ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

つれづれ写真「ゆく年・・・」

2009-12-29 | つれづれ写真
 もうすぐお正月ですね。もうすぐ丑年から寅年へ。
 2009年は世界不況、新型インフルエンザの流行、日本では政権交代、と21世紀初めの中でも多くの人の記憶に残る1年になったと思います。
 来年はどうなるんでしょうか・・・。ぜひとも今年よりはいいことが多い年になってほしいですね。
 画像はうちの子が通っていた幼稚園に立つ牛。
 板に着色したものです。ちなみに作ったのはS夫。彩色は幼稚園の先生という合作。
(ベラルーシの幼稚園について詳しくはこちら。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/f3fcfddea8b2f4f956375958c0fc3b98

タイ着陸の貨物機から北朝鮮製兵器が大量押収された事件について(続続々報)

2009-12-24 | ベラルーシ生活
 この事件について、新しく分かったことについて。

北の武器、目的地はイラン=貨物機の所属先転々-米紙(時事通信) - goo ニュース

 記事全文はこちら。

2009年12月21日(月)14:03
 【ソウル時事】北朝鮮からタイに到着した貨物機内から大量の武器が見つかった事件で、米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)は21日、武器取引に関する専門家が入手した飛行計画から、武器の輸送先がテヘランだったことが判明したと報じた。

 同紙によると、貨物機はアゼルバイジャンを出発後、アラブ首長国連邦(UAE)とタイを経て北朝鮮で積み荷を搬入し、再びタイに到着。同国を離陸した後はスリランカ、UAE、ウクライナで給油、イランで貨物を降ろし、モンテネグロに向かう予定だった。

 貨物は「石油産業予備部品」と表記され、リストでは8種類に分類。ただ、タイ当局者によれば、実際は携行型ミサイルや、地対空ミサイルの部品などだったという。

 一方、貨物機はグルジアの会社が登録し、UAEの会社が所有。11月にニュージーランドの会社に貸与され、12月にはさらに香港の会社に貸し出されていた。同紙は「今回の武器輸送を計画した人物は依然不明だが、身元隠しに腐心したようだ」と指摘している。
[時事通信社]


 他にもこんなニュースも。
「北朝鮮兵器輸出、香港の架空会社が貨物機調達」
2009年12月23日(水)23:51

【香港=槙野健】バンコクの空港で貨物機から北朝鮮製の兵器が大量に見つかった事件で、貨物機は、外国企業の事務処理を請け負う香港の会社が設立したペーパーカンパニーがチャーターしていたことがわかった。

 香港は「一国二制度」の下、外国企業への優遇策を進めるが、これに乗じた犯罪が多発、不正取引のハブと化しており、北朝鮮が闇取引の足場にする格好の条件がそろっていた。

 武器取引に詳しい調査組織「国際平和情報サービス(IPIS)」(本部・ベルギー)によると、貨物機はアラブ首長国連邦の会社が所有し、グルジアの会社が運航。今年11月にニュージーランドの会社がリース契約し、12月4日に香港の「ユニオントップマネジメント」(以下、ユ社)が北朝鮮からイランまで「石油産業関連の部品」を空輸する名目でチャーターした。

 登記簿によると、ユ社は、外国企業の登記や連絡を取り持つ香港の「秘書代行会社」が9月、設立した。

 香港の規則では、進出する外国企業は地元出身の秘書を雇う決まり。秘書代行会社は、自社の所在地と同一住所に会社を登記し、秘書を提供する。

 ユ社が置かれる秘書代行会社の従業員は、顧客の外国企業は数百にのぼり、「手続きはファクスが基本でユ社の関係者と直接会ったことはない。業務内容も分からない」と話す。

 香港には、こうした秘書代行会社が4000社以上ある。手数料を含め約1000ドル(約9万円)払えば国外から半月で会社を設立でき、香港を足がかりに中国進出を望む外国企業などに広く活用されてきた。

 こうした優遇策の背景には、1997年の中国返還後も「一国二制度」の下、香港で経済的な独自性が保証されていることがある。中国は香港を国内市場開放を迫る外資に対する防波堤としながら、同時に海外からの資金調達の窓口として利用してきた。しかし、容易に会社を設立できることで、国外の犯罪組織が資金洗浄や不正取引などに悪用する事例も少なくない。

