ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第101回」

2010-03-30 |   ビタペクト配布活動
 3月29日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第101回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を7個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1678個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1400部となりました。
  
 今回で通算111回目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1678人分のビタペクト2、そして1400家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by


 今回は3家族が保養滞在に来ていました。それぞれの家族にお話をうかがいました。

 
(家族A)

 ゴメリ州カリンコビッチ(チェルノブイリ原発から約100キロ)から来た家族。この家族には3個のビタペクト2を渡しました。
 この家族は4回目の滞在で、今まで2005年2月と、2007年1月、2008年1月にも来たことがあります。 
2005年の滞在のときの様子はこちらチロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第29回」をご覧ください。 

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2005/no29.html


2007年の滞在のときの様子はこちらチロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第53回」をご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/x/repo/hobby_book.cgi


2008年のときの様子はこちらチロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第70回」をご覧ください。(家族A) 

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/06223f5508cb20f75d44be54a20b9023


 2005年、2007年、2008年、2010年の放射能値の測定結果はこうなります。以下の○印がついている子どもにビタペクト2を渡しました。

母親(事故発生時19歳)10ベクレル   →15ベクレル○ → 14ベクレル○ →  6ベクレル
男子(15歳) 0ベクレル   → 23ベクレル○ → 37ベクレル○ → 70ベクレル ○
男子(14歳) 0ベクレル   → 11ベクレル  →  0ベクレル  → 60ベクレル ○
男子(11歳) 16ベクレル○  → 15ベクレル○ → 26ベクレル○ → 34ベクレル ○
孫(3歳)33ベクレル (今回初測定)
孫(3歳)27ベクレル (今回初測定)

 このお母さんには8人の子どもがいます。そのうちの5人は16歳以上になったのと、社会人になったり、結婚したりで、SOS子ども村には保養には来ていません。
 3人の息子と2人の孫を連れて来ていました。
(親子4代に渡ってSOS子ども村に滞在したという家族が現れるのも、もうそのうちのような気がしてきました・・・。)

 ただ、この家族の放射能測定結果は、今まで100回以上この活動を続けてきましたが、その中での最高記録、70ベクレルでした。
 しかも成長期の男の子2人が、60ベクレルと70ベクレル、というのは、大変よくない結果です。
 SOS子ども村のリリヤ先生は
「生の牛乳をごくごく飲んでいるでしょう?」
ときいていましたが、お母さんは「そんなに飲んでいない。」と話していました。
(汚染地域の牛乳は、1リットルで100ベクレルの放射能を含んでいる場合があります。)
「でも、牛乳禁止。」とリリヤ先生に言われていました。しかし成長期の子どもにカルシウムは必要なので、「乳製品を食べましょう。」という、講義を私とリリヤ先生で話しました。
 理由は放射能物質を含んだ牛乳から、乳製品を作るさいに放射能が水分のほうに溶けて分離、そして捨てられることが多いからです。
(チーズは牛乳に比べると水分が少ないから、固い、つまり放射能がほとんど含まれない。T家では牛乳は極力飲まないようにしています。)

 日本人のみなさんで、ベラルーシに来ることのある方で、気になる方は、牛乳を飲まないようにしましょう。

 とにかく、今回この子どもたちにビタペクト2を渡せてよかったです。お母さんは特に健康上に問題はない、と話していましたが、病気になってからでは、ビタペクト2を飲んでも遅いので・・・。ビタペクト2はあくまで予防です。


(家族B)

 ゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から来た家族。2個のビタペクトを渡しました。それぞれの放射能測定結果はこのとおりです。

母親(事故発生時4歳)21ベクレル
長男(9歳)33ベクレル ○
次男(6歳)14ベクレル 
長女(9ヶ月)0ベクレル
甥 (4歳)31ベクレル ○

 この家族の結果もあまりよくないですね。6歳の男の子はよく扁桃腺が腫れ、まばたきが多いけれどこれは、チック症状が出ていると思う、とお母さんは話していました。
 お母さんは熱心に、何を食べていいのか、海草はよく食べているほうだ、と食育に関心があるようでした。
 意識改革、と言うか啓蒙活動と言うか、こういうお母さんがもっとベラルーシに増えてほしいです。SOS子ども村に行くたびにがんばってレクチャーしているんですが、やはりベラルーシ人の側に意識がないと浸透しないですね。


