ったことかもしれません。きっと新美南吉自身もベラルーシ人が寄せた感想や子どもたちが描いた絵を見て幸せだったと思います。
 生誕記念日によって児童文学作家、新美南吉の若かった頃の夢が少し叶ったかもしれません。日本のアンデルセンのお話が今、遠いベラルーシで読まれるようになったのですから。


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 紹介してくださったリュドミーラさんには感謝の気持ちでいっぱいです。
 

ドムラチェワ選手3個目の金メダル!!!

2014-02-18 | ベラルーシ文化
 バイアスロン女子12.5キロ種目でもベラルーシのドムラチェワ選手が金メダル!!! すごい! どうなっているのか?! 向かうところ敵なし! という感じです。歴史に残る大選手になりましたねえ。

 あのう・・・S夫にボーナスは・・・でないんですか?!>ベラルーシオリンピック委員会
 S夫が整備・調整したライフル銃が金メダル3個に貢献したと思うんですけど・・・。(^^;)

 ドムラチェワ選手はルカシェンコ大統領により、ベラルーシ英雄の称号が与えられることとなりました。

 そして男子エアリアルでもクシュニル選手が金メダル!!!
 日本よりベラルーシのほうが(今のところ)金メダルの数が多いです。どうしちゃったの? とびっくりです。
 ちなみにクシュニル選手も、もともとウクライナの選手で、2002年からベラルーシの選手として試合に参加しています。

 前回のバンクーバー五輪でこの種目金メダルだったグリシン選手はベラルーシチームの旗手を開会式に務めていた(冬季五輪で史上初ベラルーシに金メダルをもたらした選手なので。)のですが、今回は15位に終わってしまいました。残念。
 グリシン選手はミンスク生まれのミンスク育ちで、うちの子の学校の先輩なのです。(日本でいうところの中学3年生卒業後はオリンピック選手養成学校に進学しています。)
 うちの子を初め、学校ではグリシン選手を応援していたんだけどねえ。
 でも金メダルを1個持っているだけでもすごいです。

 ドムラチェワ選手は伝説になりましたね。本当にすごいです。

 
 
 
 


ソチ五輪 ベラルーシまた金メダル!!

2014-02-15 | ベラルーシ文化
 バイアスロン女子のベラルーシ代表ドムラチェワ選手が15キロ種目でも2個目の金メダルを獲得しました!
 3位にもベラルーシのスカルディノ選手が入り、ベラルーシって実はバイアスロン強国なんじゃないか? と大騒ぎしています。
 (S夫にはボーナス出ないんですか?! 金メダルの数が2個になっているんだけど?! と叫びたい私。)(^^;)

 ちなみにスカルディノ選手、そしてメダルも入賞も(今のところ)ないベラルーシのバイアスロン男子選手たちのライフル銃はS夫は整備・調整の担当をしていません。

 スカルディノ選手もS夫に頼んでいたら、銅ではなく銀メダルだったかも・・・というのは冗談ですが、バイアスロンでベラルーシ女性が大健闘しているのが、本当にうれしいです!

 そして、フリースタイルのエアリアル女子でもツペル選手が金メダルを取りました!
 34歳でオリンピック5回目の挑戦で悲願の金メダルです!
 すごいですよねえ。
 ただ、この選手はウクライナ人です。2001年以降はベラルーシ国籍を取ったのでベラルーシのナショナルチームの一員です。長野五輪ではウクライナの選手として出場し、5位に入賞しています。
 スカルディノ選手もロシア出身ですね。ベラルーシの選手でも実はベラルーシ人ではない、というケースは多いです。(ロシアやウクライナからの帰化だったら、言葉の壁もないし、二重国籍取得もOKですからねえ。)
 
