ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第175回」

2015-03-25 |   ビタペクト配布活動
3月25日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第175回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト3を14個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを2部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2322個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2089部となりました。
 今回で通算190回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2322人の子どもにビタペクトを、2089家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42

(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 今回はゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から2家族が自分の子どもと養子を引率していました。

(家族A)

 お母さんが自分の子ども2人と多子家庭協会の子ども5人を引率していました。
 この家族には7個のビタペクト3を渡しました。
 それぞれの測定結果はこのとおりです。丸印の子どもにビタペクト3を渡しました。
このお母さんが引率してきた子どもの中には2009年、2010年、2011年、2012年、2013年、2014年にも保養滞在した子どもがいます。過去の測定についても結果を表記しています。
 以前の滞在のようすはこちらをご覧ください。

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第96回」(家族A)

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第104回」(家族A)

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第119回」(家族A)

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第136回」(家族A)

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第155回」(家族A)

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第165回」(家族A)


母親(事故発生時14歳)9ベクレル(2010年測定)→ 10ベクレル → 16ベクレル → 13ベクレル → 13ベクレル → 10ベクレル
次女(19歳) 28ベクレル(2011年測定)○ → 32ベクレル(2012年測定) ○ → 20ベクレル ○
三女(17歳)23ベクレル(2009年測定)○ → 22ベクレル ○ → 34ベクレル ○ → 35ベクレル ○ → 33ベクレル ○ →38ベクレル ○ → 27ベクレル ○
女子(15歳)28ベクレル(2013年測定)○ → 22ベクレル ○
男子(13歳)26ベクレル
男子(11歳)35ベクレル ○ → 32ベクレル ○
男子(11歳)22ベクレル(2012年測定)○ → 43ベクレル ○
男子 (7歳)32ベクレル ○

 このうち15歳の女の子と43ベクレルだった11歳の男の子と7歳の男の子は姉弟です。
 子どもたちの健康状態についてお母さんにお話をうかがいました。
 次女は背骨の矯正手術を受けて、状態がよくなったそうです。
 三女は胃潰瘍を持っています。さらに2年程前から脱毛が始まりました。その後さまざまな薬やシャンプーを全て試したのですが、今でも脱毛が続いています。
 心配したお母さんはゴメリにある放射能センターへ連れて行って血液検査や甲状腺を調べてもらったそうです。その結果は異常はなく、脱毛の理由は分からなかったそうです。
 ただ、最近生卵で頭を洗うようにしたら、抜ける髪の毛の量が減ったそうです。よかったです。
 それにしても、毛が抜けるのは怖いですよね。原因も¥よく分かりませんし。
 32ベクレルだった11歳の男の子と13才の男の子はアレルギー体質です。


(家族B)
 
 お母さんが養子7人を引率していました。この家族にも7個のビタペクト3を渡しました。
 この一家は2006年と2008年にも保養に来たことがありますが、2006年に保養に来た子どもは今回は1人もいません。
 2008年に保養に来た子どもで今回も保養に来たのは1人だけです。2008年の保養のときのようすはこちらをご覧ください。

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第79回」(家族B)

 それぞれの測定結果はこのとおりです。丸印の子どもにビタペクト3を渡しました。

母親(事故発生時16歳)12ベクレル(2006年測定)→13ベクレル(2008年測定)→ 8ベクレル 
男子(13歳) 31ベクレル ○
女子(14歳) 28ベクレル ○
女子(11歳)  0ベクレル(2008年測定)→ 33ベクレル ○ 
男子(11歳) 39ベクレル ○
女子(11歳) 25ベクレル ○
女子 (5歳) 31ベクレル ○
女子 (4歳) 30ベクレル ○

 33ベクレルだった11歳の女の子は小児麻痺のため、右ひざの関節が悪く、歩行に問題があります。ようやく今年ミンスクの病院で手術することになったそうです。
 視力も低下が進み、弱視になりつつあるそうで、この手術も受けたいと話していました、手術代がないので、当分は無理とお母さんはあきらめていました。
 
