ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第96回」

2009-09-25 |   ビタペクト配布活動
 9月25日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第96回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を10個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1646個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1350部となりました。
  
 今回で通算106回目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1646人分のビタペクト2、そして1350家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by


今回は2家族がSOS子ども村に来て保養滞在していました。それぞれのお母さんにお話を伺いました。

(家族A)
 
 ゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から来た家族。この家族には5個のビタペクト2を渡しました。
 まずお母さん(というよりも祖母。)が2人の孫を連れてきていました。さらに4人の子どもを引率していました。
 それぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親(事故発生時35歳)11ベクレル
孫娘(13歳)29ベクレル ○
孫娘(11歳)23ベクレル ○
女子(13歳)27ベクレル ○
女子(12歳)18ベクレル 
男子 (8歳)25ベクレル ○
男子 (8歳)23ベクレル ○

 13歳の孫娘は心臓が悪く、病弱な子どもが通う特別養護学校に3年間通っていました。治療のためある基金から支援金が出され、アメリカへ行ったこともあるそうです。
 しかし完全には治っておらず、とにかく体が弱い、と話していました。
 その11歳の妹も心臓が悪いそうで、おばあちゃんはもちろん、お母さんはとても心配しているそうです。さらにはお父さんが3年前に事故死してしまい、経済的にも余裕がないそうです。
 この姉妹のお母さんはおばあちゃんから言えば長女だそうです。さらに次女の生んだ孫2人は今回は保養には来ていませんでしたが、2人ともアレルギー体質で、しかも原因が分からないので治し方も分からない、とおばあちゃんは嘆いていました。
 4人の孫全員が健康ではないのですから、その心痛はどんなものか・・・と思います。
 引率してきた子どものうち、8歳の測定結果が25ベクレルだった男の子は常に薬を飲み続けており、飲まないと頭が痛くなるそうです。
 ビタペクト2との併用は大丈夫、とのことでした。
 他の子どもたちは元気だそうですが、
「どうしてビタペクト2は薬局で売っていないの? 他の孫にも飲ませたいわ。」
と言っていました。
 以前ビタペクト2はベラルーシ国内の薬局で売られていたのですが、そうすると価格が高くなるのと、製造元のベルラド研究所がテレビCMなど宣伝に力を入れなかったため「名称からだけでは何に効くのかよく分からず」売れ行きが悪かったため、店頭販売されなくなってしまいました。
 このようないきさつを話すと
「確かに宣伝されていなければ、よく分からない。自分たちも今日初めて、このようなものがあると聞いた。ベルラド研究所にテレビCMを作るように言っておいて。」
と頼まれました。
 確かにそういう日がくればいいのですが・・・。(今は特に不況だから実現は難しいですね。)


(家族B)

 ゴメリ市、そしてそこから40キロほど離れたところにあるルドニャ・モレモノワ(チェルノブイリ原発から約100キロ)から来た家族。この家族にも5個のビタペクト2を渡しました。
 家族構成がややこしいのですが、説明すると、まずお母さんが2人の娘を連れてきていました。この2人は2008年にも保養に来ていました。このときの様子は「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第79回」(家族B)をご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/f61ff4b72937f27f98a7b6f476801846


 さらに妹は2006年11月にも保養滞在しています。そのときの様子は「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第48回」(家族A)をご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2006/no48.html


 それから甥と姪に当たる2人の兄妹を育てています。兄は2006年と2008年にも保養滞在しています。
 2008年の保養の様子は「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第79回」(家族B)そして、2006年の滞在の様子は「(同) 第48回」(家族A)をご覧ください。

 それから親戚の子ども(甥やいとこの子)を引率してきていました。
 甥も2006年と2008年にも保養滞在しています。それぞれの滞在の様子は「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第79回」(家族B)「(同) 第48回」(家族A)をご覧ください。

