ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

全住民にヨウ素剤=原発事故に備え―ベルギー

2016-04-29 | 放射能関連情報
 ベルギーからのニュースです。
 原発事故だけに備えるのではなく、テロ攻撃も心配しているのでしょうね。

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全住民にヨウ素剤=原発事故に備え―ベルギー

時事通信 4月29日(金)6時10分配信
【ブリュッセル時事】ベルギーのデブロック保健相は28日までに議会に対し、原発事故時に備え国内の全住民にヨウ素剤を配布する計画を明らかにした。

 同国の原発は老朽化が進みトラブルが相次いでおり、住民の不安に対応する必要があると判断した。同国メディアが報じた。

 ヨウ素剤には内部被ばくを低減させる効果があり、日本の一部地方自治体も原発周辺の住民に事前配布しているが、政府が全住民を対象に配るのは珍しい。

 従来は原発から20キロ圏内の住民に配布していたが、保健相は公共放送RTBFに対し、「従来の措置を100キロ圏内でも講じる必要がある」と強調、ベルギー全土を対象にする方針を示した。

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 日本でも同じようにしたらいいとは思いませんが、せめて自由に薬局で買えるようにならないものかと思います。
 ベラルーシでは処方箋なし、年齢制限なしで自由にヨウ素剤を買えます。

 「こんなもの飲んだって効かない。」という人は買わなければいいだけの話。
 「私の家は原発から21キロ離れたところにある。だから買っておく。」という人は自主的に買えばいいでしょう。」

 自由な選択ができるようになってほしいです。

 意外と日本は自由がない国なんですね。

 さて、チェルノブイリ原発事故が起きたとき、その放射能はヨーロッパ中に拡散しました。
 正直言って、ベルギーの原発が事故を起こしたら、ベルギーに住んでいなくても、ヨーロッパ中の人が被爆対策をしなくてはいけません。
 もちろんベルギー以外のヨーロッパの国でも原発保有国はあります。
 なので、我が家ではヨウ素剤を常備しています。

 「ヨウ素剤購入にどうして自腹を切らないといけないのか? 国が建てた原発なんだから国が負担して国民全員にに配布するのが当然。」
という人もいるかもしれませんね。

 でもそんなこと言っているうちに時間がどんどん経つので、早めに対策しておくほうがいいです。
 日本人の場合、地震や水害などに備えて、非常袋を用意しているでしょう? それと同じです。

日本経済新聞のチェルノブイリレポート

2016-04-27 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
 2016年4月27日付け日本経済新聞でチェルノブイリと福島をテーマに墨絵を描いている元事故処理作業員、ウラジーミル・マルィシェフさんの記事が掲載されました。
 電子版はこちら。しかし会員にならないと全文読めません。

原発事故の悲劇、墨絵に フクシマにも心痛める チェルノブイリ元作業員

 このほか日経はチェルノブイリ30年を前に4月チェルノブイリを取材しており、詳しくレポートしています。
 「悲劇から30年、チェルノブイリの実相」をご紹介しますね。
 リンク先はこちらです。

 この記事の最後に動画がありますが、その中にマルィシェフさんへのインタビューが収録されています。3分19秒から36秒の間と長いものではありませんが、ぜひご覧ください。


ミンスク市立第5児童図書館所蔵のチェルノブイリ関連書籍

2016-04-26 | 放射能関連情報
 以前、ベラルーシでは子供向けの放射能教育はどうしているんですか? と日本人から質問を受けましたが、ごく一般的な市立の児童図書館でも、これだけ放射能関連の書籍を所蔵しています。
 10歳から14歳までを一応対象にした開架式の貸し出しコーナーに置いてあります。
 一応というのは、別に14歳を過ぎていても大人でも児童図書館で本を借りることができるからです。

 20年以上前の話ですが「ベラルーシで『原発は危険だ』などという本を読んでいることがばれたら、逮捕されてシベリア送りになるんでしょ? こういう本は地下出版なんでしょ?」
と日本人に言われたことがありますが、大きな偏見です!