 コンサルタント会社「コントロール・リスクス社」(本社・ロンドン)の香港責任者デーン・チャモロ氏は「香港は不正を行う組織にとって好都合な場所だ」という。準大手ゼネコン西松建設の「裏金持ち込み事件」では、同社が裏金を 捻出 ( ねんしゅつ ) するため、香港でペーパーカンパニーの取得と閉鎖を繰り返し、架空の設計業務を発注するなどしていたことが明らかになっている。
(読売新聞)


 ベラルーシでのニュースを読むと・・・
 ウクライナはこの飛行機がどこから飛んできたのか調査し、その結果、ベラルーシからだったと発表。ええー?!
 一方で、この飛行機はもともとカザフスタンの飛行機だったのが、グルジアのエアー・ウエスト・ジョージアという航空会社に売却され、さらにそれがウクライナの航空会社に「貸し出されていた」そうです。
 カザフスタンは「売った時点で、この飛行機に関してはカザフスタンは関与してない。」と主張しています。
 他の国ももちろん関与を否定。
 どうなっているのか・・・



つれづれ写真「天井天使」

2009-12-23 | つれづれ写真
 つれづれ写真、白黒シリーズの続きです。とは言っても少々色がついていますが・・・。
 もうすぐクリスマスですね。と言うことで天使の画像をどうぞ。え、かわいくない? そのとおりですねえ。
 これは何かというと、天井に映し出されたアニメのワンシーンなのです。
 人形劇のぺトルーシカを見に行ったときです。(人形劇ぺトルーシカについてはこちら。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/85dd42c823133e80249dd7a2308b92db


 開演前に集まったお客さんたちが退屈しないように、アニメを上映していました。しかしプロジェクターでアニメを映すのはいいのですが、なぜか天井をスクリーン代わりに映していたため、このようなゆがんだ映像に・・・;
 お客さんたちは座席に座ったまま、天井を向いてアニメを見ていました。 
 うーん、変!
 しかも映していたアニメ作品(パペットアニメ)が、どれもこれもかわいくなかった・・・。それとなぜか音声はなかった。ミュート状態・・・。

 なぜ、このような演出をぺトルーシカの上演前にするのか・・・(芸術?)
 しかしつれづれ写真のネタを求めて、変った被写体を探す私は、一生懸命天井に向かってシャッターを切るのでした。

タイ着陸の貨物機から北朝鮮製兵器が大量押収された事件について(続々報)

2009-12-18 | ベラルーシ生活
 タイ着陸の貨物機から北朝鮮製兵器が大量押収された事件について。続々ニュースです。
 こんなニュースも。↓ (え、北朝鮮製じゃないの?)

「押収兵器、北朝鮮製でない可能性も」、タイ首相(聯合ニュース) - goo ニュース

 ベラルーシでは拘留中の乗務員5人は「拘留期間が3ヶ月近くに延長され」「その後、裁判にかけられ」「禁固10年の可能性も。」と言われていたのですが、17日になって「死刑になる可能性もある。」と報道され、ベラルーシ社会の間でも衝撃が走っています。
「死刑は重過ぎる。かわいそう。本当に積荷の内容を知らなかったのでは?」という人や「死刑のことをちらつかせれば、観念して、今まで黙っていたことをしゃべる出すのではないか、とタイ警察が考えているのでは?」と言う人もいます。

 ベラルーシ人パイロットですが、こちらでは実名、顔写真なども報道されており、それによると年齢は54歳。(やっぱり定年45歳を越えている人だった。)
 かつてこの人といっしょに働いたことがあるというベラルーシ人パイロットがインタビューに答え
「私もいろいろな国へ空輸したことがあるが、積荷の内容を事前に知らされたことは一度もなかった。」
と話しています。

 ベラルーシ側は保釈金を支払うので、ベラルーシ人パイロット1人だけでも、保釈して帰国させてほしいと、タイ警察に要望しました。

 ちなみに出発地点であり、目的地であったというウクライナは、
「この貨物機は空の状態で、どこからかウクライナの空港に着陸したもの。その後北朝鮮に向けて飛び立った。われわれは武器の輸出入には関係ない。」
と発表。

 貨物機がグルジア籍であったことから、グルジアの企業のものであることがその後の調査で判明。その企業の所在地へ行くと、そこには平凡なレストランがあるばかり。
 もちろんレストランの経営者は飛行機など所有しておらず、寝耳に水の状態。
 あーあ。まあ、予想していたとおりというか何というか・・・。

 ここへこんなニュースも入ってきました。(朝日新聞)

