今、ベラルーシ国内は政府派と反政府派に国民が分かれて、それぞれデモ集会を行っています。(もちろん中立な立場のベラルーシ人もいます。)
政府派はベラルーシ国旗を掲げてデモ集会に参加していて、反対派は白赤白の旗を掲げています。
日本でもニュースで映像が流れていますが、どうして白赤白の旗なのかという疑問を持った日本人もいると思いますので、ベラルーシの歴史から見てみたいと思います。
そもそもベラルーシは独立国家としての歴史が短く、中世はリトアニア大公国の領内に入っていました。
民族的にはベラルーシ人だけれど、自分たちだけの国を持っていたわけではないので、国旗もそんざいしてなかったのです。
ただし、ベラルーシ人の民族衣装は白地の亜麻布に赤い色の糸で模様を刺繍したものが主流でした。(赤い色以外の糸を使って刺繍をする地域もあります。)
そのためベラルーシ人というと白と赤の服を着ている、というのが中世からのイメージなのです。
白赤白の旗の由来には諸説あるのですが、リトアニア大公国が外部からの敵に攻められたとき、ベラルーシ人の公爵がベラルーシ人民衆の先頭に立って抵抗していたが、額に怪我をしてしまった。包帯を巻いて、自陣後方で寝かされていたが、自分の抵抗軍が敵に押されてきたと聞いて、起き上がり包帯を取って、
「皆の者、我に続けー!」
と旗代わりに振り回し、敵陣に突っ込んで行ったら、他のベラルーシ抵抗軍兵士も後に続き、その結果敵を打ち破ることができた。そこで血のついていた包帯はベラルーシ人の抵抗の精神を表す旗となった。
つまり白は包帯、赤は血なのですよ・・・ということなのです。が、これはまちがいです。
このお話はベラルーシのシンガーソングライター、シャルジューク・ソカラウ-ボユシュ(1957年生まれ。ご存命)が、「ベラルーシの伝説をモチーフに作詞してみた歌」の中に出てきて、有名になっただけなのです。
ソカラウ-ボユシュは伝説をモチーフにしたと主張していますが、このようなベラルーシの伝説や民間伝承、民話などは存在しません。
しかし歌がヒットしたので、こんな伝説が本当にあるんだ、と思い込んでいるベラルーシ人もたくさんいます。
実際、この存在しない伝説を絵本にしたものが1990年代に出版されました。血のついた包帯を振り回している公爵の子ども向けイラストがちゃんと描かれていました。
さて、時は1917年、ロシア革命が起こります。これをベラルーシ人の独立国家樹立の好機と考えたベラルーシ人の民族組織は、ベラルーシの国旗を考案しようと思いつきました。いくつか候補があった中、話し合いで選ばれたのが白赤白の旗でした。デザインしたのはクラウジー・ドィシ・ドゥシェフスキーという建築家でそのとき26歳でした。
この人の説明によると、ベラルーシの民族衣装が白と赤なので、ベラルーシ人と言うと白と赤のイメージが自分たちにも周囲の民族にも認識されている・・・からだそうです。
白は(日本人にとって分かりやすく言うと、「白衛軍っぽい」)から反対だという意見も出たのですが、赤は革命っぽいからOKで、白っぽいけど赤が入ってるから賛成という人が多く、選ばれたそうです。
そして1918年3月、第1次世界大戦中、ベラルーシ人民共和国が樹立、ベラルーシ人は歴史で初めて独立国家を誕生させたのです。そして白赤白の旗が国旗として決定しました。
周辺諸国からも国家承認を受けたのですが、1919年1月ソ連赤軍が侵攻。1年足らずでベラルーシ人民共和国は消滅。(一応、国家ごと国外亡命したことになっており、今も存在しているんだ、と主張するベラルーシ人もいます。)
こうしてソ連に組み込まれて、1922年に構成国の一つ、白ロシア(ベルロシア)ソビエト社会主義共和国としてベラルーシ人の国が誕生します。完全にロシアの一部になってしまう可能性もありましたが、一応一つの国家としてソ連政権から認められました。しかしこのと白ロシア・ソビエト社会主義共和国は独自の国旗を持っていませんでした。
その後、国連に加盟するときに、国連側の規定により、それぞれの構成国がそれぞれの国旗を提示しないといけないと通達され、当時のソ連の首脳だったスターリンは、急い白ロシア・ソビエト社会主義共和国の国旗を作ろうとして、ベラルーシ人ではない自分の側近にデザインを考えさせました。その結果、赤と緑の旗で上のほうにソ連の国旗と同じ槌と鎌をつけたデザインが採用されました。
