ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

8月31日、カトリックの大司教がベラルーシに入国できない

2020-08-31 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 8月31日、カトリックのタデウシュ・コンドゥルセヴィチ大司教(ミンスクとモギリョフが司教区)がポーランドのカトリック教会に行った後、陸路ベラルーシへ戻ろうとしたところ、ポーランドとベラルーシの国境地帯で国境警備隊に入国を止められました。

 ベラルーシに入国(帰国)できない理由を尋ねましたが、国境警備隊は何も答えず、公式発表などもありません。

 すでに半日国境地帯で足止め状態です。

 

 ミンスク市中心部にある通称赤い教会(聖シモンと聖ヘレナのカトリック教会)の周りには、カトリック教徒が多く集まり、コンドゥルセヴィチ大司教の入国を認めるよう求めるデモ集会が始まりました。

 女性が教会の前で人間の鎖を作っています。そこへ警察が来ました。

「教会の前で立たないで。中に入って(お祈りでもして)ください。」

 しかし、女性たちは「ただ立ってるだけよ。」

 近くを歩いていた人は「散歩してるの。」

 一人のやや年配の女性がインタビューに答えていました。

「今、国民が声を上げているのは26年間沈黙していたから。その結果、子どもたち(若い世代)が拘束されている。やがてみんなこの国を出て行くでしょう。嘘だらけの国を。私も出て行くわ。カトリックの大司教すら追い出したのよ。」 

 その後、教会の周りを神父様を前に十字架を掲げ、カトリック教徒が賛美歌を歌いながら廻っていると、そこへ警察のメガホンの声が鳴り響きます。

「市民のみなさん、公共の場における大人数の集会は禁止です。危険が伴いますので今すぐ解散してください。」

 無視して教会の周囲を回り続ける人たち。その様子を警告しながら、なぜかビデオ撮影する警察官。何かの証拠にするのでしょうか。

「これはカトリックの儀式の一つでよくあるものです。いつも行なっています。宗教的儀式でデモ集会ではありません。」

とカトリック教徒の若い女性が取材で話していました。

 ニーナさんも白赤白の旗を持って参加しました。

 コンドゥルセヴィチ大司教は今日中にはベラルーシ入国できないようです。

 

 バルト三国全てはベラルーシの大統領、首相など30名の政府高官の国内入国を禁止しました。

 以前から発表していた制裁の一つです。8月31日から5年間の入国禁止だそうです。

 実際、現大統領のラトビア訪問が今年予定されていたのですが、ラトビア政府は正式に訪問を拒否しました。

 

 これに対してベラルーシ外務省はバルト三国に対して、ベラルーシからも対抗措置を採ると発表しました。

 

 今日ベラルーシ大統領はロシア大統領と電話会談しましたが、直接会ってベラルーシ情勢を話し合うことになりました。 

 ベラルーシ大統領がモスクワへ行くことになったのですが、まだ日時は決定していません。

 しかし遅くとも9月中旬までにはモスクワへ行くそうです。


サッカー選手が身柄拘束されていた

2020-08-31 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 前日の8月30日、ミンスク市内で行われたデモ行進に参加していたサッカー選手2人が身柄拘束されていたことが分かりました。

 クルムカチィというサッカーチームの選手が拘束されたのですが、最近のベラルーシ・リーグ戦にこのチームが出場したとき選手は「俺たちは国民といっしょだ」と書いたおそろいのユニフォームを着ていました。

 ちなみに最近のベラルーシではサッカーの試合は無観客で行われています。コロナ感染拡大防止のためではなく、大勢の人が集まること自体が禁止だからです。

 30日のデモ行進が行われた独立大通りを護送車が何台も横を通り過ぎましたが停止し、中から治安部隊が出てきました。ベラルーシ政府から取材を正式に認可されていたジャーナリストが近くで取材していたのを、いきなり走って追いかけてきました。

 あわててジャーナリストが反対方向へ逃げようとするのを治安部隊の一人が追いつき、体当たりして地面に押し倒しました。そして3人がかりで手足を持って引きずりながら、護送車へ入れようとしたので、周囲のデモ参加者から悲鳴が上がり、止めようとする人が殺到しました。

 慌てて治安部隊にしがみつく人、それを振り切ろうとする治安部隊。

 加勢しようと近づくデモ参加者(男性)を止めるデモ参加者(男性)も。もちろん会話は録音されていませんが、デモ仲間を止めた人は「よせ、俺たちは暴力に反対なんだろ?」あるいは「お前も拘束されるぞ。」と言ったことを話したのではないでしょうか。

 しかし、「拘束される人をこれ以上増やしたくない、離せ!」とばかりにすり抜けると治安部隊に向かっていこうとしています。

 こうして治安部隊からジャーナリストを引き離そうとする人、それを止めようとする人、止めようとする人に抵抗する人などで現場は大混乱になりました。帽子が地面に落ち、白赤白の旗の旗竿で治安部隊を叩こうとする人が別の人の旗竿で阻止されたりしました。

 今まで平和的なデモをしていた人たちも、護送車に駆け寄り、拘束された人を出せとばかりに車体やフロントガラスを両手でバンバン叩いています。

 護送車は取り囲まれて発進できず、多くの人が車体を叩いていました。

 人々の悲鳴の中、護送車は無理やり発進。車体を足で蹴ったりして阻止しようとする人もいましたが、拘束した人たちを警察署へ連行してしまいました。

 この騒ぎの中にサッカー選手二人がいたから、と言う理由で拘束されたのですが、二人はデモ集会そのものに参加していないと主張。騒ぎを撮影していた動画にも二人らしき人は写っていないです。(この動画を政府側は「反政府派は平和的なデモ行進などしていない。」という宣伝に使用する蚊可能性があります。) 

 幸いサッカー選手二人は翌日解放されましたが、何も悪いことをしていないのに拘束したことを訴えるために所属チーム側が弁護士をつけたそうです。

 また一人は取り調べの際に拷問を受け、背中などを殴られ、夜中に救急車を呼んだほどだったそうです。解放されたとき足を引きずるようにして警察署から出てきましたが、医師の診断によると脊髄や腎臓に異状が見られ、約一ヶ月の治療が必要だそうです。

