ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

食と放射能をテーマにした本

2011-09-30 | 放射能関連情報
 9月30日に主婦と生活社から「今ある放射能を消す食事」という本が出版されました。
 詳しくはこちらのアマゾンのページをご覧ください。


http://www.amazon.co.jp/%E4%BB%8A%E3%81%82%E3%82%8B%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E3%82%92%E6%B6%88%E3%81%99%E9%A3%9F%E4%BA%8B-%E9%87%91%E8%B0%B7-%E7%AF%80%E5%AD%90/dp/4391140969


 監修者は浜松大学健康栄養学科の金谷節子教授です。
 私は大したお手伝いはしていないのですが、名前がベラルーシからのデータ提供、ということで掲載されています。

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 クレヨンハウスから出版された「わが子からはじまる 食べ物と放射能のはなし」についてもご紹介します。

http://www.amazon.co.jp/わが子からはじまる-食べものと放射能のはなし-クレヨンハウスブックレット-安田節子/dp/4861011965/ref=zg_bs_2133648051_5


 内容についてですが、47ページにベラルーシの部屋ブログのことが紹介されています。それはありがたいのですが、
「そこ(ベラルーシの部屋ブログ)では、放射能を葉や根から吸収しにくい野菜から、順に吸収しやすい野菜までを色分けにして示しています(現在、この図は掲載されていません)。」
とありますが、ベラルーシの部屋ブログでは、このような図を掲載(公開)したことはありません。

 51ページには
「セシウムの体内被曝を受けた子どもに、お医者さんが『ビタペクト』という薬を処方していました。」
とありますが、ビタペクトは薬ではありません。
 食物繊維(ペクチン)に各種ビタミン類、ミネラル類を配合したサプリメントです。
 読者の皆さん、間違えないようにしてくださいね。

 クレヨンハウスからの連絡によりますと、この本は重版されることになっており、そのときに以上の箇所について改訂されるそうです。

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 放射能と食事をテーマにした本が今たくさん出版されています。
 これはつまり放射能のことを心配されている日本人が増えてきた、ということだと思います。
 「悲しい世の中になってしまった。」
と思われる日本人もいるかもしれません。確かにそうです。
 しかし、25年前のベラルーシにはこんなことをテーマにした本は全く売られていませんでした。
 それに比べれば、日本はそのような情報を手に入れやすい環境にあるということですから、いいことなのだと思います。また日本人の多くが食を通じての放射能対策に関心が高いという証拠だと思います。このような意識の高まりが大事だと思います。
  
 いろいろな本を読み比べてみてください。そしてただ読むだけではなく書籍を通じて紹介されている方法を生活の中に取り入れてください。実行するほうがしないより、ずっといいと思います。

 個人的にはペクチンといった食物繊維の効用が書籍の世界を通じて日本にも広まってきていてうれしいです。放射能に対して簡単に白旗を揚げてあきらめる、ということは日本人はしないでください。
 
 
 



ベラルーシの書籍で紹介されました

2011-09-30 | 日本文化情報センター
 ベラルーシラジオが創設85周年を記念して出版した本「Беларесь у асобах」(日本語訳にすると「ベラルーシ・独特な人々」)にて日本文化情報センターが紹介されました。

 出版社は「パチャトコヴァヤ・シコーラ」。編者は長年ベラルーシラジオで働いてきたジャーナリスト、ヴァリャンツィーナ・ステリマフさんです。
 今までベラルーシラジオに登場したゲストの中から50人が選ばれ、この本の中でインタビュー記事が紹介されています。私も2010年1月1日にステリマフさんの番組に出演させていただいたのですが、この50人の一人に選ばれ、写真とともに掲載されました。
 他の方は指揮者、消防士、画家、俳優、軍人、フェンシングのチャンピオン、車両の産業デザイナー、スキーヤー、民族舞踊家、物理学者、彫刻家など多種多様などです。
 その中で外国人であるにもかかわらず、選ばれたことは光栄です。
 今までチロ基金、日本文化情報センターで活動して来たことがベラルーシでも認められてきたのだと実感しています。それも日本人の方々が支えてきてくれたおかげです。
 