 日本人のマラソン選手がカンボジア国籍を取って五輪出場を目指すはいいのか悪いのか? という論争がありましたけど、ベラルーシ人にこの話をしても「何がいけないの?」「なんで論争にまでなるの?」という反応しかありませんでした。
 私の場合、どうしてもベラルーシ生まれベラルーシ育ちのベラルーシ人で、ベラルーシの代表という選手をついちょっと多い目に応援してしまいますけどね。(あ、自分の旦那さんはベラルーシ生まれじゃないし、そもそもベラルーシ人じゃないや。(^^;))
  


 

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第159回」

2014-02-14 |   ビタペクト配布活動
 2月14日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第159回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト3を7個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2137個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1960部となりました。
 今回で通算173回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2137人の子どもにビタペクトを、1960家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80



 今回は3家族がSOS子ども村に保養滞在していました。
 それぞれの家族に話をうかがいました。

(家族A)

 グルボーコエ(チェルノブイリ原発から約450キロ)からお母さんが3人の実子と1人の子どもを連れてきていました。 
 この家族には3個のビタペクト3を渡しました。
 この家族は2008年8月にも保養に来たことがあります。
 そのときのようすについてはこちらをご覧ください。
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第78回」

 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。前回の保養のときに測定をした子どもはその結果も表記しました。

母親(事故発生時15歳)17ベクレル ○ → 16ベクレル
次男(16歳) 17ベクレル 
三男(12歳) 27ベクレル ○ → 25ベクレル ○
次女 (7歳) 0ベクレル → 33ベクレル ○
男子(10歳) 22ベクレル ○

三男は急性白血病患者です。10歳の男の子は養子で、肝臓に腫瘍ができています。
 今回このお母さんと話をすることができませんでした。子どもたちを連れて、小児腫瘍学センターへ診察や検査に行っており、不在だったからです。
 
 それにしても、チェルノブイリ原発から450キロも離れた非汚染地域に住んでいるのにもかかわらず、子ども立ちは当然事故後生まれた子どもばかりなのに、全員被爆していて、ビタペクト3も飲まないといけない子どももいるのが残念です。
でもこれがベラルーシの現状なんですね。


(家族B)
 コルマ(チェルノブイリ原発から約140キロ)からお母さんが4人の実子と2人の子どもを引率していました。
この家族には2個のビタペクト3を渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時11歳)15ベクレル 
長女(18歳)26ベクレル ○
次女(16歳)18ベクレル 
長男 (9歳)17ベクレル
三女 (3歳)21ベクレル 
女子(14歳)32ベクレル ○
男子(12歳)18ベクレル 

 
 14歳の女の子と12歳の男の子は姉弟です。
 お母さんに話をうかがいました。
 6歳の娘は体重が15キロで、やせており発育がよくないのではとお母さんは心配していました。
 子どもたちは比較的健康だそうです。次女が慢性胃炎である以外は、子どもたちは比較的健康で、風邪をひくこともあるけれど、「こんなのは普通だと思う。」とお母さんは話していました。
 お母さん自身は高血圧であること以外、健康には心配するようなことはない、と言っていました。ただ、出産を多く経験したせいか、私より若いのに歯がたくさん抜けていました。
 でも、4人とか5人産んでも歯は丈夫、という人もいますから、このお母さんが歯が抜けているのは出産とは関係ないかもしれません。
 お母さんはチェルノブイリ原発事故が起きたときは、ゴメリ市に住んでおり、結婚を機にコルマに引っ越したそうです。事故が起きた当初、放射能のことなど、気にしたりご両親は不安を口にしたり、していませんでしたか? と質問したのですが、
「全く気にしていなかった。うわさなども聞かなかった。平常どおり暮らしていた。」と現在に至るまで、楽観的に暮らしてきたようでした。


(家族C)

 この家族もコルマからお母さんが4人の実子と来ていました。
 この家族には2個のビタペクト3を渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を渡しました。
 
