ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チェルノブイリ原発事故から28年

2014-04-26 | 放射能関連情報
今年でチェルノブイリ原発事故が発生してから28年となりました。
 ベラルーシ人の間では、若い世代も増えてきて、事故のことを覚えているはずの年代の人も記憶があいまいになってきています。

そして今日を境に、ということではないのですが、28年の節目を前にベラルーシ国内の汚染地域は全て指定から解除されました。つまり元汚染地域はあちこちにあるのですが、現在汚染地域という場所で、人が住み続けていたような場所は全て、公式には汚染地域ではなくなり、引っ越してきてもいいし、住居を建設してもよい、ということになったのです。
 かつてそこに住んでいた人の中には、戻ってこようとしている人もいます。もちろん強制的に帰還命令が出ているわけではないので、自分の意思で戻らないと決めている人もいます。

 そこで農作物を作るのもOKです。
 本当にこれでいいのか、という気持ちがあります。そう思いながら暮らし続けている人もたくさんいるでしょう。
 ちなみに同じ原発事故で指定された汚染地域でも、国境を越えてウクライナ国内にある場合は、指定解除されていません。あくまでベラルーシ国内だけでの決定なのです。

 日本の28年後はどうなっているでしょうか。ベラルーシのように汚染地域がすっかりなくなっているでしょうか。人々は自分が住んでいた地域に戻ってきて、健康に暮らし続けることができているでしょうか。そうなっていてほしいと望みます。

ゴメリ州ヴィシェミールの学校で集団測定 第1回

2014-04-18 | チロ基金
 2014年4月10日、チロ基金はベルラド研究所の協力のもとゴメリ州にある学校で、WBCによる内部被ばくの集団測定を行いました。
 対象となったのはゴメリ州ヴィシェミール(チェルノブイリ原発から約80キロ)にある学校の生徒53人と幼稚園児3人の合計56人です。
  
 子ども達にはチロ基金からビタペクト3を56個配布しました。今回で通算177回目の配布となりました。 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2216個となりました。

 再測定は5月を予定しています。結果が楽しみですね。

 今回は遠いので私は測定に同行していないのですが、測定中の画像をベルラド研究所から送ってもらいました。

 このヴィシェミールはベラルーシ保健省の2004年の調査によると、1平方キロあたり3.15キュリーの地域となっており、2011年時点での住民数は440人です。学校と幼稚園には近辺の村(ドゥハノフカ、ゴンチャロフカ、セミョノフカ)から通っている子どももいます。

 ちなみに2001年に作成された汚染地図で確認するとヴィシェミールは汚染地域に指定されています。

 ヴィシェミールの住民の外部被爆の平均は前述と同じくベラルーシ保健省の2004年の調査によると年間0.38ミリシーベルト、内部被爆の平均は0.40ミリシーベルトで、合計0.78ミリシーベルトとなっています。
 1ミリシーベルを超えていないので、住んでよいという判断ですね。しかし人口が440人だけ(10年前の調査による)で、近隣の村の子どもを集めても、小中高生の生徒数が56人ほど(現時点)というのは過疎化が進んでいる地域と言えるでしょう。

 今回測定した56人中3人が幼稚園児で、53人は小学1年生から高校2年生まで年齢はさまざまです。 ベルラド研究所からは56人の測定結果が小数点第2位まで表示されていたのですが、小数点第2位を四捨五入して、算出した56人の平均値は体重1キロあたり28.2ベクレル±1.0でした。

 0ベクレルから10ベクレルまでの子どもはいませんでした。
 一番少なかった子どもでも17.8ベクレル(10歳女子)で、20ベクレル以下の子どもは56人中3人しかいませんでした。この3人にもビタペクト3は渡してあります。
 逆に一番結果がよくなかったのは80.2ベクレル(17歳男子)でした。この子だけが飛びぬけて多い値で、次に多かったのは61.5ベクレル(13歳男子)、次が43.2ベクレル(6歳男子)で、人数的に多かったのは20ベクレル代(39人)と30ベクレル代(11人)です。

