ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

豚インフルエンザとベラルーシのニュース

2009-04-30 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
 とうとうフェーズ5になってしまいましたね。
 4月29日現在、ベラルーシ保健省は
「ベラルーシ国内には感染者はいない」
と発表。
 ちなみにミンスク国際空港では、体調の不調の有無に関わらず、ミンスクに到着する全ての国際便を利用した者に対し、検査及び消毒を行っているそうです。
 ベラルーシ国境付近での鉄道駅には感染の可能性がある者の検査を行っています。
 このGWにベラルーシに滞在する予定の日本人の方、日本以上に厳しく検査を強要される可能性がありますので、注意。

 しかし日本と違って、ベラルーシは陸続きで人が移動できますからねえ。車とか、徒歩とか。
 それと、もし感染が広がったら、ベラルーシはもともと体内放射能値の高い人が多いので、体力や免疫力の低い人も多く、インフルエンザに感染した後、死亡に至る率が他の国より多くなるのでは・・・と思っています。

 それから、ベラルーシは日本とちがって一般人が戸外でマスクをする習慣がなく、マスクも薬局などで手に入りにくいので、心配な方は、日本で高性能のマスクを買って持参することをお勧めします。
 絶対日本のマスクのほうが性能がいいですよ。

 しかし、まあおととい(4月28日)のニュースでは日本では豚インフルエンザがトップニュースだったと思いますが、ベラルーシ国営放送では4番目のニュース。
 4月26日のチェルノブイリ原発事故発生から23年目のこの日から数日前に、ルカシェンコ大統領はゴメリ州など被爆した地域を巡回。(毎年していますがね。)
 その後どういうことか、ルカシェンコ大統領がバチカンに招待され、ローマ法王と会談したのが28日のトップニュース。
 あれれ、大統領は(それと政府高官)ヨーロッパに行けないんじゃなかったっけ? あ、でもバチカンは行けない国リストに入っていないんだ、そうか・・・と納得しつつニュースを見ていると(大統領はまた自分の5歳の末っ子を連れて行っていた。)ついでなのかイタリアの首相とも会談していた。
 それにしてもローマ法王はどうしてベラルーシの大統領に会いたかったのか・・・本当の理由はよく分かりません。

 そして今年は4月28日がちょうどラードニッツァ(日本で言うお彼岸)だったので、そのことがニュースになっていました。
 チェルノブイリ原発近くの立ち入り禁止ゾーン出身で、ゾーン内の墓地に入りたい人たちのために、特別に立ち入り許可を出していました。(手続きはとても簡単そうだった。)
 ゾーンの中にある墓地を掃除したりする人がニュース映像で流れていましたが、そばにある放棄された住居は23年も経って、本当にボロボロになっていました。
 あと20年もすれば、腐ってなくなってしまいそうでした。
 1年に1、2回手入れがされているお墓のほうがきれいでした。

飲みすぎに注意。飲みすぎた人にも注意

2009-04-25 | ベラルーシ生活
 ベラルーシはウオッカの国ですから、アルコール中毒だの、飲酒が原因の事件や事故などしょっちゅうです。
 夜中の公園で服を脱ぐぐらい、まだかわいいものです。

 これはおととい、4月23日にベラルーシ東部の街、オルシャで起こった事件です。
「ペットをいじめられたという理由でカップルを殺害」

http://news.livedoor.com/article/detail/4126253/


 ロシア語ニュースサイトによると、もう少し詳しく報道されていました。それによると・・・
 20歳の男性が飼い犬を森の中で散歩させていました。
(ベラルーシは森がいっぱいなので、住宅地のすぐそばに森が広がっていることが多く、犬と散歩している人もたくさんいます。)
 すると酔っ払ったカップルが通りかかり、犬をからかったり、いじめたりし始めました。
 飼い主は怒って、本人曰く「犬を守るため」近くにあった丸太をつかみ、まず男性の頭部を殴って、撲殺。
 その後女性のほうも体中をやはり丸太で叩き続け、撲殺。
 飼い主は逮捕され、拘留中。しかもこの飼い主自身が散歩をしていたときにやはり酔っ払っていたそうです。人を殺した理由を
「四つ足の友への愛がこうさせた。」
と警察で供述したそうです。(この犬しか友達がいない、という孤独な人なのかもしれないけど、だからって人を殺さなくても・・・)
 