 14歳の女の子は慢性胃炎。4歳の女の子は神経系統の病気だそうです。
 この一家は家庭タイプ孤児院です。25ベクレルだった女の子の本当のお母さんはアルコール中毒だったのですが、ようやく克服して、娘を引き取りたいと申し出たため、もうすぐこの家を出て、本当のお母さんとの生活をスタートさせるそうです。

 お母さんは子どもたちの健康にも気を配っていて、できるだけ果物を子どもたちに食べさせたり、1年に1回はサナトリウムに保養に行けるようさまざまな努力をしていると話していました。
 きのこ類も必ず何度もゆでこぼしをしてから調理し、どこで採れたものか分からないからと、ブルーベリーを食べることも1年前からきっぱりやめたそうです。

 画像は記念撮影したものですが、お昼寝中だった2人の子どもは写っていません。今回は家族Aのお母さんに写してもらったのですが、角度のせいでうまく写っていない子どももいますね。(汗)
 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、せんすをプレゼントしました。
 日本についての質問がたくさん出て、答えるのも少々大変でした。子どもならではの視点で物事を見ますからねえ。 

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
ベラルーシの子どもたちもお母さん方もSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。


震災から4年

2015-03-11 | 放射能関連情報
 東日本大震災が発生して4年となりました。
 日本から離れたところに住んでいても、あの震災のことを思い出します。
 そして福島第1原発事故が起きてから4年目にもなります。
 チェルノブイリ原発事故の際には事故が起きて4年後から子どもの甲状腺がんの数が急増したことで知られています。
 日本で同じことにならないよう祈るばかりです。

 しかし私の考えですが、このような急増は日本では起こらないのではないかと思っています。
 それは検査の方法や機械や技術が1990年のソ連と2015年の日本では差があるからです。

 以前日本人の医師と話をしたときに
「日本では子どもの甲状腺がんが起こる確率は100万人に1人なんですよね。それが原発事故後、増えたらやはり放射能が原因と言えるのではないですか?」
と私が質問すると、お医者さんは「そうと言い切れない。」と答えました。
 それは事故の前は、子どもに対して事故の後の現在のように詳細な検査をしていなかったからです。検査の条件がちがうので、単純比較できないのです。

 事故前に日本中の子どもの甲状腺を詳しく調べて、「発症率は100万人に1人」と結論づけていたのではないのです。
 仮に現在検査をして「100万人に10人」の割合で甲状腺がんの子どもが見つかったとします。
 これだけ見て、「発症率が10倍になった! 放射能のせいだ!」とは言えないということになります。
 もしかすると、事故前も詳しい検査をしていたら「100万人に10人」の割合だったかもしれないのです。

 チェルノブイリ関連の放射能被爆に関するボランティアをしていると、よく日本人から「データがほしい。」「数字を示してほしい。」と言われます。
 それで数字を出しても「ソ連は秘密主義の国だから、やっぱり信じない。」「ベラルーシは医療レベルが低いからやっぱり信じない。」と言われることもあります。
 「明確なことは分からない。」と言うと「科学的データがないから、チェルノブイリの事例は役に立たない。」とか言われることもあります。

 でもはっきり言って、前述の医師の話を聞くと日本も同じで、はっきりした数字なんてどこにもないし、事故前と事故後と比較することもできないのではないかと思えてきます。
 もう時間は戻りませんから、事故前のデータというのは集められないからです。

 放射能被爆に関しては、現時点では確実な数字というのはないと思っておいたほうがいいのかもしれません。
 まだまだ人類がよく分かっていない、公式も作れない、体験もない、というものを相手にしているのだと思ったほうがいいのかもしれません。

 とにかく、日本で病気になる人が増えないことを祈ります。

 私はベラルーシで、日本人の科学者からすると役に立たない数字かもしれませんが、それでも子どもたちの被爆量を聞き取って、必要な子どもにビタペクトを渡す活動をできる限り続けていこうと思っています。
 
 

