ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

スティーヴン・セガールがベラルーシへ&ミンスクの社員寮

2016-08-31 | ベラルーシ生活
 アメリカの俳優、スティーヴン・セガールがベラルーシにやってきました。
 ルカシェンコ大統領とも面会。大統領からにんじんをもらいました。
 ベラルーシのにんじんがとてもおいしかったから・・・ではないと思いますが、セガールはミンスクの高級マンションを購入。しかもワンフロアー全ての部屋をまとめて買いました。さすが、ハリウッドスター。
 ベラルーシのマンションなんて安い安い。
 それにしても住居を買うなんてミンスクで暮らすつもりなんでしょうか? ベラルーシなんてハリウッドスターからすればど田舎で大した娯楽もなさそうですが・・・
 「投資目的?」「お金がありすぎて、何に使ったらいいのか分からないのでは。」「いや、静かなベラルーシで静かに過ごしたいんだよ。」「ホテル滞在は嫌いなんでは?」などなど憶測が飛んでいますが、私としては、ベラルーシ人に合気道を教えてほしいところです。ぜひ。

 では次の話題。ベラルーシでは新学期が9月から始まります。学校や大学の卒業式は6月です。7月や8月、9月から新卒の新入社員が働き始めることが多いです。
 ベラルーシはもともとソ連の国、つまり、社会主義国でしたが、その影響があって今でも労働者の国です。
 国立国営の企業であっても、社員寮というものがあります。
 地方出身者がミンスクで就職した場合、社員寮に入れるというのが、当然でした。

 ところが、今年突然新たな法律ができました。
「ベラルーシ国内でミンスク市以外の場所に住居を持っている者は、ミンスクの社員寮に入れない。」
 
 日本でたとえて言うと・・・大阪に実家がある人が東京の企業に就職できた。しかしその企業の社員寮には大阪に実家があるからと言う理由で入れない。自力でアパートを借りるか、大阪から毎日新幹線で通勤しろ。ということです。 
(方法としてはミンスクに住んでいる人と結婚して、ミンスクで暮らすというのもありますが。)

 ちなみにミンスクでアパートを借りようとすると、場所や広さなどにもよりますが、毎月日本円で3万円ぐらいかかります。
 ベラルーシ人の平均月給は4万円ぐらいです。

 地方出身者がミンスクで就職したくても、住むところをどうするかという問題が出てきます。
 何とか家賃を工面する人もいるでしょうが、できなかった場合、そして遠距離の通勤もできそうにない場合、ミンスクでの就職をあきらめるしかありません。

 そうすると、実家のある地元で就職先を見つけようとするでしょう。ここが政府の狙いです。
 以前からそうでしたが、ベラルーシへミンスクへの人口一極集中化が続いており、その結果、ミンスクは人口が増加しているのに、その他の地域では過疎化が問題になっています。農村地域は人口が減少し続けており、学校の統廃合が続いています。
 つまり若い世代が地元に残るよう、仕向けるためにこのような新しい社員寮の法律を作ったわけです。

 日本も東京への一極集中化、地方の人口減少、地方自治体の統廃合などの問題を抱えています。
 こうならないようにベラルーシを見習って、東京の社員寮から地方に実家のある人は締め出し、もとより就職活動の際の書類選考で、地方に実家がある人はすぐ落とす・・・という政策を打ち出すのはいかがでしょうか・・・というのは嘘です。

 実際問題としては、大変ですよ。

 私の図書館の同僚にも就職したばかりの地方出身者がいるのですが、住むところどうしようとぼやいていました。図書館員が住める寮があるので、そこに入居の申請をしようとしたのですが、実家がどこにあるのか証明しなくてはならず、書類集めをしていました。
 その人の出身地にも図書館はありますが、小さい図書館で人手不足ではなく、空きがありません。
 逆にミンスクは図書館員が足りておらず、若い世代が就職すると大喜びなんですが、せっかく仕事を教えて慣れてきたというところへ、住むところがないから、とやめてしまわれると本当に人材がもったいないんです。
 同僚たちは「早くミンスクの男性と結婚しろ。」とその人に言っているのですが、急にそんなこと言われてもねえ・・・。