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第124回」

2011-09-27 |   ビタペクト配布活動
 9月26日にビタペクトTと「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第124回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクトTを5個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2とビタペクトTは合計1861個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1630部となりました。
  
 今回で通算134回目のビタペクトT(ビタペクト2)と「チェルノブイリ:放射能と栄養」の配布となりました。
 延べ人数ですが、1861人の子どもにビタペクトT(ビタペクト2)を、1630家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクトTを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a



 前回の配布活動では、ビタペクトTを渡すことができませんでしたが、ようやく今年収穫されたリンゴから製造されたビタペクトTが販売されました。諸事情により今回はベルラド研究所で購入後、ちょうど同じ日に測定に来ていた家族にすぐにその場で手渡しました。
 この画像はベルラド研究所内で撮影しました。右のほうに写っているPCは測定用のものです。

 今回は2家族がカリンコビッチ市(チェルノブイリ原発から約100キロ)からSOS子ども村に保養滞在していました。それぞれの家族に話を伺いました。

(家族A)

 お母さんが5人の子どもと滞在していました。この家族には2個のビタペクトTを渡しました。
 この家族は2005年と2006年にも保養滞在に来たことがあります。 
 2005年5月の滞在のときの様子はこちらチロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第31回」(家族A)をご覧ください

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2005/no31.html


 2006年1月の滞在のときの様子はこちらチロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第41回」(家族B)をご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2006/index.html


 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクトTを渡しました。
 
母親(事故発生時13歳)11ベクレル(2005年と2006年の滞在時にもビタペクト2を飲んでいません。)
次男(15歳)10ベクレル(2006年の滞在時には18ベクレルだったのでビタペクト2を渡しました。)
三男 (9歳)14ベクレル(2005年と2006年の滞在時にもビタペクト2を飲んでいません。)
四男 (6歳)20ベクレル ○ (2005年と2006年の滞在時にもビタペクト2を飲んでいません。)
長女 (4歳)22ベクレル ○ (今回が初測定。)
次女 (2歳)27ベクレル (今回が初測定。)

 5年前の滞在後、女の子が2人生まれています。双子の長男と次男は18歳になって、SOS子ども村の年齢制限を越えたので、今回は滞在していません。
 子どもたちの健康状態ですが、免疫力が低く、よく病気になる、ということでした。 
 以前はお父さんの健康状態があまりよくない、と言う話でしたが、療養所に滞在して治療を続けた結果、よくなったそうです。
 この家族は住居がとても不便な長屋で困っていましたが、その後申請したのが認められ、一軒家を建てることになりましたが、その建築費用は国から出してもらえたそうです。
 家族みんなで力を合わせて今マイホームをつくっているそうです。
  

(家族B)

 お母さんが5人の子どもと滞在していました。この家族には3個のビタペクトTを渡しました。
 2004年、2005年、2008年にも保養滞在に来たことがあります。ました。
 2004年7月の滞在の様子はこちらの過去ログ、チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第20回」(家族A)をご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2004/no20.html


 2005年1月の滞在の様子はこちらの過去ログ、チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第28回」(家族A)をご覧ください

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2005/no29.html


 2008年1月の滞在の様子はこちらの過去ログ、チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第70回」(家族B)をご覧ください

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/06223f5508cb20f75d44be54a20b9023

 
 さらにこの家族は2004年1月に1回目の測定を巡回測定に来たベルラド研究所により地元の学校で受けています。
 母親の記憶によると、家族は全員、44~47ベクレルの間の数値が測定され、測定後3個のビタペクト2を6人の子どもたちが分け合って飲んだそうです。つまりこの家族は合計5回放射能値の測定をしたことになります。(2004年1月、2004年7月、2005年1月、2008年1月、2011年9月)
 2005年、2007年、2008年、そして2011年の体内放射能値の経緯は以下のとおりです。○印がついている子どもにビタペクトT(ビタペクト2)を渡しました。