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第174回」

2015-03-10 |   ビタペクト配布活動
 3月9日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第174回目の配布を実施しましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト3を6個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを3部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2308個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2087部となりました。
 今回で通算189目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2308人の子どもにビタペクトを、2087家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42

(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 今回は2家族がSOS子ども村に保養滞在していました。

(家族A)
 グルボーコエ(チェルノブイリ原発から約450キロ)から来た家族。
 この家族には今回ビタペクト3は渡しませんでした。
 この一家は2008年と2014年にも保養に来たことがあります。
 そのときの様子はこちらをご覧ください。


チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第78回」(家族B)

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第159回」(家族A)

 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。2008年と2014年に測定をした子どもはその結果も表記しました。

母親(事故発生時15歳)17ベクレル ○ → 16ベクレル → 12ベクレル
長女(23歳)  4ベクレル(今回初測定)
次男(17歳) 17ベクレル(2014年) → 3ベクレル
三男(13歳) 27ベクレル ○ → 25ベクレル ○ → 19ベクレル
次女 (8歳)  0ベクレル → 33ベクレル ○ → 17ベクレル
男子(12歳) 11ベクレル(今回初測定)
男子(11歳) 22ベクレル ○ → 6ベクレル

 SOS子ども村からは今回3家族が保養に来ているということだったのですでが、実際には1人のお母さんはこの一家の長女で、さらに自分の生後9ヶ月になる長女(家族Aのお母さんからすると孫)を連れてきていたのですが、WBCのいすにじっと座ることができず、測定していません。
 チロ基金としてはこの長女とその娘は別の家族とせず(家族A)といっしょに表記しています。

 このように今回は全員20ベクレル以下というよい結果でしたので、ビタペクト3を渡していません。
 ただ今回もこのお母さんと話をすることができませんでした。病気の子どもを抱えており、保養に来たら、毎日のように専門病院へ行って検査を受けたり、治療を受けさせたりしているそうです。地元の病院ではよい治療や精密な検査を受けられないようです。

 写真撮影の後、病院へ行っていた3人の子どもがちょうど帰ってきて会えました。本人たちの話によると、治療のおかげで、病状はよくなっているそうです。
よかったです!
 その後、帰る道の途中で、お母さんと会えました。
 3週間の保養滞在を生かして、高度な検査をミンスクの専門病院で受けることができ、大変喜んでいました。
 (本音としては首都と地方で医療レベルの格差が開きすぎるのは問題だと私は思うのですが。)
 内部被爆量も減っていて、お母さんは本当に感謝していました。
「これもビタペクトをくれた日本人のおかげです!」
ととても喜んでいたのですが、その笑顔を直接協力者の方に見せられないのが残念なくらいです。

 子どもたちも前向きな姿勢で、つくづくよかったなあと思いました。
 この調子で完治してほしいところです。
 

(家族B)

 ゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から来た家族。この家族に6個のビタペクト3を渡しました。
 初滞在ということでしたが、2人の息子さんは2013年に引率者といっしょに滞在したことがあります。
 そのときの様子はこちらをごらんください。
チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第155回」(家族B)

 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。2013年に測定をした子どもはその結果も表記しました。

母親(事故発生時7歳) 13ベクレル
長男(14歳)38ベクレル ○ → 29ベクレル ○
次男 (7歳)42ベクレル ○ → 31ベクレル ○
長女 (4歳)31ベクレル ○
姪 (12歳)26ベクレル ○
姪  (5歳)28ベクレル ○
姪 (12歳)25ベクレル ○

 この一家には生後7ヶ月の次女もいますが、測定はしていません。
 26ベクレルだった12歳の姪と5歳の姪は姉妹です。
 25ベクレルだった姪は、ゴメリではなく、ゴメリ市郊外のロマノビッチ村に住んでいます。
「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー3部は今回初保養であるこのお母さんに渡し、姪御さんのお母さんにも読んでもらうように頼みました。