 プロサッカー選手なのにこんなことで警察に怪我をさせられました。所属チームにとっては大きな損失です。 

 


ベラルーシの憲法改正されるでしょうか

2020-08-31 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 8月31日、ベラルーシ大統領は憲法の内容について見直し作業を進めていると発表しました。

 近い将来、憲法が改正されるかもしれません。

 

 この日、ベラルーシ内務省は大統領の誕生日を祝いました。

 パトカーやオートバイをたくさん配置し、上から見ると「誕生日おめでとう、万歳!!!」と読めるようにしたのです。人文字ならぬパトカー文字。!の点の部分は警察オートバイで表しました。

 そして赤と青の警告灯をピカピカ点滅させました。

 (こういうことするのはベラルーシ人は上手ですね。)

 この動画は内務省公式サイトで見られるようです。私はニュースサイトで見ましたが。

 内務省(警察)は大統領の味方ですよ、とアピールしているようにも見えますし、同時に国民を威嚇しているようにも思えます。

 大統領が警察と軍を掌握しているイメージを与えています。

 何も悪いことをしていないのに拘束され警察で残酷な取り調べを受けた人たちの神経を逆なでしそうです。

 

 あれ、大統領の誕生日は昨日では? 警察、お祝いを言うのが遅くない?と思った日本人もいるでしょう。

 大統領は8月30日生まれなのですが、16年前の8月31日に三男が生まれたときに大変喜び、

「これからは私の誕生日は息子と同じ8月31日にする!」と決めたので、公式な大統領の誕生日は8月31日に変更になりました。だから警察は遅れていないのです。

 私は見たことないですが(笑)大統領のパスポートには誕生日は8月31日と記載されているはずです。

 ただ、事実としては大統領は66年前の8月30日生まれです。

 


ベラルーシ・ルーブルのレート

2020-08-31 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 8月31日、ベラルーシ・ルーブル安は米ドルとユーロに対しては少し止まりました。

 ロシア・ルーブルに対してはベラルーシ・ルーブル安は続いています。

 

 ストライキが行われていたベラルーシ金属工場(鉄工所)の溶鉱炉が一時的に2時間止められたのですが、ベラルーシの副首相はこの2時間の溶鉱炉の稼動停止だけで、150万ベラルーシ・ルーブルの損失になったと発表しました。

 最近ベラルーシ・ルーブルの価格の変動が不安定なので、どう計算したらいいのか分かりませんが、1ドルが2ルーブル60コペイカとすると、57万ドルの損失ですか。

 

 

 

 

 


ベラルーシ国立文化芸術大学の学長が解雇

2020-08-31 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 8月31日、ベラルーシ国立大学文化芸術大学の学長が解雇されました。

 以前から反政府派の意見を持って隠さない人でした。

 後任の学長は決まっておらず、明日の入学式は学長挨拶はありません。

 

 8月31日はベラルーシ大統領の三男の16歳の誕生日です。

 明日9月1日から国立ベラルーシ大学付属高校に入学するため、書類を提出していましたが、今日高校からその書類を全部返すよう求めました。成績表や中学卒業証書などをおそらく別の学校に入学するために引き取ったということです。

 本人側の希望により、国立ベラルーシ大学付属高校に入学したくないので、そうしたということです。高校側が入学拒否したわけではありません。

 明日大学も高校も入学式なのですが、急に進学先を変更したことになります。

 

 在スペイン・ベラルーシ大使が解任されました。ベラルーシで起こっている暴力行為を批判したことがあります。

 公務の不適切な遂行が解任の理由だそうです。

 


ベラルーシのコロナウイルス感染者71843人。死者数681人

2020-08-31 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 8月31日の書き込みです。

 ベラルーシのコロナウイルス感染者は71843人になりました。1日の新規感染者数は156人です。

 死者数は681人です。

 70468人が回復しました。

 

 


8月30日、ベラルーシ大統領誕生日。ミンスク市内のようす

2020-08-30 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 8月30日。今日はベラルーシ大統領の66歳の誕生日です。大統領選からちょうど3週間経ちました。

 午前10時にはミンスク市独立広場が完全に閉鎖されました。誰も入ることができません。周りには警官、軍用車、救急車などが配置されています。

 きょうも反政府派デモ行進「大統領へのプレゼント」が予定されています。

 午前10時半、ミンスクは雨が降り出しました。8月30日午後になって、雨が上がり天気はよくなりました。

 午後2時予定通りミンスクを始めベラルーシ各地で反政府デモ行進が始まりました。
しかし午前中から独立広場、ミンスク英雄都市記念碑、そのほかの通りが完全封鎖されています。
 大量の護送車、治安部隊が投入されています。救急車も配置されています。

 ミンスクの場合、地下鉄駅の周りに集まり、それから市の中心部に進んで、一つの大きい列にするようにしていますが、そうならないように、道路のあちこちが閉鎖されています。

 すでにデモ参加者の身柄拘束が始まりました。男性がほとんどです。

 白赤白の旗を治安部隊に没収され、(治安部隊は旗を丸めて護送車の中へ。)旗を持っていた人は拘束されました。反対方向にあわてて逃げる人も大勢います。 

 独立広場近くに護送車など治安部隊側の車両が一列に並んでいますが、デモ参加者の群れがじりじりと近寄り、さすがに人をはねるわけにはいかないので、車両は後ずさりしています。

 独立広場には治安部隊が1000人ぐらいいます。盾を持っています。
 独立広場側から乗用車が数台の前面(フロントガラスの前)にフェンスを張って、一列になってメインストリートのほうに出てきました。車道に出ていた人たちはあわてて歩道のほうに移動しています。

 午後2時半、地下鉄の4つの駅が閉鎖されました。(ただし今日は割とすぐに開いたようです。)

 

 午後3時。ベラルーシ国営サーカスの丸屋根の上にベラルーシの大きな国旗が掲げられています。
ミンスクのメインストリート(独立大通り)で、護送車数台を多くのデモ参加者が取り囲み、立ち往生しています。
 並走していたパトカーは後退しています。