 しかもこの飼い主、犯罪の前科があるらしい。前科のほうは飲酒がからんでいたのかどうか、ニュースでは報道されていませんでしたが、今回の殺人事件では、とにかく加害者か被害者かどちらかが酔っ払っていなかったら、こんなことにはならなかったのは間違いありません。
 酔っ払ってなかったら、このカップルも犬をからかったりしなかっただろうし。

 そうそう。ベラルーシでは酔いを冷ますためにどうするかと言うと、散歩する人が多いです。
 冬、寒くても「散歩するのがいい。」と言って、歩き回る人がいます。
 効き目はあると思いますが、泥酔状態でこれを冬にやって、雪の中に倒れたりすると、すごく危ないです。
 やめておきましょう・・・と言っても日本人でこんなことをする人はいないと思いますが。
 私が言いたいのは、ベラルーシには酔っ払いが大勢散歩しているので、注意が必要、ということです。
 もっともからんできたとしても、相手が泥酔状態なら、こっちは走って逃げれば、相手は千鳥足なので、追いつくことができないから大丈夫です。

 それからベラルーシでは酔っ払って、路上で寝込んでいる人をときどき見かけます。(土日や祝祭日の翌日に多い。)
 夏の場合、通行人は完全無視しています。
 しかし病気で発作が起こって意識を失っている人もいないとは限らないと思うんですが、そういう病気で救急処置が必要な人が倒れていても
「また酔っ払って寝てる。」
とほったらかしにされてしまうんだろうな、と思うと怖いですね。

 一方で、こんな話もあります。
 S夫の知り合い(20代・男性)はあるとき友達の誕生日に呼ばれ、楽しく飲んだ後、酔いを冷ますため、友人2人と連れ立って、夜遅くに散歩をしていました。
 するとバス停のベンチで、酔っ払って寝ている女性がいる。
 若い女性だったので、危ない(強姦被害に遭う可能性がある。またベラルーシで強姦被害者女性の3分の2が、当時酔っ払っていた、あるいは飲酒させられていたという統計があります。)ので、その人は親切にも
「大丈夫ですか? 迎えに来るよう家の人に電話してあげましょうか?」
と声をかけたそうです。
 ところがその女の人は「うっさいわね、ほっといてよ。」と言ったので、そのまま、散歩を続けていたら、突然警察が追いかけてきた。
 警官の傍らには先ほどの女性が・・・
 何でもベンチで寝ている間に、ハンドバッグを盗まれた、と女性が警察に訴えたのです。
 しかもその女性は
「その男! 声に聞き覚えがあるわ! こいつが犯人よ!」
と指差したため、窃盗容疑でそのかわいそうなS夫の知人は身柄拘束。
「盗んでいない!」
と主張し続けたものの、留置所で1泊2日し、その後証拠不十分で解放。
 それはよかったものの、恐ろしいのはその2日間、食事が与えられず、大きいコップにいれられた紅茶2杯しかもらえなかった・・・ということです。(@_@)
 怖いよ、ベラルーシの警察。日本だったら食事を与えなかった、ということで警察を訴えることができますが、もちろんその知人は訴えなど起こしていません。無駄だからです。

 ちなみにロシアでは廃止されたけど、ベラルーシは死刑が残っております。死刑の方法は銃殺です。
 死刑を廃止しようという運動もあるけど、弱い。(日本と同じですかね・・・。)

 必要以上に怖がるのも精神上よくないですが、やはり君子危うきに近寄らず・・・ということになるのでしょうか。
 とにかく飲酒が原因で、殺されたり逮捕されたりなんて避けたいですね。

 ちなみにベラルーシでは夏、飲酒をして酔っ払い、「暑いから。」(日本人と比べると、かなり暑さに弱いベラルーシ人。)と、これまた国内にいっぱいある湖に飛び込み、心臓発作を起こしたり、溺死する人が大勢います。毎年500人から600人が飲酒後の水死で亡くなっているそうです。
 ベラルーシの人口は日本の10分の1以下なので、この数字は大きいですよ。