 さらにこのお母さんのお姉さんが引き取った養女も引率してきていました。この養女は養母といっしょに2008年に保養滞在しています。そのときの様子は「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第79回」(家族B)をご覧ください。

 そしてもう1人、14歳の養女を連れてきていました。
 それぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。複数回滞在経験のある子どもは2006年、そして2008年、今回の測定結果を順番に矢印で表示しています。

母親(事故発生時21歳) 12ベクレル
長女(14歳)            37ベクレル ○ → 20ベクレル ○
次女(13歳) 36ベクレル ○ → 20ベクレル ○ → 29ベクレル ○
甥(15歳) 11ベクレル   → 21ベクレル ○ → 18ベクレル
姪(14歳) 21ベクレル ○
甥(14歳)36ベクレル ○ → 31ベクレル ○ → 19ベクレル
いとこの息子(4歳)30ベクレル ○
姉の養女(5歳)0ベクレル → 29ベクレル ○
養女(14歳)18ベクレル

 14歳の長女は脳炎にかかったことがあります。そのときに検査のため脊髄を採取したのですが、その後肩や首筋が痛むようになってしまいました。最近は心臓のせいか胸のあたりが痛いと言っては学校をよく早退するようになっているそうです。
 SOS子ども村のリリヤ先生はハーブティーを飲むようにと話していました。
 次女もよくわき腹が痛いと言っているそうです。2人とも食が細く、少ししか食べようとしないので、お母さんが心配していました。
 引き取って育てている姪はオレンジアレルギーで、食べると顔中に発疹ができるそうです。
 ベラルーシではかんきつ類のアレルギーを持っている人(特に子ども)が多いです。
 リリヤ先生は外の皮も中の薄皮もきれいに洗って、さらに皮をむいた手もきれいに洗ってから食べるように、と話していました。

 姉の養女は早産(妊娠8ヶ月)で生まれた後、11番目の子どもだったため生みの親から親権放棄されて、孤児院に入れられたそうです。1歳のときに養親に引き取られました。
 しかもこの女の子は小児麻痺のため、右ひざの関節が悪く、歩行に問題があります。今回見ると明らかに右足が短く、歩きにくそうでした。足の長さが同じになるよう靴の底に布などを敷いているそうです。マッサージをすれば、足の長さの差は多少改善されるそうですが、どれぐらい効果があるのでしょう?
 視力のほうも弱視になりかけており、矯正用のめがねをかけるようリリヤ先生から言われていました。めがねのおかげで2、3年で改善することもあるそうです。
 
 今回もいつものように子ども達に折り紙、消しゴム、メモ帳、富士山の絵葉書などをプレゼントしました。絵葉書の裏には子どもたちの名前を日本語で書くのですが、毎回とても喜ばれます。

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や文房具など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。

 今回子どもたちに渡した10個のビタペクト2を購入するために、チロ基金協力者のN様からの寄付金、そしてCD「月と日」の売上金2枚分を充てました。
 ベラルーシ語で歌う日本の歌が収録されたCD「月と日」を1枚購入すると、その売上金の一部がビタペクト2を1個の購入する費用としてチロ基金に還元されます。
 CD1枚の売り上げが、ビタペクト1個分、つまりべラルーシのチェルノブイリ原発事故の被災児1人に無料で渡すというこの活動につながっています。
 CD「月と日」について詳しくはこちらです。(HP「ベラルーシの部屋」内)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/songs/index.html


 京都にあるヨーロッパ輸入雑貨店「Vesna!」店頭やそのネットショッピングで購入できます。購入をご希望の方、詳しくはこちらをご覧ください。

http://vesna-ltd.com/shop/b_music.html

 どうか皆様のご協力をお願いいたします。

 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

「日本とユーラシア」紙にベラルーシ経済の記事が掲載されました

2009-09-24 | ベラルーシ生活
 日本ユーラシア協会が発行している「日本とユーラシア」紙にベラルーシ経済についての記事を寄稿したのですが、9月15日発行の同紙に「ベラルーシ 市民生活の中の世界不況」というタイトルで掲載されました。
 