 メインストリートに面しているグム百貨店付近で治安部隊が一列に並び、それ以上デモ行進が前進するのを阻止しています。
 背後からは軍用車両もせまっています。挟み撃ちにする作戦でしょうか。
 お花を持って、治安部隊に話しかけている女性もいます。

 

 これ以上先に進むのなら人をひいてしまうわよ、と言わんばかりに道路の真ん中に仰向けに寝転がる女性も数名いました。

 横道であるレーニン通りを行進していた人たちも治安部隊に阻まれ、メインストリートに出ることができません。

 治安部隊の数が異様に多いです。警官と軍人が治安部隊になるのですが、女性の治安部隊員もいるそうです。(完全装備で身を固めていますが、マニキュアをしている。)
 普段は婦人警官をしている人でしょうか。

 メインストリートのあちこちで、行進がいくつかの塊に分断されて、治安部隊に囲まれ、前進も後退もできない状態です。そして身柄拘束が始まりました。

 今は女性でも、逃げるのを追いかけられ、次々と護送車に押し込められています。悲鳴がひどいです。

 

 ミンスク英雄記念都市記念碑は鉄条網が張られ、誰も入れません。仕方ないので近くでデモ集会が始まりました。車道に溢れるほどの人数が集まっています。
 少なくとも1万人はいるのではないでしょうか。

 共和国会館(大統領府)の手前に数千人のデモ集会が集結し、治安部隊の列とにらみ合っています。両者の間には鉄条網。

 治安部隊の後方には、戦車(装甲車?)が配備され、じりじりとデモ集会のほうへ近づいています。

 

 午後4時、地下鉄ウルチエ駅周辺で戦車が数十台、隊列を組んで進んでいる様子を近所のマンション住民がスマホで動画撮影して、ネットニュースで配信されました。

 アスファルトの市街地をキャタピラの戦車が前進しています。

 独立大通り(メインストリート)をひたすらまっすぐ行くと、ウルチエ駅に到着します。

 さらにまっすぐ進むと、防衛大学や軍事施設があり、そこで軍人が訓練をしています。

 さらにまっすぐひたすら進むと、モスクワに到着します。

 戦車はミンスク中心部に向かって進んでいるようです。時速は非常にゆっくりで、パトカーが交通規制を敷いています。(うっかりふつうの乗用車が戦車にぶつかったら大変です。)

 

  午後5時、ミンスクでは急に暗くなり雨が降り始めました。傘を持っていた人はさし、雨宿りのため木の下に行こうとする人なので、デモ行進があちこちに動いています。

 

 午後6時の内務省の発表ににょると、午後4時時点で身柄拘束された人は125人だそうです。

 

 初めてデモ参加者の前に大統領の補佐役をしている人が現れ、雨が降る中直接対話をしました。

 デモ参加者は「公正な選挙だった証拠を見せてほしい。」と訴えると、「正式な手続きをしてください。」と答え、

「どれだけの人が死傷したのか。この国では人を殺すと15年の刑ですよ。」と詰め寄ると、「軍人がそんなことをしたという証拠がありますか。」と答え、最終的には、

「政府は(デモ参加者と)会話なんかしない。野党のような代表者と対話するだけだ。」

と答えました。それを聞いて、

「ああ、神様!」と両手で顔を覆うデモ参加者。

 

 午後7時半ごろ、デモ集会は少しずつ解散となりました。

 

 今日は大統領の誕生日なので、プレゼントを手にした参加者も多かったです。かぼちゃ(国会議事堂の前にたくさん置かれた。)、弔花、独裁者の棺桶(に似た箱)・・・。鉄条網の前に並べられました。

 日本のお神輿のようなものを担いでいる人たちがいましたが、よく見ると、布で作った巨大ゴキブリでした。

 ハロウインの仮装のようなゾンビの格好でデモ行進している女性もいました。死神のコスプレをしている人も。自動小銃を持った大統領のコスプレをしている男性もいました。(木で作った銃のような形のもの。)

 アメリカのサンフランシスコでもベラルーシの反政府デモ集会が行われましたが、大統領に似ている人(かつらもかぶっていたように見えました。)が囚人服を着て、デモ参加者から逃げ惑うというパフォーマンスをしました。(アメリカ風の発想?)

 

 ともかくミンスク市郊外から中心部に向かって進んでいた戦車はどこへ行ったのでしょう? 

 戦車が使われることがなくてよかったです。

 

 追記です。この日、ミンスクだけで140人が身柄拘束されたようです。他の都市でも拘束された人がいます。

 今回のデモ行進参加者数は約10万人だったと見られています。


ベラルーシのコロナウイルス感染者71687人。死亡者676人

2020-08-30 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 8月30日の書き込みです。

 ベラルーシのコロナウイルス感染者数は71687人になりました。1日の新規感染者数は164人です。

 死者数は676人です。

 70452人が回復しました。

 152万件の検査数となりました。


ベラルーシの国旗の由来

2020-08-30 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 今、ベラルーシ国内は政府派と反政府派に国民が分かれて、それぞれデモ集会を行っています。(もちろん中立な立場のベラルーシ人もいます。)

 政府派はベラルーシ国旗を掲げてデモ集会に参加していて、反対派は白赤白の旗を掲げています。

 日本でもニュースで映像が流れていますが、どうして白赤白の旗なのかという疑問を持った日本人もいると思いますので、ベラルーシの歴史から見てみたいと思います。

 そもそもベラルーシは独立国家としての歴史が短く、中世はリトアニア大公国の領内に入っていました。

 民族的にはベラルーシ人だけれど、自分たちだけの国を持っていたわけではないので、国旗もそんざいしてなかったのです。

 ただし、ベラルーシ人の民族衣装は白地の亜麻布に赤い色の糸で模様を刺繍したものが主流でした。(赤い色以外の糸を使って刺繍をする地域もあります。)

 そのためベラルーシ人というと白と赤の服を着ている、というのが中世からのイメージなのです。

 白赤白の旗の由来には諸説あるのですが、リトアニア大公国が外部からの敵に攻められたとき、ベラルーシ人の公爵がベラルーシ人民衆の先頭に立って抵抗していたが、額に怪我をしてしまった。包帯を巻いて、自陣後方で寝かされていたが、自分の抵抗軍が敵に押されてきたと聞いて、起き上がり包帯を取って、