母親(事故発生時15歳)25ベクレル ○ → 14ベクレル → 14ベクレル ○ → 10ベクレル
次女(15歳)28ベクレル ○ → 5ベクレル → 0ベクレル → 16ベクレル
三女(13歳) 33ベクレル ○ →(2005年はビタペクト2を飲んでいません。2008年は測定していません)→ 28ベクレル ○
四女(12歳)13ベクレル ○ → 5ベクレル → 45ベクレル ○ → 21ベクレル ○
五女 (9歳)42ベクレル → 19ベクレル ○ → 32ベクレル ○ →0ベクレル
六女 (4歳)0ベクレル(2008年に初測定) → 19ベクレル ○

 以前ビタペクト2を飲んだことのある子どもたちは
「おいしくない。」
と言っていましたが、すでにビタペクトTに進化して飲みやすくなったことを話すと、「ん? だったら飲んでみようかな?」という表情になっていました。
 私の意見ですが、ある程度大きくなった子ども(錠剤の薬をかまずにごくんと飲める子ども)だったらタブレットタイプのビタペクトTのほうが絶対飲みやすいと思います。

 子どもたちは深刻ではないもののそれぞれ健康状態に問題があり、お母さんは
「よく風邪をひく。」
と話していました。

 さて、今回はベルラド研究所で買ったビタペクトTを測定終了した子どもにその場で渡しました。時間がなくてプレゼントを渡せませんでしたが、来週改めてSOS子ども村へ日本のプレゼントを持って行く予定です。
 そのときにはまた改めてご報告いたします。もうしばらくお待ちください。 

 今回子どもたちに渡したビタペクトTの購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

ベラルーシからのニュース二つ

2011-09-17 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
 ベラルーシからのニュース二つをお知らせします。
 ロシアに続いて、ベラルーシもサマータイムに永遠(?)に移行することになりました。
 現在ベラルーシはサマータイム中で、日本との時差は6時間です。
 毎年10月最終日曜日からサマータイム終了にともない、時差は7時間になっていました。
 しかしこれはなくなり、日本との時差はずっと6時間のままになります。
 こちらで住んでいる人間からすると、1年に2回時計の針を1時間あっちにやったり、また元にもどしたり(絶対初日は遅刻する人が出るし。うちの図書館は日曜日も開館しております。)する面倒くさい手間がなくなり、うれしいです。やれやれ。

 もう一つのニュースは経済危機です。
 9月14日、1ドルが約5300ベラルーシ・ルーブルのレートで銀行窓口で両替が行われていましたが、9月15日、いきなり1ドルが約8300ベラルーシ・ルーブルになりました。他の外貨も軒並みベラルーシルーブルが大暴落しています。
 また銀行の両替窓口には外貨がなく、偶然外国人旅行者などが外貨をベラルーシ・ルーブルに両替市に来ると、その外貨だけは両替できるようになっていました。
 ところが9月からはそれさえ拒否する銀行が出てきています。
 旅行などで短期滞在される方が、帰国時に余ったベラルーシ・ルーブルをドルなどの外貨に再両替するのは大変難しいですので、一度にたくさんのベラルーシ・ルーブルへの両替は控えておいたほうがいいと思います。
 また外貨から外貨への両替も非常に難しいです。(ドルからロシア・ルーブルへの両替など。)
 ベラルーシへ来られる予定のある方はお気をつけください。
  
 

「自分と子どもを放射能から守るには」日本語訳が出版

2011-09-15 | 放射能関連情報
 このブログでも内容を一部翻訳してご紹介していました本「自分と子どもを放射能から守るには」の日本語訳(日本語版特別編集)が世界文化社より出版されました。

 世界文化社のHPはこちらです。

http://www.sekaibunka.com/


http://www.sekaibunka.com/book/exec/cs/11318.html#buy


 筆者 ウラジーミル・バベンコ ベルラド放射能安全研究所(ベラルーシ)
 監修 京都大学原子炉実験所 今中哲二助教
 翻訳 辰巳雅子
 レシピ協力 荻野恭子 

 全国の書店、ネットでもお求めできます。定価は840円です。
 京都にあるヨーロッパ輸入雑貨店「Vesna!」でも店頭販売しております。

http://vesna-ltd.com/

 
 この本を通してチェルノブイリ原発事故後のベラルーシで研究された放射能対策の知恵を日本人の方々に広くお知らせしたいです。
 原発事故後の世界に生きるベラルーシ人の気持ちも書かれています。きっとお役に立つ内容があると思います。どうかご一読ください。
 