 この画像のようにごく普通の児童図書館で開架状態で貸し出しコーナーにあり、自由にベラルーシ人児童、ベラルーシ市民が借りて読んでいます。
  


日本文化情報センター所蔵のチェルノブイリ関連書籍

2016-04-26 | 日本文化情報センター
 4月26日に行われた事故処理作業員の方々のお話を聞く会ですが、会場には日本文化情報センターとミンスク市立第5児童図書館所蔵のチェルノブイリ関連書籍も展示されました。
 画像でご紹介します。
 この画像は日本文化情報センター所蔵のものです。
 チェルノブイリ原発事故以外にも東日本大震災と福島第1原発関連書籍もあります。
 数は少ないですが、在ベラルーシ邦人向けに閲覧・貸し出しも行っています。

チェルノブイリ30年 2

2016-04-26 | 日本文化情報センター
 4月26日会場にはマルィシェフさんの墨絵作品「チェルノブイリ・フクシマ 生命線」が展示され、そのほかチェルノブイリと福島に捧げるマルィシェフさん自作の詩をロシア語と日本語で朗読しました。
 またマルィシェフさんが3年前チェルノブイリを訪れたときに撮影した写真、ウクライナで制作されたチェルノブイリ原発事故をテーマにしたドキュメンタリー映画の上映も行いました。

 日本大使館からもご出席いただきました。また今SOS子ども村で保養滞在中の子どもたち(ゴメリ在住)も出席しましたが、小さい子どももおとなしくマルィシェフさんの体験談を聞いていてびっくりしました。
 このようにつらい体験であっても語ってくれる人がいれば、若い世代に受け継がれていくことが大事だと思いました。
 
 少し遅れてさらに二人の事故処理作業員の方が参加しました。
 セルゲイさんとイーゴリさんです。
 セルゲイさんは「当時は放射能について無知な人が多かった。放射能のことをウイルスのように伝染するものだと勘違いしている人もおり、事故処理作業から帰ってくると、友人が握手してくれなくなった。しかし何年か経って、放射能が何なのか正しい知識が広まり、その友人も握手してくれるようになって、今でも友達だ。」と話していました。
 セルゲイさんは健康状態もいいのですが、娘さんはひどいアレルギー体質で困っていました。娘さんは4年前にアメリカに引っ越したところ、アレルギーが現在治っているそうです。
 セルゲイさんも語り部として自分の体験を話しているのですが、事故処理作業員とそうでない人のことを
「みなさんは焚き火の周りにぐるっと座って火が燃えているのを何となく見ているようなもので、事故処理作業員はその焚き火の上に直接座ってしまったようなもの。」
とたとえて言っていました。
 ぐさっときますね。当事者にしか分からないことがたくさんあるのだと思います。

 イーゴリさんは警察官でした。チェルノブリ原発事故が起きたあと避難命令が出た地域に刑務所がありました。
 刑務官も逃げていくわけです。当然脱獄する人が増えて、あちこちに逃亡。幸い避難民が残してきた家は空っぽなので、そこに潜伏しました。
 その脱獄犯を逮捕するために大勢の警察官が投入され、汚染地域内で捜索しているうちに警察官は被爆・・・
 直接事故処理作業に関わったわけではないのですが、もし原発事故が起きてなかったら、汚染地域に行くこともなく、被爆もしていなかったでしょう。
 このような話は初耳ですね。
 原発事故が起きると、多くの人の運命が変わってしまうということが改めて分かりました。

 節目の日が過ぎ、新しい原発を建設中のベラルーシはこれからますますチェルノブイリのことを忘れていこうとするでしょう。
 しかし放射能の影響はまだまだ続きます。福島第1原発のことも心配です。
 ベラルーシの事故処理作業員の方々にはがんばってほしいですね。
 我々日本人も自分ができることは少しでもしないといけないと思いました。

チェルノブイリ30年 1

2016-04-26 | 日本文化情報センター
 2016年4月26日、チェルノブイリ原発事故が発生してから30年になりました。
 当時のことを覚えていない世代がこれから過半数になります。そんななかで、当時の自分の体験を語ってくれるベラルーシ人の存在は貴重です。
 この日、日本文化情報センターのあるミンスク市立第5児童図書館内で、記念行事を行いました。
 メインプログラムは、元事故処理作業員だったウラジーミル・マルィシェフさんのお話です。