 年齢は最年長が17歳で、最年少が6歳です。たった56人の測定結果なので、はっきりしたことは言えませんが、性別や年齢による大きな差や目立った傾向はないようです。
 ただ、あえて言うなら20ベクレル以下(低発病リスク)だった3人は全員女子。そして被爆量が多かった上位5名中4人が男子、1人が女子でした。
 しかしここで「男の子のほうが内部被爆しやすい。」と断定するつもりはありません。

 ちなみにカリウムの量ですが、56人中必要摂取量が摂れている子どもは1人もいませんでした。(これはショックです・・・)この地域の住民の食生活はどうなっているのかと思いました。
 学校の給食でカリウム強化メニューを出して、せめて平日の昼ごはんでカリウムをたくさん子どもたちに食べさせるほうがいいですよ、と校長先生に言いたいです。

 ベラルーシの基準で言えば住んでも安全、と言う地域ですが、子ども全員が内部被爆している現状を目の当たりにすると、本当に安全と言ってよいのかと心配になります。
 しかもこのような地域がベラルーシのあちこちにあるのかと思うと、気が重いです。

 来月の再測定の結果、少しでも子どもたちの被爆量が減っていることを祈ります。

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 2014年5月に行われた再測定の結果はこちらです。




チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第162回」

2014-04-14 |   ビタペクト配布活動
4月14日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第162回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト3を11個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2160個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1990部となりました。
 今回で通算176回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2160人の子どもにビタペクトを、1990家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80



今回はゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から2家族が地元の教会の信者の子どもたちなど14人を引率していました。この2家族は2011年11月と2012年5月にもSOS子ども村に滞在しています。そのときの様子は以下をご覧ください。
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第126回」
チロ基金の活動「ビタペクト2(セルロース)&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第133回」

それぞれの測定結果はこのとおりです。2011年、2012年にも滞在した場合、その結果も矢印で示しています。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しましたが、2012年にはセルロースを渡しています。

(家族A)

母親(事故発生時14歳) 4ベクレル→6ベクレル→9ベクレル
養女 (8歳)0ベクレル → 22ベクレル ○ → 40ベクレル ○
養女 (7歳) 0ベクレル → 34ベクレル ○ → 33ベクレル ○ 
女子(16歳)28ベクレル ○ → 27ベクレル ○
女子(13歳)23ベクレル ○ → 28ベクレル ○
女子(10歳)14ベクレル → 23ベクレル ○ → 27ベクレル ○

 やこしいのですが、この家族Aの10歳の女の子は現在家族Bの養女となっています。
 お母さんに子どもたちの健康状態についてお話をうかがいました。
 10歳の女の子は甲状腺の肥大が見られます。
 7歳の養女は生まれつき心臓に異常があります。また腕の関節も異常があって、腕を曲げる(手のひらを上にする)ことができません。風邪もよくひくそうです。
 他の子どもは比較的健康ということでした。


(家族B)

母親(事故発生時18歳)→16ベクレル
長女(14歳)31ベクレル ○ → 37ベクレル ○
男子(16歳)16ベクレル
女子(15歳)18ベクレル
男子(14歳)31ベクレル ○
男子(13歳)36ベクレル ○ 
女子(13歳)27ベクレル ○
女子(13歳)29ベクレル ○
女子(11歳)18ベクレル
女子 (9歳)28ベクレル ○

 このうち男の子3人は兄弟です。お母さんに子どもたちの健康状態についてお話を伺いました。

 29ベクレルだった13歳の女の子は心臓病を抱えています。
 9歳の女の子は腎臓病です。他の子どもたちは比較的健康、ということでした。

 3人兄弟ですが、実際には7人兄弟で全員男の子。さらに女の子を養女にして現在11人兄弟になっているそうです。16歳の男の子が長男なのですが、2歳になる末の弟が白血病なのだそうです。骨髄移植をすることになり、ドナーを家族の中で探したところ、長男が最も適していたことが分かり、ドナーになって骨髄移植したそうです。まだ経過を見ているところだそうですが、完治してほしいです。

