ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

ニュース 野生キノコ「サクラシメジ」から基準値超える放射性物質

2018-09-22 | 放射能関連情報
野生キノコ「サクラシメジ」から基準値超える放射性物質・販売施設が自主回収 山形
9/22(土) 18:47配信 さくらんぼテレビ
山形県の大江町と尾花沢市で販売された野生キノコ「サクラシメジ」から、基準値を超える放射性セシウムが検出されたことが分かった。

これは、厚生労働省が9月19日に行なった買い上げ調査で判明した。県によると、大江町の「道の駅おおえ」では、販売していた山形市産のサクラシメジから基準値の3倍にあたる1キロあたり300ベクレルの放射性セシウムが検出された。すでに1箱350グラム入りが6箱販売され、現在自主回収を進めている。

また、尾花沢市の「道の駅尾花沢」で販売していた市内産のサクラシメジからも、基準値を超える放射性セシウムが検出された。こちらの販売は、厚生労働省が調査のため買い上げたものに限られ、他への流通はないという。

県は25日以降に山形市と尾花沢市とその周辺市町から採取した検体を調べ、基準値を超えた場合、採取地の市と町に野生キノコ全てについて出荷の自粛を要請する。

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 このニュースを見て、思ったことの箇条書きです。
・測定して、結果を公表、回収や出荷の自粛を進めようとしているのはすばらしい。
・やはりキノコはセシウムなど吸収しやすいので、注意が必要。
・このキノコを採集した場所は確認できているのか? その場所の放射能を測定するほうがよい。
・福島産の食品が危ないと言われるが、福島産でなければ、安全ということにはならない。
・1キロあたり300ベクレル検出されたキノコでも、ゆでてそのゆで汁を捨てるなどして、放射能を10分の1にすることができる。
 それでも1キロあたり30ベクレル。
 このキノコを「平気、食べられる。」という人と「いや、1ベクレルでも放射能が含まれているキノコは食べられない。」という人に分かれると思う。
 どちらを選ぶかは、消費者次第です。
・別の考え方をすると、後者は理想。(個人が被爆するのを防ぐ。)
 前者は、日本の経済を考えると、手助けになっている。(いわゆる「食べて応援」。日本の景気を支える。)
 
 さまざまな考えがあると思います。
(私の立場としては、念のため定期的にペクチンサプリを飲んで、体内の放射能を排出するのが、安価で実行できる被曝対策だと考え、チロ基金の活動をベラルーシで続けているわけです。)
 
   

聞き取り調査

2018-07-07 | 放射能関連情報
 1986年のチェルノブイリ原発事故が起きたとき、ベラルーシの人たちはどうしていたのか、その後の健康状態はどうなのか・・・
 あくまで私の身近にいる人、偶然出会った人ですが質問してみました。
 内容は簡単ですし、対象となった人たちは医学の専門家でもありませんが、このブログでご紹介しようと思っています。

 質問事項ですが、(A)性別 (B)事故当時の年齢 (C)事故当時住んでいた場所、現在住んでいる場所 (D)事故当時起きた症状 (E)現在の症状 (F)そのほか気がついたこと ・・・となっています。

 この記事は回答が増えるたびに更新します。
 日本人の皆様に役立つ情報があれば、と思っています。

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(1)(A)女性 (B)20代 (C)ミンスク。5月1日のメーデーの行進に参加した。(D)なし (E)甲状腺肥大、高血圧、1年中止まらない咳 (F)高血圧と咳は遺伝によるものかもしれない。

(2)(A)女性 (B)20代 (C)ミンスク (D)なし (E)慢性的な頭痛。顔色がいつも悪い (F)子どもが2人いるが、甲状腺肥大で2人とも投薬治療中。

(3)(A)女性 (B)20代 (C)ナロブリャ。(チェルノブイリ原発から約60キロ)1992年にミンスクへ移住命令が出た。(D)頭痛。口だけではなく喉がとても乾いている感覚があった (E)免疫力の低下 (F)もっと早く移住したかった

(4)(A)女性 (B)30代 (C)ミンスク。事故が起こった日、日光浴をした (D)なし (E)数年後から肺炎を繰り返すようになり、入退院を繰り返す。今は肺炎はおさまった。顔に血管がいつも浮き出て見えている 

(5)(A)女性 (B)28歳 (C)ミンスク (D)なし (E)なし (F)妹は現在甲状腺肥大で投薬治療中。

(6)(5)の息子さん。(A)男性 (B)1歳 (C)ミンスク。事故当日、散歩をしていた。
 (D)首のリンパ腺が腫れた。暗赤色の斑点が全身にできた。医者は皮膚病と考え「何なのか分からない。」と言っていたが、後で内出血であることが分かった。その後症状はおさまる。18歳のとき兵役義務で軍隊に入ったが、その頃から体が弱くなったと感じるようになった。入隊していた軍事施設の周囲に住む住民にがん患者が多い、という話がある。今でも南風が吹くと、体調が悪くなる。

(7)(A)男性 (B)4歳 (C)ミンスク。事故のことは知らなかったが、偶然事故直後モスクワの親戚のところへ行っていた。 (D)なし (E)なし (F)ゴメリ州の食品は買わないようにしている。ベリー類は測定している。

(8)(A)女性 (B)20歳 (C) ミンスク (D)事故当日頭痛。子どもの寝つきが悪かった。(E) 子どもの免疫力低下。疲れやすい。

(9)(A)女性 (B)28歳 (C)ミンスク。事故当時実家のあるカリンコビッチ(チェルノブイリ原発から約100キロ)へ家族全員で帰っていた。実家の畑でじゃがいもを植えて、はだしで土の上を歩いていた。5月9日ミンスクへ帰宅した。
 (D)なし (E)自分は特にないが、当時6歳だった娘は甲状腺機能に異常が出ている。今1歳の孫は健康。夫は5年前脳卒中で倒れ、現在リハビリ中。 (F)実家のある村は移住の対象にはなっていない、しかし人口が減り、特に若い人が減った。村の周りの森は測定されたが、場所によって線量にばらつきがあった。この森でとれたキノコを瓶詰めにして、ポーランドへ輸出しているのを見た。

(10)(A)女性 (B)38歳 (C)ミンスク。5月1日のメーデーの行進に参加した。風がきつかった記憶がある (D)なし (E)なし 
 (F)物理学研究所で働いていたので、5月中ごろ測定してもらった。事故当時来ていた服を着てくるよう言われたので、そうしたら、測定後に「その服は汚染されているのですぐ捨てなさい。」と言われ、全部捨てた。 

(11)(A)女性 (B)30代 (C)ミンスク。事故当日一日中外出していた (D)なし (E)事故から8年後甲状腺の摘出手術を受けた

(12)(A)女性 (B)14歳 (C)ペトリコフ(チェルノブイリ原発から約130キロ) 事故当日おばあちゃんの家の畑ではだしになって草刈りをしていた。 (D)耐え切れないほどの眠気におそわれた (E)なし 
 (F)事故後、登校したら校内の菜園の手入れをするよう言われ、クラス全員で草むしりなどをした。後になって地域の測定が行われたが、地域内で一番線量が高かった場所が、その学校の菜園だったことが分かった。

(13)(A)女性 (B)20歳 (C)ミンスク (D)事故当日から数日間体がぐったりし、疲労感を感じた (E)甲状腺切除の手術を受けた。今は2児の母になっているが、健康。

(14)(A)女性 (B)8歳 (C)アゼルバイジャン。2年後ベラルーシへ引っ越した (D)なし (E)なし (F)29歳だった父はチェルノブイリの事故処理作業員として呼び出しを受け、4号炉で作業をした。防護服は支給されていた。作業中は父は何も感じなかったが、いっしょに働いている人で気分の悪さを訴えている人もいた。父は今55歳だが、3回の脳卒中に倒れ、リハビリ中。障害者認定を受けている。

(15)(A)女性 (B)28歳 (C)ゴメリ。事故当日竜巻のような強風が吹いた (D)なし (E)なし (F)息子は1986年1月生まれ。ずっと体が弱く、今でもよく病気になる。甲状腺機能にも問題がある。

(16)(A)女性 (B)14歳 (C)ゴメリ。事故当日は家族そろって公園で一日中遊んでいた (D)その日の晩から胃が痛くなり、断続的な吐き気を感じた。夜中から吐き始め、朝まで眠れなかった。 (E)なし

(17)(A)女性 (B)13歳 (C)カリンコビッチ (D)なし (E)関節痛
 (F)事故から1ヵ月後、学校の生徒全員が教師引率でエストニアに保養に行った。エストニアの保養所に夏休みの3ヶ月いて、9月からカリンコビッチに戻った。保養滞在中、エストニアの人から「チェルノブイリから来た子どもたち。放射能がうつる。」と差別された。しかし子どもたちは放射能のことがよく分からず、差別発言の意味も分かっていなかった。

(18)(A)女性 (B)13歳 (C)モズィリ (D)なし (E)疲労感、倦怠感
 (F)自分の周囲で30代前半でガンを発症する人が増えており、不安

  
(19)(A)女性 (B)20代前半 (C)ミンスク (D)なし (E)胃潰瘍 
 (F)事故当日、1歳だった息子をベビーカーに乗せて外出していた。息子は一日中機嫌が悪く、むずかっていた。
 一ヵ月後、夫とその妹の夫は汚染地域へ送られた。避難した後の無人になった住宅に盗みが入らないように、見張る役だった。当時いっしょにこの監視に携わっていた人(全員若い男性)のほとんどは、現在死亡している。夫は今でも健康だが、汚染地域に行ってから急に老けてしまい、今でも実年齢より年上に見られる。
 夫は汚染地域での任務が終わった後、ロシアのレニングラード(現在のサンクト・ぺテルブルグ)にいる親戚の家へ行った。その親戚は物理学者だったが、家のドアを開けてくれず、近くのホテルに泊まるように言った。夫はそのとき初めて放射能が危険なものなのだと理解し、その後着ていた服は全て処分した。息子は現在健康。