 すでに数回にわたり「ユーラシア諸国の暮らしと経済」というシリーズが掲載されていたのですが、そのうちの1回分をベラルーシの庶民の目から見た経済状況、というテーマで執筆するのを担当しました。
 私は経済が専門ではないので、あくまで市民感覚の文章しか書けません・・・。(汗)それでよければ、ということで、日本ユーラシア協会さんからの依頼をお受けしました。

 掲載後は、分かりやすく好評です、と言われたのですが(だから、市民感覚の平易な文章しか書けないんですよ・・・。)1年に1回は同紙にベラルーシ記事を書いてくださいとのことでした。
 ベラルーシのことを日本語で紹介できる機会がいただけるのは大変うれしいことですね。

 「日本とユーラシア」は全国版ですので、協会会員の皆様はもちろん、非会員の方も機会がありましたら、ベラルーシの記事をぜひご覧ください。

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第95回」

2009-09-18 |   ビタペクト配布活動
 9月11日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第95回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を10個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1636個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1340部となりました。
  
 今回で通算105回目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1636人分のビタペクト2、そして1340家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by



 今回は2家族がSOS子ども村に来て保養滞在していました。それぞれお話を伺いました。


(家族A)

 ミンスク市(チェルノブイリ原発から約350キロ)から来た家族。家庭タイプ型孤児院の家族です。
 現在ミンスクには家庭タイプ孤児院を集めた「子どもの町」があり、この家族もふだんは子どもの町で暮らしています。。「子どもの町」という制度について詳しくはチロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第80回」でご紹介しています。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/604dd06fec1c739a5e65f5b7939830f8


この家族には6個のビタペクト2を渡しました。このうち2人の子どもは2回目の配布となります。
それぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。1回目の測定結果の次に矢印で今回の測定結果を表示しています。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親(事故発生時31歳) 12ベクレル
女子(15歳) 0ベクレル
女子 (9歳)20ベクレル ○
男子 (8歳)31ベクレル ○
女子 (8歳)30ベクレル ○ → 33ベクレル ○
男子 (7歳)23ベクレル ○
女子 (6歳)31ベクレル ○ → 37ベクレル ○
男子 (6歳)37ベクレル ○

 このうち 8歳と6歳の女児は姉妹で、2008年11月に1回目の測定をしました。詳しくは「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第82回」(家族D)をご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/9e8fc5e93ae9711827f521fddcc6ea37


 このお母さんはすでに5年間も子どもの町で暮らしており、7人子どもを育てていました。しかしそのうち2人が15歳になり、卒業。日本で言うところの高校生に当たる年齢の子どもは国の施設に移ります。
 このお母さんはもうすぐ新しく2人を受け入れる予定で、また7人の子どもを育てることになります。
 2回目の滞在となる8歳と6歳の姉妹は、このお母さんの子どもではなく、別の子どもの町の家庭の子どもです。

 7歳の男の子は結核にかかり、結核診療所学校に通っていました。もうすぐ普通の学校に入学するそうです。
 結核診療所学校についてはこちらをご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/ksg/index.html


 とにかく子どもの町で多くの里子を育てているお母さんたちには頭が下がります。
 子どもたちの精神面でも家庭タイプ型孤児院のほうがいいでしょうし、行政から見ても孤児施設を運営するより、予算が少なくてすむそうなので、将来ベラルーシではこのような子どもの町が各地にたくさん作られるかもしれません。
 しかし、孤児なんて全くいなくなるほうがいいですよね・・・。


(家族B)
 ミンスク州カシニ村から来た家族。ミンスクからは15キロほどの距離にある村だそうです。
 この家族には4個のビタペクト2を渡しました。
 それぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。

母親(事故発生時5歳)21ベクレル ○
長男(12歳)42ベクレル ○
次男 (8歳)43ベクレル ○
長女 (5歳)37ベクレル ○
三男 (1歳)48ベクレル

