ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

「十二支のはじまり」に音楽。そして「お正月」

2010-12-31 | 日本文化情報センター
 2007年にチロ基金が創立10周年を迎えた記念に「十二支のはじまり」をロシア語で上演できるよう脚本を作成しました。
(当時の上演についてはHP「ベラルーシの部屋」をご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/x/repo/hobby_book.cgi


またスベトラゴルスク児童図書館でも上演されました。(詳しくはこちら。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/98ca83bd966805dffa8eafe4be536f5d


 この「十二支のはじまり」には音楽や音響効果については全く指定がないのですが(それは・・・私にそのような才能がないため。)ちゃんとベラルーシの子どもたちが考えてくれました。
 ミンスク市内にある第17番ギムナジアで作曲の科目を担当しているアンナ・コロトキナさんとその教え子、さらに1人の保護者の皆さんで音楽つきの「十二支のはじまり」を作り上げました。
 
 今回は子どもたちが衣装を着て演技をするのではありません。視覚的な部分は保護者の方が絵にしてくださいました。
 子どもたちはそれぞれの役に合わせて、セリフを朗読したものと、音楽や効果音を録音。絵と組み合わせて、作品にしています。
 登場する動物にあわせて「ねずみの歌」や「ねこの歌」などが挿入されますが、作曲したのは小学生です。
 
 さらに滝廉太郎作曲の「お正月」をロシア語に訳したものを最後に歌ってくれました。
 すばらしい! 子どもたちに拍手をおくります!

 そして、この作品をぜひ日本の皆様にも聞いていただこうと、アップできないか、がんばったのですが、ベラルーシの電話回線状態がよくないのか、いろいろやってみたのですが、できませんでした。
 「お正月」を歌っている子どもたちの様子も動画撮影したのですが、このブログでご紹介できません。
 しかしあきらめたくないので、何かいい方法がないか、探してみます。
 もう寝る回数を数えて待つほどではないぐらい、「お正月」がさしせまっているので(^^;) また来年改めてこの活動報告の詳細を更新しようと思っています。

画像は学校内で記念撮影した様子です。全員ではないのですが声の出演、そして作曲した子どもたちのほか、絵を描いたお母さん、コロトキナ先生が写っています。
 コロトキナ先生は「芭蕉の詩」などの作曲家です。(詳しくはこちらです。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bashou/index.html


 子どもたちには日本の絵葉書の年賀状、学校には工作折り紙のふくろうを寄贈しました。
 今ベラルーシの学校は冬休み中なのですが、新学期が始まったら、校内のどこかに飾ってもらいたいです。
 折り紙のふくろうを作ってくださった方にお礼申し上げます。
 
 それでは日本の皆様、よいお年をお迎えください。

つれづれ写真「絵本『パーオーンとヒヒーン』」(8)

2010-12-18 | つれづれ写真
 おわり。

(母からのコメント「象と馬が握手している裏表紙、すてきですね。しかもつみきの1個が象の手の前にあるのが、遠近感が感じられます。内容については、そうですね、『みんなちがって、みんないい。』・・・金子みすずさんの言葉どおりですね。)

(現在9歳になった作者本人からのコメント「母からのコメントの意味が全然分かりません。絵本については、字がぐちゃぐちゃだと思います。」)

 最後まで読んでくださってありがとうございました。

つれづれ写真「絵本『パーオーンとヒヒーン』」(7)

2010-12-18 | つれづれ写真
「さっきごめんね。」
とパーオーンがいいました。
「いいよ。」
とヒヒーンがいいました。
「いっしょにあそぼうよう。」
とパーオーンがいいました。そしてなかよくあそびました。

つれづれ写真「絵本『パーオーンとヒヒーン』」(6)