 マルィシェフさんは事故当時、職業軍人で22歳。ミンスク生まれのミンスク育ちですでに結婚しており、1歳になる息子さんがいました。
 1986年11月ウクライナのとある都市に行くように指令が下ります。そのときはチェルノブイリ原発の事故処理作業のために行くとは伝えられていませんでした。
 本人は予感していたものの奥さんにも、任務執行のためしばらく家を空けると言って出発しました。
 ウクライナのとある都市にはソ連軍の空港がありそれに乗せられチェルノブイリ入りしました。そのとき初めて、事故処理作業に従事すると言われたのですが、軍人なので拒否することはできず、そのままプリピャチへ。
 実際に足を踏み入れるときは、怖かったそうですが、もちろんそんなことを周囲の誰も言わないし、黙々と任務をこなす毎日。
 マルィシェフさんは事故処理作業を行う車両の燃料補給を4ヶ月担当していました。
 その間、奥さんに心配をかけまいと思って電話をしますが、当時は電話交換手を通して電話をするシステムだったので、奥さんが電話を取ると交換手が
「チェルノブイリからです。」
と告げたので、秘密にしていたのに原発に行ったのがばれてしまいました。

 作業中は先輩軍人が現場を指揮。毎日のように
「我々はもうすぐ死ぬ。しかし任務を遂行しなくてはならない!」
と激を飛ばしていたそうです。
 1986年10月から土地の除染作業が始まったそうですが、雪が積もると作業ができなくなってしまうため休止。除染作業と称して、避難地域の人家に入り、腐敗した食料品を冷蔵庫から出して廃棄する仕事もしたそうです。
 作業員にはそれぞれ被爆量を知るための線量計を胸や腰につけるよう、支給されていましたが、どれもこれも「動いていなかった」そうです。それは不良品で壊れていたのかわざと壊した線量計を与えていたのか、どっちですか? と質問したのですが、「全く分からない。とにかく全く動いていなかった。」という返事でした。
 
 6年後28歳で軍を退役。
 ここ5年ほどはたびたびチェルノブイリ原発を訪れているそうです。
 最初に行くときは怖かったチェルノブイリ。しかし今はノスタルジーを感じるそうです。 
 線量計は毎時1000マイクロシーベルトほどを示す場所を訪れ、(もちろん防護服はなし。原発を後にするとき、線量のチェックを受けます。)
 
 今は草木に覆われているプリピャチの町。野生のイノシシやキツネ、オオカミが増えているそうです。
 会場の出席者から「鳥は戻ってきていますか?」ときかれ、「鳥には気がつかなかった。ただ、30年前車両にのって移動中、路上にカラスが大量死しているのを見た。」と話していました。

 現在マルィシェフさんのは健康で、「我々はもうすぐ死ぬと毎日聞かされていたけれど、その言葉を信じなかった。だから病気にならなかった。」と話していました。

 マルィシェフさんは墨絵に合気道、詩作に日本語の勉強と、活動的な日々を送っています。
 

 

墨絵作品展 「生命線 チェルノブイリ・福島」インタビュー記事

2016-04-25 | 日本文化情報センター
 3月11日の投稿記事でもご紹介しましたが、墨絵作品展 「生命線 チェルノブイリ・福島」の作者であるマルィシェフさんが日本のジャーナリストにインタビューを受けたときの記事が現在ネットで読めるようになっています。
 リンク先はこちらです。
 「原発事故の日本に勇気を」=墨絵描く元処理作業員-ベラルーシ 時事ドットコムニュース 2016年4月25日付。

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【ミンスク時事】旧ソ連チェルノブイリと福島の二つの原発事故をテーマに、復興の祈りを込めて墨絵を描き続けるベラルーシ人男性がいる。首都ミンスク在住のウラジーミル・マルイシェフさん(51)。ウクライナ北部で事故直後、処理作業に参加した元軍人だ。「自分が事故から30年後も健在で創作活動に取り組み、前向きに生きている姿を示すことで、日本人を勇気づけたい」と話す。
 「四半世紀に1回の人類の苦悩を見過ごしてはならない」。詩人でもあるマルイシェフさんは、若き日に目の当たりにした放射能被害をこう訴える。
 墨絵は、原発事故で故郷から避難を強いられた一般市民の悲劇などに光を当てた。核惨事という点で共通する被爆地の広島、平和と復興への願いを込めた折り鶴なども描いた。自身も1986年11月から3カ月間、車両の燃料補給担当者として事故処理作業に従事した経験から、日本の作業員を英雄視する。