 10月には筆者のウラジーミル・バベンコさんも出版発表記者会見に出席するため来日されます。
 バベンコさんはベルラド放射能安全研究所の副所長でもあり、長年、体内放射能測定室長をされている方です。
(ベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/
  

 アマゾン、楽天ブックスでの予約・購入はこちらです。アマゾンのサイトからはイメージ画像も見ることができます。

http://www.amazon.co.jp/dp/4418113185/


http://books.rakuten.co.jp/rb/9784418113187/item/11343956/


 目次をここでもご紹介します。

チェルノブイリ事故から25年。
時を経てわかった放射能の中を生きるすべとは。
ちゃんと知って、ちゃんと食べて、賢く生き抜く12Files

第1章 知って守る

File1チェルノブイリ原発事故のこと 
File2放射能とは? 
File3放射能はどのようにして体に入る?
File4放射能が体に与える影響 
File5食品の放射能測定と暫定基準値 
File6体内放射能を測る

  第2章 食べて守る

File7キッチンでできる食品放射能の減らし方 <野菜・くだもの、きのこ、乳製品、肉類、魚介類>
File8放射能から体を守る食生活 
File9ペクチン剤とは?

  第3章 この地で生きる

File10汚染地域で畑や家庭菜園をするには 
File11汚染地域で生きるためにするべきこと 
File12いっしょなら簡単に!

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ブログやツイッターなどで、この本のことを広めてくださっている皆様、本当にありがとうございます。 

 この本が出版され、私は翻訳者として著作権料をいただきました。
 その一部をチロ基金に寄付しました。
 使い道についてはまだ模索中ですが、11月に実施されたゴメリ州モズィリ市糖尿病児童協会へ支援活動の支援物資購入のためのお手伝いをさせていただきました。この活動について詳しくはこちらでご報告しております。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/a044392edb86222cfe30d917c76b41b3


日本人に降りかかった放射能問題のために、このような関連書がたくさん売れるようになりました。著作権料をいただくのはもちろんうれしいのですが、反面それだけ心配されている方が多い、という証拠ですし、またこの著作権料を困っている人のために還元できないかどうか、ずっと考えていましたし、また考えたいと思っています。

NHKブログ 解説委員室 「チェルノブイリと福島・ベラルーシから学ぶこと」(追加情報あります)

2011-09-14 | 放射能関連情報
 2011年08月04日 (木)付のNHKブログをご紹介します。

ピックアップ@アジア 「チェルノブイリと福島・ベラルーシから学ぶこと」

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/450/91326.html


 ぜひぜひお読みください!!!

 ちなみに・・・上記ブログでは「ベルラッド研究所」「ベルラット研究所」と表記されていますが、「ベルラド研究所」が正しいです。
 それからベラルーシではお茶の基準値(セシウム)が1キロあたり3700ベクレルと紹介されていますが、370ベクレルの間違いです。
 ベラルーシではお茶が生育しないので、栽培されておらず全て輸入となっています。
 お茶だけを指定した基準値はベラルーシにはありません。
 指定されていない食品については「その他の食品」の基準値が該当します。
 「その他の食品」の基準値は1キロあたり370ベクレルですので、お茶の基準値は370ベクレルになります。

 また乾燥キノコの基準値が1キロあたり2500ベクレル、と甘いのは国民が食べる量は限られているのではなく、固い乾燥キノコをそのままバリバリかじって食べる人は普通いないので、水でふやかした場合を想定して、この基準値にしているのです。
 乾燥キノコは水で戻すと重さが約10倍に増えますので、乾燥きのこの基準値が1キロあたり2500ベクレル、というのは、ふやかした状態で、1キロ250ベクレルに相当します。
 ですからベラルーシの乾燥キノコの基準値が日本の基準値よりゆるいというわけではないのです。