「皆の者、我に続けー!」

と旗代わりに振り回し、敵陣に突っ込んで行ったら、他のベラルーシ抵抗軍兵士も後に続き、その結果敵を打ち破ることができた。そこで血のついていた包帯はベラルーシ人の抵抗の精神を表す旗となった。

 つまり白は包帯、赤は血なのですよ・・・ということなのです。が、これはまちがいです。

 このお話はベラルーシのシンガーソングライター、シャルジューク・ソカラウ-ボユシュ(1957年生まれ。ご存命)が、「ベラルーシの伝説をモチーフに作詞してみた歌」の中に出てきて、有名になっただけなのです。

 ソカラウ-ボユシュは伝説をモチーフにしたと主張していますが、このようなベラルーシの伝説や民間伝承、民話などは存在しません。

 しかし歌がヒットしたので、こんな伝説が本当にあるんだ、と思い込んでいるベラルーシ人もたくさんいます。

 実際、この存在しない伝説を絵本にしたものが1990年代に出版されました。血のついた包帯を振り回している公爵の子ども向けイラストがちゃんと描かれていました。

 

 さて、時は1917年、ロシア革命が起こります。これをベラルーシ人の独立国家樹立の好機と考えたベラルーシ人の民族組織は、ベラルーシの国旗を考案しようと思いつきました。いくつか候補があった中、話し合いで選ばれたのが白赤白の旗でした。デザインしたのはクラウジー・ドィシ・ドゥシェフスキーという建築家でそのとき26歳でした。

 この人の説明によると、ベラルーシの民族衣装が白と赤なので、ベラルーシ人と言うと白と赤のイメージが自分たちにも周囲の民族にも認識されている・・・からだそうです。

 白は(日本人にとって分かりやすく言うと、「白衛軍っぽい」)から反対だという意見も出たのですが、赤は革命っぽいからOKで、白っぽいけど赤が入ってるから賛成という人が多く、選ばれたそうです。

 そして1918年3月、第1次世界大戦中、ベラルーシ人民共和国が樹立、ベラルーシ人は歴史で初めて独立国家を誕生させたのです。そして白赤白の旗が国旗として決定しました。

 周辺諸国からも国家承認を受けたのですが、1919年1月ソ連赤軍が侵攻。1年足らずでベラルーシ人民共和国は消滅。(一応、国家ごと国外亡命したことになっており、今も存在しているんだ、と主張するベラルーシ人もいます。)

 こうしてソ連に組み込まれて、1922年に構成国の一つ、白ロシア(ベルロシア)ソビエト社会主義共和国としてベラルーシ人の国が誕生します。完全にロシアの一部になってしまう可能性もありましたが、一応一つの国家としてソ連政権から認められました。しかしこのと白ロシア・ソビエト社会主義共和国は独自の国旗を持っていませんでした。

 その後、国連に加盟するときに、国連側の規定により、それぞれの構成国がそれぞれの国旗を提示しないといけないと通達され、当時のソ連の首脳だったスターリンは、急い白ロシア・ソビエト社会主義共和国の国旗を作ろうとして、ベラルーシ人ではない自分の側近にデザインを考えさせました。その結果、赤と緑の旗で上のほうにソ連の国旗と同じ槌と鎌をつけたデザインが採用されました。

 もちろんスターリンは「これでいいですか?」など白ロシア・ソビエト社会主義共和国側に確認するようなことはしませんでした。

 ちなみに赤は共産主義革命の色で、緑は「ベラルーシは森が多いから。」というのがデザイン担当者の説明です。

 国連加盟後、スターリンは「あのときはあわてて作ったからシンプルすぎた。もう少し凝ったデザインにしよう。」と考えたらしく白ロシア・ソビエト社会主義共和国の国旗のデザインを変えました。

 それは赤と緑の左横に縦向きに細かい模様を入れた、というものでした。

 この模様は一見、ベラルーシの民族衣装に用いられる刺繍模様に見えますが、白地に赤ではなく、赤地に白と、逆になっています。またこのような模様は刺繍模様として存在しません。

 ベラルーシ民族衣装の刺繍文様はいろいろなシンボルマークになっています。日本でも鶴のモチーフは長寿のシンボルで、着物や帯によく描かれるのと同じです。

 例えばこの刺繍模様は「健康」「愛(結婚式のときの服の刺繍模様)」「幸せ」などの意味を持っています。

 そしてこのスターリン考案の国旗に描かれた模様は、どこにも存在しないのですが、強いて言うと「喪中(葬式のときの服の刺繍模様)」に似ているそうです。

 これを知っていてこの模様を国旗に使おうとスターリンが決めたかどうかは分かりません。

 当時のベラルーシ人にとってはすでにこの国旗は不評でした。ベラルーシ人のイメージでは、国旗に緑色を使用するのはイスラム教の国のイメージなのだそうです。ベラルーシはキリスト教の国です。

 

 こうしてソ連時代は不満を抱えながらもこの国旗の使用をソ連政府から強制されていました。

 そして1991年ソ連崩壊。白ロシア・ソビエト社会主義共和国はベラルーシ共和国に生まれ変わりました。

 そしてすぐにスターリン考案の国旗を廃止して、ベラルーシ人民共和国の国旗をベラルーシ共和国の国旗に採用しました。

 こうしてベラルーシ人の念願が叶って、白赤白の国旗が使えるようになったのです。

 

 ところが1994年、ベラルーシ共和国の新しい大統領に選ばれたルカシェンコは、1995年、白赤白の国旗を廃止。白ロシア・ソビエト社会主義共和国時代の旗を復活させました。

 ただしソ連はもう崩壊していたので、槌と鎌はなくし、さらに不評だった刺繍模様も白地に赤に変更しました。

 それでも、あのような刺繍模様はベラルーシの民族衣装には存在しないのです。

 ルカシェンコ大統領が白赤白の国旗をソ連時代の国旗に変更したのは、ソ連回帰を意味しており、つまり、ベラルーシ共和国は資本主義経済には移行しませんよ、ソ連は良い国だったね、理想的国家ですよ、だからそれを自分は目指して国づくりしますよ、あの古き良き時代をもう一度、さあ昔みたいに社旗主義経済で行きましょう、国民のみなさん、まずは5カ年計画立てましょう。(ベラルーシはいまだに5か年計画で経済を回しています。)・・・という決意の表れだったようです。

