ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

北京オリンピック射撃

2008-08-16 | ベラルーシ生活
 続いておりますねえ、北京オリンピック。
 いろんな競技で、日本人選手とベラルーシ人選手の活躍が期待されます。

 まあ、我が家では当然のことながら、ベラルーシチームでは射撃(S夫の仕事だから)と新体操(うちの子が習っているから。)の応援を1番にしていますが、今日は射撃男子クレー(スキート)決勝がありました。
 試合結果はこちら。

http://results.beijing2008.cn/WRM/ENG/INF/SH/C73H/SHM403902.shtml#SHM403902


 残念でしたね、ベラルーシのGERACHTCHENKO選手。(ゲラシチェンコ選手と普段呼んでいます。)
 オリンピック初出場で34位という結果に終わりました。ライフル銃の整備はS夫が何ヶ月もかけて担当していたので、S夫もがっかり。
 でもまた4年後を目指してほしいですね。

 ちなみにアラブ首長国連邦代表で参加した、あの「アラブ王子」ことサイード王子も、22位で終わりました。
(アラブ王子についてはこのブログ内の「アラブの王子がベラルーシで結婚したニュースについて」を参照ください。)
 S夫が関係した選手の一人であるので、こちらも残念ですね。
 (「王子の顔が見たい!」 という方は上記の射撃結果から、名前を探してクリックしてみてください。選手プロフィールには「王子」であるということは一切表記されていませんでしたが、身長と体重も表記されていませんでした。秘密なのか?)

 さて、アーチェリー選手であるS夫自身は今回の北京パラリンピックには出場しません。
 でもロンドン五輪に標準を定めて、(射撃チームの銃整備の仕事をしつつ、アーチェリーの初心者トレーナーもしつつ)新しい弓で練習を再開しています。
 次のオリンピックで、「ベラルーシの中年の星」になってほしいなあ、と思います。(^^;)

 画像はパパのベラルーシクレー射撃チーム公式ユニフォームを着て、メダルを取ったつもりのY子。
 右手に持っているのは、ベラルーシ・オリンピックチームの公式マスコット「こうのとり君」(ロシアの公式マスコットはチェブラーシカですが・・・)
 今までこんなマスコットはなかったのですが、今回のオリンピックから使われるようになった、ベラルーシの民族衣装を着たこうのとりです。
(スポーツチームのマスコットとしては、チェブラーシカ同様、何だか微妙・・・)
 
 

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第78回」

2008-08-16 |   ビタペクト配布活動
 8月15日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第78回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を10個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1505個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1160部となりました。
  
 今回で通算88目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1505人分のビタペクト2、そして1160家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by


今回、2家族が保養のため滞在しており、お話を伺いました。

(家族A)

 モギリョフ州オシポビッチ地区リペニ村(チェルノブイリ原発から約240キロ)から来た家族。
 家庭タイプ型孤児院の家庭で、5人の実子のほか11人の里子が一緒に住んでいます。そのうちの7人が母親と一緒に保養に来ていました。この家族には6個のビタペクト2を渡しました。
 それぞれの体内放射能値は次のとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親     18ベクレル 
女子17歳  23ベクレル ○
女子12歳  25ベクレル ○
男子11歳  30ベクレル ○
男子11歳  27ベクレル ○
女子11歳  33ベクレル ○
男子 9歳   0ベクレル 
男子 6歳  38ベクレル ○

 お母さんのお話によると子どもたちは慢性病は持っておらず、比較的元気だということでした。
 ベラルーシ児童基金から一軒家を支給され、子どもたちは協力し合って暮らしている、ということでした。また未成年の子どもには毎月約90ドルずつの福祉手当が払われているそうです。 


(家族B)

 ビテプスク州グルボコエ市(チェルノブイリ原発から約450キロ)から来たお母さんと3人の子どもたち、1人の養子、そして近所に住む女の子1人が保養滞在していました。この家族には4個のビタペクト2を渡しました。
 この家族の放射能値測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。ただ養子の男の子はSOS子ども村に到着後、すぐに検査入院したため、放射能の測定を行っていません。

母親    17ベクレル ○
長男17歳 16ベクレル ○
三男 6歳 27ベクレル ○
次女 1歳  0ベクレル 
女子11歳 16ベクレル ○


 この6歳の男の子は白血病です。3年前に病状が悪くなり、小児腫瘍病センターに入院しました。そのとき同じ病室に肝臓に腫瘍ができたため手術を受けた男の子が入院していました。
 その男の子の両親は服役中で、身よりもなく、孤児施設から入院してきた子どもだということを知り、お母さんは神様にお祈りしたそうです。
「もし、うちの子の命を助けてくれたら、この男の子も私が引き取って育てます。」
 しばらくすると、息子さんの症状はよくなり、退院することになりました。お母さんは神様との約束を守り、身寄りのない男の子を養子として引き取りました。
 