2010-12-18 | つれづれ写真
「じゃ、ぼくをおいかけて。」
とヒヒーンがいいました。そして、パカッパカッと走りました。
「あーっ、まってー。」
とパーオーンがいいました。そしてパーオーンの走りかたはドスンドスンです。
 ヒヒーンにおいつきませんでした。
「ヒヒーンは走るのが早いね。」
とパーオーンがいいました。
「ね、すごいでしょ。」
とヒヒーンがいいました。

つれづれ写真「絵本『パーオーンとヒヒーン』」(5)

2010-12-18 | つれづれ写真
 そしてけんかがはじまりました。
「ぼくのほうがじょうずってばーあ。」
とパーオーンがいいました。
「えー。」
とヒヒーンがいいました。
「じゃ、きみはこんなことできるかい。」
とパーオーンがいいました。そしてパーオーンは、はなでくぎをもちました。
「えー、すごい。ぼくできない。」
とヒヒーンがいいました。
「どうだ、すごいだろう。」
とパーオーンがいいました。

(母からのコメント「ぞうの鼻が2本になって、釘の持つ前と後の時間差が表現できていますね。パーオーンの荒い鼻息も、感情を上手に表していますね。2匹の立ち位置にも遠近感が感じられます。」)

つれづれ写真「絵本『パーオーンとヒヒーン』」(4)

2010-12-18 | つれづれ写真
 そして、ヒヒーンとパーオーンはごはんをたべました。
 パーオーンとヒヒーンはあそびはじめました。
 パーオーンはボールであそびました。ヒヒーンはつみきであそびました。
「ぼくのほうがじょうずね。」
とパーオーンがいいました。 
「いいえ、わたしのほうがじょうずだよう。」
とヒヒーンがいいました。
 そして、パーオーンがおこってしまいました。


(母からのコメント「この2匹はもともとサーカスで働いていたのでしょうか? すごい芸当を見せていますね。」)

つれづれ写真「絵本『パーオーンとヒヒーン』」(3)

2010-12-18 | つれづれ写真
 そして、いえにかえりました。てをあらったり、うがいしました。それでごはんをたべました。
 ヒヒーンのたべものは草です。パーオーンはりんごです。
 ふつうはうまはじぶんのいえにたべるんです。ぞうも同じです。
 でも、ヒヒーンとパーオーンはいっしょにすんでいます。
 パーオーンとヒヒーンのだいどころはレストランみたいです。
 

つれづれ写真「絵本『パーオーンとヒヒーン』」(2)

2010-12-18 | つれづれ写真
 むかし、あるところにパーオーンとヒヒーンがなかよくすんでいました。
 あるところにパーオーンがみずたまりをふみました。
 そしてパーオーンがヒヒーンの走る音をききました。
 ヒヒーンはパーオーンのところにきました。
「ねえ、ヒヒーン、いえにかえろうよう。」
とパーオーンがいいました。

つれづれ写真「絵本『パーオーンとヒヒーン』」(1)

2010-12-18 | つれづれ写真
 これはうちのY子が2009年5月9日に自分で作った絵本である。(ということは誕生日前だったので当時は7歳である。)
 絵や文字はもちろんストーリーも自分で考えたオリジナル作品である。
 親バカ、と言われそうだが、なかなかおもしろいので、このつれづれ写真シリーズ内でご紹介する。
 ただ、作者本人がそのころ、段落をつける、とか行間を変える、とかそういった日本語作文のきまりを知らなかったため、文章が非常に読みづらい。しかも縦書きに慣れておらず、全てがぐにゃぐにゃである。
 なので、2ページ以降は私が分かりやすく、この投稿欄に文章の部分をくっつける形で紹介することにする。
 なにぶん幼い子どもゆえ、色鉛筆の塗り方も粗いのですが、ご理解いただきたい。

 さて、これは表紙である。タイトルは「パーオーンとヒヒーン」。
 パーオーンというのは象の名前、ヒヒーンは馬の名前である。では本文へどうぞ。


日本文化情報センターの活動 書道体験会 第4回

2010-12-13 | 日本文化情報センター
 2010年12月12日「第4回 書道体験会」を行いました。
 2007年の第1回書道体験会についてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/31e927509d06142fecc1ec906d8a0c11