母親(事故発生時4歳)31ベクレル
長女(11歳)32ベクレル ○
長男 (6歳)29ベクレル ○ 
次女 (3歳)19ベクレル
三女 (2歳)20ベクレル

 お母さんにお話をうかがいました。長男と三女は生まれつき、心臓の中に穴があいていましたが、長男のほうは自然にふさがり、三女のほうもそのうちふさがるだろうから、と特に何も治療は受けていないそうです。
 長男は落ち着きがなく、神経系統の病気ではないかと、検査を受けて投薬治療中だそうです。私の目からすると、「ちょっとやんちゃな男の子」の感じしかしませんでしたが・・・

 お母さんは長女と長男の2人はやせ気味のような気がするので、心配だと話していましたが、特に食が細いとか病気がちといったことはないそうです。

 お母さんはまだ若いのに家族Bのお母さんと違って、関心が高く自らチェルノブイリ原発事故のことをインターネットで検索して、こういう事故があったのよ、と子どもたちに事故が起きた原因まで分かりやすく説明したそうです。
 コルマは移住先に選ばれ、子ども時代、見る見るうちに移住者のための住居が建設されていったのを見たそうです。
 この一家は畑を持っており、野菜を育てていますが、測定したことはありません。
 もしできた野菜を市場で売る場合は測定が義務付けられています。でも一家は自分たちで食べる分しか作っていないので、測定をしたことがないと言っていました。
 他にも豚を飼っていましたが、ベラルーシで豚インフルエンザが発生したときに、没収されてしまい、その後は鶏しか飼っていないそうです。

(このお母さんの話は「聞き取り調査」に追加しておきます。)

 このお母さんはチェルノブイリ原発事故の記憶がない世代ですが、記憶がある世代よりよっぽど意識が高くてちょっと意外でした。
 でも最近思うのは、親よりも中学生・高校生ぐらいの年代の子どものほうが、熱心に被爆対策の話などを聞いており、よく分からないのでかえって興味がある、という感じなのです。

 SOS子ども村で出会うお母さんたちは子どもが多いので、どうしても今日の育児で頭がいっぱいになっている部分があるのですが、未来がある子どものほうが、自分の健康や将来のことを考える余裕があるようです。
 こういう世代がベラルーシで育ってきているのはいいことですね。ただやはり非汚染地域に住んでいる子どもはあまり放射能のことに意識はいっていないようです。


 画像は記念撮影したものですが、家族Aの一家が写っていません。


 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、着物で作った巾着袋などをプレゼントしました。今日はバレンタインデーだったので、折り紙の鶴以外に折り紙のハートも子どもたちにあげました。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

ソチ五輪でベラルーシの選手が金メダル!(バイアスロン)

2014-02-12 | ベラルーシ文化
 ソチ五輪女子バイアスロン10キロでベラルーシのドムラチェワ選手が金メダル獲得!!!
 ばんざーい! 
 と言うのも、この選手が使っているライフル銃はS夫が調整していたのです。
 金メダル獲得に貢献した1人ってことで、ボーナスみたいなの出るのか? などと家の中で大騒ぎしていました。
 が、調整しているときに、そういう話は具体的にはなかったそうです。(^^;)

 でも夫は大喜び! ライフル射撃では1回しかミスがなく、好成績だったので、満足しているようです。
 うちの子は馬鹿みたいに「ドムラチェワ選手のサインほしい!」と言い出し、夫はすぐにスポンサーに電話。10分後には「帰国したらサインつきの写真。Yちゃんへ、と書いてあるものをあげる。」という約束を取り付けましたが、さあ、本当にもらえるのかな?

 ドムラチェワ選手はソチ五輪が始まる前から、メダル候補の1人だったのですが、やはりスポンサーをつけ、スキーは得意だが射撃はやや苦手だった弱点を克服するため、ロンドン五輪のライフル射撃金メダリスト、マルチノフ選手をトレーナーに起用。さらにライフル銃の整備・調整はベラルーシ一番の銃整備士、S夫が担当・・・という万全のバックアップで望んだソチ五輪。
 いい結果が出て本当によかったです。

 ベラルーシでは金メダル選手には、大統領から25000ドルがもらえるそうです。
 (やっぱり、ちょっとはS夫にボーナスくれないものか、としつこく考える私。)

 それより、自分がアーチェリー選手としてオリンピックに出て、メダルをもらって、とS夫に言いましたが、オリンピックがあるたびにこのセリフを言っているような・・・(^^;)

 まだまだ続くソチ五輪。ベラルーシと日本の両選手を応援しましょう!
 