 養子の男の子はやせていて、あまり丈夫そうに見えませんでした。でも育てのお母さんが病院へ連れて行ったり、大切に育てているそうです。
 今回、SOS子ども村へ保養に来たときも、すぐに検査のため再入院しましたが、お母さんは
「どうしても、この子にもビタペクト2を飲ませたい。」
と希望したのと、他の子どもたちも高い放射能値が出ていることから、養子の子は放射能値が分かりませんでしたが、ビタペクト2を一つお母さんに渡しておきました。

 それにしてもすごいお母さんですよね。普通、健康な子どもでも引き取って育てるのは大変です。それに子どものいない夫婦が、養子をもらった後、障害があることがわかって、
「やっぱりいりません。」
と孤児院に「返品」してしまうことも多くあります。
 
 4人の子ども、そのうち二人は慢性病を抱えているので、大変だろうなあ、と思うのですが、そういった福祉手当が今年から打ち切られてもらっていない、ということでした。
 家族Aのほうの子どもたちは毎月福祉手当をもらっているのに、家族Bのほうはどうしてもらえないのですか? と尋ねると地方行政による、ということでした。
 でも福祉手当の支給は国が定めた法律に則って、実施されないといけないので、地方によってこんな差があるのはおかしいと思います。
 法律相談などを専門家に頼んでしてもらうほうがいいと、私は思いました。 
 病気の子どもを引き取って育てているお母さんなのに、経済的な支援がされないなんて、不平等だと思います。
 
 今回も子ども達に折り紙などをプレゼントしました。竹で作られた知恵の輪を日本人の竹細工職人の方に寄贈してもらっていたので、それをあげたら、一生懸命外そうと挑戦していました。しばらくすると、ちゃんと外したので、驚きました。
 
 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、手作りの竹細工を寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。




チロ基金の活動「ゴメリ州モズィリ市糖尿病児童協会への支援活動」第6回 その2

2008-08-03 | チロ基金
 購入した血糖値簡易検査試験紙は、今までの活動ではSOS子ども村へモズィリ市糖尿病児童協会の子どもたちが保養に来た時に渡したり、直接モズィリに持って行くなどの方法で渡していました。
 しかし、今年はSOS子ども村側とのスケジュール調整がうまくいかず、この会は今年は保養滞在に来ないことになりました。

 どのように支援物資を渡そうか考えていたところ、会長さんから電話があり、ちょうどこの会で事務の仕事をされているユリヤさんのご主人が、用事でミンスクへ来ることになったので検査試験紙を渡してほしい、とのことでした。このご夫婦の息子さんが糖尿病患者です。

 渡りに船とはこのことです。
 さっそくユリヤさんのご主人、アンドレイさんと連絡を取り、列車でミンスクへ来ることが分かったので、ミンスク中央駅前で待ち合わせました。
 そして8月2日に駅前でアンドレイさんに支援物資を手渡しました。
 これはそのときのアンドレイさんと検査試験紙が入った箱を撮影した画像です。

 アンドレイさんは大変感謝していました。
 お話によると、インスリン用注射針を今は地元の病院で無料で受け取ることができるようになり、経済的に助かった、しかし、チロ基金以外にこの協会の子どもたちを助けてくれている団体は今のところなく、本当にうれしく思っている・・・とのことでした。
 糖尿病の子どもを持った父親の笑顔を見て、チロ基金がこの活動を始めて本当によかった、と思いました。
 今年もこの活動が実施できたのは、多くの寄付金をチロ基金に寄せてくださった日本人の皆様のおかげです。
 深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

チロ基金の活動「ゴメリ州モズィリ市糖尿病児童協会への支援活動」第6回 その1

2008-08-03 | チロ基金
 チロ基金は2005年からゴメリ州モズィリ市糖尿病児童協会へ支援活動を続けています。その第6回目の支援活動を2008年8月2日に実施いたしました。

 モズィリ市糖尿病児童協会への支援活動第1回についてはチロ基金の活動「ゴメリ州モズィリ市糖尿病児童協会への支援活動」をご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/mozyl/index.html


  「ゴメリ州モズィリ市糖尿病児童協会への支援活動」第2回については2005年11月過去ログをご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2005/011.html


 「ゴメリ州モズィリ市糖尿病児童協会への支援活動」第3回については2006年6月過去ログをご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2006/006.html


「ゴメリ州モズィリ市糖尿病児童協会への支援活動」第4回については2006年11月過去ログをご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2006/011.html