(家族C)

 ミンスク州ボロブリャヌイ市(チェルノブイリ原発から330キロ)の家族。SOS子ども村もボロブリャヌイにあるため、
「家は近所。」と話していました。
 この家族には2個のビタペクト2を渡しました。それぞれの放射能測定結果はこのとおりです。

母親(事故発生時9歳)27ベクレル
長男(9歳)34ベクレル ○
次男(4歳)24ベクレル ○
長女(1歳10ヶ月)16ベクレル

 ボロブリャヌイ市はミンスクから車で30分ぐらいのところにある町です。ベラルーシの真ん中にある町に住んでいる子どもからこれだけの値が測定されるのは、よくないですね。
 この一家は家族全員貧血で、ヘモグロビン値が低く、鉄剤を飲んだり、食生活を改善した結果、9歳の長男だけが改善したそうです。
 まだまだ治療が続きそうだと、お母さんは話していました。
 放射能の被爆による症状の一つに貧血もあるのですが、この家族の場合、はっきりと因果関係が結論付けられているわけではありません。

 画像は記念撮影した様子です。(ただ1人、保養滞在ではない子どもがまぎれています。)
 今回も折り紙や、日本製の紙、折り方の説明などを子どもたちにプレゼントしました。
 子どもたちの名前を日本語で和紙に書いてあげたら、とても喜んで、親戚中の名前を書いて書いてとせがまれ、大変でした。
 
 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

出張講演「ストルブツィ芸術学校」 その2

2010-03-27 | 日本文化情報センター
 講演会はその後、コロトキナさんの「芭蕉の詩」をみんなで聴いて終わりました。
 音楽がメインの講演でしたが、日本のことを身近に感じてくれた、生徒さん、先生方がストルブツィに増えたのではないか、と思いました。  
 
 その後芸術学校のほうに移動して、学校の様子を見学させてもらいました。
 この学校は、音楽、演劇、木工の専門に分かれて勉強しています。
 音楽のほうは、ピアノ以外にも、さまざまな楽器(バヤンやツィンバロムのほか、チューバなどもありました。)を学んでいるそうです。
 演劇用には、客席50席と小さいながらも、ステージがありました。木工のほうはいろいろな工具がたくさん置いてあって、木彫りの置物や、飾りのついた宝石箱などを作っているそうです。

 小さくて、(先生方の間では「建物が古くて寒い。」という意見もありましたが、)いかにもベラルーシの村にある学校、という感じでした。
 画像はコロトキナさんが作曲法を教えている音楽室。ピアノが2台ありました。壁の絵が何ともかわいい。(なので、写真を撮りました。)
 いやあ、私が映画監督だったら、ここの学校でロケしたいです。

 こういう文化を子どもたちに継承していこうとする場所が、ベラルーシにはあちこちにある、というのがすばらしいですね。(しかも授業料は無料。公立の学校なので。)
 もちろん、この学校で音楽を勉強した子どもがみんな、プロの歌手になったり、ソリストになるわけではありませんが、(この学校の卒業生に1人、小説家になった人がいるそうです。やはりヤクプ・コーラス生誕地ということで、文学者が生まれる土壌があるのか?)、文化を教える土壌が国中にある、ベラルーシという国は、ある意味、底力のある国かもしれません。

 天候のいい時期に、またこの学校に行きたいな、と思いました。
 コロトキナさん、縁を結んでくれてありがとう。
 そして、日本を紹介する資料の数々を提供してくださった日本人の皆様、本当にありがとうございました。大変役立っております。
(ベラルーシの学校へ手ぶらでは行けない・・・。これも日本文化情報センターあってこそ、できる講演会です。)
   