 さらに殺人事件の被害に遭い、死亡する人は1年に800人から1000人。日本は約1500人でしたね。
 人口比で考えると、ベラルーシは日本より殺人事件が頻発していることになります。

 日本人の皆さん、ベラルーシに来て、ウオッカを勧められても、断りたかったら、きっぱり断りましょう。
(まあ、勧めてくるベラルーシ人がすでに酔っ払っていて、こっちの言っていることに耳を貸さない場合も多いけど・・・。)(^^;)

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第89回」

2009-04-20 |   ビタペクト配布活動
 4月20日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第89回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を10個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1590個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1280部となりました。
  
 今回で通算99目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1590人分のビタペクト2、そして1280家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by



 今回は2家族がゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)からSOS子ども村に来て保養滞在していました。それぞれのご家族にお話を伺いました。

(家族A)
 今回で2回目の保養滞在となります。
 1回目の2005年のときのようすはHP「ベラルーシの部屋」チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第30回」(家族C)(当時はゴメリ州ペトリコフ地区コノビッチ村に住んでいました。)をご覧ください。
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2005/no30.html


 この家族には3個のビタペクト2を渡しました。前回は放射能値が低かったり、まだ生まれていなかった(^^;)りで、ビタペクトを飲んでいません。
 2005年と今回の体内放射能値の測定結果のこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親(事故発生時5歳)13ベクレル → 15ベクレル
男子12歳(病欠)    → 20ベクレル ○
女子 9歳 13ベクレル → 15ベクレル
女子 6歳 24ベクレル → 24ベクレル ○ 
男子 5歳 32ベクレル → 19ベクレル ○
男子 2歳        → 44ベクレル
甥 13歳        → 12ベクレル

 このうち12歳の男の子は前回病気になって家で留守番をしていたため、今回が初測定です。
 6歳と5歳の子どもは前回測定しましたが、当時は年齢が3歳以下だったため、ビタペクト2を渡していません。
 2歳の男の子は44ベクレルですが、3歳以下なので、今回はビタペクト2を渡しませんでした。

 子どもたちの健康状態ですが、2歳の男の子は、胆嚢の位置がずれて、胆管がねじれている、肝臓肥大が見られる、心臓の壁に小さいが穴が見つかった、食物アレルギーで呼吸困難に陥る・・・と話を聞いているだけで滅入りそうでした。
 生まれてから11回入院したことがあり、幸いSOS子ども村に保養に来ることができた、とお母さんは喜んでいました。
 しかし、私が見ている限りでは、体が小さく、常に鼻水が出ていました。
 喉を温める器械を買って、自宅にいるときは、毎日それを使っているそうです。

 9歳の女の子は生まれたとき、産声を上げなかった、つまり肺呼吸を始めず、集中治療室に連れて行かれ、その後自力で息をするようになったものの、医者から脳が酸欠状態になったので、成長後も「ぼけっとした鈍い子」になります、と言われたそうです。
 ところが現在は優等生。(医者の言うことは絶対じゃないですよね。)
 しかしその子のカルテには、出生直後の健康状態として「脳が酸欠状態になった。」と書いてあるそうで、大学の入試に響く可能性がある、とリリヤ先生に言われました。
 入試のときにカルテから抜粋した健康診断書を提出しなくてはならず、そうすると入試の点数がよくても、「ぼけっとした鈍い子」と思われ、不合格にされることがあるそうです。(@0@)そんなひどい・・・!!!
 これがベラルーシの入試の実態なんでしょうか? 
 リリヤ先生は、この子の知能が高いことを証明し、カルテから「脳が酸欠状態になった。」という一文を削除するよう、医者に訴えるべきだ、とお母さんを説得していました・・・。

 甥はよく気を失って倒れるため、通院中だそうです。お母さん(その子にとっては叔母)は
「SOS子ども村へ保養に行けたのはうれしかったけれど、この子が倒れたらどうしようと、引率者として気が気ではない。」
と話していました。


(家族B)
 ゴメリ市から来た家族。この家族は4回目の保養滞在となりますが、1回目の滞在は1998年で、ビタペクト2の配布活動開始前ですので、体内放射能値の測定などは行っていません。
 2006年の2回目の滞在についてはこちらをご覧ください。
 HP「ベラルーシの部屋」過去ログ2006年3月
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第43回」(家族B)