「ゴメリ州モズィリ市糖尿病児童協会への支援活動」第5回についてはこのブログ内過去ログをご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/f415615145caf7b7d8c0690c79bf3248



 今回の支援物資の内容は、血糖値測定に使用する簡易検査試験紙 2375枚です。チロ基金から購入し、モズィリ市糖尿病児童協会に寄贈いたしました。
 日本ユーラシア協会大阪府連、「7人の音楽仲間グループ」、群馬県在住の個人の方、東京在住の個人の方から寄付金を合計900$いただきました。厚く御礼申し上げます。

 支援の詳しい内訳は1$=2120ベラルーシ・ルーブル、1$=108円で日本円に換算して以下のようになります。
 血糖値測定に使用する簡易検査試験紙 50枚入り 47パック (1パックが2038円。計9万5786円)
 25枚入り 1パック (1019円)
 合計2375枚  9万6805円

 8000ルーブル(408円)が残ったのですが、これは購入のための搬送代(ガソリン代)の一部に充てました。
 
 
 支援前にモズィリ市糖尿病児童会会長さんと、今回はどのような支援をすればいいのか話し合いました。
 その結果、現在インスリン注射用の針は地元の病院で無料で支給されるようになったので、チロ基金からの援助は不要、ということでした。本当によかったですね
 
 血糖値検査試験紙については、引き続きお願いしたいということでした。
 しかし今まで支援してきたRoche社製のものではなく、韓国製の安い製品がベラルーシで手に入るので、少しでもたくさん購入できるものほうをお願いしたい、という要望でした。
 それは「Fine Test」という製品で、ミンスクで安く購入できることをモズィリ市糖尿病児童会会長さんに教えてもらいました。
 ミンスクにもこのような糖尿病患者の団体があります。「健康への道」という患者さんの会なのですが、モズィリと違って首都ミンスクの団体なので、会員数なども桁違いです。
 そして会員が多いだけ、少人数ではできないようなこともしています。
 たとえば、薬局で血糖値検査試験紙を個人が個別に購入すると高くつきますが、この会では会員全体でまとめて、直接韓国の会社から血糖値検査試験紙を輸入しています。
 つまり大量に薬局などを通さず購入し、安い値段で会員に売っているわけです。
 それをチロ基金にも分けてもらえる、ということになり、Roche社製の製品の3分の2の値段で購入することができました。
 その代わりこれは会員価格なので、「当会の会員になってください。」と言われ、私は糖尿病患者ではないのですが、会員になりました。(^^;) 

 製品の画像では25枚入りの容器が二つ入った青い箱47パック(つまり1パック50枚入り)と25枚入りの白い容器一つが写っています。

 

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第77回」

2008-08-01 |   ビタペクト配布活動
 7月29日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第77回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を11個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1495個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1150部となりました。
  
 今回で通算87目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1495人分のビタペクト2、そして1150家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by
 

今回、3家族が保養のため滞在しており、お話を伺いました。


(家族A)

 ブレスト市(チェルノブイリ原発から約440キロ)から来たお母さんと3人の 子どもたち。この家族には3個のビタペクト2を渡しました。
 この家族の放射能値測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親     20ベクレル ○
長男6歳   24ベクレル ○
次男5歳   23ベクレル ○
長女2歳   22ベクレル 

 2歳の長女にもビタペクト2をあげたかったのですが、基本的にはビタペクト2は3歳以下の子どもには与えないことになっていますので、今回は渡さないことにしました。
 その代わりお母さんの分を二人で飲むことにして、様子を見ることにしました。

 子どもたちは元気でしたが、お母さんは病気がちということでした。病気がちなうえ、子どもが小さく、就職を希望していますが、仕事が見つからない、と話していました。小さい子どもがいるとなかなか仕事が見つからない、というのは日本とよく似ています。ただ、出産前に就職していれば、産休がもらえるので、退職しなければ、元の職場に復帰できます。
 ベラルーシで小さい子どもがいることがハンディになって、仕事が見つからない、というのは、妊娠・出産時に退職してしまった、あるいは、学生結婚などをして就職する前、あるいは無職の状態のときに出産したケースがほとんどです。ベラルーシでは少数派です。

 お母さんの話によると、ブレストでは多子家庭で経済的に困窮している家庭を支援するさまざまな福祉制度があります。
 ところが、そういった生活保護を受けるためにはたくさんの条件をクリアしなくてはいけないそうです。
 たとえば、ポンコツでも車を持っていたら、経済的に困窮していないと見なされ、生活保護が受けられない、というのは理解できるのですが、ブレストから近いウクライナに何回か行ったことがあると、「外国に親戚がいる」と判断され、その親戚に助けてもらいなさい、と役所の福祉係に言われるそうです。
 ベラルーシよりウクライナのほうが衣料品など物価が安いので、少しでも支出を減らそうと、子供服をウクライナへ買いに行ったら、役所でパスポートを調べられ
「ウクライナへ行ったことがあるので、多子家庭支援の福祉制度は利用できない。」
と言われたそうです。
 ちょっと理解しがたいですね。