 さて、家族Aのお母さんなのですが、体重が・・・170キロになってしまいました。2年前は160キロだったのですが。
 お母さんはどうしてもやせたいと考え、自分のお金でビタペクト3を買っていました。つまりペクチンダイエットを実行することにしたのですが、SOS子ども村のリリヤ先生によるとビタペクト3(ペクチンサプリ)を使ったダイエット方法とは、このようなものだそうです。
 食前にビタペクト3を3錠ずつ飲む。1日3食、少しずつの量を食べる。野菜はたくさん食べてよい。肉は焼かずにゆでるか蒸すかしたものを食べるようにする。
 これでやせることができるはず。でもこのお母さんの体重の場合すぐ効果が出るのは20キロぐらいで、150キロになっても見た目はあまり変わらないだろう、ということでした。それ以上やせようとするのは時間がかかる、と言っていました。
 しかしそれでも挑戦してみる、ということでしたので、次回いつこのお母さんに会える機会があれば、ペクチンダイエットの効果のほどをうかがいたいと思っています。

 もうすぐキリスト教の復活祭ということで、いつも地元の教会で交流している子どもたちが、賛美歌を歌ってくれました。もっとも賛美歌といっても、現代風アレンジがされたものです。みんなきれいな声で歌ってくれて感動しました。(^^)

 ところで今回の活動ですが、ベラルーシのテレビ局の取材を受けました。短時間しか撮影していなかったので、どこまで放映されるのか分かりませんが、どんな番組になっているか楽しみです。

 それからお知らせです。SOS子ども村が保養滞在用の施設の改装工事を行うことになり、2ヶ月間保養家族の受け入れをお休みします。チロ基金もこの間ビタペクト3配布活動をお休みします

 画像は記念撮影したものです。
 子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、せんすをプレゼントしました。
年齢が高い子どもたちからは、日本語についていろいろな質問が出て話が盛り上がりました。日本に興味を持ってくれるベラルーシの子どもが増えるのはうれしいことです。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

ゴシケーヴィチ生誕200年記念学術会議で発表しました

2014-04-06 |   イオシフ・ゴシケーヴィチ
 ゴシケーヴィチ生誕200年を記念した学術会議が4月5日ミンスク州にあるウズダ市内で行われました。
 ウズダはミンスクから車で南に1時間半ほど行ったところにある街です。学校が3校しかないという小さな街ですが、その中の学校でゴシケーヴィチを子どもたちが熱心に勉強しているということで、今回の会場になりました。
 この学校ではゴシケーヴィチをテーマにした展示が開催されていますが、その様子を学校のHPで見ることができます。
 生徒さん自身がゴシケーヴィチのことを調べて発表したそうで、先生方の指導の熱意が伝わってきます。

 ゴシケーヴィチの誕生日については3月16日説と4月4日説があるのですが、ベラルーシ大学歴史学部では4月4日説が有力ということで、4月にこの会議を企画しました。共同主催はミンスク州学習メソッドセンターです。

 このセンターでゴシケーヴィチの北京滞在時代のことを研究しているオブホワ先生のお誘いを受けて、私も参加することになりました。
 3月21日のベラルーシ大学国際関係学部主催のほうの学術会議で発表したのと内容はほとんど同じですが、もう少し詳しく新島襄について話をしました。ベラルーシでは新島襄のことはほとんど知られていないのですが、ニコライ大主教と20代のころ友達で、日本語を教えていたという関係だったことはベラルーシでは新鮮な驚きだったようです。

 ミンスクにはニコライ大主教の名を冠した教会があり、東日本大震災のときは犠牲者慰霊のための祈祷をしてくださったり、日本とベラルーシをつないでいます。

 その教会の神父であるパーヴェル神父も会議で日本の正教会について話してくださいました。パーヴェル神父はニコライ大主教について非常に詳しいはずなのですが、新島襄がニコライ大主教に日本語を教えていたことや、ニコライが新島襄に英語を教えてもらっていたことなどは知りませんでした。

 会場になった学校の展示の中に、「ニコライ大主教の日記」第1巻と第2巻があったので、興奮して手に取ってみたのですが、新島襄が函館に滞在していた頃(アメリカへの密航直前の頃)の時期に書かれた日記は収録されていませんでした。
 現在まで伝えられているニコライ大主教の日記は膨大で、それでも紛失・焼失した部分があるそうです。新島襄のことを書いていないのか気になるところです。

 新島襄の写真を撮影したのがゴシケーヴィチである可能性についてもお話しましたが、何と言っても昔の話で、関係者全員亡くなっているので確認のしようがありません。
 でもこういう歴史の中の「よく分かりません」の部分にいわゆる歴史ロマンがあるんですよね。