 
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 2014年10月の追記です。
 8ヶ月も経過した今頃になってようやくドムラチェワ選手のサインがもらえました。
 しかも特大サイズの写真に「Yちゃんへ」とちゃんと書いてありました。
 よかったよかった。
 でもうちの子は「写真が大きすぎて学校へ持って行けない。」とぼやいていました。
 友達に自慢したかったんだね。

新美南吉の童話を読んだベラルーシ人の感想文 2

2014-02-06 |   新美南吉
 新美南吉童話の感想文第2弾です。
 昨年12月朗読会を行ったオシミャヌィ市の図書館でいただいた感想文です。年齢が書いていない人もいますが、全員大人で、子どもはこの中にはいません。
 子どもの感想は、文章ではなく絵でもらうことが多いのです。絵の作品は新美南吉記念館に渡しています。この画像はミンスク市内の学校で感想の絵を描いた子どもたちのようすです。


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「でんでんむしのかなしみ」の感想

「生き生きしていて、寓話的なお話。受け入れること、強い気持ちで悲しみを背負っていくを教えてくれます。」アンナ(オシミャヌィ市 45歳 教師)

「多くのことを教えてくれるお話です。言葉ではうまく説明できないことも、この物語が語っています。この作品をそれぞれが読んで、人生の意味を考え、進む道を選択したらいいと思います。」ジャンナ (オシミャヌィ市 42歳)

「このお話は全ての人が自分の悲しみを背負っていることに気づかせてくれます。」マリーナ(オシミャヌィ市 図書館長)

「このお話の持つ意味がよかったです。それぞれみんなこのでんでんむしのようにたくさんの問題を抱えています。どのように生きるべきかこのお話は教えてくれます。」マリヤ (オシミャヌィ市)


「去年の木」の感想

「この話は小鳥と木の間にあった大きな友情について子どもたちに簡単な言葉で語っています。」ワレンチーナ(オシミャヌィ市 42歳)

「今、日本でもベラルーシでも環境問題が大きな問題になっているので、この話が印象に残ったのかもしれません。短い話なのに深く、大きな考え含んでいますが、このような話を書けるのは本当の天才だけです。」スベトラーナ(オシミャヌィ市 教師)

「少しの文章で深い哲学的な意味を表現しています。」ナタリヤ(オシミャヌィ市 52歳) 


「手袋を買いに」の感想

「人間はいい人間になるべきだと思いました。」マリーナ (オシミャヌィ市 図書館長)

「とてもおもしろい話です。今の時代、今の社会に合っています。教訓的で心を奪われます。」ガリーナ(オシミャヌィ市 60歳)

「この作品は子どもにとっても大人にとっても教訓的です。この世で暮らす人間の多くは善良であることを言っているだと思います。」エレーナ(オシミャヌィ市 教師)

「教訓的であり、多くのことを教えてくれる作品。思い込みが実はそうではないこともあると教えてくれます。」アンナ(オシミャヌィ市 司書)

「深い意味を持った作品です。特に人間と動物の間の信頼関係が描かれているのが興味深かったです。動物だけではなく自然環境全般についても人間は善い存在にならないといけない、と語っているように思いました。」リリヤ(オシミャヌィ市 教師)


 新美南吉の童話全体の感想
「新美南吉の童話の中には新しいものが響いていて、おもしろくて、子どものときのことを思い出しました。」マリーナ(オシミャヌィ市)

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 やっぱり大人な感想が多いですね。
 また感想をもらえたら、追加で更新しますね。