ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第186回」

2015-11-30 |   ビタペクト配布活動
 11月30日にビタペクトと「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第186回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はセルロースを11個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを2部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2365個、セルロースの合計は66個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2114部となりました。
 今回で通算201回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2365人の子どもにビタペクトを、約57人の子どもにセルロースを、2114家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42

(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 現在のところビタペクト3のチェコからの搬入がなく、代わりにセルロース(1個で1人分)を配布することになりました。

 チロ基金は以前にもビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a


 今回はこちらの投稿記事でご紹介しているタイプのロシア製セルロースを1人1袋(150グラム)渡すことになりました。


 今回は2家族がミンスク州からSOS子ども村に保養滞在していました。
 2家族とも家族タイプ孤児院の家庭でした。

(家族A)

 プレシチェ二ツィ(チェルノブイリ原発から約370キロ)から来た家族。お母さんが8人の子どもを引率していました。この家族には6個のセルロースを渡しました。▽の印の子どもに1個ずつセルロースを渡しています。それぞれの測定結果はこのとおりです。

母親(事故発生時15歳)14ベクレル
男子(16歳)15ベクレル
男子(16歳)15ベクレル
男子(15歳)28ベクレル ▽
女子(14歳)32ベクレル ▽
女子(14歳)26ベクレル ▽ 
男子(12歳)23ベクレル ▽
女子(11歳)39ベクレル ▽
女子 (7歳)28ベクレル ▽

 お母さんに子どもたちの健康状態についてお話をうかがいました。
 16歳の男の子は腎臓病です。
 15歳の男の子は背骨がゆがんでおり、専門の特別学校へ通っていますが、結果が出て、治ってきたそうです。
 14歳の女の子(32ベクレルのほう)は心臓病にかかっていましたが、だいぶよくなってきました。
 この14歳の女の子だけがお母さんの実子で、他の子どもは里子です。
 他人の子どもをこんなにたくさん育てているお母さんには頭が下がります。

 お母さんの話によると、ベラルーシに住んでいるいわゆる孤児のうち、天涯孤独というような子供は30%ほどで、後は両親がいるのに親権放棄された子ども、つまり捨てられた子どもだそうです。
 引き取った子どものうち1人は、実の母親から生後すぐに親権放棄されたそうですが、そのとき産院で、母親は医者に
「この子、いりませんから、臓器移植のドナーにでも使ってください。」
と言ったそうです・・・

 もちろん医者はこの子を施設に預け、その後家族Aのお母さんの元に引き取られていったそうです。
 引き取られてよかったですね。しかし生みの親のほうが考えていることが、私には理解できません。
 
 ベラルーシは出生率をあげるために、今年2月から子どもが生まれたら、国から祝い金をあげるという政策を打ち出しました。
 ちなみに今年11月に金額が改正され、現在のところ、第1子誕生には円に換算して約11万円、第2子以降は1人につき15万円ずつもらえます。
 ベラルーシ人の平均月収が約4万円なので、「2人目が生まれたら給料4か月分ぐらいのお金がもらえる。」という感覚です。(日本人の感覚だとどうなるのか、皆様計算なさってください。)

 少子化対策のため、子どもが生まれたらすぐお金をあげようよ、という意見は日本にもあります。
 こちらをご覧ください

 でもこの話をお母さんたちにしたら「やめといたほうがいいよ・・・。」という意見でした。
 やはりアル中の親が酒代ほしさに子どもを生み、お金をもらった後、それで全部飲んでしまい、
「お金がなくなって経済的に育児ができませんから。」
と親権放棄。子どもは孤児院へ・・・というケースがベラルーシにあるそうです。
 同じようなことが日本でも起こるわよ、というベラルーシで「育ての親」をしている方からの見解です。

 やはり「お金で釣って産んで、日本人の人口の頭数さえ増えれば少子化問題が解決するわけではない。」と私は思います。
 産んだ後、育てるほうがずっと大変ですよ。
 ちなみにベラルーシでは3歳になるまで毎月育児手当がもらえます。


(家族B)

 プホビチ地区コバリョワ村(チェルノブイリ原発から約270キロ)から来た家族。お母さんが6人の子どもを引率していました。この家族には5個のセルロースを渡しました。▽の印の子どもに1個ずつセルロースを渡しています。それぞれの測定結果はこのとおりです。

母親(事故発生時21歳)7ベクレル
女子(13歳)33ベクレル ▽
女子(11歳)26ベクレル ▽
男子 (9歳) 6ベクレル 
女子 (7歳)25ベクレル ▽
女子 (6歳)28ベクレル ▽ 
男子 (4歳)28ベクレル ▽

 このうち11歳の女の子は測定が終わった後、風邪をひいてしまい、保養を続けてもよかったのですが、帰宅しました。
 その代わりに別の兄弟が保養に来ました。ところが今度は4歳の男の子が熱を出し、私がSOS子ども村に来たときはずっと寝ていました。

 お母さんのお話では、帰宅した11歳の女の子は食物アレルギーで、詳しい検査をミンスクの専門病院で受けさせたいと希望していました。
 4歳の男の子が熱を出したのは牛乳のせいというお母さんの話でしたが、ちがうと思います。

 この一家は乳牛を飼っており、いつもその牛乳を飲んでいます。保養に行くときも絞ってきたのを持参していましたが、しばらくして全部飲んでなくなったので、市販の牛乳を買って飲んだら、熱が出たというのです。
 体質に合ってない物を飲んで体調が狂ったのかもしれませんが・・・
 この家で絞っている牛乳ですが、今までもいとども検査したことがありません。
 お母さんの話では、村に測定するところはないし、どこに行けば測定してもらえるのかも、全く分からないということでした。
 私からはベルラド研究所で測定してもらえるので、1リットルほど持って行ってはどうかと話をしました。
 
 このお母さんはミンスク生まれのミンスク育ちだそうですが、20年前の30歳のときにコバリョワ村に引っ越したそうです。
 子どもたちは里子で村の近くのいろんな地域からやってきています。
 
 お母さんが言うにはやはり簡単に子どもを捨てる人が多く、引き取った子のうちの一人の実の母は、出産した次の日に「紙おむつ買ってきます。」と言って産院から逃走。行方不明になったそうです。
 ベラルーシの産院から出産したばかりの人が逃げ出すのは難しいと思うんですがねえ。
こちらを参照。産院に入院したら着ている服を「没収」されて、子どもを連れて退院するまで服を返してもらえないんですが。)

 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、着物から作った巾着袋をプレゼントしました。
特に年長の子どもたちは難しそうだけど日本語を勉強してみたい、日本に行ってみたいと、話していました。
 
 画像は記念撮影した様子です。しかし熱を出して寝ていた男の子、風邪を引いて帰宅した女の子は写っていません。
 また1人のお母さんも「私太っているから恥ずかしいわ。」と逃げてしまった(^^;)ので写っていません。

 最後になりましたが、セルロースのの購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書、巾着袋など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。


ビテプスクの日本クラブ

2015-11-27 | 日本文化情報センター
 ビテプスクにある日本クラブを見学してきました。
 (ビテプスクはベラルーシにある街で、画家のマルク・シャガールが生まれたところとして有名です。)
 ここに外国文学図書館があるのですが、その中に日本クラブが今年発足しました。
 発起人は図書館司書のオリガさんです。
 他にも英語クラブもありますが、日本クラブでは有志が集まって日本語の勉強をしているそうです。
 日本語で歌も歌っていると聞き、見学に行くこととなりました。