北朝鮮密輸武器、旧ソ将校が関与か 「最強の死の商人」
http://www.asahi.com/international/update/1216/TKY200912160344.html


 うーん、実際はどうなんでしょうね? まだまだ分からないことだらけの事件です。


タイ着陸の貨物機から北朝鮮製兵器が大量押収された事件について(続報)

2009-12-16 | ベラルーシ生活
 タイ着陸の貨物機から北朝鮮製兵器が大量押収された事件についての続報です。

南アジア・中東に複数の買い手か 北朝鮮から空輸の兵器(朝日新聞) - goo ニュース

 記事全文はこちらです。

2009年12月15日7時5分

【バンコク=山本大輔】北朝鮮を出てバンコクの空港に着いた貨物機から大量の兵器が見つかった事件で、タイ当局は、北朝鮮が絡んだ兵器密輸ルートがあると見て、兵器の発注元や最終的な輸送先を調べている。兵器は北朝鮮企業が所有していたものとされ、南アジアや中東などに複数の買い手が存在する可能性が浮上している。

 朝日新聞が入手した捜査資料によると、乗組員はベラルーシ人1人とカザフスタン人4人。タイの裁判所は14日、兵器所持の容疑で5人に対する勾留(こうりゅう)延長を認めた。一方、押収されたのは地対空ミサイルが入ったコンテナ5箱に加え、240ミリロケット弾、対戦車ロケット「RPG7」などが入った大小のコンテナ計145個。兵器が北朝鮮製かどうか当局が調べている。

 調べに対し乗組員は、貨物機はウクライナを出発後、北朝鮮で荷を積み、再びウクライナに戻る途中で、スリランカ、アラブ首長国連邦(UAE)、アゼルバイジャンにも立ち寄る予定だった、と供述している。いずれかの経由地で積み荷を下ろし、さらに南アジアや中東の別の国に運ぶルートがあるとみて調べている。乗組員は積み荷について「石油掘削機器と認識していた」と話す一方、荷を下ろす予定だった場所や買い手については供述を避けているという。

 軍や警察では「イランやパキスタン、アフガニスタンなどで、旧ソ連製兵器の扱いに慣れた買い手を相手にする密輸組織が関与している可能性が高い」(捜査当局者)との見方が出ているという。

・・・・・・・・・・

 そもそもウクライナを出発したとき、この貨物機、中は空だったのでしょうか?
 まさか、手ぶらで出発したとは思えませんねえ。
 しかし最終目的地がウクライナと言うのもおかしい。ウクライナは紛争地域ではありません。つまり武器なんて輸入しなくていいのです。
 ウクライナをさらに中継してどこかへ武器を運んでいる可能性があります。あるいは道中、どこかで下ろしていた、とか。
 この貨物機、いちいち給油しなくてもユーラシア大陸の半分を軽く飛べる飛行機だそうです。
 にも関わらず、いろんな国を経由しているのがおかしいです。
 今回の事件に関与していた国、グルジアとかベラルーシとか、それぞれみんな「知らなかった。うちの国は関与していない。」
と主張しています。
 北朝鮮をのぞけば、一番怪しいウクライナも、かくれみの的な商社があるだけで、しかも実態はよく分からず、事件発生後は消えてしまう可能性が高いです。
 こういう商売をする人間たちは、何重にも実体を隠していると思うので、真相ははっきり分からないままになってしまうのでは・・・と思います。

 前回の記事でパイロットの定年は45歳、と書きましたが、どうしてこんなに早いのかと言うと、旧ソ連では旅客機のパイロットであっても、空軍の軍人の扱い(養成や訓練を受けたのが空軍内だから。)であるため、軍人としての定年制が適用されるからです。
 ベラルーシ人から
「うちのお父さんはアエロフロートのパイロットでした。日本にも行ったことがあるよ。」
と聞いたとします。でも日本人のパイロットとはだいぶニュアンスがちがい、実際には空軍の軍人なのです。
 ソ連軍では空軍の軍人の定年は45歳なので、旅客機の操縦士だった、という人も45歳で定年を迎える、ということなのです。
 そして軍人としての年金をもらいます。と言うことなのです。分かってくれたかな?
 