(20)(A)女性 (B)14歳 (C)モロジェチノ (D)生まれて初めての頭痛を起こした (E)なし

(21)(A)女性 (B)12歳 (C)ブレスト (D)なし (E)なし 
 (F)私の家族は他の家族より、被爆に神経質だったので、外出は禁じられた。事故のことをマスコミが詳しいニュースにする前に学校や町で、放射能が飛んできたらしいとうわさになり、あちこちでその話を話していたが、具体的な被爆対策についての情報はなかった。

(22)(A)男性 (B)8歳 (C)ミンスク。家の前の公園で毎日遊んでいた。(D)なし (E)12歳のとき難病にかかって、1年間入院生活を送った。退院したときに身体障害者認定を受け、現在に至る。

(23)(A)男性 (B)0歳 (C)ロシア (D)なし (E)なし
 (F)チェルノブイリ原発事故が起こる3ヶ月前にベラルーシで生まれた。父がロシア人で母がベラルーシ人。両親はロシアで出会って結婚し、ロシアで暮らしていたが、母がベラルーシの実家へ里帰り出産のため戻っていた。
 自分が生まれて二ヶ月のとき、父が子どもをつれて早くロシアの家へ帰ってくるようにしきりに訴えるという夢を母が見て、胸騒ぎを感じ、予定を早めてベラルーシの実家からロシアの父の元へ帰った。直後にチェルノブイリで事故が起きたので、自分は被爆しないですんだ。
 現在自分はベラルーシで暮らしているが、WBCの結果もごくわずかな被爆にとどまっている。母の決断に感謝している。


(24)(A)女性 (B)4歳 (C)コルマ (D)なし (E)なし 
(F)コルマから7キロ離れたところにきれいな森があり、その中に小さい村があったが、事故後高い汚染が認められ、若い世代は移住していった。しかし村を離れたくないという住民は残っていたので除染をすることになり、父がその除染作業に関わった。他の人たちといっしょに森を除染したり、人工の池を掘ったりしたが、被爆しているリスクがあるから、と「手当」と称するお金を給料に上乗せされた形でもらっていた。
その結果立ち入り禁止地区だった森は現在は入ってもよくなり、この村も消えることはなかった。しかし父は現在すでに亡くなっている。被爆との関係は分からない。
コルマは移住先に選ばれ多くの人が移住してきた。コルマのもともとの住民が移住者を差別するようなことは一切なく、みんな同情していた。
子どものとき、移住者の中に女性で髪の毛が一本も生えていない人がやってきたのを見たときは驚いた。現在もこの女の人は健在でコルマに住んでおり、今ではちゃんと髪の毛が普通に生えている。


(25)(A)女性 (B)30歳 (C)スラブゴロド。事故のことは何も知らずに1歳の娘と散歩していた。
 (D)自分自身は何もなかった。夏になってから子どもを連れて、グルジアに保養に行くよう勧められ、二ヶ月滞在した後、スラブゴロドに戻った。その後、娘が急性白血病になった。
 (E)自分は良性の甲状腺種ができている。娘はモギリョフやミンスクの専門病院に入院し、現在は病弱ながらも健在。事故当時3歳だった息子は事故から7年後の10歳になった頃、乾癬を発症。今年31歳になるが完治していない。乾癬は治療方法もまだきちんと確立されていない。
 スラブゴロドの周囲にある14の村が、汚染度が高いことが分かり、家屋全部が地中に埋められた。夫はその作業に従事した。そのため5年早く55歳で年金生活に入り年金をもらっている。しかし現在はしょっちゅう体のあちこちが痛くなり、1日の終わりはぐったりしてよく横になるようになった。
 (F)事故が起きたとき、偶然近所に線量計を持っている人がいた。事故のうわさが流れてきたので、その人は自宅周辺を計測し、近所がほとんど汚染されていることを公式発表より早く教えてくれた。
 夏になってから旧ソ連の各地へ保養に行った人がたくさんいた。現在50代、60代の人で足の痛みを訴える人が自分の周りには多くいる。原因は分からない。
 「埋葬」された村に残ったりんごの木から採れた実を測定したら、ほとんど汚染されておらず、食べてよいということだったが、現在も野生の鹿やいのししの肉は汚染度が高く検査の結果、食べられないと言われることがほとんど。自分自身は子どもに牛乳をあげることをいっさいやめた。周辺の村では1986年は農作物を作ることが一切禁止された。それでもいちごを作っていた人が、検査してみると汚染されていることが分かり、泣く泣く全て廃棄処分したそうだ。
 「埋葬」された村の住民にはミンスクなど移住先が提供されたが、村ごとの移住ではなく、バラバラになってしまい、村民のコミュニティが失われてしまった。移住先の家を売ってさらにどこかへ引越しする人も多くおり、消息が分からなくなっている場合も多い。
 娘が白血病になって、ミンスクの病院に入院しているとき、医者から自主的にどこかへ移住したほうがいいと言われたが、住むところを自分で探さないといけなかったうえ、夫が反対したので移住はしなかった。現在非汚染地域であっても病気になる人は増えてきているので、どこに住んでいようが関係ないという考えを持っている。今は無理して移住しなくてよかったと思っている。
 以前すぐ近所の一戸建てに娘の同級生の一家が暮らしていた。その子は10年ぐらいその家に住んでいたと思う。その後高校を卒業し、別の町にある大学へ進学した。その頃その子の両親は自宅を売りに出すことにした。買い手候補が下見にやってきたが、その人たちは線量計を持ってきていた。そして家の周囲や中をくまなく測定したところ、非常に高い線量だったので、その人たちは家屋を除染し、家の周りの土を全部はがして、新しい土を入れた上でその家を購入し、今も住んでいる。娘の同級生は大学生になってからがんになっていることが分かり、19歳で亡くなった。生きていたら娘と同じ29歳だったはず。住んでいた家が原因で被爆しがんになったと近所の人たちは話しているが、その子の弟は今も元気に暮らしているから、結局のところ発病の原因は分からないと言わざるをえない。


(26)(A)女性 (B)15歳 (C)事故当時住んでいた場所はスルーツク、現在住んでいる場所はミンスク (D)事故のことは何も知らず日光浴をしていた。少し気分が悪かったが、熱中症かもしれない。(E)健康に問題はない。
(F)当時母が10番目の子どもを妊娠していた。事故が起きたとき、母は気分が悪いと訴えていた。子どもは生まれたが、全ての内臓の大きさが通常の2倍の大きさで、生まれて10日目に亡くなった。母にとってこれが最後の子どもだったが。上の子ども9人にはこのような異常はなく、健康に育った。


(27)(A)女性 (B)14歳 (C)ブレスト州ピンスク地区にある村 (D)なし (E)甲状腺に多数のしこりができている 
(F)事故当時、事故のことは何も知らなかった。その頃雨が降り、水溜りに黄色い膜のようなものが張っていた。さらに泡もたくさん浮いていた。花粉が大量に浮かんでいるのだろうと思ったが、不自然な感じがした。
 自分たちが住んでいた地域は比較的安全とされていた地域で、地元の牛乳がいつも店で売られていたのに、事故後ゴメリ州やモギリョフ州など汚染地域の牛乳が並ぶようになった。比較的安全と言われていた地元の牛乳はロシアへの輸出用に回されていた。
 地元のコルホーズで飼われていた牛が次々と白血病になった。病気になった牛は処分されたが、その肉は加工工場で加工されて、市場に出回った。


(28)(A)女性 (B)22歳(C)ボブルイスク (D)全身に湿疹のようなものができ、かゆくてたまらなかった。 (E)健康 (F)事故当時、妊娠初期だったので非常に心配していた。夏の間原発から離れた場所で保養するよう勧められ、サナトリウムで暮らした。生まれた子どもは健康。
 事故があった日、両親は郊外で畑仕事をしていた。頭上を変な雨雲が通過するのを見た。後から放射能雲だと分かったが、事故のことは長く知らされなかった。


(29)(A)男性 (B)13歳 (C)ミンスク (D)めまい (E)なし 
(F)事故が起きた日は同級生の誕生日で友人5人と集まってお祝いをしていた。みんなで外に出るとしばらくして小雨が降った。その後友人全員がめまいや気分の悪さを訴え、家に帰った。
 当時70代だった祖父もその日、生まれて初めてめまいを起こして自分自身驚いていた。


(30)(A)女性 (B)31歳 (C)トレスコフシナ村 (D)頭痛 (E)慢性的なせき。25年ぐらい続いていて、原因も分からず治らない。
(F)事故が起きた日は暑い日だった。日差しが尋常ではないほどまぶしかったように感じた。ちょうどその日は夫の誕生日で家に親戚が集まっていた。暑くて仕方ないので、誰も外に出たがらず、一日家にいた。親戚の多くが頭痛を訴えていた。夫は50歳代で死去。


(31)(A)女性 (B)29歳 (C)マチュリシチ (D)発熱 (E)両足の関節、骨盤部分の痛み。心臓の弁がちゃんと閉まらない病気。 
(F)事故後すぐ熱が出て、慢性的に微熱に悩まされるようになった。平熱が37度という状態が続き、病院へ行っても原因が分からない。1990年に夫の転勤に伴い、カムチャッカへ引っ越した。そのとたん熱が下がって健康になった。3年後、故郷に戻ってくるとまた熱が出て何年もたってからようやく平熱が36度台になった。