 そして白赤白の旗を使うことを禁止しました。

 1996年にはすでにルカシェンコ大統領はベラルーシ民族の民族性を大事にしていないと考えるベラルーシ人が反政府デモ運動を始めています。

 そのときに使われた旗は当然、白赤白の旧国旗でした。1995年からベラルーシに住んでいる私は1996年の大規模デモ集会を見ていましたが、やはり盾を持った機動隊がミンスクの街中に繰り出して、デモ参加者を警棒で追い払っていました。その後も同じようなデモ集会が大統領選挙のたびに繰り返され、そのたび白赤白の旗が翻ります。

 

 ルカシェンコ大統領が1994年に大統領に就任し、1995年から使用されている赤緑の国家は、ベラルーシの歴史の中で、ずばりルカシェンコ時代を象徴する旗なのです。ルカシェンコ大統領そのもの一人を表しているのが赤緑の国旗です。

 白赤白の旗は多くのベラルーシ民族を象徴する旗なのです。

 

 日本人のみなさん、今度日本のニュースでベラルーシの映像が流れて、旗を目にすることがあったら、旗が抱えているベラルーシの歴史を思い出してください。

 


8月29日。女性のデモ行進始まる

2020-08-29 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 8月29日、朝からミンスク郊外の栄光の丘に国旗をつけた車200台が集まりました。

 政府派の車によるデモ集会です。見ていて思うのは、車につけられている国旗の大きさはほぼ全て同じ。政府支持派の人が手にしているプラカードも同じ大きさ、同じスローガンが(手書きではなく)書かれていて、いかにもプリンターで印刷してラミネート加工したものばかりで、誰かが事前に準備して参加者に同じものを配っている印象です。

 

 午後4時、ミンスク中心部にある地下鉄の駅が閉鎖されました。

 反政府派デモのほうは手縫いの白赤白の旗、もちろん大きさもさまざま。プラカードは手書きが多く、自作イラストを添える人も。

 

 今日は反政府派はミンスクの勝利広場に集まり、その後、封鎖されている独立広場とは反対側に向かってメインストリートを行進するのを始めました。

 途中で歩行者天国のようになり、パトカーが、車道を歩かないでください!とメガホンで呼びかけていますが、もちろんみんなの耳に届きません。

 今回は女性の行進なのですが、ごく少数男性が混じっています。その男性は身柄拘束されていました。そばにいた女性が手にした白い花を治安部隊に差し出していましたが、もちろん男性を護送車に入れてしまいました。

 白衣を着た医療従事者も人間の鎖を作っています。

 数千人は集まっているようです。

 

 ゴメリなど他の各都市でも女性のデモ行進が始まっています。ゴメリの広場では多くの人が集まらないように子どもが描いた絵を飾っているのですが、それを見ながら女性は周囲を回っています。警察がメガホンで規則違反です、と警告していますが、絵を見てるの、と言われたら何も言い返せないですね。

 

 グロドノではショッピングセンターの吹き抜けで女性たちがベラルーシ民謡を歌いました。

 

 ミンスクの勝利広場では、木曜日の夜治安部隊に白赤白の旗を取り上げられ、小突き回されていた高齢の女性が新しく旗を持って登場。みんなの拍手で迎えられました。

 この女性はニーナさん(73歳)と言って、選挙の後白赤白の旗を持ってミンスクの中心部を闊歩し、警察から「何してる!」と咎められたときに

「散歩してるの!」

と答えたことで、有名になりイラストに描かれてインスタグラムに取り上げられますます有名になっていたのです。

 それが政府側からすると目障りだったのか、木曜日の晩独立広場に来たニーナさんの旗を取り上げた、ということだったのです。しかし、ニーナさんを4人の治安部隊が小突き回したり、ニーナさんも反撃して蹴り返したりしていたので、ますます有名人になり、今や反政府デモのアイコン的存在になっています。

「ニーナ! ニーナ!」の大合唱です。

 ベラルーシの女性は本当に強いですね。

 太鼓を叩いて行進している人たちも全員女性。

 治安部隊は驚くほどたくさん行進の周りを取り囲んでいるのですが、さすがに女性には手出しができない命令が出ているらしく、ただ行進を見ているだけです。

 

 午後7時半ごろメインストリートを進む女性の前に治安部隊が横に一列に並び、それ以上進むのを止めようとしました。しばらく睨み合いに。

 しかし女性のほうが数が圧倒的に多いので、列の一部を突破。女性たちは拍手し、褒め称えます。

 治安部隊が両手を広げて阻止しようとすると腕の下をくぐって向こう側へ。

「通して!」「通して!」というシュプレヒコールがだんだん悲鳴に変わっていきます。が、恐怖の悲鳴ではなく、歓喜の声、鬨の声なのです。

 男性のデモ参加者に治安部隊の一人が近寄ると、一斉に女性が5、6人駆け寄って男性を取り囲み、治安部隊から守ろうとしています。さらに数人が治安部隊を取り囲みおしくらまんじゅうのようにして、男性から離れたところへ押して行ってしまいました。

 治安部隊の列はぐちゃぐちゃ。女性たちにもみくちゃにされ、さらに治安部隊20人が女性100人に囲まれて身動きできなくなってしまいました。

 女性たちの勝利の叫び声が響き渡っています。

 

 女性の行進のかたわら、夕方6時半ごろカマロフスキー市場近くを通りかかったトロリーバスにデモ集会参加者数名が治安部隊に追われて、乗り込みました。この市場近くでもデモ行進をしており、二つの行進が合流しようとしていたのです。

 しばらく進んだ後、停留所に止まったところで治安部隊が乗り込み、男性乗客を無理やり引きずり下ろして拘束しようとしました。他の乗客は「何してるんだ!」「離せ!」などの叫び声が響き渡っているのに治安部隊は3人がかりで男性一人を下ろそうとしています。手すりにしがみつく男性。小学校低学年ぐらいの女の子を連れたお母さんは子どもが見ないように抱きかかえています。そのようすを乗客の一人がスマホで撮影していました。