 93年に軍を退役し、アニメ制作など仕事のかたわらでチェルノブイリに関する創作活動を始めるようになった。事故30年に合わせてミンスクで個展を初開催中。合気道をたしなむ親日家でもあるマルイシェフさんは「日本の作業員、強制避難を余儀なくされた人々にも見てほしい」と述べ、日本での展示を夢見ている。(2016/04/25-17:23)

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 この写真撮影が行われた場所は日本文化情報センターが入っているミンスク市立第5児童図書館内ですね。
 記事には個展が行われている、とありますが、場所は弊館です。

 明日はいよいよ4月26日・・・。弊センターではマルィシェフさんをお招きして、貴重な体験を聞く会を開催します。

熊本地震と言論の自由について

2016-04-19 | Weblog
 平成28年熊本地震被災者の皆様に心よりお悔やみとお見舞い申し上げます。

 私としては原発がまた事故を起こしたらどうしよう、と一番に思ってしまいましたが・・・
 余震がずいぶん続いているようなので心配です。

 亡くなられた方は、まさか自分が今日突然死んでしまうとは思ってもいなかっただろうなあ、さぞかし無念だったろうなあ、と思います。
 被災者の方々も本当につらくて、世界で一番便利な国に住んでいるはずなのに、水も食べ物にも不自由して、本当に生活が一変してしまい、運命も変わってしまったと感じられているだろうと思います。

 助け合い運動、その一方で、火事場泥棒のような窃盗、詐欺、ボランティアは来ないでいいとかマスコミの対応が非常識とか、こんな支援物資はいるとかいらないとか、混乱していますね。

 このブログでこのようなことをいろいろ意見するつもりはありません。
 そんな中で私が言いたいなあと思ったのは、被災者である井上晴美さんがブログを閉鎖したことです。

 詳しくはこちら。
ブログの更新を停止…熊本で被災した井上晴美への誹謗中傷がひどすぎる

 この国に住んでいる私が言うのもなんですが、日本は言論の自由がない国なんですね。
 上から言論統制を敷かれているわけでもないのに、隣人から「ブログに愚痴書くな!」と言われる国だったんですね。
 せっかくネットなどさまざまな表現のツールがある国なのに、言いたいこと、しかもどうしょうもなく非常識な発言、犯罪に関係する発言でもないのに、発言できない、表現できない、発表できないなんて残念ですよ。もったいないなあ。

 ・・・とベラルーシに住んでいる私はそう感じました。

 とまあここまで書くと今度は「『ブログに愚痴書くな!』という発言そのものも言論の自由だから言っていいことでしょ!」と反論する人が出てくるのは分かります。

 だったら、「そんなに自分の言論の自由を認めてほしいなら、井上さんの言論の自由も認めてよ。」と反論するしかありません。
 
 要するにみんなの言論の自由を平等に認めましょうよ、でもやっぱり、あまりにも非常識な発言は自らしないようにしたほうがいいですよ、ということに落ち着くと思うんです。

 そんな中で自宅は全壊、幼い子どもを抱えて余震が続く中テントで避難生活している人に「愚痴を言うな。」とか「売名行為だ!」とか言うのは非常識だと思います。

 井上さんは負けずに乗り越えてほしいなあと切に願っています。
 
 日本はどこぞの独裁国家とちがって、言論の自由、表現の自由が認められているのですから、日本人のみなさんはそれを大事にして、有効に活用してください。
 
 

ベラルーシ将棋協会 2

2016-04-17 | ベラルーシ生活
 将棋協会で中心的に活動しているルィセンコさん兄弟(もう将棋歴15年)からお話を聞きましたが、3年前には将棋のヨーロッパ大会がミンスクで行われ、毎年ヨーロッパ各国、また日本での試合に積極的にベラルーシ人棋士が参加しているそうです。
 モスクワで行われた羽生名人の講習会にもベラルーシから参加。羽生名人に直接教えてもらったことがあるなんて本当にすごいです。