 ビテプスク外国文学図書館の紹介(ロシア語)はこちら

 オリガさんの話によると・・・
 外国文学図書館には英語で書かれた書籍が最も多い。日本文学の本はない。あるのは日本語の教科書と辞書合計3冊。
せっかくなので、この機会にチロ基金から日本がテーマの本や雑誌を寄贈しました。
 「はだしのゲン」ロシア語版第1巻も広島から来た方からお預かりしていたので寄贈しました。

 日本語の授業については日本語教師はいないので、有志同士が教えあっている状態。(これは大変では・・・)
 インターネットが使えるので、動画で日本語を勉強しているそうです。
 
 動画などを利用して日本語で歌を歌っているそうですが、「難しい・・・」とのこと。
 ちなみに図書館司書オリガさんが大ファンだという日本のミュージシャンは「BUCK-TICK」だそうです。
 (最初聞いたときは「え?」と思いましたが、そう言われてみれば、雰囲気がBUCK-TICKっぽいわ・・・と後から思いました。ベラルーシの図書館員と日本のビジュアル系ロックバンドに共通点が見つかるとは・・・)

 ビテプスク外国文学図書館で働いているのは現在オリガさんだけ。前は2人いたのに、英語クラブを担当していた司書さんが退職したので、なくなってしまったそうです。
 それでも日本クラブはオリガさんが続けていて、毎週木曜日に集まって日本語勉強会と日本語カラオケをしているそうです。
 オリガさん1人で運営が大変そうなので、文献を持っていけるだけ持って行って寄贈しました。
 メンバーに話を聞いたら「やっとひらがな覚えた。」「カタカナは難しい。」「漢字を覚えるにはどうしたら・・・」
 と日本語の難しさをぼやく声が・・・
 
 一方で「日本のアニメが大好き。」「映画もドラマも見て、それで言葉を覚える。」「日本に行きたい!」という前向きな発言も多くありました。

 ビテプスクには他に日本語を教えているところ(大学や語学教室、家庭教師など)はないそうです。
 ということは日本クラブはビテプスクで唯一の貴重な場所。
 しかも図書館内にあるので、全て無償で参加できるのです。
 すばらしい。
 日本文化情報センターも図書館内にあり、無償で日本語教育をしているわけで同志ですよ、同志。

 チロ基金もこの日本クラブへの支援を今後も続けようと思いました。

 画像は記念撮影したものですが、場所は図書館ではありません。(^^;)
 ちょうどこの日(11月26日)にビテプスクで日本のピアニスト中村天平さんのコンサートがあり、日本クラブのみなさんといっしょに聞きに行ったのです。撮影場所はビテプスクフィルハーモニーホールです。
 演奏の後、天平さんがわざわざロビーに来て、ビテプスク市民のみなさんといっしょに写真を撮ったり、サインをしたりしていました。
 私は日本クラブのメンバーに「さあ、天平さんに日本語であいさつしてみましょう。」と背中を押したのですが、やはりまだどきどきな感じでしたね。
 でも「こんばんは。」「ありがとうございます。」「写真を撮ってもいいですか?」など日本語で話していました。
 よかったよかった。
 ビテプスクの人たちもずっと拍手していて、大盛会でした。またベラルーシに来てほしいですね。次に天平さんと会うときはもっと日本クラブの皆さんも日本語で話せるようになってほしいですね。

 私にとっては久しぶりのビテプスクでした。交通費はチロ基金から出させていただきました。
 しかしミンスクとビテプスクの距離は約300キロなのですが、交通費は日本円に直して600円でした。ベラルーシ国内の交通費は安いと思います。またビテプスクの日本クラブにお邪魔して、日本語の授業をしたりできたらなと思いました。
 
 

バイリンガル教育・T家のケース

2015-11-21 | ベラルーシ生活
 以前の投稿にも書きましたが、混血の子どもだからと言って二ヶ国語ができるようになるとは限りません。

 どちらかというとバイリンガル教育を親はしてきたけれど、思っていたほどうまくいかなかったというケースのほうが多いようです。
 以前日本のラジオ局からベラルーシがテーマで取材を受けたときに
「そう言えば、Tさんは国際結婚されていて、お子さんもいますよね? 海外在住ですけれどお子さんは日本語ができますか?」
ときかれて「はい。」と答えると驚かれたようすで
「そうですかー。実は企画でバイリンガル教育をテーマにした番組を作る予定があって、今いろいろな海外在住日本人にこのような御質問をしてデータを集めているところなんです。でもTさんのように『はい。』と即答された方はほとんどいなくて・・・。この番組をつくることが決定しましたら、また改めて取材してもいいですか?」
と言われて、了承したのですが、その後このラジオ局から連絡はありませんでした。

 バイリンガル教育と言っても、実にいろいろなパターンがあります。

 両親は日本人同士なのか、人種がちがうのか、外国人同士か。
 住んでいるところは日本なのか、外国なのか。両親とは無縁の第三国なのか。
 ふだん通学する教育機関は? 日本の公立の学校なのか、外国の公立学校なのか、インターナショナルスクールなのか? 日本人学校に行くのか? 日本語補習校なのか・・・などなど
 両親以外にも外国語でコミュニケーションする相手はいるのか? 兄弟は? 親戚は? 友達は?
 同時に二ヶ国語を教えるのか、それとも一つの言語を母国語として習得させた後、もう一つの言語を教えるのか?
 バイリンガル教育にかけられる予算はどのぐらい?

 バイリンガル教育に成功した、という場合でも、どういうレベルを成功としているのか、基準はいろいろあります。
 二ヶ国語とも、4技能(読む、書く、聞く、話す)が完璧なのかどうか。
 それとも論文がすらすら読めるレベルにまで到達すれば完璧と見なすのか。
 それとも日常生活レベルに支障がないレベルであればよしとするのか。
 会話はできるけど、漢字は苦手という場合も成功例に入れるのかどうか。

 バイリンガル、と言ってもさらに「二重バイリンガル」「平衡バイリンガル」「偏重バイリンガル」・・・などいくつかの種類に分かれます。
 セミリンガル(ダブルリミテッド)という言葉もあって、要するに二ヶ国語を子供のときから勉強していたけど、結局どちらも中途半端になってしまい、「これならちゃんとできる!」という母国語が一つも確立しないケースもあります。(滝沢カレンさんはこのケースに当てはまるのかもしれません。)
 
 さらには子どもを取り巻く、環境や社会もちがってきます。また子どもの心理状態も人それぞれだし、成長するにしたがって変化します。
 反抗期に入って、1ヶ国語しかしゃべらなくなったというケースや、「自分は日本人じゃない。」と言い出して、日本語を拒否するケース。自分が住んでいる国の状況によっては「日本語ができたって就職などに有利にならない。」と勉強を放棄するケースなどが多々あります。

 このような条件を挙げていると本当にさまざまで、しかもその組み合わせの数まで考えると、大変な数のパターンに分かれます。
 バイリンガル教育、と一口に言っても、文字通り千差万別で自分の子どもとぴったり同じ条件の他のお子さん(前例)には出会えないと思ったほうがいいかもしれません。

 つまり他の人のバイリンガル教育の成功例も失敗例もそのまま自分の子どもに当てはまるとは限らないということです。

 ・・・ということを踏まえたうえで、T家のケースをお読みください。

 うちの子を取り巻く環境や条件はこうなっています。
 親の希望は「日本語とロシア語のバイリンガルになってほしい」です。あわよくば「ベラルーシ語もできるトリリンガル」。