 他の男性の乗客が連れ去られそうになっている男性の足をつかんで引っ張ります。女性の乗客は「やめて!」「みんな落ち着いて!」と泣き叫んでいます。

 乗客の目撃証言によると、治安部隊はデモ参加者の男女を最初から狙っており、結局この男女二人が拘束され、他の乗客は拘束されなかったそうです。

 

 夜8時半ごろデモ行進は少しずつ解散していきました。

 地下鉄に乗って帰ろうとする女性たちの前で立ちはだかる治安部隊。

「家に帰らせてよ!」

と言う女性たちに

「あっちの道から行け!」と地下鉄には乗せてくれない治安部隊。

「治安部隊のみんなも家に帰ったら?」「また明日!」と帰っていく女性たち。

 

 1万人の女性が参加したそうです。

 

 明日は現大統領の66歳の誕生日です。明日もデモ行進「大統領へのプレゼント」が予定されています。

 明後日は大統領の三男の16歳の誕生日です。

 

 

 


ベラルーシのコロナウイルス感染者71523人。死者数671人

2020-08-29 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 8月29日の書き込みです。

 ベラルーシのコロナウイルス感染者数は71523人になりました。1日の新規感染者数は177人です。

 死者数は671人です。

 69887人が回復しました。

 150万件を超える検査数となりました。

 

 ベラルーシ保健省を名乗るメールがベラルーシ各地のホテルに送信されています。

 現在、コロナウイルスの感染が拡大しているので、宿泊客の情報が必要なので、ホテルにどんな人物が今宿泊しているのか氏名など報告してください、というメールの文面です。

 もちろんメールアドレスは保健省のアドレスではありません。

 ホテル側も鵜呑みにして宿泊客の個人情報を返信したりしていませんが、内務省から詐欺メールである可能性が非常に高いので、返信しないようホテル業界に注意を呼びかけています。


犯罪が増えています

2020-08-29 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 社会が非日常的な様相を呈してくると、便乗した犯罪が増えるのは当然なのかもしれません。

 ミンスク市内で夜中に路上駐車していた車が3台放火されました。

 交通量の多いミンスクのメインストリートの真ん中で、白昼堂々とスプレーで路面に落書きしようとしていた33歳の男がパトロール中の警官に現行犯逮捕されました。何を書こうとしていたのかはっきりしませんが、数字の3だったとされています。

 パトカーに搭載していたカメラで逮捕のようすが撮影されていて、今後の犯罪防止目的のためか、内務省は映像を公開しました。そのときの警官二人について、「アスファルトに強く押さえつけたりして厳しすぎる対応だ。暴力的だ。」とかえって警官を批判する人も出ました。(私は常々落書きをした人は厳しく罰してほしいと思っています。児童図書館も落書きを消すのに苦労してるんですよ。)

 

 ドイツにあるベラルーシ大使館に黄色のペイントボールが投げ込まれ、門にアナーキズムのシンボルマークがスプレーで落書きされました。

 ドイツ人でアナーキストである人たちの反抗なのか、ドイツに住んでいるベラルーシ人アナーキストの犯行なのか、ドイツにやってきたベラルーシ人アナーキストによる犯行なのか、アナーキストのふりをしてアナーキストに罪をなすりつけようとしている単なる不良集団によるものなのか不明です。

 

 スウェーデンのアナーキストは、スウェーデンでスウェーデン語でベラルーシの大統領は辞任しろ、とスウェーデン企業の下ろしたシャッターに落書きして、爆発物(爆竹レベルで破壊力なし。)を投げつけています。

 

 ここで混同してはいけないのは、アナーキストは「無」政府主義者であって、「反」政府派ではない、ということです。

 しかし、ベラルーシ政府というものに反対している反政府派は、政府を一つ倒そうとしていることなのですから、無政府主義者からすると、共通する思想があるので、今は支援しようという考えに至っています。

 ドイツにあるベラルーシ大使館にペンキを投げつけ、アナーキスト集団の犯行ですよと示すために、(犯行声明文のように)アナーキズムのシンボルマークを落書きするという行為も、ベラルーシ政府反対派を支持していることを無政府主義者は証明したのでしょう。

 ただ、今後もし新しい大統領がベラルーシで選出されて、それまで反政府派だった人が大統領になり、新政府をスタートさせたら、「無」政府主義者は今度はその新しい政府を攻撃するようになるでしょう。

 昨日まで支援支持をしていたのに、今日は攻撃しようとするのです。これでは永遠に無政府主義者の闘争は続くし、だったら何のために今、反政府派を支持しているの?という疑問が出てきます。

 

 ベラルーシで日本人男性が拘束され、その後、社会の騒乱の首謀者として逮捕、警察が証拠品も集めて起訴に至りました。一時的な拘束者用の収容所からすでに留置所に移送されています。

 同時に逮捕されたベラルーシ人アナーキストも同様です。この二人は反政府デモ集会に参加していたところ(あるいは単なる巻き添えで)身柄拘束されたのではなく、アナーキストセクタにいたところ(おそらく、反政府派を支援するためにアナーキズムに沿った政府転覆計画を練っていたのでしょう。)公安警察の家宅捜査で捕まっています。だから逮捕に至り、その理由も社会騒乱の首謀者なのです。

 反政府デモ集会で、大統領は辞任しろと叫んだら、治安部隊に警棒で殴られて拘束されたわけではありません。ベラルーシアナーキストといっしょに身柄拘束されたときとされる映像がネット上で見られますが、大人しく護送車に入っていました。ここで激しく抵抗したら、さんざん警棒で殴られていたと思います。

 ただ、本当にアナーキズムな計画を他のベラルーシ人アナーキスト仲間を立てていたとしても、この日本人男性は実行したわけではないです。実行していたら裁判の判決が厳しいものでもそれは受け入れないといけないし、日本政府が日本人だからと擁護するのもおかしいです。