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2006/index.html


 2008年の3回目の滞在についてはこちらをご覧ください。
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第73回」

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/a52dfb308114ba1946781bcc4d0bbe17


 この家族には7個のビタペクト2を渡しました。
 2006年と2008年、そして今回の体内放射能値の測定結果のこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。
母親(事故発生時24歳)21ベクレル○ → 14ベクレル → 11ベクレル
女子(18歳) 23ベクレル○ → 12ベクレル → 25ベクレル ○
女子(12歳) 28ベクレル○ → 41ベクレル ○ → 17ベクレル ○
男子 (5歳) 27ベクレル  → 33ベクレル ○ → 35ベクレル ○
甥 (16歳) 27ベクレル○ → 29ベクレル ○ → 16ベクレル 
姪 (13歳) 24ベクレル○ → 19ベクレル ○ → 13ベクレル

 16歳の甥と13歳の姪はゴメリ州ブダ・コシェリョボ市に住んでいます。
 このほか今回が初めての保養滞在となる親戚の子ども4人(うち3人はゴメリ市、1人はブダ・コシェリョボ市に近いデルビチ村に住んでいます。)

女子(12歳)22ベクレル ○
女子(12歳)23ベクレル ○
女子(11歳)18ベクレル ○
女子(12歳)28ベクレル ○ 

 子どもたちの健康状態についてです。
 18歳の女の子は最近心電図に異常が見つかり、精密検査を受けるように言われたそうです。
 12歳の女の子は食べ物のアレルギーで腕にぶつぶつができていますが、できていなかった時期がほとんどなく、原因になる食べ物が何なのかも、まだ分かっていません。
 今は血液検査でアレルゲン(原因になるもの)を調べることができるので、大きい病院に行くべきだ、とリリヤ先生に言われていました。
 5歳の男の子はよく風邪をひき、1か月に1回は幼稚園を休んでいます。

 デルビチ村出身の12歳の女の子は「出生時に不注意があり」よく入院しているとのことでしたが、何が起こったのかは、口を濁して話してくれませんでした。
(チロ基金としては、プライバシーに深く関わることや、聞き取り家族が話したくないことは無理にきかないようにしています。)

 11歳の親戚の女の子は、風邪をよくひき、耳がすぐ痛くなるので、綿で耳を覆って、落ちないようにヘアバンドをしています。いつもこの格好でいるそうです。

 今回はビタペクトを渡しませんでしたが、13歳の姪っ子は心臓の弁が完全に閉まらない病気だそうです。中学1年生なのに、体重が69キロで
「心臓の負担を減らすためにも、痩せなさい。」
と医者から言われ、本人も気にしているそうです。
 今回はビタペクト2を飲まなくてもいい、と言ったら
「前に飲んだとき、体重が2キロ減ったのに・・・。ビタペクト2、飲みたい・・・。」
とがっかりしていました。
 やっぱり、ペクチンが大量に含まれているので、ビタペクト2を飲むと腸内が掃除され、ダイエット効果があるようです。

 お母さんは
「初めてSOS子ども村へ来たときに連れてきていた長女が結婚、長男ももうすぐ結婚するのよ。」
と嬉しそうに話していました。
 時間が経つのはあっと言う間ですね。
 チロ基金のこの活動も、気がつけば、次回で100回目の配布になります。

 今回もいつものように子ども達に日本人の竹細工職人の方に寄贈してもらった竹で作られた知恵の輪、ぬりえや子供向けの絵本をあげました。
 小さい子どもにはぬりえ、年長の子どもには知恵の輪が大人気です。

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、手作りの竹細工を寄贈してくださった方、またSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

新しいチロ基金の活動 「日本児童文学コレクション」

2009-04-18 | チロ基金
 2009年、日本文化情報センター開設10周年にあたり、新しいチロ基金の活動「日本児童文学コレクション」を始めました。
 日本の最近の作家(村上春樹など)や日本昔話など必ず売れる、あるいはいつの時代でも必要、とされる日本文学は常にロシア語に翻訳され、ベラルーシの書店にも並んでいます。