 両親の人種はちがう。ウクライナ人の父親と日本人の母親。
 両親の母語は父親がロシア語で、母親が日本語。
 父親はロシア語以外にもウクライナ語とベラルーシ語ができます。(ただし書くのは苦手。)日本語は全くできません。
 母親はロシア語ができます。(完璧ではないですが、日常生活が送れて、職場でも問題なく使えるレベル。)

 子どもは父親とは常にロシア語だけで話しています。
 母親とは日本語です。
 しかし親子3人で会話をするときは全員ロシア語です。
 我が家では日本語とロシア語を同時に教え始めました。(生まれてからすぐということです。)

 生まれ育ったところはベラルーシ。ベラルーシの公用語はベラルーシ語とロシア語で、現地の義務教育でこの二ヶ国語は必須科目。

 ベラルーシに日本人学校はありません。日本語補修校もありません。アメリカンスクールはあり、外国人を受け入れていますが、日本語の授業は当然ありません。なのでベラルーシの公立の学校に通学しています。
 私立の小学校で外国語選択科目として日本語を教えている学校が1ヵ所ありますが、この学校が日本語を選択科目に入れたころはうちの子は中学生になっていたので、日本語を勉強する場として選択範囲の中に入っていませんでした。

 ベラルーシに住んでいる日本人の数ははっきり分かりませんが、今50人ぐらい。そのうち小中学校の学齢の子どもはたぶん5人ぐらい。(純血の日本人児童はいません。)
 日本人の同年齢ぐらいの友達もいません。
 兄弟もおらず一人っ子なので、うちの子が日本語を話す相手は、普段母親1人だけ。
 夏になると母方の日本人祖父母(もちろんロシア語はできない)がベラルーシへ遊びに来るので、そのときは日本語での会話が増えます。

 日本語の勉強になるからと子どもを連れて毎年日本に里帰りするということもしていません。
 本人が日本へ行ったのは生まれてこのかた1回だけです。6歳だったので、あまり記憶もありません。
 将来一家で日本に住む予定もありません。父親が日本語ができないのと、生活の基盤がベラルーシにあるためです。

 バイリンガル教育にかけられる予算は・・・あまりないです。というより、あわよくばあまりお金をかけずにバイリンガルになればいいなあ、と甘いことを考えています。(^^;)

 ベラルーシは人種差別が少ない国なので、「日本語なんかできなくていい! それより公用語であるベラルーシ語を習得せよ!」といったことはありません。
 父親も協力的で、二ヶ国語を教えることを肯定しています。
 一方でベラルーシは日本との関係が少ないので、日本語ができてもそれを生かせる就職先がベラルーシ国内にほとんどありません。

 じゃあ、進学や就職に役立たないし、ふだんコミュニケーションをとる相手もほとんどいないのに、なんでまた自分の子どもを苦労してバイリンガルにしょうとするのか? ときかれそうですね。
 その答えはいろいろあるのですが、何といっても「21世紀を生きるこれからの世代の人は2ヶ国語以上できるのが当たり前になってきており、そのためには子どものときから勉強を始めておいたほうがいい。」と思うからです。

 ・・・とまあ親のほうは立派な目標を掲げていますが、子どもが小さいときには「おじいちゃんとおばあちゃんと日本語でお話しできるほうがいいでしょ」レベルのことを言っていました。(^^;)

 反抗期に突入した娘ですが今のところ、日本語の勉強を続けています。
 12歳で日本語能力試験N2レベル(2級)も受かったし、(追記。その後14歳でN1レベル合格しました。)バイリンガル教育はうまくいっているほうだと思います。
 でもやはり漢字を欠くのは同じ年齢の日本人の中学生と比べて苦手なほうだと思います。そしてやはり母語(一番とくいな言語)は何?と聞かれたら、ロシア語と答えています。
 寝言もロシア語が多い(^^;)ので、たぶん母語はロシア語で、日本語は母語ではないと思います。
 
 T家のバイリンガル教育ですが、ロシア語のほうは学校で勉強するので、特別なことは家庭ではしていません。
 問題なのは日本語のほうです。

 バイリンガル教育がうまくいかなった例として、父親とは○○語だけをしゃべり、母親とは△△語だけをしゃべるようにしていた場合、父親と母親の間は○○語だと、△△語で会話する2人の人間を見たことがない、ということになるので、△△語は習得しにくくなる、というのがあります。

 我が家の場合だと、○○語がロシア語で、△△語が日本語です。
 おじいちゃんとおばあちゃんが来たときは母親が祖父母と日本語会話しているところを子どもに見せられるのですが、短期間です。
 
 こういう失敗例を聞いていた私は、子どもに「日本人同士が日本語で会話しているようす」を見せるために、日本のテレビを見せることにしました。
 ベラルーシでは日本語衛星放送を見ることができます。詳しくはこちらのHPをご覧ください。
 子供向けの番組もあるので、それを見ると日本の子どもが日本語でおしゃべりしている様子が見られます。
 また日本語の歌も覚えることができました。
 テレビの見すぎは教育上よろしくない、という意見が多いですが、我が家のバイリンガル教育には日本語のテレビは大変役立ちました。
 
 次に日本語教育に役立ったことは、やはり日本文化情報センターの存在です。
 ここでは2007年から無料の日本語教室を週に1回開いています。うちの子も7歳から大人にまじって授業に参加させました。
 自分以外に日本語を勉強しているベラルーシ人の姿を見ていたことが刺激になったと思います。

 また日本文化情報センターには、外国人向け日本語教科書のほか、日本の絵本や児童文学書、日本の音楽CDも所蔵しているのでそれらを利用できたのも勉強になりました。
 センターで行っている活動、茶道や書道、墨絵などにも参加させました。

 (家庭の中でもできる限り日本の年中行事を再現しました。お正月にはおせち料理、節分のときは豆まきに恵方巻き、雛人形も飾って、七夕では短冊を書いて・・・というぐあいです。) 

 言葉だけではなく日本の伝統文化も理解してくれたら、ということです。 
 
 何となく家庭内でおしゃべりして会話ができたらよし、というのでは、自分がどのレベルに達したのか、客観的に見ることができないと思い、日本語の習得度を知るために10歳から日本語能力試験を受験させています。
 勉強するのに目標や基準ができて、やる気の持続のためにはとても効果があると思います。
 ただベラルーシは試験会場に選ばれていませんので、毎回越境して受験しなくてはいけないので、大変です。
 チロ基金が交通費支援しているので、その点は助かっていますけどね。
 交通費を支援してもらうためには絵本を翻訳しなくてはいけませんが、その作業も小学校1年生から毎年始めました。

 次に日本の教科書を在ベラルーシ日本大使館経由で受け取っているのも日本語の勉強に役立っています。
 海外に住んでいる日本人の子ども(義務教育年齢で、日本国籍を持っている場合)は日本国内に住んでいる子どもと同様無償で、教科書をうけとることができます。
 詳しくは文部科学省のサイトあるいは海外子女教育振興財団のサイトをご覧ください。