(32)(A)女性 (B)8歳 (C)ミンスク (D)なし (E)なし 
(F)事故が起きた日、ミンスクに放射能を含む雨が降った。その後できた水溜りを見ると、緑色をした泡が大量に表面に浮かんでいた。気持ち悪い色で今だに忘れられない。当時は放射能と言う言葉を知っている人も少なかった。何年か経ってから近所に汚染地域から移住してきた人が引っ越してきた。その人たちに、放射能ってどんなもの? ときいてみたが、ちゃんと答えられた人はいなかった。当時は多くの人が無知だった。


(33)(A)女性 (B)13歳 (C)ボブルイスク (D)なし (E)高血圧、心臓病、胃炎。ダイエットをしたら、改善した。 (F)事故当時はニュースにもならず、雨が降る中多くの人が外出していた。しばらくして学校へ行ったら、担任の先生が「原発で事故があり、放射能が出てしまった。」と話して初めて事故のことを知った。
 親戚が10人ほど「仕事のため」と説明してチェルノブイリ方面へ行ってしまった。約1年後全員ががんになり、時期の差はあったものの全員亡くなった。

(34)(A)女性 (B)9歳 (C)ボブルイスク (D)なし (E)胃潰瘍 (F)事故が起きて1ヶ月ほどして、多くの若い兵士がトラックに乗せられて、チェルノブイリへ事故処理のため移動していくのを見た。長い車列だったので、何台ぐらいになるのだろうと道端で数えていた。あまりにもトラックの数が多く、途切れないので疲れて台数を数えるのをやめた。
 しばらくして町中の店から牛乳がなくなり、売られなくなった。説明や理由はなかった。
 またしばらくして、牛乳を積み込んだ特別なトラックがやってきて、広場で量り売りを始めた。町の人たちは久しぶりに牛乳が飲めるので、喜んで容器を持って買いに行った。長蛇の列だったので、おつかいに買いに行かされた。
 弟が2人いるが、1人は事故当時生後5ヶ月で、もう1人も1年後に生まれた。妊娠中で乳児もいた母には被爆に関する情報などは何も知らされなかった。


(35)(A)女性 (B)11歳 (C)ビテプスク州ドクシツィ近くの村。ミンスク (D)なし (E)なし(F)学校では被災者のために寄付を集めることになり、おこづかいを持って行った。村から男性が事故処理作業のためチェルノブイリへ出かけていった。学校で放射能の話を先生がしていたが、ヨウ素剤を飲むような指示はいっさいなかった。ただ、天気の悪いときは外へ出ないように言われた。しばらくして汚染地域から3家族が村へ移住してきた。差別のようなことはなく、新しい住民として普通に接していた。

(36)(A)女性 (B)7歳 (C)ウクライナ北部、ゴメリ (D)なし (E)なし (F)事故が起きたとき、ウクライナにある祖母の家に行っていた。事故のことは何も知らずに森の中で遊んでいたら、突然強風が吹き、雨が降り出すかと思っていたが、降らなかった。しばらくして事故のことを知らされ、両親は心配してビタミン剤を買ってきて飲ませてくれた。毎年夏になると、姉妹そろって黒海沿岸地方やコーカサス地方にあるサナトリウムへ行った。

(37)(A)女性 (B)16歳 (C)ゴメリ。事故のことは何も知らず、メーデーのパレードに参加していた。とても日焼けをした。 (D)なし 
(E)事故が起きてからだいぶ時間が経ってから、事故のことを知った。母は慌ててヨウ素剤を買ってきて、飲ませてくれた。31歳のときに甲状腺の切除手術を受けた。それからホルモン剤を飲み続けている。心臓病も抱えている。
(F)事故から3年後の19歳のとき結婚し、長女が生まれた。生まれつき心臓に欠陥があり、その後卵巣にのう胞が見つかった。手術を何回か受けた。次女と三女にも持病があり、病名はばらばら。成人した長女は結婚し子どもも生まれたが、孫は健康。しかし将来病気になるのではないかと不安な気持ちは残っている。
 
(38)(A)女性 (B)10歳 (C)ピンスク。ゴメリ郊外 (D)なし (E)なし (F)事故が起きたとき4歳だった弟は病弱。ピンスク出身の女性と結婚し、今はモスクワ郊外に住んでいるがその一人娘はアレルギー体質。弟一家は3人とも体が弱く、よく病気になっている。


(39)(A)女性 (B)7才(C)ビテプスク (D)なし (E)なし (F)事故当時妹が生後4ヶ月だった。生まれたときは健康だったが、1歳になる前、肝臓が病気になっていることが分かり、入院した。治療を受けて退院したが、今でも食事制限がある毎日を送っている。

(40)(A)男性 (B)9才 (C)ソリゴルスク、ミンスク (D)なし (E)なし (F)事故当時正式な発表がされる前、「原発で事故があったらしい。」という噂が流れ、母から外出しないように言われて、できる限り自宅にいるようにした。友達が遊びに誘っても断った。しばらく牛乳を飲まないようにしていた。これは数年前の話だが、伯父がミンスクから10キロ離れた森の中できのこを拾い集めた。安全な地域だったが、念のため親戚に測定をしてもらうと、針が振り切れるほどの高汚染だったので、廃棄処分した。

(41)(A)女性 (B)9才 (C)ブレスト (D)なし (E) 背中と足の慢性的な痛み 
(F)当時36歳だった父はトラック運転手として事故処理作業員となり、複数回事故現場で働いた。最後にチェルノブイリ原発へ要ったのは50才のとき。2年前63歳で腸のガンのため亡くなった。
 事故が起きてしばらくしてから汚染地域の住民がブレストに移住してきた。同じクラスの同級生だった女の子は脱毛が進み、中学3年生のときにはかつらをかぶって登校していた。移住者の子どもたちは他にも症状があったかもしれないが、心が痛む話題だったので学校内でそのことについて話すことはなかった。


(42)(A)女性 (B)15歳 (C)プレシチェ二ツィ (D)なし (E)なし 
(F)村に7家族が汚染地域から移住してきた。村民は同情しており、差別はなかった。当時35歳だった父は事故後1か月してチェルノブイリへ行った。事故処理作業員を現場から宿舎へ車両で送迎する仕事をするよう国からの命令だった。被爆を防ぐために服をこまめに交換し洗濯をするように言われていたが、それ以外の対策方法は特になかった。父はその後も病気知らずで元気だったが、56歳になってから突然腎臓病と肝臓病を同時に患い、現在に至るまで8年間闘病生活を送っている。


(43)(A)女性 (B)21歳 (C)ミンスク、プホビチ地区 (D)なし (E)なし (F)事故が起きたとき長男を妊娠中で、非常に心配した。12月に長男は生まれたが、生まれつき心臓に雑音があり、幼少期はそれが消えることはなかった。その後雑音は消えて現在は健康に暮らしている。

(44)(A)女性 (B)15歳 (C)ウクライナのイワン・フランコフ、ミンスク (D)なし (E)なし (F)事故後2年目にミンスクへ移転。16歳の長男は腎臓肥大。三男はアデノイド。四男は遠視。職業は小児科医。実感として、チェルノブイリ原発事故後、子どものガン、アレルギーが増えた。特に大人には見られるけれど子どもにはなかった病気(初潮も始まっていないような年齢の女子の子宮がん、中学生男子が心臓発作、心筋梗塞を起こすなど)が起こるようになり、中高年男性の突然死も増えた。

(45)(A)女性 (B)0歳 (C)グロドノ (D)なし (E)頻脈 
(F)事故が起きたとき母は私を妊娠中だった。兄は3歳だった。母の実家はゴメリ州ブダ・コシェリョフで、祖母が1人で暮らしていた。母は祖母が48歳のときに生まれた子で、事故が起きたときは祖母は70代の高齢だった。事故が起きたと分かったのは3日後。父は事故処理作業員として呼び出された。母は祖母を心配してグロドノに引き取ることにして父が運転する車で迎えに行った。放射能に関する知識もなかったので、3歳の兄も連れて行った。
 祖母をグロドノへ避難させた後、父は事故処理作業のためチェルノブイリへ向かったが、その後書類手続きの不備で事故処理作業員であると言う証明がもらえなかったので、補償も受けられなかった。父は現在63歳で高血圧で悩んでいる。
 避難した祖母はその後胃がんになりおよそ1年後グロドノで亡くなった。
 3歳だった兄は5年後、病気になった。今年33歳になるが、心臓病、高血圧、不整脈といった病気を抱えている。免疫力が低くよく風邪を引いている。私自身は頻脈。3人の子どものうち1人は生まれつき心臓の壁に穴が二つ開いており頻脈。


(46)(A)女性 (B)8歳 (C)バラノビッチ (D)なし (E)特になし 
(F)事故当時は報道もなくしばらく普通に暮らしていたが事故のことが明るみに出て数日学校が休校になった。父は事故処理作業員として原発へ向かった。9年後17歳で結婚・妊娠した。検査をしたら胎児に脊髄がないこと、脳に腫瘍があると認められ死産になるからと中絶した。4年後妊娠し、元気な子どもが生まれた。さらに3年後再び妊娠。そのときも第1子同様、胎児に脊髄の一部がなく脳腫瘍があると言われて中絶。1年後4回目の妊娠。このときは健康な子どもが生まれた。2人の胎児に異常が出た原因は分からない。自分自身気になり遺伝子の検査を受けたことがあるが異常は見つからなかった。
 今年65歳になる父は10年前に喉に腫瘍ができたが良性で現在も健康。