 本当は社員寮の法律を作るより、地方に魅力的な雇用先をたくさん作るほうが正しいと思うのですが、どちらにせよ、難しい社会問題です。

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第197回」

2016-08-12 |   ビタペクト配布活動
 8月12日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第197回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト3を8個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを3部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2445個、セルロースの合計は82個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2142部となりました。
 今回で通算213回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2445人の子どもにビタペクトを、約73人の子どもにセルロースを、2142家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a


 今回はブレスト市(チェルノブイリ原発から約440キロ)から3家族が保養に来ていました。

(家族A)

 お母さんが3人の子どもを引率していました。
 この家族には2個のビタペクト3を渡しました。
 この家族は2005年と2006年にもSOS子ども村に保養滞在しています。
 そのときの様子はこちらをご覧ください。
2005年「ビタペクト2」&『放射能と栄養』無料支給・配布運動 第33回
2006年「ビタペクト2」&『放射能と栄養』無料支給・配布運動 第47回

 あのアクロバット体操一家と10年ぶりの再会。うれしかったです。(^^)
 前回会ったときは6人目の赤ちゃんをお母さんは妊娠中でした。現在お母さんは7人の子どもに恵まれ、上の子ども3人は成人。(あの長男君が24歳!)時間ってあっという間に経つんですね。

 今回の測定結果は以下のとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しています。

母親(チェルノブイリ事故発生時15歳)19ベクレル
長女(14歳)17ベクレル 
次女(10歳)19ベクレル ○
五男 (3歳)32ベクレル ○

 子どもたちはみんな健康で、スポーツをしたり、お母さんも食事に注意したりしてるそうです。
 お母さんも健康そのものという顔つきと体つきで、うらやましい。理想的ですね。
 でも今回3回目の滞在で初めてビタペクト3を子どもたちが飲むことになり、お母さんは少し心配していました。
 チェルノブイリ原発から離れたところに住んでいて、事故が起きてからずっと時間が経ってから、生まれた子どもたちですが、被爆から逃れることができないというのが現状です。もちろん大量の被爆をしているわけではないのですが・・・

(家族B)
 
 お母さんが4人の子どもと1人の孫を引率していました。
 この家族には3個のビタペクト3を渡しました。

 今回の測定結果は以下のとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しています。

母親(チェルノブイリ事故発生時14歳)17ベクレル
女子(15歳)16ベクレル 
女子(10歳)38ベクレル ○
男子 (7歳)25ベクレル ○
男子 (6歳)23ベクレル ○
孫  (5歳)17ベクレル

 お母さんに子どもたちの健康状態について尋ねました。
 子ども達は4人とも遠視だそうです。
 15歳の女の子は小さいときから太っていて現在体重が90キロを超えています。
 これはおかしいということで検査をした結果、ホルモンバランスの異常が見つかり、そのせいで体重増加が止まらないのでは、ということで、ホルモン剤を処方してもらっているそうです。
 急激に太る場合は甲状腺が出すホルモンの異常もありえますが、子どものときから太っていてやせていたときがないそうです。ダイエットをしても全くやせられないと悩んでいました。
 今飲んでいるホルモン剤が効けばいいけど・・・と期待しているようでした。


(家族C)

 お母さんが3人の子どもを引率していました。この家族には3個のビタペクト3を渡しました。


今回の測定結果は以下のとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(チェルノブイリ事故発生時9歳)21ベクレル
長女(12歳)22ベクレル ○ 
次女(10歳)22ベクレル ○
三女 (4歳)32ベクレル ○

 お母さんは副鼻腔炎に長年悩まされていましたが、今は治ったそうです。子どもたちも副鼻腔炎にたびたびかかると話していました。
 次女は生まれたとき心臓に穴が開いていましたが、数ヵ月後自然にふさがったそうです。
 三女はいわゆるでべそ(臍ヘルニア)ですが、これもそのうち治るだろうと特別な治療は受けていません。

 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、お母さんたちには着物で作った巾着袋をプレゼントしました。  
 画像は記念撮影した様子です。(保養滞在とは関係のない子どもも1人写っています。)(^^;)

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。