 2008年の第2回書道体験会についてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c118e6963703e7e7d64a03945dd4987b


 2009年の第3回書道体験会についてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/9e62081a975c955eac0cb232886bb092


 この書道会は11月3日の文化の日にあわせて開催することが多いのですが、今年は12月にずれこんでしまいました。
 会場となった児童図書館が内装工事を9月から始めたのですが、1ヶ月の予定のが12月入っても完全に終わらず、書道会ができなかったのです。
 この画像には写っていないのですが、会場のホールの天井はまだ穴が開いています。(^^;)でも何とか書道会を開催できそうな状態にはなりましたので、ようやく今年中に実施できることになりました。

 前回の書道体験会の報告を更新したときに参加希望者が多くて、書道道具が足りず、寄付を呼びかけたところ、幸い北海道にお住まいのS様より、お子さんが使ってらした書道装具セットを寄贈していただきました。 
 おかげで道具が少しずつ増え、大変助かりました。今回は参加者が21名でしたが、みんな熱心なのでそれでも1つの硯を2人で使わないと、1日で全員が参加できないぐらい大盛況でした。
 また習字用の半紙は足りないため、練習用にチロ基金から安い紙を購入し、それに練習してもらってから、本物の日本製の半紙に清書してもらいました。  

 参加者はみんなとても喜んでおり、これを機に書道の練習をしたい、と言う人もいました。
 今回の参加者はレベルの差はありますが全員日本語学習者です。好きな言葉をたくさん用意してくる人や、俳句を書く人、会場に用意した「ベラルーシ人に人気のある漢字の見本」を眺める人もいました。
 また会場では書道のビデオ映像を常時放映し、日本の小学校から以前寄贈されたお習字の作品も展示されました。
 ベラルーシ参加者は
「小学生でもやっぱり日本人だから、字が上手ですね。」
と話していました。やっぱり手が慣れることが上達につながるのでは、と話しました。
  
 参加された方は日本製の習字道具が使えて、大変喜んでおり、とても貴重な体験になったと思います。
 すずりや筆などを寄贈してくださった日本人の方々、紙や墨など消耗品購入のため寄付をしてくださった方に深くお礼申し上げます。できたら来年も11月3日の文化の日前後に開催したいと思っています。
  

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第112回」

2010-12-07 |   ビタペクト配布活動
 12月6日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第112回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を11個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1759個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1510部となりました。
  
 今回で通算122回目のビタペクト2の配布となりました。1510家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by



 今回は3家族がSOS子ども村に保養滞在していました。それぞれの家族に話を伺いました。

(家族A)
 モロジェチノ市(チェルノブイリ原発から約390キロ)から来た家族。この家族には4個のビタペクト2を渡しました。母親と5人の子どもです。それぞれの結果は以下のとおりです。○印の子どもにビタペクト2を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時20歳)13ベクレル
男子(14歳)16ベクレル 
女子(13歳)28ベクレル ○
女子 (6歳)31ベクレル ○
女子 (4歳)47ベクレル ○
男子 (2歳)48ベクレル ○

 このお母さんには全部で9人の子どもがいます。そのうちの5人を連れて保養に来ていました。1人が途中から合流していますが、測定の日にはまだ到着していなかったので、体内放射能値が分からず、ビタペクト2を渡していません。でも画像には写っています。
 2歳の男の子ですが、ビタペクト2は普通3歳以下の子どもにはあげないことになっています。しかし2歳6ヶ月だったのと、ビタペクト2の賞味期限が1年あるため、半年後3歳の誕生日が来たら飲み始めることにして、渡しました。
 この一家はもともとブレスト州ストーリン地区で暮らしていましたが、16年前にミンスク州のモロジェチノ市に引っ越しました。ストーリンのほうが放射能汚染度が高く、モロジェチノのほうは非汚染地域ということになっていますが、測定結果を見ると、あまり関係ないように思えます。
 お母さん自身も住民の実感として
「モロジェチノ市がそんなに環境がいいとは思えない。」
と話していました。
 子どもたちは比較的元気だということですが、お母さんや6歳の女の子には甲状腺肥大が見られ、薬を飲んでいるということでした。