出張講演「ストルブツィ芸術学校」 その1

2010-03-27 | 日本文化情報センター
 3月13日、ミンスク州ストルブツィ地区にある芸術学校にて出張講演を行いました。
 この学校は普通教育を行っている地元の学校の生徒さんのうち、希望者が放課後通う学校です。芸術学校、というとおり、専攻は、音楽、演劇、木工の3つがあり、全部で100人あまりの子どもたちが学んでいるそうです。

 この学校で週に1回音楽、しかも作曲法を教えているのがアンナ・コロトキナさんです。
 コロトキナさんは「芭蕉の詩」「茶の葉」の作曲家です。

「芭蕉の詩」「茶の葉」について詳しくはこちらをご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bashou/index.html


HP「ベラルーシの部屋」過去ログ 2007年4月3日
2007年 日本文化情報センターの活動 「茶の葉」コンサート後援

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2007/index.html


 
 ストルブツィと言えば、思い浮かぶのはベラルーシを代表する文学者であり、教育者であったヤクプ・コーラスの生まれ故郷であることです。
 当日は着物展の合間にあった休日、土曜日だったので、ミンスク中央駅前バスターミナルから、コロトキナさんとY子といっしょにバスで出発しました。
 1時間でストルブツィ市に到着。
学校はすぐ近くかと思ったら実際にはそこからさらに車で20分ほどの村の中にありました。
 校長先生が車で迎えに来てくれたのですが、どうしてこのようなミンスクから遠く離れた村にある芸術学校にコロトキナさんが働いているのだろう・・・と思ったら、数年前にこの村で売りに出されていた古い民家をコロトキナさんが買ったからなのです。
 週末そこで過ごしているうちに、芸術学校の先生たちと知り合い、ぜひ作曲法を教えてほしい、と頼まれ、週に1回土曜日に授業をしているそうです。
 そしてその日はそのまま家に泊まり、日曜日の夕方ミンスクに戻って、平日はミンスク市内の学校で音楽を教えている、という生活です。
 ああ、理想的。私も平日はベラルーシの自然の中でゆっくり過ごしたいです。

 さて、到着したのは芸術学校ではなく、生徒さんが昼間通学している普通教育学校のほう。こちらの講堂のほうが広くて、機材もそろっているので、開催はこちらの学校にしたそうです。
 このほうが放課後、芸術学校に通っていない、という子どもたちも見に来られるので、いいですね。会場には200人以上の生徒さんや教員の方が集まっていました。
 
 今回も日本の紹介、特に音楽の紹介をしました。
 日本の紹介美しい日本の風景ポスターや日本地図、着物の帯、和傘などを使いました。
 どれもこれもチロ基金協力者の方々からの寄贈品です。助かります。 
 それからふつうの折り紙ではなく、折り紙工作の作品、みみずくをチロ基金協力者の方から寄贈していただいていたので、学校に寄贈しました。 
 その後、日本の伝統楽器を紹介するビデオを見ました。偶然、鼓を手にした日本人形があったので、これも音楽を勉強している生徒さんが多いので学校に寄贈しました。

 せっかくやって来たので、Y子も参加することになり、踊りを披露しました。(まだそんなに上手ではないのですが・・・。修行中。)

 その後、芸術学校からのお礼、ということで合唱団の女の子たちが壇上に上がりました。指揮をする先生は、わざわざ日本の歌を見つけてきて、練習してきたそうです。
 歌を聴いていると、よく知っているメロディー。それは「浜千鳥」だったのです!
 歌詞はロシア語。ということは、「浜千鳥」はロシア語に訳されている、ということですね。知りませんでした。これは大発見です。
 それをベラルーシ人の子どもたちの美しい歌声で、ストルブツィで聴くことができるとは、夢にも思っていませんでした。
 この様子はデジカメで録画したのですが、ベラルーシのプロバイダーの調子が悪いため、このブログの動画投稿ができませんでした。残念。
 これができたら、日本人の皆様も聴くことができたのですが・・・。(何か別の方法を考えないといけないですねえ。)

日本文化情報センターの活動 「第7回 着物展」

2010-03-20 | 日本文化情報センター
 2010年3月10日から21日まで、日本文化情報センターがあるミンスク市立第5児童図書館内で、恒例の着物展を開催しました。今回で第7回目の開催となりました。
 来場者総数は222人になりました。