 将棋協会には詰め将棋の本などがたくさんあり、壁には日本人棋士のポスターが貼られ、教えるために壁にかけられる大きいサイズの将棋版やマグネットの駒などが貼られており、すばらしい環境。
 ちなみに日本人将棋愛好家の中で、ベラルーシ人棋士、そしてベラルーシ将棋協会は密かに絶賛されている存在です。
 ベラルーシを訪れる予定のある日本人の皆様、毎週水曜日と土曜日に将棋協会で練習をしていますので、将棋がさせる方はぜひベラルーシ将棋協会へ遊びに来て下さい。いつでも日本人大歓迎だそうです。
 ベラルーシ将棋協会の公式サイトはこちらです。(ロシア語しかありませんが・・・)

 日本文化情報センターの将棋クラブは毎週日曜日午前中に練習をしています。(ただし6月、7月、8月はスケジュールが変わりますので、事前に日本語でTまでご連絡ください。)

 それにしても日本の伝統文化の一つである将棋がここまでベラルーシで広まるなんてすばらしいことですね。
 今後もますます広がっていってほしいです。 

ベラルーシ将棋協会 1

2016-04-17 | ベラルーシ生活
 こう言うと驚く日本人が多いのですが、ヨーロッパで最も将棋の競技人口が多いのはベラルーシです。
(住んでいる日本人が一番少ないヨーロッパの国はバチカンをのぞけば、ベラルーシでは? と今ふと考えてしまいました。日本人はこんなに少ないのに将棋人口が多いのは驚きです。)
 
 ベラルーシはもともとチェスをしている人が多い地域なのですが、将棋も浸透してきて、ベラルーシの将棋チャンピオンは世界で10本の指に入る腕前。(ただし日本人棋士は除く。)

 今のところベラルーシの4箇所で将棋クラブが運営されており、そのうちの一つは日本文化情報センター付属将棋クラブ。顧問の先生であるゲオルギー・レスネフスキーさん(4級)を中心に週に1回練習しています。
 まあ、まだ有段者などおりませんですよ、うちのクラブは。しかしベラルーシ将棋協会には有段者がたくさんいるのです。

 先日将棋協会の練習試合を少し見学に行くことができました。
 ジュニアの試合ということで、大勢の子どもがいっせいに将棋をしている姿にびっくり。
 (大人のゲオルギーさん、小学生男子と試合をして負けてました。どうなってんの?!)


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追記です。
 
 この記事を投稿してしばらくしてから、日本の出版社から、ベラルーシについての書籍を出版するので、ベラルーシ国内における日本文化の広がりについて、執筆してほしいと頼まれました。
 そのため、原稿に「ヨーロッパで将棋人口が一番多い国はベラルーシ」と書いて、編集部に送ったら、
「ベラルーシがヨーロッパ一であることの裏付けとなるような資料があれば、確認のために見せてほしい。もしも口コミレベルの話ならば、『ヨーロッパ一多い国と言われることもある』くらいのぼかした表現にした方が無難なのではないか」
と指摘されました。

 編集部、疑ってますね。私、嘘ついてませんよ、ということで、このブログ上でも証拠を発表します。

 まずベラルーシ将棋協会はヨーロッパ将棋協会(FESA)に加盟しています。

 ヨーロッパ将棋協会(FESA)の公式サイト内の2016年12月18日現在のデータをご覧ください。
 リンク先はこちら

 具体的な棋士の氏名はこちらです。
 
 このように、ベラルーシの将棋人口がヨーロッパの中では最も多く、FESAの会長にベラルーシ人が選出されたこともあります。

 上記の表は熱心に将棋をしている人の数だけだと思います。基本的には有段者と有級者だけの数で、「ちょっと将棋ができる」レベルの人は、数に入っていません。
 また上記の表の中で、日本人や中国人の数が少なすぎるという指摘をされるかもしれませんが、それはヨーロッパ将棋協会が把握(認定)している数ですので、ヨーロッパ将棋協会はアジア人の数は把握していない(把握する必要がない)ということだからです。