(47)(A)女性 (B)21歳 (C)ブレス都市近郊の村。(D)なし (E)甲状腺がん (F)第1子を妊娠中事故が起きた。5ヵ月後出産。娘は健康でその子どもも健康。
 ブレストはポーランド国境に近い町で、さまざまな物資がブレストの駅を通る。チェルノブイリで事故が起きる前その駅の引込み線で高い線量の放射能が外国人によって偶然検出されたが、公式な原因の発表はなかった。地元住民は「ソ連からポーランド(あるいはその先にある国)にウラン鉱石が運ばれたからだ。」とうわさしたが真偽のほどは分からない。その後その引込み線は廃止され、現在は別の場所に引込み線が作られている。知らなかっただけで原発事故が起きるずっと前からいろんな場所が放射能汚染されていたのではないか。


(47)(A)女性 (B)4歳 (C)ボリシエ・ビコロビチ村(ウクライナ国境近く。チェルノブイリ原発から約220キロ) ブレスト (D)なし (E)頭痛 
(F)事故が起きてから3年後小学校に入学した。外国の支援で給食にたくさんのバナナやオレンジが出て、毎日たくさん食べていた。学校内で何回かWBCの測定を受けたことがある。ドイツやオランダ、ロシアなどに保養に子どもは集団で毎年行っている。村には80人ぐらい子どもが住んでいるが、健康な子供はほとんどいない。
 事故後40代50代の女性のガンが増えた。母も子宮がんになり手術を受けた。細胞検査の結果は「未知の種類のがん細胞。」
 父は4人の兄弟姉妹がいるが、全員ガンになった。みんな同じ村に住んでいる。
 35歳になる姉は慢性頭痛。いとこは甲状腺肥大。中年のがん、糖尿病、甲状腺の病気がとても多い。
 村でとれた牛乳は放射能の検査を受けている。基準値以下だと販売に回される。基準値以上だと正規の販売ルートでは売れないので、村のご近所さんに安く売っておりみんな基準値以上だと理解した上でそれを飲んでいる。

(48)(A)女性 (B)4歳 (C)ブレスト州ドロギチン地区、ボブルイスク(D)なし (E)なし (F)事故当時30歳だった母は同じ地区にに住み続けていた。2年前58歳にガンで亡くなった。事故前この地区でガンでなくなる人はほとんどいなかった。母がなくなった同じ年、1年間で、母の同級生4人がガンでなくなった。

(49)(A)女性 (B)18歳 (C)モギリョフ (D)なし(E)甲状腺種。関節痛。(F)当時おじが長距離トラックの運転手をしていた。事故が起こった次の日、ちょうどウクライナからベラルーシへおじが戻ってきた。すると、「原発で何かあったらしい。外出しないほうがいい。」と言われて、5月1日のメーデーの行進には行かなかった。おじさんに感謝している。政府は原発事故をすぐにニュースにして、避難は無理でも、国民全員に外出しないように言うべきだった。

(50)(A)女性 (B)9歳 (C)ゴメリ市 (D)特になし。3年後に甲状腺肥大。 (E)婦人科系の病気 (F)事故が起きたとき、外出していた。突然竜巻が起こった。黄色に濁った水溜りを見た。夏休みの間、ロシアへ3ヵ月間保養に行った。新学期が始まり、しばらくすると、学校の給食に海草が毎日のように出るようになった。
 親戚の一人が当時ブラーギン地区で道路工事作業をしていた。現在甲状腺がんと戦っている。別の親戚は当時チェルノブイリ原発の空調設備の管理をしていた。事故前日定時に帰宅し、翌朝、出勤しないように言われ、その後ロシアにある原発に配属された。その後被災者認定を受けている。健康状態はよいらしい。

(51)(A)女性 (B)11歳 (C)モギリョフ州ムィシコヴィチ (D)なし (E)血圧が安定しない。 
(F)事故が起きたことはすぐに知らされなかった。しばらくすると汚染地域に指定され、牛乳を飲むことが禁止された。その後「きれいな」牛乳が商店で売られるようになり、食肉が商店から消え、代わりに缶詰を食べることを奨励された。
 夏休みになって、母が私をロシアのエカテリンブルグに住んでいる祖母の下へ疎開させた。エカテリンブルグに到着すると、「チェルノブイリ地域から来た子ども」と言うことで、被曝していないか検査を受けた。その結果、私がはいていたサンダルは、非常に高い数値を示したので、その場で廃棄処分が決められた。祖母は急いで新しいサンダルを買ってくれた。それがおしゃれだったので気が晴れた。夏休みが終わって、家に帰ることになっても、母は、「ベラルーシに戻ってこない方がいいのでは。」とまで、言って少しでも長くエカテリンブルグにいてほしいとを話していたが、結局新学期に合わせて帰った。
 その後すぐではないが、母はがんで死去。今22歳の長男は体のあちこちに病気があり、ホルモンの状態など検査したが、異常はないと医者に言われて、特に治療を受けていない。

(52)(A)女性 (B)25歳 (C)モギリョフ州ヴェプリン村。キロフスク市 (D)なし (E)腫瘍ができ、腎臓を一つ摘出。 
(F)生まれ故郷の村は1999年に汚染地域に指定され、当時住んでいた村人、約1000人は強制移住させられた。移住先はチェリコフ市。しかしその町も汚染されていて、「希望したければ自由に出て行ける地域」とされていた。今はチェリコフ市は「きれいな」町ということになっている。自分はチェリコフ市に住んでいたが、現在はキロフスク市に一軒屋を建てたので引越しした。


(53)(A)女性 (B)7歳 (C)ミンスク (D)なし (E)なし 
(F)私の母はゴメリ州出身。母の姉(私の伯母)はホイニキ地区に住んでいた。そこは事故後汚染地域に認定されたので、事故が起きてからほとんどすぐに伯母は自分の娘(私のいとこ)を連れて、ミンスクの母の家に避難した。(ホイニキの妹がミンスクの姉の家に身を寄せた形。)
 伯母一家は夏の間、ミンスクで暮らしていたが、仕事や学校のことなどで結局ホイニキの家に戻った。その1、2年後移住することになり、ブレスト州のコブリンに住居をもらい、伯母一家は引っ越した。しかしその後伯母は40代でがんになって亡くなった。私のいとこは結婚して、息子が生まれたが生まれつき腎臓病。16歳になったが、病気は治っておらず完治は難しそう。
 伯母のように私の母方の親戚のうち事故のときすでに生まれていた人は、このいとこ以外、全員若死にし、今は一人も残っていない。
 現在ホイニキは除染も完了し、放射能がない地域に認定されて、かつての住民に戻ってくるよう誘致している。農地も再び利用されている。私自身はこのことを懐疑的に思う。政府が安全宣言しても、住みたくないし、そこで作られている農作物などは食べたくない。しかし、ホイニキのようなかつての汚染地域で作られたもので、ミンスクで売られているものを購入して知らない間に食べていると思う。


(54)(A)女性 (B)20歳 (C)ピンスク、ブレスト (D)なし (E)なし 
(F)原発で事故があり、外に出るのは危険だといううわさを聞いたが、放射能が何なのかよく分かっておらず、同じ年の友人と2人、屋根の上に上がって日光浴をした。4月とは思えないほど暑い日で、長く日光浴はできず、2人とも屋根から下りた。数年後自分は就職を機にブレストへ引っ越したが、友人はそのままピンスクに住み続けた。事故から8年後、友人は28歳で白血病になり入院。治療を受け続け、現在は完治した。
 自分の息子は事故が起きてから13年後の生まれ。10歳のとき、脳卒中を起こして倒れ病院へ運ばれた。脳卒中は子どもに発症する病気だとは思ってもいなかったので、ショックだった。その後心臓の肥大も見つかり、体の右側に麻痺が残ったが、リハビリの結果、再び通学できるまで回復した。それでも当時は字が早く書けなかったり、記憶障害があって、同級生の顔や名前が思い出せず、学校生活を送る上で精神的ストレスを抱えていた。つらい時期もあったが、時間の流れとともに心身ともに改善して安心した。しかし今19歳になった息子の健康状態が突然不安定になるのではないかと、母親として常に健康に気遣っている。


(55)(A)女性 (B)生後2ヶ月 (C)ブレスト州ルィシチツィ村 (D)なし (E)甲状腺がんのため、甲状腺を全摘出。
(F)事故当時、事故のことも放射能のことも知らず、乳母車に乗せられて、戸外でお散歩をしていたと後から母に聞かされた。28歳のとき甲状腺がんのため、甲状腺を全て摘出。ホルモン剤とカリウムサプリを飲み続けている。障碍者認定を受けている。ベラルーシの法律では甲状腺がんで全摘出手術を受けると障害者認定を受けるが、チェルノブイリ原発事故や放射能被曝との因果関係は証明されていないし、それが認定の理由でもない。

チェルノブイリ原発事故から32年

2018-04-26 | 放射能関連情報
 今日でチェルノブイリ原発事故から32年となりました。
 
 1年前はこんな記事を書いていましたね。

 そのときは、セシウム137の半減期がようやく過ぎたもものの、内部被曝量は減っていない・・・と書いていましたが、最近になって、ベルラド研究所が、
「平均すればベラルーシ人の内部被曝量は減少傾向に向かっている。」
と話してくれました。
 ベルラド研究所はもちろんベラルーシ人全員の内部被曝量を測定しているわけではなく、どちらかと言うとかつて汚染地域と言われていた場所の住民の追跡測定を行っています。
 半減期が過ぎてそのデータが集まってきたそうですが、その結果、全体として被曝量が減ってきており、その理由はセシウム137の半減期が過ぎたからだそうです。

 喜ばしいニュースですね。

 しかし、一方、別の見方も持たなくてはいけません。
 まず、ベルラド研究所で内部被曝を測定しているのはセシウム137とカリウム40だけです。
 (日本では半減期が2年のセシウム134も測定する方がいいです。)

 事故直後のように内部被曝量が体重1キロ当たり1000ベクレルといったようなベラルーシ人はもういないので、平均値を取ると、当然ベラルーシ人の内部被曝量が減ったように見える。
 食品からによる生体濃縮は続くので、目立つ数値の内部被曝はないものの、低被曝者はまだまだ大勢いるという予測です。