 それから最後のほうに国家予算の話が出ていますが、ベラルーシでのケースを日本のケースとして単純計算して当てはめることはできないと思います。
 それは日本のほうがベラルーシより人口密度が高いからです。

 ちなみにネステレンコ所長は私には、日本の暫定基準値について
「悪夢のような数字です・・・。」
と話していました。


・・・・・

 以上の記事更新後、このようなメールをいただきました。
 上記のお茶の基準値が1キロあたり3700ベクレルなのか370ベクレルなのかについて、視聴者の方がこのブログを見た後、NHKに問い合わせたそうです。NHKの回答によると
 
「人が年に5キロ以上飲食しない食物(お茶、蜂蜜など)の基準は その他の食品の10倍とするとの備考記述があり、お茶の暫定規制値はそのほか370の10倍の3700ベクレルになります。」
 
 ・・・だったそうです。しかし私がベラルーシでもう一度ベラルーシの基準値(現在まで適用されている1999年に定められた基準値)について確認しましたが「人が年に5キロ以上飲食しない食物(お茶、蜂蜜など)の基準は その他の食品の10倍とするとの備考記述」はどこにもなく、ベラルーシの専門家も
「そのような備考はない。」
と話していました。

 さらにNHKは「ベラルーシの基準値は1999年に制定され、その後二年ごとに更新されています。」と問い合わせてきた方に回答していますが、それなら1999年度制定の基準値のほか、2001年の基準値、2003年の基準値、2005年の基準値、2007年の基準値、2009年の基準値、2011年の基準値・・・が存在しないといけませんが、ありません。
 2011年現在も1999年の制定の基準値を使っています。
 それともこれは1999年の前に2年ごとに更新された、ということなのでしょうか?
 しかし1999年前に更新されたのは1996年で3年前です。



チェルノブイリ――大惨事が人びとと環境におよぼした影響(調査報告 チェルノブイリ被害の全貌)

2011-09-14 | 放射能関連情報
 2007年にロシアの科学者アレクセイ・ヤブロコフ博士、そしてベラルーシのベルラド研究所の初代所長であるワシーリイ・ネステレンコ教授と当時は研究所員で現所長であるアレクセイ・ネステレンコ氏が「チェルノブイリ――大惨事が人びとと環境におよぼした影響」という大変詳しいチェルノブイリ原発事故の報告書を発表しています。
 ロシア、ベラルーシ、ウクライナでの被害状況だけではなく、他のヨーロッパ諸国のデータもまとめられています。

 2009年にはこの報告書は英訳され「Chernobyl: Consequences of the Catastrophe for People and the Environment」という題名でアメリカで出版されました。
 現在ボランティアの方々による日本語訳の作業が進んでいます。こちらのHPをご覧ください。

チェルノブイリ被害実態レポート翻訳プロジェクト

http://chernobyl25.blogspot.com/p/blog-page_10.html


 このHP内で暫定訳ではありますが、内容の一部を読むことができます。
 こちらは前書きです。

http://chernobyl25.blogspot.com/2011/08/blog-post.html


 また「第13節チェルノブイリの放射性核種を除去する」がすでに日本語で読めます。執筆したのはワシーリイ・ネステレンコ教授とアレクセイ・ネステレンコ現ベルラド研究所長です。

http://chernobyl25.blogspot.com/2011/07/13.html


 ぜひお読みください。日本の皆様にも役立つ情報が書いてあります。
 完訳は岩波書店から発行予定だそうですが、待ち遠しいです。
 かなり内容がぎっしりつまった報告書なのですが、その中でもこの「第13節」から翻訳がされ、またネット上で読めるようにしてくださったこのプロジェクトの方々のお気持ちがよく分かります。
 

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 ここからは2013年6月の書き込みです。
 岩波書店から無事日本語訳が出版されました。「調査報告 チェルノブイリ被害の全貌

 とても詳しい内容ですので、ぜひ読んでください!