 こちらはベラルーシ将棋協会の公式サイトで、国内の棋士の紹介です。 
 ここでは段や級は持っていないけれど、ベラルーシ将棋協会の会員として登録されている人もいっしょになっているベラルーシ人棋士一覧表があります。
 全部で500人を超えています。これ以外にも「少しできる」「登録はしていない・されていない」といった人も加えると、もっと数が増えると思います。

 実際にはベラルーシの将棋人口は何人なのか、はっきり言えないと思います。
「今日初めて将棋やってみた。」
というような人も数に入れるのか入れないのか、という条件の設定の問題もありますし。

 でもヨーロッパ将棋協会が正式にカウントししている棋士数でいうと、ヨーロッパで将棋人口が一番多い国はベラルーシと言っていいと思います。

 日本人の皆さん、信じてください。先入観だけでベラルーシを見ないでください。

日本文化情報センターの活動 チェルノブイリ30年式典に参加しました 4

2016-04-16 | 日本文化情報センター
 一方、ベラルーシでは事故処理作業員は英雄扱いですが、福島の事故処理作業員の場合はだいぶ立場がちがうなと感じました。東電社員で事故処理作業をしている人は、「事故を起こした会社の社員」で、責任取って作業すればいい、と思っている日本人が多そうですし、日本国民の健康を守るためにと言った犠牲精神ではなく、お金がほしいだけという条件で自分の健康被害には目をつぶっている作業員の人もいると思います。
 つまり立場はいろいろで日本のほうが複雑です。

 まあ、ベラルーシ人の作業員の中にも「将来病気になるかもしれないし、行きたくないなあ。でも上からの命令だから仕方ない。」と思って行った軍人や警察官もいたでしょう。
 アレクシエービッチの「チェルノブイリの祈り」の中には、当時妻と不仲になっていて離婚話が出ており、人生捨て鉢になって現地に行かないかと声をかけられたとき自ら志願した人が出てきます。
 また放射能被爆の知識がなく、発病の不安を感じないまま出発した人もたくさんいたでしょう。
 
 事故処理作業員といっても立場や考え方は千差万別です。
 そんな中有志が集まって努力している会があるのはすばらしいことですね。
 日本の事故処理作業員の方々の中にも将来このような会を作る人が現れると思います。
 そのときにはぜひチェルノブイリと福島の会が実際に会って交流できるようになれば・・・と思いました。

 (画像はチェルノブイリ原発事故発生後、汚染地域で使われていた放射能測定器。本物です。やっぱり大きいですね。)

日本文化情報センターの活動 チェルノブイリ30年式典に参加しました 3

2016-04-16 | 日本文化情報センター
 式典の後も懇談会にお邪魔していろいろなお話を聞くことができました。
 事故処理作業に従事した後、体調が悪化しキエフの病院に長く入院していた人、妻子を置いて任務だからと現地に向かった人、その後家族が避難して離れ離れになってお互いの所在が分からなくなり(今のように携帯電話もなかったですしね・・・)戦争のようだった、いや戦争よりひどいものだ、と話す人もいました。
 現在ベラルーシには事故処理作業員への福祉政策は全てなくなり、まだウクライナのほうが何某かの補償があるそうです。
 会場には幸運にも病気にならず、健康でしかもつらい体験を積極的に話してくれる人ばかりが集まっていると思うのですが、その背後にはそうではない事故処理作業員の方々が何倍もの数いるのだろうなあ、と思いました。

 4月26日を前にして記念の勲章が作られ、それを胸に下げている人もいました。勲章は25年のもの、20年のものなどいろいろあって、それを全部胸につけている人もいましたが、何だか事故処理作業員というより軍人のように見えました。
 これから10年後、20年後になると、この勲章をつけられる人の数も減っていきそうですが、ベラルーシ政府が作ったものではなく、ロシアやウクライナから表彰され、もらった勲章なのだそうです。事故が起きたときはソ連政府で一つの国でしたから、当然なのかもしれませんが、もうちょっとベラルーシ政府が特別なことをしてくれないかなあ、と思いました。
 ただ、ベラルーシの場合、事故処理作業の結果、けがをしたり発病して後遺症の残った人は身体障害者認定を受け、認められると身体障害者としての福利厚生を受けることができます。つまりただ事故処理作業に従事しただけ、被爆しただけでは補償はないけれど、障害者になった場合、国から支援がもらえるという形になっています。
 他にもベラルーシ国内には事故処理作業員の会があって、それぞれの活動をしたり、会員同士助け合ったり、他の会と連携しあったりしているそうです。結局は似たような立場の者同士助け合うのが一番早いのかもしれません。
 この会の人からは「福島第1原発の事故処理作業員たちと交流の場を持ちたい。」と話していましたが、まだ福島の原発が収束しておらず(チェルノブイリ原発も収束してないと言えばそのとおりなんですが。完全に収束するのは1万年後かもしれないし・・・。)今日この瞬間も必死で作業している真っ最中なので、まだ事故作業員の会のようなものはできていないと思います。数年経ったら、日本にも事故処理作業員の会ができるかもしれませんので、そのときにはぜひ、と話しておきました。