 今回展示したのは、着物14点(留袖2点、振袖3点、打掛1点、浴衣3点、絽の着物1点、襦袢1点、お初着1点、羽織1点、袴1点)
帯9点(袋帯5点、名古屋帯1点、半幅帯3点)
履物9点(草履3点、下駄6点)
小物16点(帯揚げ2点、伊達襟1点、半襟2点、帯締め6点、帯枕2点、帯板1点、足袋1組、ショール1点)です。
  
 会場では着物についてのビデオを終日上映しました。
(着付けの仕方をきく人が多いです。特に帯の締め方。言葉では説明しづらいので、映像で・・・。)

 2006年から日本文化上センターのテーマ展示で毎年「日本の歴史」をテーマにしているのですが、その回ごとに扱う時代に合わせて、その時代の衣服を人形で再現しています。(ちなみに人形は全部私の手作りです。)
 その人形(今年は合計8体)で卑弥呼の時代の貫頭衣から平安時代の十二単までを展示しました。これで着物(衣服)の移り変わりが理解してもらえたら、と思っています。

 また黒留袖や羽織についている家紋の説明のため、簡単に家紋を説明する展示や、花嫁さんの白無垢姿の写真の展示も行いました。
 いつもはセンター内に置いている行灯(もちろん電球)を会場に置いたり、着物マネキンにうちわなども持たせてみました。(でないと、着物の袖のどこから手を出すのかすら分からないベラルーシ人がいるので・・・。) 

 多くの着物や帯を寄付してくださった皆様、展示品購入のためチロ基金に寄付をしてくださった皆様、本当にありがとうございました。
 
 今回は今まで展示したかったのですが、上手な展示方法が見つからなかった小物類をたくさん展示できてよかったです。特に帯枕などは着物を着てしまうと見えないものなので、前から展示したいと思っていました。
 ただ小物類に関しては、展示方法に改善の余地あり、と思ったので、次回の着物展ではもう少し工夫しようと思いました。
 それにしても、足袋が一番ベラルーシ人に受けるのは、なぜ? 履物の形を見れば、自然と靴下がこういう形になるのは分かりそうなものなのに、みんな足袋の写真をキャーキャー言いながら撮影しています。
 足袋、大モテ・・・。(^^;) 理由はよく分かりません。

 変更がなければ、毎年春に着物展を開催する予定です。
 展示の仕方など毎回少しずつ改善してきましたが、これからも、開催ごとに説明を増やすなどいろいろな展示方法を試していきたいと思っています。
 
 画像はベラルーシの新聞「夕刊ミンスク」に掲載されたものをお借りしました。記事はこちらで読めます。(ロシア語)

http://www.vminsk.by/news/17/61257/


 いつもは私が入場者のみなさんの様子をパシャパシャ撮影しているのですが、たまにはベラルーシ人新聞記者の視点で撮影したものをご紹介することも必要か、と考え公開することにしました。
(日々、このようにして働いております。はい。)

第6回着物展についてはこちらをご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/1a079bad2c6f9867de48f2a48a200e81


第5回着物展についてはこちらをご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/7d25e34c25192f19586306c9c53cb47e


第4回着物展については HP「ベラルーシの部屋」の「チロ基金創立10周年記念式典(4)「第4回着物展」をご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/x/repo/hobby_book.cgi



チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第100回」

2010-03-12 |   ビタペクト配布活動
 3月11日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第100回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を5個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1671個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1390部となりました。
  
 今回で通算110回目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1671人分のビタペクト2、そして1390家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOSども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by



 今回は2家族がSOS子ども村に保養のため滞在していました。両家族とも家庭タイプ孤児院でした。
 ちょうど日本文化情報センターで着物展を開催中だったため、いつものように私がSOS子ども村へ行くのではなく、着物展のほうに来てもらうことになりました。

(家族A)