 お母さんの話によると、子どもたちはよく風邪をひくそうですが、比較的健康なほうだそうです。
 年少の子どもは無理ですが年長の男の子2人は1年に1回はベラルーシ国内の保養所に滞在させているそうです。
 
 姪が住んでいる村では乳牛が飼われていますが、牛乳の測定をしたことはないそうです。
 そして親戚から村の牛乳をもらって家族で飲んでいるそうです。

 放射能の測定をしていなくても平気なのかと思ってお母さんに質問しましたが、村の人たちは事故から時間が経っていることもあり、日常的に放射能があるということに慣れてしまったということでした。
 しかし被爆していてもかまわないということではない、というお母さんの言葉が心に残りました。
 
 画像は記念撮影したものですが、家族Bしか写っていません。
今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、着物から作った巾着袋をプレゼントしました。

 今回はビタペクト3がチェコから届くのに時間がかかり、間に合うのかひやひやしていましたが、10日までの保養滞在に間に合い、ほっとしています。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書、巾着袋など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。


 (画像は近日中に更新します。しばらくお待ちください。)

ベラルーシ人による「ごんぎつね」の感想

2015-03-03 |   新美南吉
 昨年末に「ごんぎつね」ベラルーシ語訳がベラルーシの文芸雑誌「マラドスツィ」に掲載されましたが、その後、2人の方から感想をいただきました。
 日本語に訳してみましたので、ここでご紹介します。

 民話に出てくるきつねとごんを比較した感想はおもしろいと言えばそうなのですが、民話と児童文学の登場するきつねはだいぶ違って当然かと私は思いました。


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新美南吉作「ごんぎつね」についての感想

タチヤーナ・レトゥノワ (モロジェチノ市立中央図書館 司書) 

 日本はベラルーシからとても離れたところにあります。しかし新美南吉の童話のおかげでこの奇跡の国が身近になり、理解できるようになりつつあります。最も重要なのはベラルーシのために日本との関係を作ろうと努力している人がいることです。
 一昨年前すばらしい日本の作家である新美南吉の作品について知ることができ、図書館の来館者や知人に紹介してきました。ベラルーシに住んでいる人もモロジェチノに住んでいる人も大きな関心を持って、日本の作家の作品を読んでいます。
 「ごんぎつね」という作品は悲しくて、哲学的です。残念なことに人生は常に楽しくて楽観的なことばかり起こるのではありませんし、人間はみんなそのことが分かっていると思います。
 この話を読んでいるとき、最初のほうでは兵十の身に起こった不幸について気をもみました。兵十は働き者で優しい人物ですが、貧乏です。身の回りに起きた不快な出来事、喪失感を何とかしようと努力していました。ごんも孤独で、いたずらもしましたが、状況を理解し自分ができることはないかと考えました。栗やまつたけをあげたのは、兵十がひとりぼっちではないことを気づかせたかったからだと思います。
 狐ですら、兵十に対する自分の非を認め、毎日自分の誤りを正そうと努力したのです。確かにもっといい方法があると気がつくとは限りません。物語の最後ごんは兵十が自分が栗を持って来ていたことを知ってほしいと思いました。この話が悲劇として幕を閉じるのは残念です。
しかしこの話には深い意味があるのです。早とちりをして思い込むのはよくないし、どんなことでもよく考えないといけないし、それからどうするのか決めるほうがいいのです。
 他にもこの作品には宗教的な意味もこめられています。他人に迷惑をかけてはいけない、心の中に怒りを抱いてはいけない。人生はなるようになり、運命によってどうなるのか定められている。
 ベラルーシ語の翻訳は大変上手にできています。翻訳者がベラルーシ人読者のために訳してくれたこと、ベラルーシ語が母国語の人のためにしてくれたことは、非常に重要なことです。
日本のお話のことを非常によく理解できるようになりました。
 よい翻訳家の手によって訳された新美南吉の他の作品ももっとたくさん読みたいです。


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日本人作家新美南吉の作品「ごんぎつね」の感想

ビクトリヤ・エルモレンコ (文化学研究教員・バラノビッチ市立中央図書館勤務)