 長期間にわたる低い量の内部被曝が、どれだけ人体に悪影響を及ぼすのか、明確ではない。
 どうして明確でないかと言うと因果関係をはっきり証明できないからです。(「ガンになってしまった。それは被曝したから。」と断言できない。他の要因も考えられるため。)研究している人も少ないです。

 ベラルーシではチェルノブイリ原発事故後、子どもの1型糖尿病が増えましたが、被曝との因果関係を研究している人がいないので、「関係しているかどうか分からない。はっきりしない。だから断言できない。」という状況がずっと続いています。

 ともかくチロ基金としてはベルラド研究所とSOS子ども村の定める基準、子どもの場合、体重1キロ当たり20ベクレル以上の内部被曝はリスクがあると考え、支援活動を可能な限り続けていこうと考えています。



 
 

7年目ですね

2018-03-11 | 放射能関連情報
 東日本大震災が発生して7年になります。
 福島第一原発で事故が起きたのは3月12日で、少し早いのですが、ベラルーシに住んでいる私が思っていることを書きます。

 去年の夏、日本ベラルーシ友好派遣団に参加した高校生のWBC測定の通訳をすることができました。

 詳しくは「日本ベラルーシ友好派遣団に参加した高校生のWBC測定結果について保護者の方へ」をご覧ください。

 この記事では書きませんでしたが、この高校生は甲状腺と心臓の検査も受けており、複数名に異常が見つかりました。多くは良性だと思いますが、もし、悪性に変化したりするとよくないので、日本に帰ってから、精密検査を受けるように、とベラルーシの医師から診断書をもらって帰国したのです。
 
 その後、どうなったのか関係者にきくことができました。
 保護者が子どもを連れて、日本の医者に連れて行くと、
「それはベラルーシの基準ですよ。ベラルーシは基準が厳しいからそんなおどかすようなこと言ってるんです。日本人には日本の基準でいいんですよ。心配しないで。」
と一笑に付され、検査も治療も誰も受けていないそうです。

 保護者も「そうなんだ、ああよかった。」と一安心。
 確かに誰でも「あなたのお子さん、悪性腫瘍できてますよ。」という台詞を聞くより「何の心配もないですよ。」という台詞を聞きたいと思っています。

 こういう状況を見ていて思ったことです。
 ベラルーシの医者は「ある意味においてチェルノブイリ原発事故を経験したわれわれは甲状腺の病気に関してはエキスパートになったという自負がある。わざわざ日本から高校生がベラルーシへ甲状腺の検査に来たんだから、ちゃんと見てあげよう。アドバイスしよう。しかし経過観察には時間がかかる。続きは日本の医師にたくしてもらおう。」と思っていて、

 間に入って通訳をしている私などは、
「日本の病院の方が検査機器のレベルも高いと思いますよ。日本人にとってヨウ素剤がどれぐらい必要なのかきちんと知っているのは日本人のお医者さん。日本語も通じるし、帰国したら、病院で再検査をうけましょう。」などとアドバイス。

 日本の医者は、「ベラルーシの基準で日本人の検査結果を見たって無意味。いたずらに怖がらせないで。」と思っている。

 日本人の親は親で、自分の子どもは健康なんだと思い込みたいので、そういう言葉をかけてくれる医者の言うことには耳を貸す。自分の心の安定のため。

 ・・・このような考えの間で結局たらいまわしにされている日本人の子どもたち。甲状腺に線種やのう胞がすでにあるのに・・・

 何のためにわざわざベラルーシへ来て、WBCや甲状腺の検査を(ベラルーシ側の厚意で無料で)受けることができたのか、よく分かりません。

 チェルノブイリ原発事故からの教訓とか前例とか、日本人にとっては教訓でも前例でもないんですよ。

 ・・・とネガティブなことを書きましたが、それでも・・・と思います。
 それでも、私は私ができることをするしかありませんね。

 先日NHKスペシャル「被曝の森2018」という番組を見ましたが、特に林業の方々が、100年かけて大木に育ててきた木が、放射能汚染されていることがわかり、材木として出荷するのももう無理・・・同じ場所で放射能がぐるぐる循環しているので、今植えた木も汚染しながら生長し、この方々の子孫につなげる林業はもうできない・・・と話していました。
 本当に気の毒ですが、リグニンを吸着剤として使って、土壌から木のほうへ放射能が移行しないようにする、といった方法はないの? とも思いました。

 この方法については、このブログ上でも投稿しているし、宇都宮大学での講演でもお話したのですが、日本では実験されていないのかなあ、と思いました。
 ベラルーシでは(もしかするとこれは今のウクライナ領内の話かもしれませんが)森林の除染をリグニンの空中散布の実験をして、成功しているんです。
 ただ、汚染された森の面積が広大すぎて、実用はされませんでした。
 日本だったら、林業をやっているところだけでも・・・と思うのですが。

 まあ、チェルノブイリ原発事故からの教訓とか前例とか、日本人にとっては教訓でも前例でもないんでしょうけど。
 昔と違ってインターネットもある時代なんだから、とベラルーシから情報発信しているつもりではありますが、ときどき、幅の広い川の岸から向こう岸に向かって、「おーい、おーい。」と叫んでいるだけのような気持ちになることもあります。


日本ベラルーシ友好派遣団に参加した高校生のWBC測定結果について保護者の方へ

2017-08-06 | 放射能関連情報
 2017年7月22日から8月3日までベラルーシに滞在した日本ベラルーシ友好派遣団2017に通訳として参加しました。
 このプログラムに参加した50名の日本人高校生はベラルーシの保養施設で健康改善プログラムを受け、内部被曝量をWBCで測定しました。
 通訳としてそれに立会い、また結果についても翻訳してほしいと私は頼まれたのですが、諸事情により、「これではWBCの測定の結果がきちんと本人ならびに保護者に伝わらないだろう。」と感じました。
 そのため、ここで記事を書いてみたいと思います。

 ベラルーシ側から滞在予定のプログラムを渡されたときに、WBCで日本の高校生の内部被曝を測定する予定が、滞在のほとんど終わりの頃に予定されていることを知ったとき、ちょっとびっくりしました。
「日本人側から断る人はいませんでしたか。」
と私がきくと、ベラルーシスタッフは、
「いいえ。去年来た子どもたちも拒否することなく、普通に受けていましたよ。」
と話していました。
 私は2011年に仙台からベラルーシへ子どもたちが保養に来るとなったときの日本側の反応(測定の拒否)のことを覚えていたので、意外に思いました。
 時間が経ち、日本人側の意識も変わったのだな、と感じました。
(2011年の仙台市役所の反応についてはこちらにまとめてあります。) 

 さて、実際にWBCによる測定が始まると、日本の子どもたちの中に拒否する子や、
「両親から測定したらダメと言われている。」
などと言い出す子は一人もいませんでした。
 測定を担当したのはベラルーシ国境警備隊の移動車に積んだタイプのWBCでした。
 順番に身長体重も測定。しかし氏名は尋ねない・・・
 測定を担当した人は、
「結果はまとめて一覧表にして、ファイルにしたものを保養施設の医師に渡しときますよ。」
と言うので、ああ、個別に個人情報がもれないように封筒に入れて渡すとかしないんだな、と思いました。
 
 丸一日経過し、やっと医師がプリントアウトしたものを持ってきて、
「はい、これ訳しといて。」
と私に渡しました。しかし、それは私からすればとんでもないものでした。

(1)全員の分の結果がなかった。引率の先生も含め60人が測定したのに24人分しかない。医師に質問すると、
「私は国境警備隊の測定班からもらったデータをプリントアウトしただけだから。」
という返事。

(2)この24人の氏名が全員「MIYAGI」さんになっていた。宮城県から来た人が多かったためと思われる。確かに個人情報の流出という観点からすると、絶対にばれないです。しかし、具体的に
「せひとも私の測定結果を教えてほしい。」
という場合には結果を答えられない。
 一方、身長と体重は記載されているので、それで何とか誰の結果か判断することはできそう。ただし、身長体重が全く同じという高校生はたくさんいます。
 ちなみに性別も記載なし。性別による手がかりもないということです。
 年齢も住んでいる場所の記載もなし。
 日本の高校生を材料にしてベラルーシ側がデータ集めに利用しているのでは?といった穿った見方をする方も引率者の中にはいたようですが、そうとはとても思えないざっくりしたデータ集めです。
 ベラルーシ側に後ろ暗い目的があるとはとても思えません。

(3)測定したのはセシウム137とカリウム40だけ。セシウム134の結果は反映されていません。
 合計数でいいからセシウム被爆量を測定してほしかった。
 チェルノブイリ原発事故で30年以上経過したベラルーシではセシウム134の測定には無意味(検出されない)なので、測定もセシウム137だけ対象、になっているもよう。しかし福島第一原発事故から6年しか経過していない日本人の測定はセシウム134の測定もしてほしかったです。
 つまりここには事実より少ないセシウム被曝量が出ていると思います。
 さらには一覧表と言っても、単位が表記されていないという(科学的な見地からすると)おそまつなものでした。作成した人たちは一目で分かるんでしょうけど、一般人からするとそれぞれの数字が持つ意味が分かりません。