 今回はイワン・マホフの「ろしあやのいろは」のほか伊藤一哉著「ロシア人の見た幕末日本」も持参して展示してもらいました。両方とも現在日本文化情報センターで開催されているテーマ展示で紹介しています。
 後者は日本語の本なので、ベラルーシ人は読めないのですが、取材に来たカメラマンは、あちこちのページをめくってばちばち撮影していました。

 この本はゴシケーヴィチの函館領事時代のことを詳しく日本語で読みたい、という日本人にはお勧めの1冊です。
 しかし、著者によるゴシケーヴィチへの辛口批判もあるので、ベラルーシでは偉人扱いされつつある状況では、この本をベラルーシ人に薦める気持ちにはなりませんね・・・。(翻訳しないとベラルーシ人は読めないけど・・・。)
 もちろんいたずらにゴシケーヴィチを神格化したり、聖人扱いするのはよくないと思うのですが、他の国からヨーロッパの田舎扱いされているベラルーシですから、視野が狭くならないように、特に若い世代のベラルーシ人に、こんな国際人がベラルーシにいたのですよ、という感じで教育現場で周知していけばいいのに・・・といつも思います。
 
 会議の発表者の論文は後ほどまとめて論文集になるそうなので、楽しみにしています。個人的にはあまり知られていない(研究者が少ない)ゴシケーヴィチの中国滞在時代のことが気になっています。

 会議の最後にはこの学校の敷地内に白樺の記念植樹をしました。100年後のゴシケーヴィチ生誕300年のときには大木になっているでしょう。(私は見られないのが残念ですが。)(笑)

 また日本から立体折り紙の丹頂鶴を日本の方からお預かりしていたので、それをこの学校に寄贈しました。
 しかしこの学校の子ども達はすでに立体折り紙で白鳥を作って展示していたので、丹頂鶴を見ても新鮮な驚きはなかったかも・・・
 でもベラルーシ生まれの白鳥の群れの中に日本の丹頂鶴も飾っていただき、うれしかったです。

 ゴシケーヴィチ生誕200年関連の会議やイベントは今年1年各地で続きますが、今のところもう私が発表のため参加する予定はありません。
 でも今年が終わってもゴシケーヴィチのことを深く調べることは、日本文化情報センターの活動の一つとしても継続しようと思っています。

 

新美南吉記念館研究紀要と記念館だよりについて

2014-04-03 |   新美南吉
 新美南吉記念館が毎年発行している新美南吉記念館研究紀要の第20号が完成しました。
 私もベラルーシから寄稿させていただきました。研究など立派なことはしていないのですが、ベラルーシ語・ロシア語訳の苦労話などを書きました。写真もたくさん採用されて掲載されています。
 ベラルーシの子どもたちの写真が日本語に囲まれているのが不思議な気持ちです。
 また「ごんぎつね」と「でんでんむしのかなしみ」のベラルーシ語訳も掲載されました。特に「ごんぎつね」ベラルーシ語訳は初めて印刷されたので、とてもうれしいです!
 実際この研究紀要を日本で手にする人のうち、このベラルーシ語訳を読む人はほとんどいないと思いますが、ベラルーシ語はこんな感じなのかと知ってもらえたら・・・と思います。

 ごん吉くんフェイスブックでも紹介してくださり、本当にうれしいです。
 ベラルーシの民族人形もいっしょに写っていて感動ですね。ごん吉くんフェイスブックはこちらです。2014年3月28日の投稿をご覧ください。

 隔月で発行されている記念館だより171号でも翻訳企画について紹介していただきました。
 ベラルーシのことを全く知らない日本人にも少しでも身近に感じてもらえたらなあ、と思います。

 研究紀要は1冊800円で購入できます。購入希望の方は新美南吉記念館のサイトで詳細をご確認ください。
 また記念館だよりはPDFファイルで新美南吉記念館のサイトから開いて読むことができます。
 新美南吉記念館のHPはこちらです。

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 半田市の広報誌でも紹介していただきました。
 (2014年4月3日発表資料です。ここではベラルーシの子どもたちが描いた絵などの画像も見ることができます。)