 1歳3ヶ月の三男は年齢制限のため、ビタペクト2は渡しませんでした。
 8歳の次男は生まれつき心臓に異常があるそうです。日本なら生後間もない時期でもすぐ手術できるようになりましたが、ベラルーシでは技術的にまだできない状況です。この男の子もある程度の年齢に達するまで手術はできず、毎年検査するのみにとどまっています。
 食品や保養などの援助をsos子ども村から今回受けましたが、お母さんは苦労されているような印象を受けました。
 
 2家族ともミンスク市、あるいはミンスクのすぐそばの村に住んでいるのに、高い値の測定結果が出て驚きました。
 チェルノブイリ原発事故が発生して20年以上が経ち、また危険地域ではないとされている首都とその周辺ですら、このような現状です。どれだけ多くのベラルーシ人が知らないだけで、実はたくさんの放射能性物質を抱えて暮らしているのかと考えると、怖い気持ちになります。

 画像は記念撮影のようすです。とてもいいお天気でした。Tの両親も写っています。子どもの村のお母さんは
「同年齢の子どもをまとめて里子にするほうが、しつけの面などかえってやりやすい。」
と話していましたが、カメラをのぞいたときに、家族と言うより、学校のクラスの集合写真みたいだと思いました。

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や文房具など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、またSOS子ども村への交通費を捻出してくださったVesna!社ほか、ご協力くださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。

 今回子どもたちに渡した10個のビタペクト2を購入するために、CD「月と日」の売上金10枚分を充てました。
 ベラルーシ語で歌う日本の歌が収録されたCD「月と日」を1枚購入すると、その売上金の一部がビタペクト2を1個の購入する費用としてチロ基金に還元されます。
 CD1枚の売り上げが、ビタペクト1個分、つまりべラルーシのチェルノブイリ原発事故の被災児1人に無料で渡すというこの活動につながっています。
 CD「月と日」について詳しくはこちらです。(HP「ベラルーシの部屋」内)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/songs/index.html


 京都にあるヨーロッパ輸入雑貨店「Vesna!」店頭やそのネットショッピングで購入できます。購入ご希望の方、詳しくはこちらをご覧ください。

http://vesna-ltd.com/shop/b_music.html

 どうか皆様のご協力をお願いいたします。

 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

日本文化情報センター創立10周年記念式典 (15) 「日本の歴史展・縄文時代から平安時代まで」

2009-09-16 | 日本文化情報センター
 「日本文化情報センター10年の歩み展」と平行して「日本の歴史展・縄文時代から平安時代まで」も開催されました。
 これは2006年から毎年、センター内のテーマ展示として行っている「日本の歴史展シリーズ」のうち、4回分に当たる「縄文時代・弥生時代」「古墳時代・飛鳥時代」「奈良時代」「平安時代」の展示品をまとめたものです。

 ベラルーシの人に日本の歴史を紹介するために始めたシリーズ展示なのですが、一度に日本史を説明するのは無理なので、時代を区切って10年かけて紹介していく企画なのです。
 今回は今までの展示をまとめる機会に恵まれました。
(埴輪や土偶などは私が粘土で作った偽物です。)(^^;)衣食住に絞って各時代を紹介しているのですが、衣の紹介である人形は私の手作りです。
 材料に日本の物を使うことが多いのですが、材料購入費など寄付してくださっている皆様に感謝しております。本当にありがとうございました。
 来年は鎌倉時代ですが、引き続きがんばります。

 こうしてセンターの活動を振り返って見ると、やはり10年のという時間の中で行ってきたことが積み重なり、気がつくとさまざまな形での活動がいつの間にができていた・・・と思います。
 と同時にまだまだいろいろな活動ができていたはずなのに、実現しなかったと思えることもあります。
 また今後も多くの人に支えられながら、地道ではありますがセンターでの活動をさらに充実させていきたいと考えております。
 これからも皆様のご賛同、ご協力に頼る部分もあるかとは思いますが、どうぞセンターの活動を暖かく見守り続けてください。よろしくお願いいたします。
  