(4)仕方ないので、セシウム137の数値を見てみますが、一応24人それぞれの体全体の被曝量と体重1キロあたりの被曝量が記載されていました。(この点は評価できますね。)
 その結果ですが、体重1キロ当たり3.0ベクレルから3.5ベクレルの間にこの24人が収まっていました。
 つまり同じレベルということです。しかも体重1キロ当たり3ベクレル代なんて、すごく低数値で安心しました。健康被害が出るものではないです。よかった! ペクチンサプリも飲まなくていいぐらいですから。
「いや、3ベクレルでも被曝は被曝だ!」
とびっくりする日本人もいるかもしれません。
 しかし、そういう方は、こちらのベラルーシ人の内部被曝量をまず見てください。
 平均すればベラルーシの子どもたちの10分の1ぐらいです。
 もっともセシウム134の被曝量は分からないので、実際には3ベクレルより少し上の被曝量だと思いますが、だからと言って、体重1キロ当たり合計20ベクレルになるというのは考えにくいです。

(5)カリウム40の測定量も体全体と体重1キロあたりの数値が記載されていました。しかし単位がベクレルだったので、グラムでいつも判断している私の脳では換算できず、数字持つ意味が分からなかったです。(今度ベルラド研究所で換算方法をきいておきます。しかし算数が苦手な私ができるだろうか。)

(6)測定員は口頭で、
「異常のある子はいなかったよ。」
 保養施設の医師も、
「異常のある子はいませんよ。そう引率者に言っておいて。」
と気楽な感じで私(通訳)に言っていました。
 私から引率者(高校の先生方)に一覧表を見せながら、上記(1)から(5)のことを説明しましたが、先生方も、
「あ、そうですか。じゃあ、異常なしと保護者にきかれたら言っときます。」
と気楽な返事で、
「この一覧表、お渡ししましょうか。」
と私が差し出しても、
「いえ、いいです。いりません。」
 見たってどうせ分からないし、(本人や保護者に説明するやる気ゼロ?)という態度だったので、測定結果の一覧表は今、私の手元にあります。

 他人の私が見てももちろん個人を特定できませんので、別にいいのですが、もし、保護者の中で内のこの結果を教えてください!という人が出てきたときに、引率者が、
「測定結果を印刷した紙はベラルーシに置いてきました。」
と答えて大丈夫なものなんでしょうか?
 一方で、「いやあ、結果ですか? ベラルーシ側からもらってないんですよね。」などという嘘を先生がつくと、通訳である私が渡さなかったことになり、私に責任があると思われかねないので、このブログに事実を書いておきます。

 高校生のお子さんをこの保養プログラムに送り出した保護者の皆さんへ。
 私も高校生の親で、しかも2002年からチェルノブイリの子どもたちを支援するボランティアをしている人間ですから、ここに書いておきます。
 WBCの測定は全員受けました。詳細は上記のとおりです。
 残念ながら、残りの36人の結果は分かりません。しかし、60人中24人のセシウム137の測定結果が体重1キロあたり3ベクレル代ばかりであったことを考えると、残り36人の中に、一人だけ突然20ベクレルとか100ベクレルとか突出した数値が出てくるとは考えにくいです。
 つまり、60人全員体重1キロあたり3ベクレル代である可能性が非常に高いです。
 ですから、安心してください。

 どうしても自分のお子さんが測定結果が具体的に知りたいという場合、さらにお子さんがこの一覧表の24人の中に含まれている場合は、何とか身長体重で推測できるとは思います。その場合は私までメールでお問い合わせください。引率した先生方は保護者の方からの質問に答えることができません。結果の一覧表を受け取らなかったのですから。しかし、私は自分の被曝量は自分が知る権利があると考えます。
 

<被ばく>体内に総量36万ベクレルか 原子力機構事故

2017-06-08 | 放射能関連情報
<被ばく>体内に総量36万ベクレルか 原子力機構事故

日本原子力研究開発機構の大洗研究開発センター(茨城県大洗町)で放射性物質が飛散して作業員5人が被ばくした事故で、肺から2万2000ベクレルのプルトニウム239が検出された50代の男性職員について、同機構が男性の体内に取り込まれた放射性物質の総量を36万ベクレルと推定していることが8日、分かった。同機構などはさらに詳細な被ばく状況を調べている。

原子力機構によると、男性職員の肺の被ばく値から、血液や骨、臓器など体全体に取り込まれた放射性物資の総量を算出し、36万ベクレルと推定した。この数値は1年間で1.2シーベルト、50年間で12シーベルトの内部被ばくを見込む根拠になったという。

 5人は燃料研究棟の分析室で核物質の点検中、ステンレス製容器を開けた際に中に入っていたビニール袋が破裂し、粉末状の放射性物質が飛散。男性職員を含めて4人が放射性物質であるプルトニウム239やアメリシウム241を肺に吸い込み内部被ばくした。破裂した原因はわかっていない。

 5人は搬送された放射線医学総合研究所(千葉市)で放射性物質の排出を促す薬剤投与などの治療を受けているが、現時点で体調不良などの訴えはないという。原子力機構などは詳しい内部被ばく状況や健康影響などを調べている。【鈴木理之】


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 作業員の一人の方の被曝量、総量が36万ベクレル、つまり全身でそれだけの被曝量、ということです。
 チロ基金としては支援活動をしているときに、いつも体重1キロ当たりおよそどれぐらいの被曝量だったのかを目安に、ペクチンサプリを無料支給しています。
 この方の体重が分からないのですが、仮に体重100キロとしたら、体重1キロ当たりの被曝量は3万6千ベクレルですか・・・

 チロ基金では未成年は体重1キロあたり20ベクレル以上だと将来健康被害が出るリスクが高いとして、ペクチンサプリであるビタペクトを渡しています。
 成人の場合は、体重1キロあたり70ベクレルです。
 これはかつてベルラド研究所が医師と内部被爆測定と健康診断を同時に多くのベラルーシ人に対して行った時の結果を元に独自に決定したものです。
 チロ基金は子の基準を採用して支援活動を行っています。

 一方、ベラルーシ保健省が定めた基準は、未成年が体重1キロあたり200ベクレル、成人が500ベクレルです。
 これ以下の場合は、「大丈夫。普通。」というのが、ベラルーシ保健省の見解です。
 チェルノブイリ原発事故から30年以上経過した現在、ベラルーシ人は公式には全員、「大丈夫」ということになっています。

 さて、このようなベラルーシ保健省の基準に照らし合わせても、今回の被曝した作業員の方の被曝量は、「大丈夫」ではない、ということです。

 今は症状に自覚がないと言っていても、こまめにガンの検査をするとか、この方のケアをお願いします。他の四人の方もお願いします。



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このニュースの続報です。

<茨城被ばく>過大評価か 肺測定でプルトニウム検出されず


日本原子力研究開発機構大洗研究開発センター(茨城県)の被ばく事故で、原子力機構は9日、放射線医学総合研究所(放医研、千葉市)で被ばくした作業員5人の肺の放射性物質を再測定した結果、プルトニウムが検出されなかったと発表した。体の表面に付着した放射性物質を誤検出し、内部被ばく量を大幅に過大評価していた可能性があるという。

 この事故では、原子力機構が事故直後、体から出てくる放射線を計測し、肺の内部の放射性物質の量を推計した結果、50代の男性作業員から2万2000ベクレルのプルトニウム239が、この男性を含む4人の作業員からは8・5〜220ベクレルのアメリシウム241が検出されたと発表した。

 しかし原子力機構によると、この測定は体の表面の除染が不十分なまま行われ、体に付着した放射性物質から出る放射線を検出していた可能性があるという。一方、放医研は入念に除染をした後に肺を測定している。

 5人のうち3人は鼻の穴から放射性物質が検出されており、内部被ばくの恐れは依然として残るが、同機構は9日の記者会見で「最初のような大きな値の内部被ばくはないのではないか」と話した。

 放医研は今後、肺の再測定や排せつ物に含まれる放射性物質の調査などを基に、被ばく量を精査する。

 原子力機構は同日、作業をしていた室内の床に多くの黒い粒子が飛び散っていることも明らかにした。黒い粒子は放射性物質である可能性が高いという。【酒造唯、鈴木理之】


毎日新聞2017年06月09日20時57分

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 よかった・・・。被曝量は少なければ少ないほどいいですよ。
 しかし、全く被曝してないわけはないので、ぜひとも細かく測定して、対応してあげてください。お願いします。
 

作業員1人肺から2万2千ベクレル 国内最悪の内部被曝

2017-06-07 | 放射能関連情報
作業員5人に放射性物質付着 茨城の原子力機構施設」というニュースの続報です。2017年6月7日付。
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作業員1人肺から2万2千ベクレル 国内最悪の内部被曝

茨城県大洗町の日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターで、ウランとプルトニウムが入った保管容器から放射性物質が漏れて作業員5人が被曝(ひばく)した事故で、原子力機構は7日、このうちの1人で50代の男性職員の肺から、2万2千ベクレルのプルトニウムが検出されたと発表した。暫定で1年間に1・2シーベルト、50年で12シーベルトの内部被曝をする値で、過去にこれほどの内部被曝をした例は、国内ではないという。原子力機構は「急性の放射線障害が出るほどではない」としている。

【写真】日本原子力研究開発機構・大洗研究開発センターの燃料研究棟=6日午後6時40分、茨城県大洗町、朝日新聞社ヘリから、迫和義撮影

 原子力機構によると、残る4人からはプルトニウムは検出されなかったが、この男性を含む3人から最大220ベクレルのアメリシウムも検出された。5人は体内に入った放射性物質の排出を促す薬剤を注射する処置を受け、7日午前に千葉県の放射線医学総合研究所に搬送された。

 事故が起きたのは、高速炉の新型燃料などを研究開発していた燃料研究棟の分析室。保管状況を調べるため金属容器のフタを開けたところ、中のビニールが破れて放射性物質が飛散した。5人はいずれも口や鼻をマスクで覆っていたが、3人の鼻腔(びくう)内から最大で24ベクレルの放射性物質が確認されていた。

