ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

ゴシケーヴィチの胸像について新聞記事の日本語訳

2013-01-30 |   イオシフ・ゴシケーヴィチ
 昨年12月に日本にあるゴシケーヴィチの胸像についてベラルーシの新聞で紹介されました。
 詳しくはこちらをご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/52f494ad24154397d2ac125b22522858


 この新聞記事を日本語に翻訳しましたので、このブログ上でご紹介します。

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2012年12月6日付 ゴーラス・ラジームィ紙 No.46 (3310)

遠い海のもと出会った友人たち

 今夏すでに本誌で最初のベラルーシ人外交官イオシフ・ゴシケーヴィチについての記事が掲載された。ゴシケーヴィチはロシア帝国最初の日本領事として1858年から65年まで赴任していた。ベラルーシ出身のゴシケーヴィチのおかげでベラルーシと日本の交流が始まったと言ってよい。ロシア帝国の命を受けた「白い髪の領事」の人生物語は北海道の街、函館が舞台だとミンク在住の日本人辰巳雅子さんは語る。

「この夏ベラルーシ人の友人の招きを受けてグロドノ州にあるオストロベツ市とマリ村を訪問しました。そこでイオシフ・アントノヴィチ・ゴシケーヴィチが余生を送ったことが知られています。訪問記については本紙33号に掲載されました。」
 ミンスク市ルシヤノワ通りにある第5児童図書館内に辰巳さんは日本文化情報センターを開設、両国民をつなぐ活動を行っている。辰巳さんはマクシム・バグダノビッチやヤンカ・クパーラの詩をいくつか日本語に翻訳した。また日本人がベラルーシを訪問したときには通訳として同行しているが、二国間の交流は福島の原発事故発生後、増えた。ベラルーシが経験してきたチェルノブイリという名の敵に対抗する術について日本人は大きな関心を寄せている。

 本紙の依頼により辰巳さんを通じて函館にある資料館館長、高田菜々さんに取材することができた。菜々さんは旧家高田家に生まれた地元の名士であり、その先祖は日露交流史に金字塔を建てている。このような背景があったからこそゴシケーヴィチ領事の使命もうまくいったのだろうと予想される。菜々さんは父である高田嘉七さん亡き後その人文学的、文化的活動を引き継ぎ、父が創立した北方歴史資料館の仕事を託された。

 ミンスク市在住の辰巳さんを通じて菜々さんが語ってくれた。
「私は一度もベラルーシへ行ったことがありません。ベラルーシについて知っていることはわずかです。ただ冬はとても寒い国というイメージです。あとテニスプレイヤーのビクトリヤ・アザレンカさんは強くてきれいな方だと思います。ロンドンオリンピックを見ての感想ですが、ベラルーシの方は背が高くて、美人が多いのではないかと思いました。」

 資料館内に展示されているゴシケーヴィチの胸像について菜々さんは設置されたいきさつを知らなかったが、嘉七さんが除幕式に参列したことは分かっている。胸像の側面には日本の文字で「コモフ ’89」と彫られており、またゴシケーヴィチを紹介する展示もある。彫刻家コモフの作品は資料館を訪れた人に親しまれており、また胸像の小さいレプリカも展示されている。さらにゴシケーヴィチから写真の手ほどきを受けた横山松三郎という写真家の作品も館内で見ることができる。
「父は高田屋嘉兵衛の7代目の子孫です。(嘉兵衛はゴシケーヴィチと知己だったのではないだろうか。編集部註)父はベラルーシやロシアへよく行っておりました。11月27日は命日にあたります。父が滞在中にお世話になりましたベラルーシ人関係者の皆様に感謝しています。ベラルーシと日本の距離は遠いですが、一方で人と人の友好関係に距離や時間は妨げにならないと思っています。ベラルーシの友人の皆様のご健康と益々のご発展を心よりお祈りしております。ありがとうございました。」

(編集部より)
 1994年イオシフ・ゴシケーヴィチ基金により地元協力者の下、ベラルーシ国内に「ベラルーシ日本友好協会」が設立された。その後グロドノ州オストロベツ市に外交官であり学者でもあり、この地に縁のあったゴシケーヴィチの像が建てられた。(銅像製作者はワレリヤン・ヤヌシュケヴィチ)
 函館市は日本で最初のロシア領事が住んでいたことを忘れなかった。その返礼のように1989年5月からソ連人民芸術家オレグ・コモフの手による胸像が函館市内で見ることができるようになった。

(写真)函館市内、北方歴史資料館内で展示されているイオシフ・ゴシケーヴィチの胸像のそばに立つ高田菜々さん。
(記事本文作成 イワン・ジュダノヴィチ)
(日本語訳 辰巳雅子)

 原文記事はネット上で読むことができます。(ベラルーシ語) 

http://www.golas.by/index.php?subaction=showfull&id=1355992427&archive=1356075309&start_from=&ucat=13&

  
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 この記事内に(嘉兵衛はゴシケーヴィチと知己だったのではないだろうか。編集部註)とありますが、高田屋嘉兵衛とゴシケーヴィチは生きていた時代などが違いますので、知り合いだったとは考えられません。
 もっともゴシケーヴィチは高田屋嘉兵衛より後の時代の人間なので、領事として当然知識として高田屋嘉兵衛のことは知っていたはずです。