 ゴメリ州ジトコフ地区にあるビリチャ村(チェルノブイリ原発から約190キロ)の家族。この家族に5個のビタペクト2を渡しました。この家族はお母さんと2人の実子のほか、8人の養子を連れてきていました。
 それぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親(事故発生時6歳)7ベクレル
長女(12歳) 11ベクレル
長男(10歳) 12ベクレル
女子(14歳) 21ベクレル ○
女子(13歳) 19ベクレル
女子(12歳) 24ベクレル ○
女子(10歳) 25ベクレル ○
男子(10歳) 22ベクレル ○
女子(10歳) 21ベクレル ○
女子(10歳) 14ベクレル
女子 (8歳) 14ベクレル
 
 お母さんは子どもたちの健康状態に特に異状はなく、みんな比較的健康だ、と話していました。
 ただこの家族の子どもは、すごくおとなしい子どもが多かったです。着物を見てても、反応が乏しい感じで、最初見たとき「みんな体調がよくないのか?」と心配しました。(が、そんなことはなくて、単にしつけが行き届いた子どもたちだったようです。)


(家族B)

 もう一つの家族はミンスク州ジェルジンスク(チェルノブイリ原発から320キロ)から来ており、2009年2月にも保養滞在していた家族です。そのときの様子はチロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第86回」をご覧ください。
(家族B) 

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/958e83f8544e4be7efbe733a1aa07643


 この家族には今回はビタペクト2を渡していません。
 お母さんが5人の養子を連れてきていましたが、(お母さんは用事で今回の着物展には来ていませんでした。)それぞれの前回の体内放射能値と今回の結果はこのようになっています。○印の子どもにビタペクト2を渡してました。

母親(事故発生時11歳)0ベクレル   → 11ベクレル
男子(16歳)12ベクレル   → 13ベクレル
女子(16歳) 0ベクレル   →  8ベクレル
女子(16歳)22ベクレル ○ → 13ベクレル
女子(15歳)28ベクレル ○ →  9ベクレル
男子 (6歳) 0ベクレル   → 11ベクレル 

 前回ビタペクト2を飲んだ2人の体内放射能値が減ったのはとてもよかったと思います。
 しかし、飲まなかった子どもとお母さんは増えています。これはビタペクトを飲まなかったから、体内放射能が増えたというものではなく、おそらく家族で食べたものに放射能が含まれている、ということでしょう。
 ジェルジンスクはミンスク州にあり、ベラルーシの中心部にある町ですが、食品が放射能汚染されているのは、間違いなさそうです。
 放射能汚染地域に指定されていない場所に住んでいるからといって、安心できません。
 (家族A)が住むゴメリ州と大きな差はないですね。ゴメリ州のほうがチェルノブイリ原発に近いのですが、事故発生から時間が経過すると、近いとか遠いとか無関係に放射能が散らばっている印象を受けました。

 子どもたちの健康状態など、聞き取りがしたかったのですが、お母さんがいなかったので、うまくできませんでした。子どもたちは着物を間近に見て、大喜びしていました。

 今回もいつものように子ども達に折り紙、文房具などをプレゼントしました。
 しかし今回は本物の着物が見られた、というのが大きなプレゼントだったようです。画像は日本文化センターで記念撮影した様子です。カメラを持ってきていたSOS子ども村の人がいたので、今回は私も写真に収まってみました。
 
 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。

 ついにSOS子ども村への支援も100回目となりました。積み重ねていくうちにとうとう3桁になりましたね。今後も引き続きこの活動を続けていきます。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

出張講演「ミンスク市第134番学校」 その2

2010-03-03 | 日本文化情報センター
 講演が終わった後、折り紙工作のみみずくやお手玉、ひな人形、日本のことを紹介する雑誌(ロシア語)をこの学校に寄贈しました。
 その後すぐに、学校の1階にある展示ケース(生徒さんの作品などが飾られていました。)に寄贈した物が置かれていました。
 早い。のんびりした人が多いベラルーシ人ですが、この学校の対応は早かった・・・。すばらしい!
 これで、講演会のときには席が遠すぎてよく見えなかった、という人にも、間近で見ることができますよね。
 学校の先生方からはまた講演会に来てください、と言われました。(^^)
 