 ベラルーシでは多子家庭(子どもが3人以上)には国から住居がもらえるのですが、ブレストでは順番待ちが長く、あきらめた、と言っていました。
 でも最近はベラルーシでもローンを組んで家を購入することができるようになったので、もうすぐ広い家に引っ越すと、お母さんはうれしそうに話していました。 
 

(家族B)

 ブレスト州ムハベツ(チェルノブイリ原発から約440キロ)から来たお母さんと4人の子どもたち、そして友人の子ども3人を引率してきていました。
 この家族の放射能値測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親    19ベクレル ○
長男13歳 14ベクレル
次男10歳 30ベクレル ○
長女 4歳 18ベクレル ○
三男 2歳 23ベクレル 

 2歳の三男にもビタペクト2をあげたかったのですが、年齢が3歳以下ということで、お母さんのビタペクト2を分けて飲んでみることになりました。
 
 引率してきた3人の子どもは姉妹でブレストに住んでいるそうです。

長女14歳 20ベクレル ○
次女12歳 14ベクレル 
三女10歳 33ベクレル ○

この3姉妹はSOS子ども村へ来るのは2回目です。長女と次女は2006年に、3女は2001年に来たことがあります。
 2001年はまだビタペクト2を渡す活動を始めていませんでしたので、今回初めて、体内放射能の測定をし、ビタペクト2を飲むことになりました。
 長女と次女が2006年に保養に来たときのようすはこちらをご覧ください。(HP「ベラルーシの部屋」2006年7月過去ログ チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第47回」)

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2006/index.html


 このとき長女の体内放射能値は27ベクレル、次女は18ベクレルでした。このときにビタペクト2を渡しています。
 2年が経過し、それぞれ体内放射能値は減りましたが、大きな減少はありませんでした。
 
 この一家には合計5個のビタペクト2をお母さんに渡しました。
 子どもたちの健康状態には特に問題はないそうです。
 その理由を肉は食べない菜食主義者だから、と話していました。SOS子ども村の職員さんは
「肉も野菜もバランスよく食べるほうがいい。」
と話していましたが、お母さんは肉を食べなくなってから、子どもは元気になった、学校の成績もいい、と話していました。

 この一家も住むところが問題で、40年のローンを組んでマンションを購入したそうです。
 40年ローンってすごいですよね。ベラルーシでは定年が男性60歳、女性が55歳で、このお母さんは現在38歳です。ご主人は何歳なのか知りませんが、仮に40歳とすると、ローンを支払い終わるのが80歳ですよ。実際はどうなるのでしょう?

 
(家族C)

 ブレストから30キロ離れたところにあるジャビンカ(チェルノブイリ原発から約420キロ)から来た家族。お母さんと3人の子どもです。
 この家族の放射能値測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親    18ベクレル
長男11歳 16ベクレル ○
長女 8歳 17ベクレル ○
次女 7歳 15ベクレル ○

 3人の子ども全員に1個ずつビタペクト2を渡しました。
 この一家も菜食主義者だそうです。お母さんは昔肉を食べていたのですが、宗教上の理由から、15年前から肉を食べるのをやめ、子どもたちは生まれてから1回も肉を食べたことがないそうです。
 ただ、牛乳は飲んでいる、ということでした。学校の給食はどうしているんですか? と尋ねると、出されたもののうち、肉はよけて食べないようにしているそうです。(何だかもったいないような・・・)
 子どもたちに健康上の問題はない、ということでしたが、何となくみんな顔色が悪かったです。
 肉ばかり食べるのはどうかと思いますが、やっぱり少しは肉(動物性たんぱく質)も採ったほうがいいのでは、と思いました。SOS子ども村では保養滞在中に食育の講義もされているのですが、このお母さんは
「肉を食べるのは罪です。」
と言って肉食は強く拒否していました。

 今回も子ども達に折り紙などをプレゼントしました。竹で作った小さい絵馬(キーホルダーにもできるし、携帯ストラップにもできる)を日本人の竹細工職人の方に寄贈してもらっていたので、それを1人1人にあげたら、大喜びしていました。
 (保養滞在している家の前で記念撮影をしました。ちなみにうちの子が混じっています。それから鳥の形の凧が写っていますが、これはチロ基金からあげたものではありません。)

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、手作りの竹細工を寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。