 しかし、日本児童文学書は私が知っている限り、ベラルーシでもロシアでも、ロシア語訳の新書、あるいは再版ですら、ここ20年ほど出版されていません。
 売れるか売れないか?が翻訳するかしないか、の判断基準ではなかったソ連時代(50年代から90年代)に、約20冊の日本児童文学がロシア語に翻訳され、ロシアで出版されました。その多くは最近再版されることなく、図書館で貸し出しされ続け、現在保存状態が危機的状況です。

 例えば、日本文化情報センターのあるミンスク市立第5児童図書館には、4種類の日本児童文学書のロシア語版がありました。
 そのうちの1種、「1945年8月6日広島は語りつづける」(伊藤壮 作・丸木俊 絵。ロシア語版は1984年出版)は2部あったはずが、1部は行方不明、残った1部はボロボロの状態です。
 「コッペパンはきつね色・ねこによろしく」(松谷みよ子 作・ロシア語版は1977年出版)と「窓際のトットちゃん」(黒柳徹子 作。ロシア語版は1988年出版)はかろうじて、1部ずつ見つかりました。(でも状態がいいとは言えません。)
 
 このように、あと10年もすれば、ベラルーシ中から日本児童文学のロシア語版は、廃棄処分されるか、行方不明になるかのどちらかだと思います。
 また「売れない。」とロシアの出版社に思われている日本児童文学書が再版される可能性は大変低いです。
 そこで、今何とか保存する方向に誰かが進まなくていけないと思い、今年からチロ基金の活動として「日本児童文学コレクション」の収集を始めました。
 すでに日本文化情報センターのベラルーシ人向けロシア語サイトではお知らせを更新しています。 

http://blog.goo.ne.jp/fondchiro/e/df58db53d70cd15cb202df7274950aad


http://blog.goo.ne.jp/fondchiro/e/10266fedd5ec676d4a014cc4fa99073e


 ベラルーシの図書館に残っている本ではなく、個人蔵の本をチロ基金が買い取って、日本文化情報センター内「日本児童文学コレクション」に加えて、永久保存を目指す、という試みです。
 しかし、最新の翻訳書でも1991年発行ですので、多くの家庭で古本として処分されてしまった可能性が高いです。
 どれぐらい集まるのか分かりませんが、数年はこの呼びかけを続けようと考えています。

 私が知っている限りで、ロシア語に翻訳された日本児童文学で、買い取りをベラルーシ人に呼びかけているのは以下の19冊です。(表示している発行年度は原書ではなく、ロシア語版の発行年度です。)

1)「おしょうさんとこぞうさん」 羽仁説子 1956年
2)「子どもの頃の日々」 徳永直 1958年, 1965年
3)「あかつきの子ら」 片山昌造 1960年
4)「コロポックルの橋」 森和男(一歩)1963年
5)「つるのとぶ日」 いぬいとみこ 1966年
6)「いやいやえん」 中川梨枝子 1967年
7)「赤い鳥小鳥」 1967年
8)「うみねこの空」 いぬいとみこ 1968年
9)「龍の子太郎」 松谷みよ子 1970年,1978年
10)「ゆびきり」 早乙女勝元 1973年
11)「さらば、ハイウエイ」 砂田弘 1974年
12)「300番地の子どもたち 谷真介 1976年
13)「風の中の子ども」 坪田譲治 1978年
14)「パパはのっぽでぼくはちび」 平塚武二 1981年
15)「1945年8月6日広島は語りつづける」 伊藤壮 1984年 (1部はありますが、状態が悪いのでリストに入れました。)
16)「天の赤馬」斎藤隆介 1985年(1部はありますが、状態が悪いのでリストに入れました。)
17)「三コ」 斎藤隆介 1988年
18)「窓際のトットちゃん」 黒柳徹子 1988年(1部はありますが、状態が悪いのでリストに入れました。)
19)「むかしむかしおばあちゃんは」 神沢利子 1991年

(注意! これらの日本語の原書を集めているのではなく、ロシア語版を集めています。)

 図書館員さんたちは「こんな昔の本、なかなか見つからない。」と悲観的です。
 しかし、何もしないよりはましだろうと、私は思います。
 この活動については、また改めてご報告します。(日本文化情報センター開設20周年のころの報告になるかも・・・。)(^^;)
 
..........................