 日本国民は教育を受ける権利があると憲法にも定められているわけですから、居住している国に関係なく教科書をもらえる、という考えです。
 このことを私は知っていたのですが、なぜか「将来日本に帰国する予定の日本人子女でないと教科書はもらえないんだ。」と勘違いしており、娘が小学校1年生になったときに、申し込みをしなかったのです。
 ところが1年後大使館員から
「そう言えばTさんのお子さんは何年生になるんでしたっけ?」
ときかれ
「来春2年生になります。」
と答えると、
「あ、そうだったんですか。じゃあ、2年生から教科書をもらってください。」
と言われ、手続きもしてくれたらしく、翌年から毎年ちゃんとほぼ全教科の教科書を大使館経由でいただいています。
 (これも義務教育期間だけなので来春中学3年生の教科書をいただくのが最後になります。ちなみに無償であっても教科書が不要と判断した場合、もらうのを断ることもできます。)

 このようなわけで、1年生の教科書だけがなかったのですが、実は日本文化情報センターには小学校や中学校の教科書を若干数所蔵しており、娘が1年生のときは、その教科書を使って国語と社会は勉強していました。
 しかし弊センターの教科書は古いものです。
 2年生からは自分の教科書をもらえて、直接書き込みもできるようになり、とても日本語の勉強になったと思います。それに最近の教科書は印刷もきれいで、写真や図表もカラーで分かりやすいですね。
 こういうものに税金をかけるのは、国の将来のためにも役立つことだと思いますよ。

 一方で教科書があっても、それを開いて勉強しないと意味がありません。
 日本人学校に通っている場合は、教室で先生や同級生といっしょに教科書を使って学んでいるわけですが、ベラルーシには日本人学校がありません。

 仕方ないので、「親子2人だけ日本人学校」状態で勉強していました。
 私が大学で教育社会学を専攻していたので、教えるのはそんなに大変ではありませんでした。
(私は文系頭なので、中学数学を教えるのは、少々心もとなくなっていますが。問題の答え合わせに時間がかかる・・・)(^^;)
 せっかくいただいた教科書なので全教科を勉強しています。
 しかしベラルーシの学校のほうも高学年になると宿題が増えてきて、日本の教科書を勉強する時間がなかなか取れなくなってきます。
 幸いベラルーシの学校は夏休みが3ヶ月あるので、そのときにまとめて日本の教科書を開いて勉強し、何とか学年度末までには日本の学校で勉強している日本人の子どもの学習に追いつくようにページ配分をしてこなしました。

 こうして書くと大変そうに思えますが、数学の公式などは世界共通なので、「これはベラルーシの学校で習った。」という内容は、日本の教科書でもさっと進むことができました。
 理科や社会の教科書は写真などがきれいなので、日本語で読んでいてもよく理解できたようです。

 せっかくなので、いただいた教科書以外にも、日本文化情報センター所蔵の教科書も学年に合わせて全て読み進めました。
 また漢字ドリルも小学校1年生から6年生の分はあったので1ページずつ活用しました。

 もちろん日本文化情報センターには、外国人向けの日本語教科書も多数あります。ロシア語で説明のあるもの、英語で説明のあるもの、日本語で説明のあるものの3種類の教科書を習熟度に合わせて読み進めました。
 
 他にも「手紙の書き方用例集」「ビジネス文書用例集」といった本もセンターにあるので、日本語能力試験対策に活用しました。
 機会があれば、日本語で手紙を書いたり、「未来の」履歴書や「架空の」会議資料を作成しました。

 書籍以外にもインターネットの子ども向け学習サイトなども活用して、クイズ形式で漢字を勉強したりしました。
 今はこのようなサイトがたくさんあるので、自分に合ったものを見つけて活用できますね。

 長くなったのでまとめるとT家のバイリンガル教育(日本語教育)は 
「親が日本語で話しかける」から始まり、
幼児期からは「日本語のテレビ番組を視聴する」
小学生になってからは「日本語教室に参加する」「日本人の小中学生が学校で使っている教科書や教材」「外国人向け日本語教科書」で勉強。
「役立ちそうな本は日本文化情報センター(図書館)で無料で借りる」ことで節約。「インターネットの子供向け学習サイト」もメインの教材ではありませんが、活用しました。

 目標を設定するため「日本語能力試験を受験する」
 そのために「日本の絵本の翻訳作業に参加する」ことをしました。

「日本語を勉強しているベラルーシ人の友達」を年齢に関係なく作ったり、日本文化情報センターのイベントや年中行事などを通じて「日本文化に触れさせる」のもバイリンガル教育に役立っていると思います。

 親としては日本語を教えるためにできるだけ日本に住んでいるような環境を子どもの周りに作ろうと努力していますが、当然完璧にはできません。
 また親が本や学習サイトを見つけてきても、子ども自身が学ぶ気持ちがないと語学ができるようにはなりません。
 正直言って、バイリンガル教育は本当に大変です。この記事を書くだけでも疲れました。(^^;)
 大変なのですが、親子二人三脚のバイリンガル教育はもうしばらく続けようと思っています。


ハーフはロシア語で何ていうのか調べてみた

2015-11-19 | ベラルーシ文化
 前回の投稿記事でいわゆる混血の人のことをハーフ(半分)と呼ぶのはちょっと・・・別な表現ないですかね? といったことを書きました。

 ちなみに英語では I’m half japanese and half american. というように、半分日本人で半分アメリカ人です、と両方言うのが正しいそうです。
 50%足す50%で、100%になる表現だから、ハーフであってもいいと思います。
 日本人が言うところのハーフは「半分は日本人として認める」というニュアンスがあるので、あまり好きではないです。

 その後そういやロシア語ではどういうのか、少々気になりました。

 ロシア語で混血児のことを ребёнок смешанного происхождения と言うそうです。
 長いよ! こんな言葉使ったことないです。
 ちなみに混血児が成長して大人になると、ребёнок の部分を человек に変えないといけない。めんどうくさー

 和露辞書によっては混血の人のことを метис と訳しましょう、としているのもあるのですが、これは厳密に言うと正しくありません。

 метис(メティース)というのはメスチソのことで、混血であってもヨーロッパ人とインディオ(ラテンアメリカの先住民)のことを指します。
 しかもロシア語のメティースには犬などの動物の「雑種」の意味もあります。
 そしてロシア語に名詞に性があるので、ヨーロッパ人とインディオの混血の人でも女性だったら、メスティスカ と呼ばれます。めんどうくさー

 日本人とウクライナ人の混血はこれに当てはまらないので、うちの子はメスティスカではありません。

 さらにヨーロッパ人とアフリカ人の間に生まれた混血の人は、男性だと、мулат ムラート、女性だとムラートカと呼ばれます。

 ついでですが、インディオとアフリカ人の間に生まれた人は、самбо サンボとロシア語で言うのですが、ロシアにはこのタイプの混血の人は非常に珍しいので、言葉としてほとんど浸透していません。ロシア人にとって、самбоとは柔道に似たスポーツの名称です。

 しかしロシア語の場合混血の種類によって、混血児と言っても全部名称が違ってくるんですね。
 
 ここで知りたいのは、ヨーロッパ人とアジア人の混血の場合は何ていうのかです。
 私の夫も友人も「・・・知らない。」「そういうタイプの混血は少ないから、名称がない。」という答えばかり。

 そうか、ちょうど当てはまる言葉がないんだ。
 ・・・と思って長年あきらめていたのですが、私は見つけましたよ!
 
 ヨーロッパ人とアジア人との混血の人はロシア語で евразиат エヴラジアート と言うのです!
 女性だと エヴラジアートカ ですね。

 ロシア語の евро は日本語でユーロと訳すので、евразиат もユーラジアート と訳してもいいですね。そのほうが発音しやすい。

 この言葉、お気づきになった方もいるでしょうが、ユーラシア大陸人という意味があるのです。
 ヨーロッパ大陸プラスアジア大陸、というニュアンスです。

 ヨーロッパ人とアジア人との混血の人にとってはぴったりではないですか? 