タイ着陸の貨物機から北朝鮮製兵器が大量押収された事件について

2009-12-14 | ベラルーシ生活
 12月13日に起こったニュース。「タイ着陸の貨物機から北朝鮮製兵器が大量押収」
 ニュース記事のリンクはこちら。発覚した13日より詳しい内容の14日の記事にリンクしています。
北兵器積載の貨物機、操縦士「行き先はウクライナ」(聯合ニュース) - goo ニュース

 記事全文はこちらです。

2009年12月14日(月)11:20

(聯合ニュース)
【バンコク13日聯合ニュース】タイ・ドンムアン空港で先ごろ欧州国籍の貨物機からミサイルなど北朝鮮製の兵器35トンが見つかり、当局に押収された事件で、操縦士が最終目的地はウクライナだったと供述した。
 タイの日刊紙「ネーション」が13日に報じたところによると、拘束されたベラルーシ出身の操縦士は警察の調べに対し、「ウクライナを出発し北朝鮮に到着後、商品を積んだ。平壌をたちドンムアン空港とスリランカで再給油し、ウクライナで貨物を降ろす予定だった」と供述したという。また、ウクライナから平壌に向かう途中、アゼルバイジャンやアラブ首長国連邦、タイで再給油を受けたと話した。
 操縦士は飛行スケジュールに関しては素直に自白したものの、自身や同僚乗務員が兵器を輸送した疑いについては全面的に否認した。乗務員らは商品輸送のために雇われており、兵器が積まれているとは知らなかったと主張したという。貨物機にはベラルーシ出身の4人とカザフスタン出身の1人が乗務員として搭乗していた。

 ・・・・・・・・

 この記事中にはちょっと間違いがあります。登場していた乗務員5人のうち、ベラルーシ人は1人。4人がカザフスタン人です。

 武器を輸出したのが北朝鮮。
 貨物機はグルジア籍。
 出発地点と最終目的地はウクライナ。
 給油のため立ち寄った国がアゼルバイジャンやアラブ首長国連邦、タイ。(スリランカは帰路に寄る予定。)
「あの貨物機、怪しいぞ。」と密かに通達してきていたのがアメリカ。
 乗務していて拘束されたのがベラルーシ人とカザフスタン人・・・と判明した途端、なぜかタイ警察はそのことを真っ先にロシア大使館に連絡。(ロシア語ができる通訳の派遣の要請をした。現在は拘束した5人のパスポートなどの書類はロシア大使館が保管している。)・・・
 ・・・といういろんな国が関わっている事件です。
 
 5人の乗務員のうちベラルーシ人操縦士は機長の役割だったらしく、この件に関して一番詳細を知っている可能性があると思われているようです。実際に乗務員代表のように、タイの警察への取調べにいろいろ答えているようです。
 拘束期間は12日で、起訴される見通し。裁判の流れによっては最大禁固10年の刑が言い渡される可能性があるそうです。

 ベラルーシ人が輸送に関わっていた、ということで、ベラルーシの在ベトナム大使館(タイにはベラルーシ大使館はないみたいですね。)が対応しています。
 それよりもっと事件に関わりがありそうなウクライナ側からは、この件についての情報が伝わってこない。なぜだ?

 乗務員5人は「武器が積まれているとは知らなかった。」と武器輸出への関与を全面否定。石油採掘用重機(つまり商品)を輸送している、と説明していたそうです。
  
 ソ連時代、空軍というものは一つだけで、そこでロシア出身やベラルーシ出身やいろんな人種のパイロットが養成されていたわけです。
 ソ連空軍のパイロットというのは45歳が定年です。(ただし出世していて、空軍内の何らかの役職などに就いていた場合は、定年は延びます。)
 定年後に生まれ故郷のベラルーシに戻ってきました、という元パイロットもたくさんいます。
 しかし45歳以上の年齢になったら、急に飛行機の操縦が体力的、身体的、精神的に不可能になるのか、と言うと、もちろんそうではありません。
「まだ46歳。飛行機の操縦はできるぞ。」
という元パイロットがいるわけです。
 そして45歳の定年後はふつう、年金をもらいながら再就職する人が多いです。収入の道が複数あるほうがいいわけですからね。

 しかし再就職後の職種が「あまり給料がよくない。」とか、「やっぱり空を飛ぶのが好きだ。」という定年後の人生に不満を持つ元パイロットがいます。
 そういう人が桁違いの給料に魅かれて、そしてまた空を飛べるということで、紛争地域の貨物機の操縦、という危険なアルバイトをすることがあります・・・。
 主に紛争地域への兵士や物資の輸送に関わるわけです。