以下は5月18日の追加書き込みです。
 リスト中の
17)「三コ」 斎藤隆介 1988年
 ロシア語版を購入できました! 
 初めての1冊です。とてもうれしいです!  
 
 「ノンちゃん雲に乗る」(石井桃子 作・三浦みどり 訳)(これは翻訳者の三浦さんが自費で1997年にロシアで出版したものです。)
「手袋を買いに」(新美南吉 作・三浦みどり 訳)(これは本ではなく、1999年にロシアの雑誌に掲載されたものです。)
「橋をかける 子ども時代の読書の思い出」(美智子 著)(児童文学書ではなく、皇后美智子様が子ども時代に親しんだ読書の思い出の記。1999年すえもりブックスから発行。)
「銀河鉄道の夜」(宮沢賢治 作・中澤敦夫 訳)(2002年に新潟大学で出版されたもの。)
「窓際のトットちゃん」「コッペパンはきつね色・ねこによろしく」「1945年8月6日広島は語りつづける」「天の赤馬」(この3冊だけがうちの図書館に残っていました。)
 
..........................

以下は2010年3月3日の追加書き込みです。
 リスト中の
9)「龍の子太郎」 松谷みよ子 1970年度版を購入しました。時間はかかっていますが、少しずつコレクションが増えています。とてもうれしいです。

 画像は現時点で集まった「日本児童文学コレクション」です。
 この調子で少しずつでも買い集めたいと思っています。また改めてこの活動についてはご報告いたします。

日本文化の紹介・ポーロツク 2009年度 その2

2009-04-10 | 日本文化情報センター
 ポーロツクへ行く途中、アクシデントがあり、遅刻してしまったのですが、(ポーロツクの皆さん、ご心配おかけしてすみませんでした。)第7児童図書館に到着すると、100名以上の小中学生、学校の先生が詰めかけていました。(お待たせしてすみません・・・。)
 ポーロツク地元のテレビ局、ラジオ局、新聞の記者も取材に来ていました。
「話を聞きに来る子どもは50人ぐらい。」
と図書館員さんは言っていたのに、
「日本人が今日、図書館に来るらしい。」
と聞きつけた学校の先生が呼ばれもいないのに、自分の生徒を連れてきて、
「私たちも入れて!」
と頼んだため、こんな数に膨れ上がったのでした。 

 図書館員さんが日本紹介コーナーがあることを、話した後、私の登場。(着物着ました。サービスしなくっちゃね。)
 今回も新しく日本についてロシア語で紹介する書籍を日本コーナーに追加で寄贈することを話して、本と雑誌の説明をしました。

 そして、新しく展示品をたくさん寄贈することになりました。
 今回はポスター8枚、日本人形(藤娘)、雛人形の絵が描いてある有田焼の絵皿やハンカチ、相撲の絵番付、水引、小さいのですが日本地図のタペストリー、浮世絵絵葉書などを寄贈しました。
 寄贈品をお寄せくださった、日本人の皆様に厚くお礼申し上げます。ポーロツクで末長く展示されます。

 寄贈品を見せながら、説明をして、日本への理解を深めてもらいました。
 特に着物を着たお人形や、高層建築ビルに子どもたちの歓声が上がりました。
 以前の講演と違って、携帯のカメラで写真を撮る子どもが増えましたねえ。時代の流れを感じました。
 そして質問コーナー。最初はもじもじしていた子どもたちも、一人が質問すると、次々に手を上げました。
「日本の学校ではどんな教科がありますか。」
「日本にいる動物は? パンダはいるの?」
「桜のほかに日本にはどんな木が生えているんですか?」
「あなたは何歳ですか?」(^^;)
 などなど・・・
 そこへ一人の男の子が質問。
「あのう、これって本当に存在するんですか?」
「これ? これって何?」
「だから、これ、全部。」
「え、日本が存在するかどうかってこと?」
「そう、日本って本当に存在するんですか?」
 会場は大爆笑に包まれました。(^^;)
「もちろん、存在しますよ。飛行機のチケットを買えば、日本に行って、その目で見ることができますよ。」
と答えておきました。 
 どうも、高層ビルや着物姿の日本人を初めて見て、映画みたいに作られたものなんじゃないか? と思ったようです。