日本文化情報センターの活動 チェルノブイリ30年式典に参加しました 2

2016-04-16 | 日本文化情報センター
 式典では元事故処理作業員として語り部となっている方などが表彰され、ピオネールの子どもたちから事故処理作業員の方々に花が贈られ、当時の勇気が称えられました。また環境学を学んでいる子どもたちが事前に作成したというチェルノブイリをテーマにした映像作品も上映されました。
 私はマルィシェフさんが書いた「悲哀と信念」という詩集の中の二つの詩を日本語に訳したものを朗読しました。まずマルィシェフさんがロシア語で、それから私が日本語で朗読したので、ベラルーシ人出席者も意味が理解できたと思います。
 大したことはしていないのに、事故処理作業員の会から感謝状はまでいただいて恐縮です。

(画像は挨拶の言葉を述べるマルィシェフさん。)

日本文化情報センターの活動 チェルノブイリ30年式典に参加しました 1

2016-04-16 | 日本文化情報センター
 少し早いですが4月16日にミンスクにある青少年会館で行われたチェルノブイリ30年式典に参加しました。この式典はチェルノブイリの元事故処理作業員の有志が集まって創立された団体「ヴェテランヌィ・チェルノブイリャ」が主催で行われたものです。
 チェルノブイリ30年だけではなく福島第1原発事故5年もテーマに構成されていました。
 1回ロビーにはウラジーミル・マルィシェフさんの墨絵展「生命線」も展示され、多くの人が興味深く観覧していました。
 日本大使館も招待されていたのですが、欠席の連絡が入り、福島の原発の追悼も内容に入ってる式典なのに、日本人が来なかったらどうしようと思っていたのですが、幸い6名の在ベラルーシ日本人が出席してくださいました。

ベラルーシの年金支給開始年齢が引き上げられました

2016-04-14 | ベラルーシ生活
 ベラルーシでは何歳で定年退職するのか? その答えは男性60歳、女性55歳でした。
 これが3歳引き上げられることに決定しました。
 つまり男性63歳、女性58歳です。

 性別によって差があることに驚かれる日本人も多いかもしれませんね。
 私はベラルーシ人男性の平均年齢を考えると、男の人は定年後のセカンドライフがまた短くなるなあ・・・と思いました。
 
 どうして女性のほうが5年早く年金をもらえるのかと言うと、
「男性より女性のほうが苦労が多いから。」
というのがベラルーシ人の考えだそうです。
 日本では性別で差はないです、とベラルーシ人に言うと、「日本は女性差別している!」と思う人が多いです。(^^;)
 
 ちなみにベラルーシでは子どもを5人以上産んだ女性は、50歳で年金をもらえます。
 (今はこれが53歳になったのかな? 今度SOS子ども村へ行ったとききいてみます。)
 どうしてこんなに早いのかというと
「子どもを5人以上産んで、少子化対策に貢献している。ずっと子育てしてきて疲れているだろうから、早めに定年退職して、国から年金をあげて苦労をねぎらう。」
からなのだそうです。

 こういう政策があれば、日本でも出生率が上がるでしょうか? どうでしょうか?

 ちなみにベラルーシでは2005年から出生率が上昇に転じました。飛躍的に子どもの数が増えているわけではありませんが、2005年のレベル以下にはなっていません。この傾向が続いています。
 さまざまな少子化対策を打ち出した結果です。