 日本の有名な作家で詩人でもある新美南吉の作品「ごんぎつね」の感想を書くことになったのは大きな喜びです。大学で学んでいたときに日本文化と文学について勉強しましたが、新美南吉について知ったのは今回が初めてです。スラブ文化圏に住む専門家として「ごんぎつね」をスラブの民話中に登場するきつねと比較してみたいと思います。
 しかしその前にまずこの作家の輝く才能について述べたいです。新美南吉は繊細な魂の持ち主であり、魂の世界を感じることができ、「ごんぎつね」という作品の中で感情のコントラストを深く描き出すことができる人物です。作者はまず作品の冒頭で、これは茂平おじいさんが話してくれた物語、つまりユング心理学で言うところの賢老人の話であると書いています。古くから伝え聞いた話であると前置きする手法は世界中の文学の中で見られます。作者はおじいさんの名前も具体的に挙げて、これは古い世代から語り伝えられてきた物語であることを示すとともに、日本の古い世代の古風な文化感を作品に付加しています。
 この作品の主人公はきつねのごんです。ごんはしだの茂みの中にある穴に一匹で暮らしていますが、その性格は村へ行っていもを掘り散らかすといったことをするいたずら者という設定です。
 一方でごんには人間的な性格も付加されています。特に抽象的なことを考えることもでき、頭で考えて決定したことを実行することもできます。
 ごんは兵十が採った魚を逃がしますが、最後のうなぎを巣穴に向かって持って行こうとするときに兵十はごんに気づきます。
 数日後きつねは兵十の身の上に起きたことに同情します。この感情は繊細な心理状態によるものです。兵十の母の死を知って、ごんは自分が悪かったと思い、栗やまつたけといったもので償いをしようとします。
 ごんというきつねとスラブ民話に登場するきつねにはここに違いがあります。日本のきつねがいたずらをするとしても、自分の罪を感じたり、償いの行為をしようと努力するのに対し、ロシアのきつねは自分の関心のあることだけに対して行動し、エゴイズム丸出しで自分のやり方を決めます。
「きつねとおおかみ」というロシアの民話がありますが、おもしろいのはこの話でも魚釣りの場面が出てくることです。ロシアでも日本でも魚というのは利益といったものを表す重要なシンボルで、共通する合言葉なのかもしれません。
 ごんが贈り物をあげるとは兵十にとっては思いもよらないものでした。ある日友人の加助に会ってそのことを話しますが、加助はそれは神様からの贈り物で、だから毎日神様にお礼を言うといいと言われます。この話を全部聞いていたごんは本当に贈り物をしている自分ではなく、神様に兵十が感謝するのは正しくないと思います。しかし再び栗を持ってごんは兵十の家に向かいました。ここでこの物語の中で最も興味深い場面が始まります。兵十はごんがいつか魚を盗んだきつねであることに気がつきます。そこで銃を取って家から出てきたごんを撃ち、その後でごんが栗を持ってきていたことに気がつきます。そこで兵十は誰が今まで贈り物をしてくれたのか分かりました。
 この物語はごんの死によって終わります。それが私にとってはとても残念です。ほんの一分ほど理解が遅れたことによって、一つの命が終わってしまったからです。
 この終末の場面にこそ日本人の民族性がよく現れていると思います。この話を読み、私は悲しみの感情に大きく揺さぶられました。私が慣れ親しんでいるスラブ民話に登場するきつねはいつも「水中からでも乾いた姿で現れる」と言われるほどずる賢くて、「おだんごぱん」に出てくるきつねはおだんごぱんを食べてしまいますし、「きつねとおおかみ」も話の筋は全てきつねの思う壺になっていきます。
 「ごんぎつね」では全て違っています。きつねがしたいたずらや思い上がりが死によって罰せられます。この作品はとても気に入りました。これからも日本の文化や文学を多く読みたいと思ったからです。
 私の心の中で感情を大きく波立たせた作者である新美南吉に感謝するとともに、翻訳作業を行った日本文化情報センターにも感謝します。