 原子力機構によると、この作業でビニールが破れることを想定していなかったため、作業は密封した状態ではなく、一部が開いた作業用の箱の中で行っていた。

 原子力規制委員会の伴信彦委員は7日の定例会で「2万2千ベクレルの検出は半端な状況ではない。命に関わることはないだろうが、軽微なものではない。作業の状況が適切だったか確認する必要がある」と問題視した。


     
 被曝医療に詳しい、国際医療福祉大クリニックの鈴木元院長は「2万2千ベクレルは量としては多い。肺に入ったプルトニウムは、1週間から10日かけて化学薬品を霧状にして吸入させたり、点滴したりして排出させる。その後、体内に残っている量を調べて健康への影響のリスクを判断しなければならない」と話す。


     
 〈立命館大の安斉育郎名誉教授(放射線防護学)の話〉 2万2千ベクレルはびっくりするほど高い値ではないが、プルトニウムが発するアルファ線はベータ線やガンマ線より生物学的に危険度が高い。アルファ線が通った周囲の細胞は破壊され、局所的な被曝(ひばく)を与える恐れがある。細胞への影響をみるために、肺の中のどこにどのように分布しているか、濃度や粒子の大きさはどのくらいなのかといったことを詳しく調べ、リスク評価を急ぐ必要がある。
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朝日新聞社

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 チロ基金の活動としては体重1キロ当たり20ベクレル以上の内部被曝をしている未青年には、放射能を体外に排出させるためにペクチンサプリを飲みましょう、と支援活動をしています。
 この作業員の方の場合、肺だけで、2万2千ベクレルの被曝をしているということですよね。 今はご本人は体調不良を訴えていなくても、後にガンになるリスクは増えたわけです。確かに「急性の放射線障害が出るほどではない」・・・ですけどね・・・。
 
 でもちゃんと放射能の排出を促す薬剤をすぐ投与されていたので、よかったです。
 一方で2万2千ベクレルは大きい数字なので、しばらく時間をかけて、薬剤の投与を続けてほしいです。(この場合ペクチンの投与などのんびりしている場合ではないので。)

 内部被曝の測定もきちんとしてあげてください。
 それにして、やっぱりマスクをしていても、肺にまで放射性物質が到達してしまうんですね・・・。
 

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同日の続報です。


作業員全員の肺からプルトニウム検出 原子力機構が発表  



茨城県の日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターで放射性物質が飛散し、作業員5人が被曝(ひばく)した事故で、原子力機構は7日、5人全員の肺からプルトニウムが検出されたと発表した。

 原子力機構によると、2万2千ベクレルが検出された50代の男性職員以外の4人からも、最大で1万4千ベクレル、6千ベクレル、5600ベクレル、2200ベクレルのプルトニウム239が検出された。アメリシウム241も5人から7・1~220ベクレル検出された。

 5人は千葉県の放射線医学総合研究所に搬送されており、体内に入った放射性物質の排出を促す処置を受けている。
.
朝日新聞社

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 結局5人全員の被曝が認められたということですね。
 とにかくちょっとでも早く、体内の放射性物質を排出させてください。
 それと、放射能は粘膜に影響を与えやすいので、目も検査してほしいです。鼻と口はマスクで保護していたみたいなのですが、目は? と思いました。
 
 そして、被曝のほうに関心が移っていますが、そもそもこの事故が起きたのは、容器の異常が見つかったために点検作業をしていたからです。
 その異常そのものについての報道がないですね。どうしてなのでしょう。
 
・・・・・・・・・・・・・・・

 子のニュースの続報はこちら

作業員5人に放射性物質付着 茨城の原子力機構施設

2017-06-06 | 放射能関連情報
2017年6月6日のニュースです。

作業員5人に放射性物質付着 茨城の原子力機構施設

日本原子力研究開発機構によると、6日午前、茨城県大洗町の大洗研究開発センター燃料研究棟で、核燃料保管容器の点検中に異常が発生し、作業に当たっていた5人の服などに放射性物質が付着した。

 機構が作業員の被曝(ひばく)状況を調べているが、5人のうち3人は鼻から放射性物質を吸い込んだ形跡があったという。外部への影響はないとしている。

 機構は同日午後7時から詳細について説明するとしている。

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 このような事故が起きた場合に備えて、このような施設では、プルシアンブルーなど、放射能を体外に排出させる促進剤が常備してるはず。・・・と願っているのですが、実際はどうなのでしょう?
 
 ただプルシアンブルーはセシウムには有効だと思いますが、(それでも全部取りきれるとは限らない。)上記ニュースで報じられている放射性物質はウランかプルトニウムかもしれません。 
 でも作業員の急性被爆に備えて、何か対応策を考えて準備していたはずです。
 それが迅速に上手くいけば、放射性物質を吸い込んだとしても、健康被害は出ない、と願いたいです。

 このブログ上で繰り返しお伝えしているペクチンはこういう急性被爆の対応策としては、優先して使ってもあまり効果がないでしょう。
 ともかくこの5人の作業員の方が被爆していないことを祈ります。
 東海村JCO臨界事故は文字通り悲惨だったと思います。

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 この事故の続報はこちら
 

ニュース 浪江町で山林火災 人立ち入れず自衛隊出動

2017-05-01 | 放射能関連情報
浪江町で山林火災 人立ち入れず自衛隊出動

浪江町で山林火災 人立ち入れず自衛隊出動

日本テレビ系(NNN) 4/30(日) 17:15配信
 福島第一原発の事故で人が立ち入れない福島県浪江町の山林で火災が発生し、自衛隊などが消火活動にあたっている。

 山林火災が発生したのは、浪江町の十万山。福島第一原発の事故で帰還困難区域に指定される場所で、29日午後に町の防犯見守り隊から通報があった。

 防災ヘリなどが出動して消火活動にあたり、一時、鎮圧状態となったが、強風にあおられて再び燃え広がった。福島県によるとこの火災でけが人はいないが、既に山林の7万平方メートル以上が延焼したという。

 現場は原発事故後、長期間、人が立ち入っていない場所で、地上からは近づくことができず、県は自衛隊や隣県にも防災ヘリの出動を要請し消火活動を続けている

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 以前のこのブログでも、放射能汚染地域である山林地帯の山火事について書いたことがあります。
山火事に注意してください

 浪江町の火事の原因は落雷らしいですね。
 風向きにより、静岡のほうまで、放射能が飛ばされている、という情報もあるみたいなのですが、空間線量のデータがないので、私には分かりません。

 GWで外出している人も多いと思うのですが、大丈夫なんでしょうか?
 また消火作業に従事している自衛隊員が被爆していないか心配です。

チェルノブイリ原発事故から31年

2017-04-26 | 放射能関連情報
 チェルノブイリ原発事故発生から今日で31年になりました。

 今日はセシウム137の半減期と風評について書きたいと思います。

 昨年の今頃は、
「ついにセシウム137の半減期が来るから、きっと内部被爆の数値も下がるに違いない。」
と期待していたのですが、予想は外れました。
 
チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布運動の測定結果を見ていても分かるように、ベラルーシの子どもたちの内部被爆量には変化はありません。
 おそらく生体濃縮が続いていて、事故のとき放出したセシウム137全体から言えば、数は半分になったとはいえ、食品の汚染は続いており、逆に人間の体内に蓄積している・・・ということでしょう。蓄積が絶え間なく続いているので、結局ベラルーシ人は内部被爆し続けており、それが測定すると数値として表れている、ということです。
 放出したセシウムが多すぎて、それが30年後半分になったとしても、食物連鎖の中で回っったり、また自然界からその循環の中に入ってくるセシウムの数が急に減少する、ということはない、ということです。
 結局、ずっと放射能と付き合う生活を送っていかなくてはいけません。
 次の半減期は2046年。劇的な内部被爆の減少はおきているでしょうか?
 一人一人の体重1キロ当たりの内部被爆量として考えると、それは起こらないだろうと思います。
 
 次に風評のことですが、小麦粉について書きたいと思います。
 偶然フェイスブックで「町の一介のパン屋のオヤジ」を自称している廣瀬満雄さんが、「パンと放射能」という記事を2014年に投稿しています。
 この第三回にこのような記述が見られます。
「つまり、東欧のベクレルまみれの小麦粉が、中国の製パン工場で冷凍生地として使用されドンドン日本にも入ってきている、という事です。大手ヤ〇ザキ製パンを始め、いろいろな企業に入っているようです。世界のパン「ヤ〇ザキ」とは、よく言ったものです。ベラルーシ産の小麦粉を使用しているかもしれないのですから。今、関西地方で有名な阪〇ベーカリーの100円パン、良い例かと思います。」

 これをどうして取り上げたかと言うと、ベラルーシは小麦の生産量が少なく、逆に外国から輸入せざるを得ない国だからです。
 とても日本に(あるいは中国に)小麦を輸出する余力がありません。
 
 おそらくこの文章を書いた廣瀬満雄さんの頭の中のイメージでは、「東欧」産の小麦粉が中国経由で日本に入ってきている。→ 東欧の中にあるベラルーシ。→ ベラルーシはチェルノブイリ原発事故の影響で汚染されている。→ そこで作られた小麦粉はベクレルまみれ。
 ・・・となっていて、このような文章になったのでしょう。

 しかし、ベラルーシは小麦輸出国ではなく、逆に小麦輸入大国です。
 どこから輸入しているのかと言うと、カザフスタンです。カザフスタン産の小麦を陸路で大量にベラルーシへ輸入。ベラルーシ国内の製粉所で粉にしています。(製粉されたものを輸入するより、この方が安いから。)

 ベラルーシのスーパーに行くと、いかにもベラルーシ産に見える小麦粉がたくさん売られていますが、それは小麦から小麦粉にした場所はベラルーシだからであって、実際にはベラルーシ人はカザフスタンの小麦から作ったパンを食べています。