 しかしまだ実行する前に逮捕(ベラルーシの公安警察は犯罪が行われる前に逮捕したからお手柄です。)されたので、あまりにも厳しい判決が出ると、「ベラルーシ政府は厳しすぎる。残酷だ!」と批判が出ると思います。寛大な判決が出ることを祈っています。

 

 一方で、日本人がベラルーシで、友達と家でお茶を飲みながら、「今のベラルーシの大統領、俺は好きじゃないなあ。」としゃべったりするのは、犯罪でもないし、これすらダメとなると真の恐怖政治です。

 でもアナーキズム思想に染まり、ベラルーシ政府(だけではなく世界中の政府)転覆を仲間とともに計画し、実行しようとするのは犯罪ですよ。

 実行一歩手前で逮捕されたという運命に感謝するほうがいいのではと思います。

 

 現在、ベラルーシのアナーキスト団体は、自分たちの公式サイトやフェイスブックなどで、この日本人男性(自分たちの仲間。実名入り、顔写真入り)の早期解放をベラルーシ政府に向かって訴えています。

 もともとアナーキスト仲間に入っていたのですから、逮捕の後、仲間たちが、がんばれよ、政府がお前を早く出してくれるように俺たちもやるべきことはやってるぜ、と応援してくれるのは、この日本人男性の精神的な支えになるかもしれません。

 しかし、アナーキストたちが、仲間の解放を訴えれば訴えるほど、裁判のときの裁判官の心証に悪影響を与えそうな気がします。

 これが日本人旅行者がデモ集会の近くを偶然通りかかって、一網打尽に拘束されたときにうっかり反政府派の人たちの群れに混じってしまっていた、といった悪意のない平凡な市民だったら、拷問を受けたとしても身柄拘束だけで、逮捕、起訴にまで至らなかったと思います。

 この日本人男性は、やはり自分が信じた思想(アナーキズム)がベラルーシではその思想を持っているだけで、逮捕される可能性があると知っていて、ベラルーシ・アナーキスト団体に入っていたのですから、そこは成人男性として自分の選択にこれからも揺るぎなく自信を持って、有罪判決が出たとしても毅然と刑に服してほしいです。そこを日本政府が、ベラルーシの裁判所は残酷だの邦人擁護すべきとか言うのは、ちょっとちがうと思います。

 

 昨日、ベラルーシの人権擁護団体ビアスナが、ベラルーシには多くの政治思想犯が囚われの身であり、自分たちで認定したリストに新しく9人を追加したと発表しました。その中にこの日本人男性の氏名も入っています。あくまでこの人権擁護団体が認めた政治犯の数ですが、全部で41人いるそうです。

 確かに「私はこういう思想の持ち主です。」と言うだけですぐ逮捕できるという法律がある国だと、国民の頭の中までいちいち調べて、犯罪者かどうかのレッテルを貼るのか? という批判が起こります。

 国によっては例えば同性愛者です、というだけでレイプなどしていなくても、思想がすでに犯罪者だから逮捕してよい、という国が出てきます。(実際にあります。)だから思想だけで逮捕するかしないか決められる法律がある国は人権を無視しているとして、人権擁護団体が声を上げ、政治思想犯を解放するよう求める・・というのは理解できます。

 ただ、このように他の政治思想犯といっしょにアナーキストも人権擁護団体は、解放してあげてと訴えてくれていますが、アナーキズムとしてはどうなのでしょう?

 政府の存在は世界中からなくしたいけれど、アナーキストの人権を大切に思っている人権擁護団体の存在は認める、仲良くしようとアナーキストは考えるのでしょうか。

 もし政府というシステムがこの世からなくなったら、人権を迫害する政府も法律もなくなり、人権擁護団体も存在の必要がなくなりますよね。

 

 長くなるので、ここでは書きませんが、私はアナーキズムは人間が集団生活を送る以上、世界の広範囲に渡って実現できるものではないと思っています。邪魔者は誰も絶対に来ない無人島で小集団で自給自足の生活を送るなら政府はその人たちにとっては不要でしょう。でも、政権がいい悪いは別として、そして人気があるかどうかは別として、政府というシステムは必要不可欠で、無政府社会を目指しても(目指したいなら目指したらいいと思いますが。)実現不可能だと思います。

 

 もちろん実現不可能なことを願っている人を逮捕していいということではありません。

 日本人がベラルーシでアナーキスト活動をしていたから逮捕されたのは、残念なできごとです。

 ニュースも広がっているので同じ日本人としてベラルーシ人の手前恥ずかしく思う気持ちもあります。

 これが無政府主義活動ではなく、反政府デモ集会参加を理由に逮捕されており、しかも私の職場に政府派の上司や同僚がいたら、その人たちの前でだけ同じ日本人の私は少々居心地悪くなっていたと思います。

 またベラルーシに住む日本人がみんなこれから偏見の目で見られないか心配しています。

 実際すでにベラルーシの警察はこの日本人男性が日本国籍を持っているから外国勢力との関与が疑われる、として逮捕しているのです。

 


4つのニュースサイトがブロックされる

2020-08-29 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 8月29日、4つのニュースサイトがブロックされて閲覧できなくなっています。

 ベラルーシで歴史上最初に創刊された新聞「ナーシャ・ニーワ」のサイトもブロックされました。

 この新聞社の記者がデモ集会を取材中、治安部隊に足を撃たれたことや、偶然撮影していた人からの動画提供を受けて、サイト上で閲覧できるようにしていたのが問題のようです。

 

 他にも野党指導者の捜査局への出頭要請が続いています。

 

 ベラルーシ大統領は、事態は収束に向かっていると安全な社会に戻ったことをアピールしています。

 またロシア大統領も、8月9日の選挙は正しく成立したものとして見なし、ロシアは次へ進むと発言しました。

 EU諸国は現大統領の再選は認められないとしています。ただしラトビア政府はチハノフスカヤ元候補を真のベラルーシ大統領とは認めないと述べています。

 

 ウクライナ政府はベラルーシ政府との関係を完全凍結しましたが、ベラルーシ人のウクライナ入国は認め、特にIT企業を歓迎しています。

 ラトビアもベラルーシ人ビジネスマンのラトビアでの事業展開を誘致しています。

 