 こういう機会を生かして、センターの活動の場を広げることができたこと、よかったと思いました。
 そして、寄贈品をお寄せくださった、チロ基金協力者の皆様、本当にありがとうございます。手作りの寄贈品がベラルーシの学校で永く展示されることになると思います。 折り紙やお手玉を作ってくださった方々に深く感謝しております。

出張講演「ミンスク市第134番学校」 その1

2010-03-03 | 日本文化情報センター
 2月26日、ミンスクにある第134番学校にて出張講演を行いました。
 この学校は音楽教育に力を入れている公立の学校です。ここで「芭蕉の詩」「茶の葉」などを作曲したアンナ・コロトキナさんの息子のイワンさんが、ピアノの先生をしているご縁で講演をする運びとなりました。
 「芭蕉の詩」「茶の葉」について詳しくはこちらです。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bashou/index.html


HP「ベラルーシの部屋」過去ログ 2007年4月3日
 2007年 日本文化情報センターの活動 「茶の葉」コンサート後援

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2007/index.html


 講演会の名前は「桜の枝」・・・イワンさんの命名です。日本について簡単に紹介した後、音楽を学んでいる生徒さんがほとんど、と言う学校なので、日本の伝統音楽について、詳しく紹介することになりました。
 事前に伝統楽器(琴や三味線など)について紹介するビデオ資料があったので、それをスクリーンに映し出すようにセットしておいてもらいました。

 当日は講堂に約400人の生徒さんや先生方が集まりました。
 日本の紹介についてはざっと説明するのですが、私の言葉で説明するだけでは分かりづらいので、いろいろ資料を持って行きます。
 今回は美しい日本の風景ポスター(やっぱり桜の写真が日本らしくて、ベラルーシ人には喜ばれますね。あと、ベラルーシにはない海の風景も。)や日本地図、着物の帯などです。
 ひな祭りが近かったので、その説明をしながら、小さいのですがひな人形も持参しました。
 それからふつうの折り紙ではなく、折り紙工作の作品、みみずくの家族をチロ基金協力者の方から寄贈していただいていたので、それも持って行きました。
 さらに手作りのお手玉も寄贈していただいていたので、それも持って行って遊び方の実演。(子どもたちの目の前で、失敗しなくてよかった・・・。)(^^;)

 カメラで撮影する人が多かったです。しかし、講堂は広い上に人が多くて、近い席の人しかよく見えなかったかも・・・。

 その後、日本の伝統楽器を紹介するビデオを見ました。音楽に力を入れて勉強している学校だけあって、真剣に見ていました。その後
「琴は指先に爪を保護するカバーをつけて演奏していましたね。だから音が独特な感じで響いていた。」
「尺八の音色はヨーロッパのたて笛とは違っているが、すばらしかった。」
などなど、専門的な感想が教師の間から出ていました。

 それからこの学校の生徒さんのうちイワンさんの教え子6人が、壇上に上がり、ピアノ演奏をしました。
 年齢もいろいろで、曲もいろいろでしたが、驚くほどみんな上手でした。それに堂々としているんですよね。小さい子どもでも。

 最後のトリは特別出演のコロトキナさん。「茶の葉」を演奏したのですが、イワンさんが音楽に合わせて、この作品のモチーフになっている日本の短歌をロシア語で朗読してくれました。
 先ほどまで日本の伝統音楽ビデオが映し出されていたスクリーンには、その短歌が映し出される、という演出。
 先生も生徒もとても努力していることが感じられるすばらしい学校でした。


 
 

バンクーバーオリンピック ベラルーシはメダル3個

2010-03-02 | ベラルーシ文化
 バンクーバーオリンピック終わりましたね。前回のトリノではベラルーシは銀メダル1個だけだったのですが、今回はフリースタイルとバイアスロンで、金銀銅1個ずつ取りました。
 結構がんばりましたねえ、ベラルーシ。冬の競技に強そうなイメージがあるけど、選手が1人も出ていない競技がいっぱいあって、どうなのか、と思っていましたが・・・