 その後マスコミ各社からインタビューを受けました。よくきかれるのは
「異文化の国に住み続けて、大変ではないのか?」
ということです。(でも日本の生活も西欧化されている部分が多いので、そんなにカルチャーショックは受けないと思うのですが・・・。私が見せている日本が、ベラルーシと違うところばかり選んでいるから、こういう質問をされるのかも。)

 画像は図書館員さんと記念撮影したときのようすです。本当は子どもたちといっしょに撮影したかったのですが、「登場」している私自身は写真撮影できないんですよね。
 図書館員さんも写真を撮っていたので、それが届きましたら、この画像は子どもたちの画像と差し替えようと思っています。
 図書館員さん、ご苦労様でした! 準備も大変だったと思います。
 何より、すてきな日本紹介コーナーを心をこめて開設してくださってありがとうございました。本や展示品を寄贈する側としても、寄贈のしがいがあります。

 また寄贈品をお寄せくださった日本人の皆様にも感謝しております。
 今回は日帰りだったのですが、バスで往復しました。交通費もチロ基金から出させていただきました。おかげさまで、ポーロツクの講演会が実施できました。
 なかなか金銭的にも時間的にも大変なのですが、やはり、ときには地方都市に行って日本のことを紹介しないといけないなあ・・・と実感しました。
 ミンスクでの日本文化情報センターでの業務は大切なのですが、ベラルーシの子どもたちみんなが、ミンスクまで来られるわけでもないので、こちらから行かないと・・・と改めて思いました。
 ご協力してくださった皆様、ありがとうございました。今後もよろしくお願いいたします。
 
 

日本文化の紹介・ポーロツク 2009年度 その1

2009-04-10 | 日本文化情報センター
 2009年4月9日、久しぶりにベラルーシ北部にある街、ポーロツクへ出張講演に行ってきました。

 2003年にポーロツクへ行ったときの様子は、HP「ベラルーシの部屋」内、日本文化情報センター活動報告・出張公演「日本文化の紹介・ポーロツク」をご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/2003/index.html


 また2005年にポーロツクで茶の湯の紹介をしたときの様子は、HP「ベラルーシの部屋」内、日本文化情報センター活動報告・茶の湯の紹介 2005・ポーロツクをご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/2005/index.html


 ポーロツクの第7児童図書館とのお付き合いも5年以上が経過し、その間に寄贈した書籍や展示物が、少しずつ増えてきました。
 そこで、図書館員さんたちの努力により、2008年5月「日本紹介コーナー」が開設されました。(画像をご覧ください。それにしても、ベラルーシの児童図書館に日本コーナーができると「桜の咲く国」という名称がつくんですよね。どうしてでしょう? 「日出づる国ニッポン」と言われるより、何となく優しい感じがして私は好きですが。 )
 塵も積もれば・・・で、本当に本と雑誌が増えましたよね。

 現在ではポーロツクでは「日本のことを調べる場合は、第7児童図書館」となっていて、隣のノボポーロツク市からも問い合わせが来るほどだそうです。
 私は昨年のコーナー開設式に出席したかったのですが、ちょうど日本文化情報センターで着物展開催中で、行けなかったのです。仕方がなく、他の在ベラルーシ日本人の方に出席してもらいました。(出席してくださった方、本当にありがとうございました!)
 今年こそはまたポーロツクに行こうと思っていて、今回日帰りでしたが、行ってきました。

 

ドキュメント映画「ベラルーシ・ロックよ永遠に」に出演しました

2009-04-06 | 日本文化情報センター
 音楽ドキュメント映画「ベラルーシ・ロックよ永遠に」に出演しました。
(2008年、Global Group Company製作。シャルヘイ・イサカウ監督。ベラルーシ作品)

 なんで日本人の私が、このような映画に出演することになったのか、作品が完成した今でも分かりません。(^^;)
 一応、作品中で歌を歌っていますが(恥ずかしーい!)、日本語で「浜辺の歌」ですよ。この歌、ベラルーシのロックじゃないんだけど・・・。と言うか、私プロの歌手ではないのですが・・・。