 リトアニアはベラルーシ大統領をはじめ、高官ら112人のリトアニア領への入国を禁止しました。

 

 EUはベラルーシの高官約20名をEU圏内の渡航禁止と、資産凍結を決定しました。制裁対象になる人物名のリストは近日中に公表される見通しです。

 

 ベラルーシの大統領はポーランドとリトアニアからの輸入を中止する考えを述べました。

 またリトアニアにあるクライペダ港にあるベラルーシ向け倉庫の使用をリトアニアが阻止しようとしていると懸念を発表しました。

 ベラルーシはロシアから石油を輸入していますが、それ以外の国からも輸入しています。(過去にはベネズエラ。)今年はアメリカから輸入しましたが、それはふつうタンカーでバルト海に面したリトアニアの港まで輸送し、列車に積み替えてベラルーシへ陸路で運んでくるのです。

 もし、リトアニアの港がベラルーシ政府が使えなくなると大問題が起こります。

 このような形でベラルーシに経済制裁を加えようとしている、とベラルーシ大統領は発言しているわけです。またこれからはラトビアの港を使用するようにリトアニアを切り捨てる(あきらめる)ことも視野に入れているそうです。

 

 ロシアのジャーナリスト4人の取材許可が没収され、ベラルーシ国外から退去することになりロシアへ戻ったようです。  

 


8月28日、大統領オルシャ訪問。乳製品工場で火事。

2020-08-28 | Weblog

 8月28日ベラルーシ大統領はオルシャ市を視察。市長などが出迎えました。

 大統領はオルシャの町が発展したのは、国おかげで、この「悪い」大統領がつくったのですよと、話しました。

 インフラ整備、病院や学校を新しく作ったのは国の予算を投入したからですよ、そこのところ、オルシャのみなさん忘れないで、といったところでしょうか。

 だから反政府デモ集会などしてはいけないし、ストライキもダメですよ、ということです。

 大統領が訪問を終えてミンスクに戻ろうとしたところ、この町にある乳製品工場サブシキン・プロダクトで火事が発生し黒煙が上がりました。その横を予定通り車に乗ってミンスクへ帰っていく大統領。

 工場で出たゴミに火がついたことが原因だそうです。

 発火の原因は分かりません。火事は広がり、なぜかあまり消化作業を熱心にしている様子がないです。

 

 追記です。火事が発生して1日たってもまだ工場は煙が出ており、消火ができていません。

 


8月28日、午後8時、ミンスクの独立広場に治安部隊投入

2020-08-28 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 8月28日、夕方、ミンスクの各地でデモ集会が始まりました。 

 午後7時ごろ、独立広場で女性が多く集まり、人間の鎖を作っていました。するとそこへ治安部隊が近づいてきました。

 驚いて隣の人にしがみつく人、涙を流す人、「拘束しないでください。」と頼む人、「今日はキリスト教の祭日よ。暴力行為はつつしんで。罪作りだわ。」「誰も連れて行かないで。」「私たちは暴力に反対。これは平和的なデモです。」と女性たちが言っている周りを治安部隊が取り囲むので、まっすぐな鎖ではなく女性たちは丸く輪になりましょう!とお互い声を掛け合って輪になりました。その周りをやはり輪になって取り囲む治安部隊。

 二重の輪ができました。女性の中には後ろを振り返って、治安部隊に何か言っているようすの人もいましたが、多くは輪の内側を向いて、ずっとベラルーシの民謡「クパーリンカ」を合唱しています。

 女性は50人ほどでしたが、その中に男性も混じっていました。その男性だけを身柄拘束しよううとする治安部隊。女性たちは腕を組みあって男性の前に出て、治安部隊に「彼に手を出さないで。」と懇願しました。

 結局男性だけ数名が身柄拘束されたようです。

 

 同じ頃、政府派のデモ行進(サイクリング形式)も始まりました。その中に大統領の長男もいました。

 有名なスポーツ選手やトレーナーも参加していました。

 今、ベラルーシのスポーツ界は二分されていて、政府派の選手として大統領を支持する人、反政府派について、現国旗の下では国際試合に参加しないと表明している人、ベラルーシで練習ができないのなら外国へ行き、その国の代表選手になってオリンピックを目指したいと考える人などに分かれています。

 次のオリンピックでベラルーシ選手たちはどうなるのでしょうか・・・。

 

 今、ベラルーシではコロナウイルス勝利宣言を出しているにもかかわらず、国内のサッカーの試合が全て無観客試合となっています。

 コロナウイルス感染が広がっていたときでも、観客を入れた試合を決行していましたが、今大勢の人が集まると反政府デモ集会につながる恐れがあるので、無観客試合になっています。

 サッカーを見に来た人が、スタジアムでデモ活動を始めるでしょうか? せいぜい試合が終わって外に出てからではないでしょうか。

 サッカーの試合に行けなくてストレスがたまり、その怒りの矛先が反政府派ではなく政府派に向かう(無観客試合を決めたのは政府ですから。)可能性もあるとは考えなかったのでしょうか。

 

 選挙前、チハノフスカヤ候補(当時)を支持する集会が公園で行われていたときに、音楽を担当していた二人のDJが、ビクトル・ツォイの「変化」を会場で流したところ、逮捕されました。

 その後、裁判にかけられ拘留されていたのですが、出所しました。そのうち一人はまた逮捕されそうになったのですが、結局二人ともベラルーシにあるリトアニア大使館からの助けを得て、リトアニアに出国しました。

 すでに22人のベラルーシ人がリトアニアに出国しており、そのうち11人は政治亡命であるとリトアニア政府に認めてほしいと要請しているそうです。

 

 ブレストでもデモ集会を治安部隊が取り囲み、強制的に身柄拘束をしているという情報があります。

 

 午後9時、ゴメリ市内のスーパーマーケットで白い風船を手にしていた女性が入店した警察に拘束され、パトカーに乗せられたそうです。

 

 ボロブリャヌィ市議会員が外に出て、市民と対話するよう求める署名活動を行っていた若い男性が拘束されました。

 このように市会議員に市民との対話を求める動きがベラルーシの他の町でも見られます。