 ベラルーシはヨーロッパの国で、パンは主食でしょ? 中央アジアの国から小麦を輸入しているなんて、おかしい! と思う日本人もいるでしょうが、ベラルーシ人の主食は「じゃがいも」そして「黒パン」です。
 黒パンはライ麦から作られます。ベラルーシは寒冷気候なので、寒さに強いライ麦はたくさん生えますが、小麦はほとんど生えないのです。だから暖かいカザフスタンから輸入しなくてはいけないです。
 
 ベラルーシの伝統的な料理には黒パンが必ず添えられていましたが、白パン(小麦粉を練って作ったパン)は食べられていませんでした。
 今では、白パンもケーキもたくさん売られています。
 一方で、ヨーロッパ人なんだから、パンは何でも好きだろう、とベラルーシ人におかずをいっしょに、白パンを出すと、拒否されます。
 黒パンは主食。白パンはおやつのような扱いだからです。
 日本人に「日本人だから米が主食ですよね。」と、味噌汁に焼き魚、漬物、そしてそこへ、「おはぎ」を外国人に出され、
「さあ、このアジのひらきといっしょに、おはぎをほおばってください。」
と言われたら、どんな気持ちになりますか? 
 このように、ベラルーシ人に黒パンを出さないといけないところへ白パンを出すと、断られます。
 もちろんおやつに白パンの菓子パンや、小麦粉から作るケーキなどはベラルーシ人は大好きで、いっぱい食べますけど、こういう食習慣が生まれたのは実は割合最近の話です。

 ベラルーシにとって、小麦粉は輸入品、現地では手に入らない貴重なもの、主食の材料ではなく嗜好品の材料に近い、ということが分かっていただけたでしょうか。
 このようにベラルーシから小麦粉が日本へ輸出されているとは考えにくく、また仮にそうであったとしても、それはベラルーシ産の小麦ではありません。

 東欧をまるごとひっくるめて、チェルノブイリ原発事故のせいで、汚染された地域、という廣瀬さんの(あくまでイメージですが、)考え方も正しくないと思います。

 廣瀬さんが「食品加工メーカーも自主的にベクレル検査をするべき」と提唱していることには賛同できるのですが。

 とにかく、ベラルーシ「産」で、ベクレルまみれ、つまり放射能汚染されている小麦粉から作られたパンが大量に日本人消費者の口に入っているとは、私にはとても思えません。

 「じゃあ、ベラルーシから日本に何が輸入されているのか?」という疑問を持つ人がいるかもしれないので、こちらのブログをご案内します。
「ベラルーシの貿易相手国 」  服部倫卓のロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪(ブログ版)より。
 2016年12月20日付のこの記事によると
「ベラルーシにとって最大の貿易相手国はロシアであり、以下ウクライナ、中国、英国、ドイツなどと続く。日本は、自動車の輸出などは行われているが、はっきり言ってベラルーシから買うものがないので、ベラルーシ貿易ランキングにおける順位は43位止まりであり、シェアも0.2%にすぎない。」
・・・だそうです。
 日本がベラルーシから買うものってないんですね・・・(^^;)

 私としてはこちらの「乳製品輸出大国としてのベラルーシ 」と言う記事のほうが気になりました。
 これによると、
「2015年にバターの輸出国としてベラルーシは世界3位を占めたという。1位がニュージーランドで43.9万t、2位がEU(1国ではないが)で17.4万t、3位がベラルーシで5.6万t、(中略)ベラルーシはこのほかにも、ホエイパウダー(乳清を粉状にしたもの)で世界3位、チーズ・カッテージチーズで5位、粉乳で5位の輸出国だった。」
 ・・・そうです。
 ちなみに日本は長年ベラルーシから粉乳を輸入しています。もっとも、放射能の検査は日本側はしているはずで、日本の基準値以下だったものだけが、輸入を認められているはずです。
 個人的にはホエイパウダーが気になりますね。ホエイにはセシウムのような水溶性の放射性核種が集まりやすいからです。
 それにしても。ベラルーシの乳製品がこんなに世界中で食べられているんですね。 
 ちなみにバターには原料だった牛乳に含まれていた放射能はほとんど残りません。
 
「いや、すっごい気になる。」
という日本人消費者の方は、一つ一つ原材料がどこからやってきたのか調べてから購入されることをお勧めします。
 とはいうものの、実際にはなかなか難しいですよね。

 でもまあ、20年以上ベラルーシに住み続けていて、ベラルーシ産のものを食べている私は今のところ健康ですので、ちょっとベラルーシ産の脱脂粉乳が入った日本製食品を日本人が食べたとしても、それが原因で発病する可能性は限りなく低いと思います。


ベラルーシ経由で放射性物質が輸送されていたニュース

2017-03-21 | 放射能関連情報
 アルメニアからベラルーシ南東部の都市ゴメリの空港を介してブルガリアに輸送される予定の貨物から基準値の250倍を超える線量の放射背物質が見つかった・・・というニュース。(2017年3月20日)

 ゴメリ空港で検査をし、さらに合法的に輸送される物であるという文書が添付されていることが分かったので、そのままブルガリアに飛行機(貨物便)で輸送した・・・そうです。

 アルメニアもブルガリアも何を考えているのか。
 私たちの頭上で何が飛び交っているか、その飛行機が墜落したりしたら、どうなるのか、想像するだけで怖いです。

ミンスクにある長崎の鐘について(11)

2017-03-11 | 放射能関連情報
 2017年3月現在の長崎の鐘の様子はこのようになっています。
 このブログ上で問題提起しましたので、3月11日付の投稿記事をご報告とさせていただきます。
 
 まあ、またこれからどうなるのか、予測できない部分もあります。
 ベラルーシに住んでいる日本人、また在ベラルーシ日本大使館が(公式ではありませんが)声赤い教会に対して上げたことが、よかったのか、それともそれは無関係で星条旗が外されたのかも分かりませんが、とりあえず今はよし、という状況です。
(あ、ちなみに私が長崎大司教区にサイトを通じて送ったメールの返信はいまだに来ていません。(笑))

 私はミンスクで暮らしていますので、また長崎の鐘の今後についても見守りたいと思います。

 画像は見学に訪れたと思われる一家。私が画像を撮影している間も、長崎の鐘にはけっこう多くの人が訪れていました。
 このような形で、ミンスク市内で核の犠牲者の慰霊、そして反核を訴えている長崎の鐘ですから、それが持つ意義もよく考えて大事にしていかないといけませんね。


 

ミンスクにある長崎の鐘について(10)

2017-03-11 | 放射能関連情報
 以前ウクライナ国旗は長崎の鐘の裏側にぽつんと設置されていたのですが、今日本国旗の横に設置されています。
 では、長崎の鐘の裏側はどうなっているのかと言えば、画像のとおり、何の国旗もありません。
 星条旗はどこにもありませんでした。
 また「ミンスクにある長崎の鐘について(3)」でもご紹介しましたが、アメリカからの土の由来を説明するプレートもありませんでした。

 つまりペンキの塗り直しの際に取り外されたまま、元に戻していない、ということです。
 すると、納められているはずの土が入ったカプセルはどうなっているのでしょうか。
 もしかすると、撤去されたかもしれませんが、土はそのままで、星条旗とプレートだけ外されている可能性が高い気がします。
 
 一方でこの長崎の鐘の裏側をよく見ると、右側に1本国旗を取り付けられる器具がつけられていることが分かります。
 ですから、しばらく経ってから、またここに星条旗が設置されるかもしれません。

 
 

ミンスクにある長崎の鐘について(9)

2017-03-11 | 放射能関連情報
 以前このブログで「ミンスクにある長崎の鐘」についてご紹介しました。
 (1)から(8)までの記事についてはこちらです。

 この長崎の鐘にアメリカの国旗がつけられているのは、いかがなものか、という話でしたが、その後、ペンキが塗られ直されることになり、国旗も外されていました。
 もうペンキ塗りも終わっただろうが、その後の赤い教会の対応はどうなっているのだろうと、心配していましたが、昨日様子を見に行くことができました。
 
 画像のとおり、星条旗は外されたままでした。日の丸の横にあるのはウクライナの旗です。
 真ん中はベラルーシ国旗。
 左側にはロシアの国旗とカザフスタンの国旗が風のせいで絡まりあっています。
(やっぱりロシアとウクライナの国旗を並べることは、現状ではできませんね・・・。並べたら、苦情を言う人あるいは政府が出てきそう。)

 
 

ブックレット「ふくしまから世界へ」

2017-01-04 | 放射能関連情報
 「ふくしまから世界へ」というプロジェクトについてご紹介します。
 これは、福島第一原子力発電所事故の教訓を市民の目線から世界へ伝えるためのプロジェクトで、各国語にブックレット「ふくしまから世界へ」を翻訳しています。
 公式サイトはこちらです。

 世界中でこれだけ原発が稼動しており、しかもひとたび大事故が起きれば、地球上のどこにいても、多かれ少なかれ被曝してしまうと思います。
 人種に関係なく、被曝すれば、これも多かれ少なかれ、健康被害が出ます。
 福島第一原発事故の問題は福島だけ、日本だけの問題ではないことを世界に広く知らせることが、大切なことです。
 そのときに出てくるのが、言葉の問題です。このブックレットはすでに複数の言語に翻訳されています。
 詳しくはこちらをご覧ください。
 
 外国人の友達に、福島第一原発事故について、知ってほしいとき、あるいは質問を投げかけられたときに、その友達の母国語で書かれたブックレットを読んでもらえれば、詳しい情報を分かりやすく伝えることができるはずです。
 どうか皆様のお役に立ててください。

 私としてはロシア語版の完成が待ち遠しいところです。
 またできる限り多くの言語に訳され、世界中の人に読んでほしいです。