茶の湯の紹介 第9回 その9

2011-09-11 | 日本文化情報センター
 大盛況となった茶の湯の紹介。アガレビッチ村で今回開催できてよかったです。
 茶の湯が終わった後も、記念撮影が続き、サインまで頼まれました。(漢字が珍しいようでとても興味を示していました。

 アガレビッチの生徒さん、ご協力くださった教職員の皆様に喜んでもらえたことが何よりです。
 有名な観光地の村ではありませんが、ベラルーシの中にある一つの小さな(もしかすると大きな?)日本文化センターのように思えました。
 これを機に日本のことや世界に目を向けてもらえたら・・・と思います。
 アガレビッチ村の皆さん、また今回の茶の湯開催のため、尽力してくださった日本人の方々に深く感謝しております。

茶の湯の紹介 第9回 その8

2011-09-11 | 日本文化情報センター
 やはり皆さんお箸使いと正座に苦労しています。
 畳の上に座った途端
「あ、もうしびれた!」
と言う先生もいました・・・。(しびれるの早すぎない?)
 足がしびれそうになって早く帰りたくなったのか、大急ぎでお茶を飲む生徒さんが多かったです。(^^;)
 点てるほうは大忙し。
 しかし皆さんの笑顔がうれしかったです。

茶の湯の紹介 第9回 その7

2011-09-11 | 日本文化情報センター
 今回は希望者が多く、はっきりとは分かりませんが、80人分ぐらいお茶を点てました。
 大茶会となりました。

茶の湯の紹介 第9回 その6

2011-09-11 | 日本文化情報センター
 デモンストレーションの後は茶の湯体験会になります。
 するとすぐにこの人だかり! みんな畳の周りを囲んで覗き込んでいます。

茶の湯の紹介 第9回 その5

2011-09-11 | 日本文化情報センター
 いつものようにまず茶の湯のデモンストレーションを私、両親、娘の4人で主人、主客、次客、三客の役を受け持ち、行います。ベラルーシの皆さんにも分かるようにロシア語訳つきです。
 立ち上がって見る人、携帯のカメラで撮影しようとする人がたくさんいました。みんな興味津々です。
 

茶の湯の紹介 第9回 その4

2011-09-11 | 日本文化情報センター
 また日本文化情報センターからアガレビッチ村の学校の皆さんへ踊りのプレゼントをしました。
 踊っているのはY子です。使った音楽は本人が選んだ「浜辺の歌」です。
 プロの踊りではないのですが、日本の雰囲気だけでも感じてもらえたらと思いました。
(私たちもプロの茶道の師匠などではないです・・・。)(^^;)

茶の湯の紹介 第9回 その3

2011-09-11 | 日本文化情報センター
 日本文化情報センターからもこの学校に本や立体折り紙で作った白鳥をミミズク、扇子を持った日本人形などを寄贈しました。
 折り紙の作品を作ってくださった方、ありがとうございました。アガレビッチ村にも羽ばたいていきました。
 画像の中央に写っているのは私と校長先生です。
 茶の湯を見に来た生徒さんは100人ぐらいいました。

茶の湯の紹介 第9回 その2

2011-09-11 | 日本文化情報センター
 アガレビッチ村の学校は小学校1年生から日本の高校生にあたる11年生までの130人が学んでいます。
 アガレビッチ村に隣接する村からも通学生がいます。
 今年はちょうど日本文化情報センター開設12年目にあたる9月9日に茶の湯の紹介を実施することができました。
 校長先生はそれを知っていて、すてきなプレゼントを用意してくれていました。まずアガレビッチ村があるガンツェビッチ地区を紹介する本です。とてもベラルーシらしい森や教会があることが分かります。ベラルーシを代表する作家であり教育者でもあるヤクプ・コーラスとも縁があり、ベラルーシ語詩人も輩出した地であることも初めて知りました。
 
 そして生徒さんたちから歌のプレゼントがありました。
 数名の生徒さんたちがいくつも歌を披露。画像はデュエットをしている二人です。
 手前に写っているのは今回使った茶道具の一部です。
 
 歌ってくれた生徒さんたち、全員とても上手でした。心がこもっていました。
 日本文化情報センターは本当にすてきな誕生日プレゼントをいただきました。(^^)