 ゲリラ部隊などから敵機と見なされ攻撃を受ける可能性がある危険な仕事です。しかしお金がほしいばかりにそういう仕事をする元旧ソ連空軍パイロットがいます。

 今回の事件で拘束されたベラルーシ人操縦士、氏名はこちらのマスコミは公表していますが、年齢ははっきりしていません。(私が画像を見た限りでは、明らかに若くない人・・・。)
 しかし、この人も危険だけれど、成功すれば一度にたくさんお金がもらえる仕事、ということでこの貨物機に乗り込んだのではないでしょうか? こういう仕事をするのもおそらく初めてではないのでしょう。
 おかしい、危ないと思いつつも、何を運んでいるのか、知らない、いや詳しく質問することすらしない、というのも給料のうちに入っていたのかもしれません。

 中心人物ではないけれどベラルーシ人が関わっていた国際的な事件・・・ということですが・・・首謀者はどこの誰? 
 事件の核心を明らかにしてほしいです。

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第98回」

2009-12-02 |   ビタペクト配布活動
 12月1日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第98回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を2個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1655個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1370部となりました。
  
 今回で通算108回目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1655人分のビタペクト2、そして1370家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by


 今回は2家族がSOS子ども村に来て保養滞在しており、そのうちの1家族にしかビタペクト2を渡さなかったのですが、それぞれのお母さんにお話を伺いました。

(家族A)
 
 この家族は2005年と2007年にSOS子ども村に滞在しています。
 2005年のときの滞在の様子はこちら
「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第38回」

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2005/no38.html


 2007年のときの滞在の様子はこちら
「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第55回」をご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2007/no55.html


2005年、2007年、2009年のそれぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親(事故発生時19歳) 10ベクレル → 11ベクレル → 7ベクレル 
17歳(女子)19ベクレル →  0ベクレル → 14ベクレル
15歳(男子)17ベクレル → 13ベクレル → 10ベクレル
15歳(男子)         19ベクレル → 11ベクレル 
13歳(男子)         17ベクレル → 18ベクレル
12歳(女子)18ベクレル → 19ベクレル → 12ベクレル
10歳(女子)         14ベクレル → 15ベクレル
10歳(女子)19ベクレル →  0ベクレル → 21ベクレル ○
 9歳(女子)                  19ベクレル
 5歳(男子)                  16ベクレル
 5歳(女子)                  28ベクレル ○
 4歳(女子)                  18ベクレル

 このうち9歳の女の子は19ベクレルで、ビタペクト2をあげたかったのですが、現在SOS子ども村では子どもは20ベクレル以上の子どもにビタペクト2を渡すことになっています。
 でも今回渡した二人の子どもも基準の20ベクレルとあまり差がない子どもも、年齢が低い、つまり体重が少ないので、半分ずつぐらい分け合って飲んでも、効果があるだろう、ということでした。そのため15ベクレル以上20ベクレル以下の子どもにもお母さんが飲ませたかったら、どうぞ、ということになりました。

 子どもたちの健康状態ですが、1人の子どもが弱視です。
 1年前に養女として迎えた4歳の女の子は生まれつき腎臓が一つしかなく、自覚のないまま排尿してしまうため、ずっとおむつをしています。養女にするときに、こんな問題を抱えている子どもだとは知らされていなかったそうです。施設の職員は知っていたはずなのですが、そのことを知ると里親が引き取りたがらない、と思ってわざと言わなかったそうです。
 このような家庭タイプ孤児院ですが、就学前の子どもには月に約80ドル、就学後の子どもには約100ドルの育児手当が支給されています。しかし紙おむつがいるような子どもに対してはその分の手当は支給されていません。引き取った親の負担になってしまいます。
 それでもまだ、育児手当がもらえるだけまだいいほうかと思います。そしてベラルーシの政府は家庭タイプ孤児院を奨励する一方、どんどん国営の孤児院閉鎖しています。経費削減、ということです。
 ボリソフには障害児でしかも孤児、という子どもばかりを集めた施設があったそうです。どうしても障害のある孤児は養親に引き取られることが少なく、残ってしまうそうです。(悲しい話ですが・・・。)
 ところがボリソフの施設も、給食に食中毒を起こす細菌が見つかったとかいう理由で閉鎖されてしまいました。子どもたちは他の地域の同じような施設にばらばらに収容されたそうです。
 しかし、子どもが多すぎて障害に対して職員が適正な対応を個々にできず、また急激な環境の変化にともなう精神的なストレスからか、多くの子どもがその後死亡してしまったそうです。