日本文化情報センター創立10周年記念式典 (14) 「日本文化情報センター10年の歩み展 4」

2009-09-16 | 日本文化情報センター
 「日本文化情報センター10年の歩み展」では今までの活動の様子を写真にしたものも展示しました。
 写っている今までの活動の参加者の顔を見ていると、感慨深いものがありました。
 

日本文化情報センター創立10周年記念式典 (13) 「日本文化情報センター10年の歩み展 3」

2009-09-16 | 日本文化情報センター
 「日本文化情報センター10年の歩み展」では今までにセンターが掲載された新聞も一部ですが、展示しました。
 その量の多さに10年間の時間を感じました。
 また新しくパンフレットも作成し、来場してくださった方にお渡ししました。
 これからも日本のことが知りたいと言う多くのベラルーシ人に、役に立てるような活動を続けていきたいと、新たに思いました。
 


日本文化情報センター創立10周年記念式典 (12) 「日本文化情報センター10年の歩み展 2」

2009-09-16 | 日本文化情報センター
 このように日本文化情報センターが10年間行ってきた活動について紹介しています。会場には折り紙やポスターを展示しました。
 美しい日本の風景ポスターを寄贈してくださった日本人の皆様、本当にありがとうございました。

日本文化情報センター創立10周年記念式典 (11) 「日本文化情報センター10年の歩み展 1」

2009-09-16 | 日本文化情報センター
 今回は創立10周年であるため、館内の別会場で2つの展示が行われました。
 「日本文化情報センター10年の歩み展」と「日本の歴史展・縄文時代から平安時代まで」です。
 まず「日本文化情報センター10年の歩み展」のほうをご覧ください。チロ基金に今まで協力してくださった100名以上の方々のお名前をロシア語で掲示しました。
 これだけ多くの方々が力を出してくださったからこそ、日本文化情報センターも10年間活動を続けてこられたのだと思います。
 このような方々がいることをベラルーシのセンター利用者にも知ってもらいたく、今回発表しました。

日本文化情報センター創立10周年記念式典 (10) 「茶の湯の紹介 2」

2009-09-16 | 日本文化情報センター
 茶の湯の紹介に続き、希望者に茶道を体験してもらいました。
 関心が高い人が集まっただけあって、進んで茶席に着く人が多かったです。
 無事に茶の湯の紹介ができ、ほっとしました。やはりベラルーシで行うには難しい日本の伝統文化の一つです。
 協力してくれた家族には心から感謝しています。
 また来年につなげていきたいですね。
 
 

日本文化情報センター創立10周年記念式典 (9) 「茶の湯の紹介 1」

2009-09-16 | 日本文化情報センター
今回で7回目の実施となりました茶の湯の紹介。
 まずは恒例の家族そろっての紹介です。
 いつもTの母が主人の役、私が主客をしてロシア語で説明をします。ふつうは年齢から言って父が次客なのですが、Y子が
「道具の拝見がしたい。」と言ったため、次客。そして父が末客をすることになりました。(末客は時間の関係で道具の拝見はしていません。)

 菊の節句に合わせて、会場には菊の花をたくさん使った生け花を生けました。(本当は茶道の世界では一輪挿しをしますが、10周年記念のお祝いなので、たくさん生けました。)

 また掛け軸には芭蕉の俳句で、やはり菊の花が詠まれているものを選んでかけました。
 茶道具や着物は充実してきましたが、本当の茶室でするわけではないので、なかなか茶の湯を紹介するのは大変です。
 しかし来場者の方からはさまざまな質問が出され、ベラルーシ人の関心が高いことが分かりました。 
  