 ハーフ(半分)というより、ユーラジアートカ、というほうが、何だかイメージが広々してますよ。

 決めた。今日からうちの子のことは、ハーフとか混血とか言うのをやめて、「ユーラジアートカです。」と言うようにしよう!

 ・・・と思ったのですが・・・言葉が持ついい面は、それでコミュニケーションが取れること、そして悪い面はその言葉が広く浸透していないとコミュニケーションに使えない、ということです。

 ちゃんとロシア語にエヴラジアートという言葉があるのに、私の周囲のベラルーシ人(夫も含む)は知らないし・・・ サンボのように浸透していない言葉なんですね・・・
 とほほー

 「うちの子はエヴラジアートカです!」と言ってもベラルーシ人からは「はあ?」という反応しか返ってこないのか・・・

 いや、あきらめないぞ! これからこの言葉を広めるのだ! 

 がんばります!

 日本でもハーフはやめてこれでいいんじゃないですか?
 え、ユーラジアートカというロシア語は舌かみそう?

 だったら、もっと簡単にユーラシアンでいいのでは?

 ベッキーもユーラシアンタレント。
 滝沢カレンもユーラシアンモデル。
 滝川クリステルもユーラシアン女子アナ。

 このほうがハーフよりイメージがいいと思いません?
 
 でも「それじゃあ、アジア系とアフリカ系のハーフの場合はどういうのか?」と言われそうなので考えてみました。
 分かりやすく「アジアフリカン」でどうでしょうか?

 同じ発想で、(日本では少数派だし「ムラート」のままでいいと言う人もいるでしょうが)ヨーロッパ系とアフリカ系の混血は「ユーラフリカン」。

 もっと細かく言えば、アジア系とアラブ系の混血は「アジアラビアン」。
 アジア系とアメリカ系との混血は「アメラジアン」。

 それじゃあ、日本人と中国人といったアジア人同士の混血の場合はどうするのか?
 「アジアジアン」・・・だと変ですかね。
 この場合は「ダブルアジアン」でもいいかも・・・

 こんなの細かすぎる、めんどうくさい、簡単にハーフに代わる名称はないのか? という意見に対しては、ミックスでいいかな・・・と思います。
(でもミックスは料理の名称みたいでいやだ、という場合には「ミックスド(Mixed)」にして差別化を図るほうがいいかもしれません。 英語で「私は混血です」というのは「I'm mixed.」になるので。)

 勝手に1人でいろいろ考えてみましたが、当事者の意見が優先されますよ。
 
 それでうちの子との会話
「ねえ、Yちゃん、ハーフって言われるのと、ミックスって言われるのと、ダブルって言われるのと、エヴラジアートカって言われるのと、ユーラシアンって言われるのとどれが一番いい?」
「はあー? ・・・私Yちゃんっていう名前があるから、Yちゃんって呼ばれるのが一番いい。」

 ・・・。

 ともかくですね、上記のようにあれこれ考えましたが、結局細かく分けるのもいつか限界が来ますよ。
 混血の人同士が結婚するばあい、1人の子どもの中にいろんな民族の血が混ざるから、どこのパターンにも当てはまらないという人が絶対出てくるでしょう。
 クオーター同士の人が結婚して生まれた子どもは何ていうのか? (八分の一?)
 
 こうして考えると、現代社会では今後はハーフ(半分)とか言ってられないぐらい、混血の人の数が増えて、ますます複雑化してゆき、1000年も経てば100%純血の人のほうが数の上で少なくなる可能性が高いです。
 そうすると混血という言葉とか差別とか、「ハーフはやっぱりキレイだよねー。」という考えもなくなっていくでしょう。

 これが私が出した結論です。

 しかし今のベラルーシ社会を生きる私としては、うちの子はユーラシアンという名称を広めたいと思います。(一人勝手に・・・)(^^;)

 

ウクライナ人ハーフモデル滝沢カレンの日本語

2015-11-18 | ベラルーシ生活
 私の娘は日本人とウクライナ人のハーフです。
(このハーフという言葉あまり好きではないので、別の言い方ありませんかね? 「あいのこ」とかいう言葉よりはましかと思うけど。
 最近は「ミックス」「ダブル」という表現もありますが、定着していませんね。「ミックス」というと料理関連の言葉に聞こえるし、「ダブル」も別の用法が多すぎて、人を表す言葉に聞こえないからだと思います。
 ダブルのうちの子がベラルーシ人と結婚したら、間に生まれた子どもはトリプルになるのか? といつも思います。
 ついでに言うと障害者という言葉も別な表現が広まってほしい。)

 そのつながりではないのですが、ウクライナ人ハーフモデル滝沢カレンさん(23歳)の日本語がすごくおかしいことについてです。
 詳細はこちら。名だたる司会者もお手上げ!滝沢カレンの不思議な日本語で困惑者続出!


 本当におかしな日本語ですよねえ。カレンさんのお父さんはウクライナ人、お母さんは日本人。生まれは日本で、小中高と日本の学校を卒業しています。
 なのに、どうしてこんなに日本語が不自然なのか・・・
 この人の母国語は何語? 頭の中で思考するとき使っている言葉は何語? と思いました。

 私は最初、ロシア語から直訳したような日本語になっているんじゃないかと思って読み返してみましたが、そうではないですね。

 娘の日本語がおかしい理由を母親は「しつけがなっていなかった」と後悔しているらしいのです。えええー、しつけの問題なの?! 思わず焦る私・・・
 でも日本の学校に通っていたのに? 学校の友達と日本語の会話はしてなかったの?

 国際結婚して子どもが生まれましたって言うと、その子どもは「自然とバイリンガルになるだろうね。うらやましい。」と言う人が(日本人に限らずベラルーシ人にも)たくさんいます。

 でも実際にはそんなに簡単にはバイリンガルになりません。
 ということは自分の経験からしてそう思います。

 自分の子どもをバイリンガルに育てたいと苦労している日本人の方々の意見や体験談などネットで検索するといろいろ出てくるのですが、やはりハーフの人がみんなバイリンガルになるとは限らないことが何度も出てきます。
 
 カレンさんなんて日本生まれの日本育ちなのに、日本語が下手だと母国語もないような状態ですよ。ハーフだから二ヶ国語できるでしょ、ではなはく、ゼロヶ国語できる、ですよ。

 そんなのありえるのかなあ? 「滝沢カレンは言語障害だ。」と言う人もいますが、本当の言語障害だったら、コマーシャルや映画には出演できないです。

 私の考えでは本当は日本語が上手なのに、わざと下手な日本語をしゃべって、そういうキャラを作っているのだと思います。
 ハーフタレントはいっぱいいるし、こういう方法を使って差別化を自ら図っている・・・あるいは事務所からこういうしゃべり方をしろと命令されているのではないでしょうか。
 そして「新おばかクイーン」とか枕詞をつけられるのですね・・・

 みなさん、ウクライナ人と日本人のハーフは、みんなおばかで日本語が下手なんだと思わないでくださいね。
 
 ちなみにうちの子はカレンさんと同じで父親がウクライナ人で母親が日本人だけれど、生まれはベラルーシで、ベラルーシのごく普通の学校に通っています。ふだん日本語で会話するのはほぼ母親とだけです。
 
 うちの子との会話
「ちょっと見てよ、この滝沢カレンさんの日本語! Yちゃんと同じでお父さんがウクライナ人なんだって。」
「この人の日本語・・・全然意味が分からない。何が言いたいの?」
「日本生まれの日本育ちなのに、どうしてこうなっちゃったのかなあ? お母さんはしつけの仕方が間違ったと思っているらしいけど。私の、私のしつけは・・・ああああーーー。カレンさん23歳だけど、Yちゃんがこんな大人になったらどうしようーー。」
「私、大人になっても日本語忘れないって。もうどうでもいいじゃん、こんな馬鹿な日本人のこと。早く寝ようよ。電気消して。」

 ・・・。
 やっぱり私は、滝沢カレンさんが、わざとああいうしゃべり方をしているのだと思いたいです。(信じたいです。本当は馬鹿なのではない!)