 で、今回フリースタイルで金メダルを取ったグリシン選手、今頃になって知ったのですが、うちのY子が通っている学校の卒業生なのです。
 もっと学校でも盛大に応援すればいいのに、何もしていない。
 と言うか、日本人は応援にかけてはすごく盛り上がりますよね。巨大モニターを置いてみんなで集まって見るとか、おそろいの応援グッズを作って、みんなで持つとか、こういう光景、ベラルーシ人が見たら驚くでしょうね。
 
 日本と比べるとベラルーシではスポーツ選手はあくまでスポーツの世界の人、で引退後に芸能界デビューする人は非常にまれです。スポーツ番組の司会とか試合の解説をするのは普通だけど、タレントになったりする人はいない・・・
 (新体操選手が引退後、モデルになったりするケースはあります。それとテニス選手なのに歌手になった人が1人いる。まれなケース。)

 ただ、ベラルーシの場合、メダルを取るとその後しばらくしてから、その人のスポーツ人生についてのドキュメント番組をじっくり製作し、テレビ放映をします。
 しかし、それをベラルーシ人みんながかじりついて見る、ということもない・・・。

 日本人に比べると、何だか冷めている。唯一熱く盛り上がるのはホッケーの試合。
 こればかりはベラルーシの男どもがテレビにかじりついて見ている。そして、予想通り、強豪チームにベラルーシチームが負けると、テレビに向かって文句を言っている。・・・。


 金メダルを取ったグリシン選手の動画はこちらで見られます。(ど素人の私の目から見ても、これはすごいと思いました。目が回る。)

http://www.youtube.com/watch?v=2SqM9dzpdwY


http://mixa.tv/suget/3866


 グリシン選手、おめでとう! Y子の学校の子どもたちも、先輩を誇りに思ってがんばるのだ。(冷めているのはだめだよ、ベラルーシ人。)
 そして、ソチでのベラルーシチームの躍進を祈りましょう。(^^)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ここから先の投稿は後日談です。
 最近になってY子の学校の校長先生と話をする機会があったので、
「金メダリスト出身校なのに、どうしてそのことを校内で紹介しないのか。」
というようなことを尋ねてみたのです。
 そしたら、それはもうした、という返事が・・・

 Y子はその前の週の月曜日、風邪をひいてしまい、木曜日まで学校を休んだのです。
 その水曜日にグリシン選手が学校に来て、講演会(日本でもよくあるメダリストを迎えての「私はいかに努力して金メダルを手にしたか。」というテーマ。)に来たそうです。
  サインをもらったり、校長先生なんか(←女性です。)グリシン選手にキスしたり、大興奮だったらしい。ええー。
 Y子が学校を休んでいたので、私はそんなことは全く知らなかったのです。ショック!

 しかし、よく考えたらその日はセンターで着物展開催の真っ最中であったため、このことを知っていたとしても、時間が合わず、学校には行けなかったと思います。
 校長先生はがっかりした私のために、講演会のときたくさん書いてもらったというグリシン選手のサイン入りカレンダーを1枚私にくれて、なぐさめてくれたのでありました・・・。

 金メダルとったの、今年に入ってからなのに、その2010年カレンダーにはメダルを首にかけたグリシン選手の写真が入っていた・・・。
 オリンピック終了後、大急ぎで作ったんだろうな、このカレンダー。
 直筆サイン入りカレンダーをもらえてうれしかったけど、学校時代の思い出とか直接聞きたかったです。

 で、校長室の机の上に「君は私たちの誇りだ!」と手書きでレタリングしてある、細い横断幕みたいなのが置いてあったので、きいたら、これはグリシン選手が講演会のため、学校に来たときに、入り口に貼ってあったものだそうです。
 講演会が終わったらすぐ外しちゃうの?
「いえ、これは3階の図書館に貼りなおします。」
と校長先生はは言っていましたが、そりゃちがうよー。
「いや、もっと目立つところに貼らなきゃだめですよ。」
と思いっきり校長先生に抗議してしまいました。
(日本だと、外からも見えるように学校の外壁にぶら下げたりしない?)