日本文化情報センター創立10周年記念式典 (8) 「映画上映」

2009-09-15 | 日本文化情報センター
 10周年記念式典ではビデオ作品「おもしろい人生」(監督:タチヤーナ・モストィキナ。2009年ベラルーシ作品)が上演されました。
 この作品について詳細はこちらの記事をご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/601a54046866642a02f6a3dea9aace9d

 
 この機会に日本文化情報センターやチロ基金の活動の歴史が、すぐに分かる映像作品が上映できて、本当によかったです。監督のタチヤーナ・モストィキナさんも会場に駆けつけてくださいました。
 また今回初めてPCとプロジェクターを接続して上映したのですが、式典準備期間中に音声が出ず、あわてていたのですが、日本側からのアドバイスのおかげで、無事に映像・音声ともに再生することができました。ほっとしました。
 こちらからの相談にのってくださったS様、どうもありがとうございました。

 上映中の様子は会場が暗いため、画像撮影しませんでした。この記事に添付した画像は上映直前の会場のようすです。席が足りないほどたくさんの方々にきていただきました。
 多くの人に「おもしろい人生」を見ていただけてうれしかったです。

日本文化情報センター創立10周年記念式典 (7) 「合気道でお祝い」

2009-09-15 | 日本文化情報センター
 音楽ばかりではなく、合気道でもベラルーシの子どもたちがお祝いしてくれました。
 参加したのはグロドノ市にある合気道クラブの子どもたちです。わざわざミンスクに来て、技の数々を披露してくれました。そして小学生とは思えないほど、2人とも上手なんです。
 毎日グロドノで子どもたちに指導してくださっている、ミハイル・二コラエフ先生、本当にありがとうございました。先生の指導がすばらしいから、生徒さんも貫禄の技を習得できたのでしょう。(顔は余裕の表情ですけど。)
 遠路はるばる本当にありがとうざいました。できたらまた何かの機会に参加してほしいです。
 
 
 

日本文化情報センター創立10周年記念式典 (6) 「ツィンバロムでさくら演奏」

2009-09-15 | 日本文化情報センター
 ベラルーシの民族楽器ツィンバロムを習っているY子も10周年記念式典に参加してくれました。ツィンバロムで「さくら」を演奏しながら、日本語で歌ってくれました。
 ピアノ伴奏でフォローしてくださった音楽の先生、ツィンバロムの特訓をしてくださった先生、ありがとうございました。 

 他にも記念撮影写真に写っている小学校4年生の女の子(アンナ・コロトキナさんの教え子)がフルートで自作の作品を演奏してくれ、にぎやかで楽しい雰囲気に包まれました。

日本文化情報センター創立10周年記念式典 (5) 「来賓からのお祝い」

2009-09-12 | 日本文化情報センター
 日本文化情報センター10周年記念式典には多くの来賓にお越しいただきました。
 ミンスク市役所(日本文化情報センターが設置されている児童図書館はミンスク市立です。)、日本大使館、ミンスク市立中央児童図書館、国立科学技術図書館、ゲーテ・インスティトゥート、ペルボマイスキー区女性連盟、SOS子ども村など多くの来賓の方々から花束や記念品をいただきました。
 日本文化情報センターの今までの活動に対して市役所から表彰状もいただいたのですが、受け取った私だけではなく、多くの協力してくださった方々も表彰されたのだと思っています。
 10年間、支援してくださった皆様、本当にありがとうございます。今後も皆様に支えられて、センターの活動を続けたいと考えております。

日本文化情報センター創立10周年記念式典 (4) 「歌でお祝い」

2009-09-12 | 日本文化情報センター
 記念式典ではセンターの近くにあるミンスク市立190番学校の生徒さんたちが、歌でお祝いしてくださいました。
 まだ2年生になったばかりなのに、とても上手でした。(みんな人前に出ても緊張しないのね・・・。)
 この4人組に男の子が1人入ったグループでも、かわいい歌を歌ってくれました。センターが児童図書館内にあるので、子どもの出演者がいるとうれしいですね。