 

 

女性評議会

2015-11-17 | 日本文化情報センター
 ベラルーシには女性評議会(ジェンスキー・ソビエト)というものが存在します。
 この評議会が国単位のものがかつてのソビエト連邦なのですが、他にもいろんなくくりの小さい評議会が存在しました。
 そのうちの一つ、女性だけがメンバーになれるのが女性評議会で、ベラルーシでは職種ごとや企業ごとにたくさんあります。
 例えば女性図書館員だけが加入できる女性評議会もあります。私はそのメンバーですが、ベラルーシの図書館員はほぼ全員この評議会に加入してるはずです。
 同じものがベラルーシ大学にもあります。そのベラルーシ大学女性評議会の招待を受けて、11月17日(ベラルーシでは「学生の日」です。)に文学部の一室で行われた茶話会に参加しました。
 
 テーマは「国際社会における女性の役割」とかそういったものです。
 私は「日本はどうなんですか?」という質問に答えるために出席したのですが、他にも中国、ポーランド、スロバキア、トルクメニスタンの教員や学生が参加していました。

 「20年もベラルーシに住んでどうですか?」といった質問のほうが多かったですね。
 チロ基金の活動なども宣伝しておきました。(^^;)
 
 フランスで起きた同時多発テロのニュースも生々しい今、司会役の先生に「このような国際社会の中で生きる私たち。母親としての役割はどんなものになるでしょうか?」と話を振られ、そんな大きなテーマの質問を私にされても返事に困るからやめてほしいと思いました。(^^;)

 でも、女性だから云々、とか言ってる場合ではないことは話しておきました。
 母親だから子どもを守りたい、という考えの人が多いので、こういう考えは暴力によって物事を解決することに繋がるかもしれない。
 一方で体に爆弾を巻いて自爆する女性テロリストもいます。
 教育は大事だと思う。(だから大学のような教育機関が担っている役割はけっこう大きい。)

 作家の乙武洋匡さんがテロリストの主張にはまったく耳を貸さずに国際社会から孤立させることが、本当に平和へと続く道なのかとツイッターに投稿したら「話し合いの余地があるのか」「テロ行為を容認しているのか」と反発を受けた(詳細はこちら)というニュースを引き合いに出して、「一方的なものの見方ばかりするのはどうか。」と言いました。(反発する人がたくさんいるのが、日本人らしいと私は思いましたが。)
 結局はテロリストの言い分なんか聞いても、「到底容認できない」「やっぱりテロリズムは悪だ」という感想をを持つだろうけど、テロリズムそのものの思想がどこから来ているのかなど、知ろうする態度を持つことは大事なのではないでしょうか。
 そういう意味でも大学と言う教育機関が担う役割は大きいです。ベラルーシの大学は外国人留学生を広く受け入れており、若い世代たちの交流も大事ですよね。

 しかしまあ、自分の体に爆弾を巻いて発火するなんて、普通の人はできませんよ。それを実行するのはどういう思想からきているのか、どういう心理状態になっているのか、理由を考えてみるのは全く無意味ではないと思います。

 評議会では男女平等や差別問題などもテーマに上りましたが、おおむねベラルーシは平和なほうだと分かりましたよ。
 
 しかしまあ、パリで大規模テロが発生したら、すぐにロシアが「先月起きたロシア機墜落はテロでした」と認め、「だから」とまたシリア空爆を開始。
 アノニマスもサイバー攻撃開始。
 パリではテロ首謀者の捕り物(銃撃戦)が起こり、ISはニューヨーク攻撃を宣言・・・
 結局みんなレベルが同じですよ。

 負の連鎖とはこういうことを言うのだなとしみじみ思いました。

 この連鎖を断ち切る方法はないのでしょうか?

 

愛知・新美南吉ゆかりのピアノ修復 110年の時を超えた音色

2015-11-16 |   新美南吉
 11月16日のTHEPAGE愛知のニュースです。

愛知・新美南吉ゆかりのピアノ修復 110年の時を超えた音色

愛知県安城市の安城高等女学校(現県立安城高校)にあった、約110年前に製造のロシア製グランドピアノがこのほど修復を終えた。同校には童話「ごんぎつね」が代表作の童話作家・新美南吉が教員として1938年に赴任。そのピアノについてとされる俳句を南吉が残していることから、「南吉ゆかりのピアノ」として市民から注目を集め、修復完了に喜びの声が上がっている。このほど、同市歴史博物館でお披露目コンサートが開かれ、約170人の市民らが、よみがえったピアノの音色に耳を傾けた。


9割の部品再利用でオリジナル損ねず

 同館によると、ピアノは1905年頃製造で、ロシアのピアノメーカー・ベッカー社製。作曲家のチャイコフスキーたちから高い評価を得たという記録があるが、日本ではほとんど知られていないメーカーで、現在同社は存在しない。日本国内で演奏できる状態で現存する同社のピアノは、同館にあるピアノが唯一とされる。

 安城高校の英語教諭だった故・大岡幸雄さんが譲り受け、同市内の実家の納屋で保管していたが、2年前に妻の雅子さん(77)が市に寄贈。1年8カ月かけて修復され、今年10月に同館のエントランスホールで展示が始まった。

 修復は、古いピアノの修復実績がある小野ピアノ工房調律センター(栃木県真岡市)が行った。ピアノは約50年の保管中に雨でぬれたこともあったという。その影響でピアノの音の心臓部で、弦の下にある響板の一部も痛んでいたが、同時期のピアノに使われていた響板を移すなどして補修。全体の8~9割の部品はそのまま再利用し、オリジナルを損ねないようにした。
.

亡くなった主人も喜んだことでしょう

 コンサートでは、南吉が好きだったショパンの曲など9曲が披露された。演奏したピアニストの山本千秋さん(27)は「現代のピアノと比べて音は柔らかく、まろやかな感じ。鍵盤は反応が良く、繊細」と話した。

 最前列で演奏を聴いた雅子さんは「修復は無理と思っていたが、きれいに直していただいた。亡くなった主人も、この場にいたらとても喜んだことでしょう」と、感激した様子だった。

 同館によると、今後ピアノは同館で展示を続けるが、演奏会や一般来館者が触ることができるような機会は、今のところ予定にないという。しかし、天野信治学芸員(50)は「コンサートのリハーサルのときより、本番の方が、音が良かった」と感想。「使っていけば状態が良くなっていくことを確信した。演奏会に使うことなどを、考えたい」との意向を示した。

 南吉は教員時代に「講堂に ピアノ鳴りやみ 秋の薔薇」という俳句を残した。ピアノをよく見ると、家具を思わせるデザインの脚や、譜面台に施された彫刻など、100年の時を感じさせる。復活したピアノは、南吉のいた時代を思い起こさせるとともに、現代でも人々を魅了し続けていく。
(斉藤理/MOTIVA)

.......................................