(家族B)

 お母さんと5人の子どもの家族。グロドノ市(チェルノブイリ原発から約400キロ)から保養に来ていました。この家族には5個のビタペクト2を渡しました。

母親(事故発生時8歳) 14ベクレル
長女(11歳)21ベクレル ○
長男(10歳)40ベクレル ○
次男 (8歳)34ベクレル ○
三男 (3歳)28ベクレル ○
次女 (2歳)54ベクレル ○

 2歳の次女にもビタペクト2を飲ませたい、というお母さんの希望で渡しました。まだお母さんが母乳が出ているので、お母さんがビタペクト2を飲んで母乳に含まれる放射能を減らそう、という方法です。
 グロドノ市と言えばベラルーシの西部、ポーランドに近い町なので、チェルノブイリ原発事故から離れており、放射能汚染地域ではありません。
 ところがグロドノから40キロほど離れたモストフ地区は放射能値が高い地域とされています。そこに子どもたちの父親の両親が住んでいて、夏休みになると田舎へ行って飼われている牛の牛乳を飲んでいるそうです。
 それがよくなかったようですが、はっきりした因果関係というのは実証できません。
 子どもたちはここ数年よく風邪をひくようになった、とお母さんは心配していました。

 この一家はカトリック教徒で、その関係からか、一度ポーランドに保養に行ったことがあるそうです。ポーランドの中にある教会施設で無償で寝泊りし、その代わり教会の雑用をお母さんがする、という支援活動をポーランドのカトリック教会は行っているそうです。
 このようなポーランドからの支援活動もあるのだなと、勉強になりました。


(家族C)

 ビテプスク州ノボポーロツク市(チェルノブイリ原発から約470キロ)から来た家族。この家族には2個のビタペクト2を渡しました。
 このお母さんには5人の子どもがいますが、年長の2人は16歳以上で保養に来ていません。年少の3人の子どもを連れてSOS子ども村に来ていました。
 しかし1歳8ヶ月の子どもが測定に出発する直前に寝てしまい、お母さんは起こすのがかわいそうだからとその子どもといっしょに残ってしまいました。(確かに測定に行ったとしても年齢制限でこの末子くんはビタペクト2を飲めないです。)
 そのため測定したのは2人の子どもだけです。

女子 (9歳)34ベクレル ○
男子 (8歳)28ベクレル ○

お母さんはこの2人の子どもの結果を見てびっくりし、留守番をしている年長の子どもにもビタペクト2を飲ませたいと話していました。子どもたちは比較的健康だそうですが、8歳の男の子には甲状腺が肥大しており、薬を定期的に飲んでいるそうです。
 ノボポーロツク市はベラルーシの北のほうにあり、やはりチェルノブイリ原発事故から離れているのですが、放射能の影響については距離は関係なくなっていると改めて思いました。
 
 画像は記念撮影した様子です。今回は小さい子どもと大きい子どもの差が大きくてなかなか大変でした。と言うのも小さい子どもが1人ぐずりだすと、連鎖反応のように他の小さい子どもが泣き出し、それをあやしたりするのに大変でした。
 でも小学生ぐらいの子どもたちは、みんな活発で好奇心旺盛で、折り紙に大喜びしていました。作るのも得意だ、と自慢する子もいました。
 今回も子どもたちに折り紙やぬりえ、折鶴などをプレゼントしました。年長の子どもはぬりえをあげても喜ばないし、年少の子どもはまだぬりえが何なのか分からないようすでしたが、おそらくみんなでなかよく分け合ってくれるでしょう。

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。