もちろんスターリンは「これでいいですか?」など白ロシア・ソビエト社会主義共和国側に確認するようなことはしませんでした。
ちなみに赤は共産主義革命の色で、緑は「ベラルーシは森が多いから。」というのがデザイン担当者の説明です。
国連加盟後、スターリンは「あのときはあわてて作ったからシンプルすぎた。もう少し凝ったデザインにしよう。」と考えたらしく白ロシア・ソビエト社会主義共和国の国旗のデザインを変えました。
それは赤と緑の左横に縦向きに細かい模様を入れた、というものでした。
この模様は一見、ベラルーシの民族衣装に用いられる刺繍模様に見えますが、白地に赤ではなく、赤地に白と、逆になっています。またこのような模様は刺繍模様として存在しません。
ベラルーシ民族衣装の刺繍文様はいろいろなシンボルマークになっています。日本でも鶴のモチーフは長寿のシンボルで、着物や帯によく描かれるのと同じです。
例えばこの刺繍模様は「健康」「愛(結婚式のときの服の刺繍模様)」「幸せ」などの意味を持っています。
そしてこのスターリン考案の国旗に描かれた模様は、どこにも存在しないのですが、強いて言うと「喪中(葬式のときの服の刺繍模様)」に似ているそうです。
これを知っていてこの模様を国旗に使おうとスターリンが決めたかどうかは分かりません。
当時のベラルーシ人にとってはすでにこの国旗は不評でした。ベラルーシ人のイメージでは、国旗に緑色を使用するのはイスラム教の国のイメージなのだそうです。ベラルーシはキリスト教の国です。
こうしてソ連時代は不満を抱えながらもこの国旗の使用をソ連政府から強制されていました。
そして1991年ソ連崩壊。白ロシア・ソビエト社会主義共和国はベラルーシ共和国に生まれ変わりました。
そしてすぐにスターリン考案の国旗を廃止して、ベラルーシ人民共和国の国旗をベラルーシ共和国の国旗に採用しました。
こうしてベラルーシ人の念願が叶って、白赤白の国旗が使えるようになったのです。
ところが1994年、ベラルーシ共和国の新しい大統領に選ばれたルカシェンコは、1995年、白赤白の国旗を廃止。白ロシア・ソビエト社会主義共和国時代の旗を復活させました。
ただしソ連はもう崩壊していたので、槌と鎌はなくし、さらに不評だった刺繍模様も白地に赤に変更しました。
それでも、あのような刺繍模様はベラルーシの民族衣装には存在しないのです。
ルカシェンコ大統領が白赤白の国旗をソ連時代の国旗に変更したのは、ソ連回帰を意味しており、つまり、ベラルーシ共和国は資本主義経済には移行しませんよ、ソ連は良い国だったね、理想的国家ですよ、だからそれを自分は目指して国づくりしますよ、あの古き良き時代をもう一度、さあ昔みたいに社旗主義経済で行きましょう、国民のみなさん、まずは5カ年計画立てましょう。(ベラルーシはいまだに5か年計画で経済を回しています。)・・・という決意の表れだったようです。
そして白赤白の旗を使うことを禁止しました。
1996年にはすでにルカシェンコ大統領はベラルーシ民族の民族性を大事にしていないと考えるベラルーシ人が反政府デモ運動を始めています。
そのときに使われた旗は当然、白赤白の旧国旗でした。1995年からベラルーシに住んでいる私は1996年の大規模デモ集会を見ていましたが、やはり盾を持った機動隊がミンスクの街中に繰り出して、デモ参加者を警棒で追い払っていました。その後も同じようなデモ集会が大統領選挙のたびに繰り返され、そのたび白赤白の旗が翻ります。
ルカシェンコ大統領が1994年に大統領に就任し、1995年から使用されている赤緑の国家は、ベラルーシの歴史の中で、ずばりルカシェンコ時代を象徴する旗なのです。ルカシェンコ大統領そのもの一人を表しているのが赤緑の国旗です。
白赤白の旗は多くのベラルーシ民族を象徴する旗なのです。
日本人のみなさん、今度日本のニュースでベラルーシの映像が流れて、旗を目にすることがあったら、旗が抱えているベラルーシの歴史を思い出してください。