 ほっとするいいニュースですよねえ。
 新美南吉はピアノを習ったことがなかったので、演奏はできなかったと思いますが、楽譜が読めたので、安城高等女学校の音楽の先生がピアノを弾いていたときに、楽譜をめくる役をしていました。
 そのピアノが修復されて美しい音色が戻ったとは・・・

 しかもロシア製というのが、気になるところですよ。
 でもJ.Beckerというブランド名はロシアらしくないので、調べたところ、ヤコブ・ベッカーはドイツ生まれでした。
 1811年にドイツで生まれ、ピアノ職人となり1841年にはロシアのサンクト・ペテルブルグにピアノ工房を創立。ロシアの音楽文化の発展に貢献しました。1879年に亡くなるまで、ピアノの構造上の発明を繰り返し、5種類の特許を取ったそうです。
 ベッカーの死後も工房は後継者によりピアノの製造を続け、著名なピアニスト、作曲家が愛用し、ロシア皇帝一家の邸宅に献上されたことも。
 しかし第1次世界大戦が始まった頃からドイツとロシアの関係が悪化したこと、また1917年に起きたロシア革命の影響などにより、1918年に工房は閉鎖。ベッカーのピアノは造られなくなってしまいました。
 
 こんな貴重なロシア製のピアノが日本に1台だけだそうですが、現存していて音も出るようになり、しかも新美南吉が聞いていたなんて・・・ロマンですねえ。

 

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第185回」

2015-11-09 |   ビタペクト配布活動
 11月9日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第185回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はセルロースを4個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを2部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2365個、セルロースの合計は55個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2112部となりました。
 今回で通算200回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2365人の子どもにビタペクトを、約46人の子どもにセルロースを、2112家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42

(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 現在のところビタペクト3のチェコからの搬入がなく、代わりにセルロース(1個で1人分)を配布することになりました。

 チロ基金は以前にもビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a


 今回はこちらの投稿記事でご紹介しているタイプのロシア製セルロースを1人1袋(150グラム)渡すことになりました。

 今回は2家族がブレスト(チェルノブイリ原発から約440キロ)からSOS子ども村に保養滞在していました。

(家族A)

お母さんが5人の子どもを引率していました。 
 この家族には2個のセルロースを渡しました。▽の印の子どもに1個ずつセルロースを渡しています。それぞれの測定結果はこのとおりです。

母親(事故発生時6歳) 11ベクレル
長女(14歳)15ベクレル 
長男(12歳)22ベクレル ▽
次女 (8歳)15ベクレル
三女 (5歳)20ベクレル ▽
四女 (2歳) 7ベクレル 

 子どもたちに健康状態についてお母さんにお話をうかがいました。
 長女生まれつき持病がありましたが、現在は治っています。長男は偏平足でよく足の痛みを訴え、長時間歩くことができません。この2人は毎年ベラルーシ国内のサナトリウムで保養しています。
 次女はアレルギー体質です。会わないシャンプーを使うと湿疹が出ます。またかんきつ類のアレルギーがあります。また手足の関節によく痛みが出るそうです。
 三女は視力の低下が見られます。
 お母さん自身は腎臓結石、甲状腺肥大、肝臓の病気、胃炎・・・と持病が多いのですが、
「自分のために治療費を使うのはもったいない。子どものためにそのお金を使いたい。」
とあまり病院にも行っていないようです。お母さんの健康も大事だと思うのですが・・・

 このお母さんはチェルノブイリ原発事故が起きたとき、ブレストではなく、おばあちゃんの家で暮らしていました。場所はイワツェビッチで、チェルノブイリ原発から350キロの場所です。事故が起きたとラジオのニュースで知ったおばあさんは慌てて、孫たちに
「しばらく家から出て行けない。」
と言って、外に出そうとしなかったそうです。
 その後、このお母さんは結婚を機に15年前ブレストに引っ越したそうです。
 子どもたちは全員ブレスト生まれです。


(家族B)

母親(事故発生時9歳) 7ベクレル
長男(14歳) 4ベクレル 
次男 (8歳)24ベクレル ▽
次女 (6歳)18ベクレル ▽
三男 (4歳)14ベクレル 
三女 (3歳)18ベクレル 

 この家族には19歳の長女がいますが、保養滞在の年齢制限があるため、同行していません。
 お母さんに子どもたちの健康状態について話をうかがいました。

 長男は慢性胃炎で、投薬と食事療法を行っています。持病があるため毎年サナトリウムで保養滞在しています。このサナトリウムは胃炎の病気を持っている患者専用のサナトリウムです。
 次女は冷たい物を飲むとすぐに喉が腫れてしまいまいます。子どもたちは全員風邪を引きやすいそうです。
 お母さん自身は慢性的背中と足が痛み、ときどき点滴を受けているそうです。

 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、着物から作った巾着袋をプレゼントしました。
 子どもたちは漢字にすごく興味を示し、勉強したいとまで言っていました。「忍者になりたい。」と言い出す男の子もいました。
 
 最後になりましたが、セルロースのの購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書、巾着袋など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。


ベラルーシルーブルのデノミ施行決定しました

2015-11-06 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
 2016年7月1日をもって、ベラルーシ・ルーブルのデノミネーションが施行されるとベラルーシ国立銀行が発表しました。

 ゼロを4個とってしまうそうです。10000ルーブルが1ルーブルになります。
 そしてベラルーシ共和国が独立して初めての硬貨も8種類発行される予定です。

 しばらく慣れるまで混乱するかもしれませんね。

 独立以来インフレがずっと続いていたベラルーシ。
 今年の7月1日には最少額紙幣だった50ルーブル札も廃止され、100ルーブル以下の金額は切り捨てられました。

 デノミのうわさは前からあったのですが、ついに来年に決定です。

 ちなみに・・・
 私が留学したとき、つまり1995年の地下鉄の料金は500ルーブルでした。
 現在は4500ルーブルです。
 しかしすでにベラルーシはデノミを一度行っており、そのときにはゼロを3個とったのです。
 なので、もしそのときデノミをしていなかったら、地下鉄の料金は現在4500000ルーブルだったはずです。
 500ルーブルだった地下鉄料金が4500000ルーブルになったというインフレですよ。
 つまり9000倍の物価高です。
 1995年から2015年の20年間に9000倍というインフレ率です。

 日本円でたとえて言うと、1995年に200円だった地下鉄料金が2015年、1800000円になった、という感覚です。
 想像してみてね。(^^;)
 
 とにかくベラルーシでインフレがこれ以上進むのは止まってほしいと思います。

 デノミについては来年続報を投稿します。
 

 
 
 

ベラルーシ軍人のスキル

2015-11-02 | ベラルーシ文化
 この前の記事で、「ベラルーシが美女の国だったら、美人の母から美男もたくさん生まれていておかしくないのに、なんでベラルーシは美男美女の国とは言われないのか?」とか次回はベラルーシ美男も見つけてほしい、とかめちゃくちゃなことを書き込みました。

 美男かどうかまでは分かりませんが、とにかくすごいベラルーシ男性をこちらのサイトでご覧ください。
 「イッテQ」でも少し紹介されてましたが、ベラルーシ軍のパフォーマンスがすごいということで、そのつながりで見ていただければ・・・
 
 こういうサイトもあります。

 ベラルーシに長く住んでいる私からすると、フツーに感じられるのですが。(^^;)
 だんなもこれを見て「こんなのフツー。」と軽く言ってました。(←アンタはできるのか?)