 詳細はこちら「みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ」で更新する予定です。お楽しみに。

http://blog.goo.ne.jp/mitsubachimasa

チロ基金の活動「第5回 医療器具寄贈」その2

2009-04-05 | チロ基金
 今回寄贈した器具の画像です。それぞれ太さ3ミリ。とても小さいです。比較のためボールペンを置いてみました。
 上から、鉗子(これで患部を広げる)、はさみ(腫瘍などをこれで切り取ります。)、鉗子(はさみで切り取り作業中、これで腫瘍をはさんで動かないようにします。)
 どれも同種の器具の中では最小サイズに当たり、主に新生児の腹腔内視鏡手術に使用されますが、必要な場合は1歳以上の年齢の子どもを対象にした手術にも使われます。
 担当医の方々は大変喜んでおられました。寄贈してすぐに殺菌、パッキングされ、翌日朝の手術から早速使われることになりました。本当によかったです。
 現在この病院では、1日で多いときには7件の腹腔内視鏡手術が行われているそうです。2つの手術室をフル回転させて、行っているそうですが、手術数は増えていると思います。そのたびにこの手術器具が使用されることになります。

 今年も昨年と同様に医療器具の見本市がミンスク市内で開催されました。あいにく、日本文化情報センターでの着物展と時期が重なり、私は行くことができませんでした。しかし世界的不況のため、会場の半分しかブースが埋まらなかったそうです。
 そんな中、ドイツの医療機器製作会社カール・シュトルツ社ロシア支社が見本市で、この2種の手術器具を展示。1点350ユーロもするものでしたが、3点で1000ドルにしてくれました。おかげさまで助かりました。
(売る側としても、商品を少しでも販売するほうがいいですからね・・・。)
 
 チロ基金が募った寄付金で購入した医療器具が、ベラルーシの子ども達のため使われるようになったこと、深く感謝しております。ご協力してくださったNobu-san、本当にありがとうございました。
 不況が続いている現在、今年も無事に手術器具の寄贈ができたこと、ベラルーシ関係者一同大変うれしく思っております。

チロ基金の活動「第5回 医療器具寄贈」その1

2009-04-04 | チロ基金
 2009年4月2日、第5回目となる医療器具寄贈活動を行いました。
 寄贈先は今まで同じく、ミンスク市立第1病院内小児外科センターです。
 寄贈した医療器具は腹腔内視鏡手術器具3点です。ドイツの医療機器製作会社カール・シュトルツ社製の鉗子2種、はさみ1点をチロ基金への寄付金1000$で購入しました。
 この寄付金を寄付してくださったのは、Nobu-sanです。
 世界的不況が続く中、高額の寄付金をチロ基金に寄付してくださり、深く感謝しております。本当にありがとうございました。おかげさまで、今年も手術器具の寄贈ができました。
 今回は小児外科センターの内装工事のため、盛大な寄贈記念式典を行うことはできませんでしたが、お医者様方と記念撮影はちゃんとしました。
 画像右からアレクサンドロビッチ先生、スヴィルスキー先生、セフコフスキー先生、カール・シュトルツ社ミンスク支社のオレグさん、そしてプレゼンテーターのY子です。

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第1回 医療器具寄贈についてはこちらです。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/medical/index.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/medical/no2.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/medical/no3.html


ベラルーシ国内の報道記事はこちらです。(ロシア語)


http://www.sb.by/post/21374/



第2回と第3回 医療器具寄贈についてはこちらです。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/med_2004/index.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/med_2004/no2.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/med_2004/no3.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/med_2004/no10.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/med_2004/no11.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/med_2004/no12.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/med_2004/no13.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/med_2004/no13.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/med_2004/no14.html


第4回 医療器具寄贈についてはこちらです。


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/a41e56845b5a7ba409518ef917d2920a



http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/f907e11b2b84fac83cce91a6336e8439



http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/888508e1b1f8c7f32f59daa6cd9987f7


医療機器製作会社カール・シュトルツ社の公式サイト(日本語版はありません。)
http://www.karlstorz.de/cps/rde/xchg/SID-6E394DE7-5A0E0057/karlstorz-en/hs.xsl/index.htm