 家庭タイプ孤児院に引き取られた子どもはまだ幸せです。けれどこのお母さんの話によると子どもたちが孤児になったいきさつはそれぞれなのですが、悲惨なケースが多いそうです。
 この子どもたちの中に兄弟がいるのですが、7年前に母親が父親を刺殺してしまったため、孤児になりました。しかも家の中で子どもたちは現場を目撃していたそうです。さらに母親はそのとき妊娠中。刑が確定するとすぐに中絶手術を受けさせられたそうです。
 一番上の子どもは親戚に預けられましたが、下の子どもたちは施設に入れられました。その後今の養親に引き取られたのです。
 3年間の服役中、そして現在も実の母親は手紙1本子どもに寄こさず、子どもたちの居場所すら尋ねようともしなかったそうです。
 養親は子どもたちに
「本当のお母さんに会いたい? 会いたいなら探してあげる。」
と一度きいたのですが、子どもたちは
「会いたくない。」
と答え、実の親の顔ももう覚えていない、と言ったそうです。事件が起こったときはこの兄弟は小学校低学年ぐらいなのですが、親の顔を忘れてしまうものなのでしょうか? 確かに何年も会っていないし、写真などもないのでしょう。あるいは事件の衝撃から記憶喪失みたいな状態になってしまっているのか? と私などは考えてしまいました。

 5歳の女の子は母親がアル中。ここまではよくある話なのですが、この後が問題です。あるとき母親はウオッカを飲みすぎて泥酔状態になっていました。それでもまだ飲みたいと思って、家の中を酒瓶を求めて探し始めました。やっと見つけて、全部飲んでしまったのですが、それはウオッカではなくアセトンだったのです。(アセトンというのはペンキの薄め液などに使われています。)
 その結果アセトン中毒を起こして倒れ、病院に担ぎ込まれましたが、脳に後遺症が残ってしまい、目や耳は聞こえるものの、自分が誰なのかも分からなくなってしまい、子どもの顔を見てもそれが分からない状態になってしまいました。
 もちろん育児などは全くできないので、子どもは施設に入れられました。
 そしてその子は今の養親に引き取られたわけですが、他の子どもと違って、年少であること、実の母の回復の見込みがないこと、などの理由から完全にこの養親の戸籍に入れたそうです。
 そしてそのときに苗字はもちろん名前も改名したそうです。(ベラルーシは日本と比べると改名は比較的簡単にできます。もっとも実行する人は少ないです。)
 確かに実の母のこと、本名のことも知らないで生きるほうがこの子どもにとって、幸せなのかもしれません。でも養親のお母さんは
「でもいずれ時期が来たら、真実を話さないといけないでしょう。小さいときに引き取った子どもたちも、思春期前には本当の親ではないことを話すことにしています。」
と言うことでした。
 
(家族B)

 ミンスク州マリノ・ゴルカ市の近くにあるドゥルジュヌイ村から来た家族。この家族には年齢制限からビタペクト2を渡していません。
 それぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。

母親(事故発生時6歳) 14ベクレル
長男(5歳)14ベクレル
長女(1歳)40ベクレル

 本当はこの長女にビタペクト2をあげたかったのですが、1歳なので渡せませんでした。
 子どもたちは食物アレルギーがあったそうですが、最近はだいぶ治ってきたそうです。
 お母さんが長男出産後、足と胸の部分のリンパ腺が腫れるという病気にかかってしまいました。この病気になっている人はベラルーシには8人しかいないそうです。
 ホルモン剤を飲み続けていますが、あと2年は飲まないといけないそうです。
 その副作用のせいで肝臓も悪くなってきており、お母さんは大変な様子でした。しかも離婚など家庭的にも恵まれていない様子で、普通は多子家庭や障害児を持つ家庭がSOS子ども村に保養滞在することになっているのですが、特別に滞在できたそうです。
「SOS子ども村ではゆっくりできる。自分の病気のことも少し忘れることができた。」
とお母さんは喜んでいました。

 画像は記念撮影の様子です。ただ(家族B)のお母さんは1歳の娘さんを昼寝させるため、寝室のほうに行ってしまったので、ここには写っていません。

 今回もいつものように子ども達に折り紙、メモ帳やかわいいパンダの付箋や鉛筆などの文房具をプレゼントしました。
 子どもたちは「もうすぐお正月だけど、日本はどのようにお祝いしているの?」ときいていました。
 1か月後には優しいお父さん、お母さんからすてきなプレゼントをもらってください。  
 
 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。