 だんなが言うにはベラルーシ軍人は自分が強いということをときどきアピールしないといけない。
 それを見た国民は「ベラルーシ軍すごい。強い。これなら戦争が起こっても、ベラルーシは勝てる。」と安心する・・だからたまには「すごいこと」を考案してわざわざやって見せるのだそうです。

 いやあ、頼りがいがありますね。こうなったら、もう美男かどうかなんてどうでもいいや。と思いました。(^^;)
 
 ちなみに上記サイトで「また徴兵制が敷かれているので全ての青年が軍への入隊を余技なくされる。」とありますが、間違いです。
 さまざまな理由から兵役免除になる人も多くいます。
 だからベラルーシ人男性イコール全員100%徴兵されていると思わないでください。もちろん「曲芸」も全員はできません。

 頼りがいと関係あるか分かりませんが、ベラルーシが無職の国民に罰金を課しているというのは本当です。
 
 
  

 

「世界の果てまでイッテQ」でベラルーシが登場する予定 (追記あります)

2015-11-01 | ベラルーシ文化
11月1日放送のテレビ番組「世界の果てまでイッテQ」でベラルーシが登場するそうです。
珍獣ハンターイモトのコーナーなので、たぶんズーブル(ヨーロッパバイソン)が出てくるのでしょう。
 で、それだけではなくベラルーシのことを紹介するVTRではイモトさんが「ベラルーシといえば・・・」じゃがいも、あるいは美女ということで、ドラニキを食べたり、モデルといっしょにキャットウォークをしたりする・・・というのが私の予想ですね。


 ベラルーシに住む日本人親子の会話
娘「私ベラルーシにイモトが来るわけないって言ってたけど、ついにイッテQに出るね。」
母「よかったね、ついにイモトがベラルーシへ来るなんて。(涙ぐむ) あいのりのラブワゴンもベラルーシには来なかったのに。」
娘「ベラルーシなんてど田舎で何もないから誰も来ないんだもん。」
母「ミンスクはそんなど田舎じゃないです。」
娘「でも5SOSのワールドツアーはミンスクに来ないじゃん。」
母「ベラルーシより大国のロシアやポーランドにもワールドツアー来ないでしょ。」
娘「でもCDも売ってないしさー。ベラルーシほんとだめ。」

 5SOSが何なのか知らない方、そして知りたいという方は適当に検索してください。(^^;)

 ベラルーシ人も中学生になると「ベラルーシは『底』」などといって、母国を卑下しています。そんなことないと思うんだけど。底というのは「最下位」とか「何もない」とか「ど田舎」という意味です。

 ちなみにうちの娘の友達(女子中学生。もちろんベラルーシ人)はラッスンゴレライの練習をしており、うちの娘が日本語の歌詞を教えている・・・
 いつかこの2人がサングラスをかけて踊ってくれる日を母は待っているのだよ・・・
 ベラルーシにもラッスンゴレライが知られているんだから、「底」ではないでしょう。
 話はずれましたが、イッテQ(読売テレビ)で「ある意味まともな」ベラルーシの紹介がされるといいですね。

・・・・・・・・・・・・

 以下は11月1日の追記です。
 番組見ましたが、珍獣ハンターなのに、ズーブル出てこなかったですね。
 イモトさんが「でけー! でかいよ、この牛!」と叫ぶところを見たかったのに、残念。

 個人的にはわら人形(と訳すと日本人は「あの丑三つ時に釘さす・・・あれ?」と思われるかもしれませんので、私は「わら製人形」といつも訳しているんだけど。)が紹介されていたのがうれしかったです。
 わら人形より、亜麻人形のほうがよりベラルーシらしくてさらによかったかも。

 あとやっぱり「ベラルーシといえば美女ですよ。」と言ってましたが、ウクライナに行ったときも「ウクライナといえば美女ですよ。」と言っていましたね。美女の国って世界でいくつあるの?
 ちなみにテレビに出ていたのはモデルとか、きれいな人を選んで撮影してるので、ベラルーシ人女性イコール100%全員美人と思い込まないでください。大丈夫、足が短い人もいますよ。(^^;)
 日本人はあまり卑下しないほうがいいです。うちのだんなみたいに、美人の国に住んでおきながら、日本人と結婚した人もいることだし。(^^;)

 話は変わるけど、どうして美女の国と言われている国は同時に美男の国にならないの?
 だって、美人だらけの民族ということは、美人から生まれる男の子は美男になると思うのだが・・・
 一度も「ベラルーシって美男美女の国ですよね。」と言われたことがありません。
 どうして?
「ウクライナって美男美女の国ですよね。」というのも聞いたことない。美人はたくさんいるけど、そこから生まれる息子は美男にはならないってこと?
 美女はたくさんいるけど美男はいないっておかしくない?
 
 それと今回はベラルーシはスラブ系やアラブ系とかいろんな民族の混血が多いから美人が多いと説明してたけど、別の日本の番組では純血ベラルーシ人が生き残っているので美人が多いと説明していました。
 どっちが正しいの?
 それからアラブ系の血が混ざっていたら、肌が白いロシア人、つまり白ロシア(ベラルーシ)にはならないと思うんですが。

 それからベラルーシでは「美人は国の宝で許可なく出国禁止」と番組内で紹介されていましたが、国の宝って言っても国宝じゃないですよ。(^^;)
 出国禁止と言うのは美人だから外に出したくないというのではなく、以前人身売買がベラルーシで問題になったからです。
 つまり外国でモデルなどの仕事をしませんか?という誘いを受けて、外国へ行ったら本当は人身売買で・・・という事例が発生し、最悪なときは1年間に数百人のベラルーシ女性が被害に遭っていました。
 これを防ぐために若い女性が外国へ仕事で行くときは、「本当にその仕事大丈夫? ちゃんと確認してください。」とストップをかけられるようになり、すんなり外国へ仕事に行けなくなったのです。
 別に「美人」でなくても「若い独身女性」はこの法律の対象になります。

 女性に限らず、男性でも人身売買の対象になることがあり、(外国の建設現場で強制労働をさせられる、というパターンが多い。)ベラルーシ政府は「その外国への出稼ぎ、本当に大丈夫? 相談窓口はこちら。」という受付窓口まで設置しています。

 注意喚起を促すテレビCMも作り、国営放送で流すときも。さらに幸い帰国できた被害者のための専門カウンセラー機関もあって、心のケアを行っています。
 こんな状況なので「許可なく出国禁止」なのです。

 とにかくイモトさんが「ドラニキおいしい!」と言ったり、かわいい民族衣装を着て踊りをがんばったりと、めったにベラルーシが日本のテレビ番組でチェルノブイリ以外で取り上げられることはないのですが、近年私が見た中では一番いい内容の番組だったのではないでしょうか。(^^)

 今回イモトさんが取材したかったけどできなかったという「電球でギターを弾くおばあさん」はYouTubeで見ることができます。ただこのおばあさんがマスコミに取り上げられたのは2009年で6年前。しかもゴメリの路上で弾いているので、イモトさんが取材できなかったのは当然ですよね。  

 次回はズーブルとベラルーシ美男を見つけ出して放映してください。(^^;)