 来年はゴシケーヴィチ生誕200年に当たり、記念行事の準備が今年から始まっています。ベラルーシ文化研究所の調査により、ようやく生誕地がほぼ確定されたそうで、今は埋葬地の確定作業が進んでいます。
 またゴシケーヴィチ関連についての記事をこのブログでご紹介しますね。


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 追記です。残念ながら2013年3月北方歴史資料館は閉館しました。ゴシケーヴィチの胸像は函館市役所の管理に置かれるそうです。  

トゥヴァの伝統文化 7

2013-01-24 | 日本文化情報センター
 さらにチョドゥラーさんはとてもおいしい伝統料理とお茶を作ってくれました。
 トゥヴァ料理のメインは羊肉だそうです。お正月にも必ず食べます。しかしさすがに羊肉料理を図書館でふるまうのは難しかったので、簡単にできるポヴァ、ボールザクといった小麦粉から作った料理(パンとクレープの中間のような味)を作って持って来てくれました。
 作り方は簡単、とチョドゥラーさんは話していましたが、とても香ばしくておいしいです!
 この画像を撮影しようと思ったんのですが、あっという間に皆さん食べてしまい、撮影できませんでした。

 しかしテレビ局が取材に来て、その日の夕方にニュースになりましたので、動画で見ることができます。
 こちらをクリック。

http://www.tvr.by/rus/newsregionnews.asp?st=news&id=81792


このサイト(ベラルーシ第1チャンネル)を開くと、放映日時「22.01.2013 19:28」が表示されていますが、その下にあるテレビカメラのマークの左横をクリックしてください。そうするとダウンロードされてこのニュース映像を見ることができます。
 サイトの記事はロシア語ですが、ニュース映像のほうはほとんどベラルーシ語です。(私も少し登場しています。でもチョドゥラーさんのほうを見てください。)

 料理のほか、清めのスプーンなどが見られます。またすてきなチョドゥラーさんの子守歌も聞けます。
(周囲がうるさいということで、日本文化情報センター内で撮影したので、何だか摩訶不思議な映像になっていますが。)(笑)

 お茶は緑茶に牛乳、さらに塩・・・というお茶でした。
 ぱっと見たところはミルクティーのようなので、普段の感覚(紅茶に砂糖を入れる)で飲んだベラルーシ人は、びっくりしていました。最後まで飲めず残す人もいました。

 トゥヴァ風のお茶を作っているところを見ましたが、およそ2リットル入るポットの中に緑茶のティーバッグ2袋、それにお湯を3分の2ほど入れ、さらに牛乳を入れたところへ小さじ1杯半の塩を入れていました。
 塩の量が多すぎるような気がしましたが、飲んでみるとやはりかなり塩味が効いていました。

 1杯飲んだら塩味のためまた飲みたくなるお茶でした。
 その国の気候に合わせてこういうお茶の味になるのでしょう。しかし血圧高くなりそう・・・
 トゥヴァ共和国の平均寿命はまだ50歳代で、ロシア連邦を構成する国々の中で一番短いのだそう。(シャーマンにもっとがんばってもらわなくては。)
 
 話を聞いていると、他にも乳製品、特にチーズの種類がとても豊富だそうです。変わったところではヤクやラクダの乳から作るチーズ。(どんな味?)
 とても乳脂肪分が高く、カロリーの高いチーズだそうですが、やはりあまり売られていないそうです。

 日本人が思い浮かべるような生野菜はほとんど食べられておらず、(山地や砂漠が多くて農地には不向きですね。)ビタミンの摂取はどうしてたんだろうと思います。やはりヒツジの血を使った料理などもあるそうで、それでビタミンの補給をしているのかな、と思いました。今ではいろいろな野菜や果物が栽培されたり輸入されたりしています。

 他にもトゥヴァでは昔、40歳になるまで飲酒は禁止だったそうです。しかも伝統酒(馬乳から作る蒸留酒)はアルコール度数20%ぐらい。
 しかし今はそんな伝統はなくなり、ロシア人がやってくるようになってからは40%のウオッカがどんどん飲まれるようになり、若年層のアルコール中毒が現在社会問題になっているそうです。
 塩分摂りすぎ、ビタミン不足、アルコール摂取量の増加・・・が平均寿命に影響しているように感じました。

 それから今回の講演会のために尽力してくださったセルゲイさんが撮影したトゥヴァの画像もご覧ください。

http://www.worldmusiccenter.ru/davnym-davno-kogda-ozero-sut-khol-bylo-chernoi-luzhitsei


 今回の出会いにより、とてもトゥヴァ共和国に行きたくなりました。
 チョドゥラーさんからも「いつでも遊びに来てください。」と言われましたが、冬場はマイナス60度近くまで下がるそうなので、行くなら夏場に行きたいです・・・。
 それとやはり早く鉄道を引いてほしいですね。
 チョドゥラーさんは日本語を勉強しているそうで、ひらがなは覚えたと言っていました。
 日本に行くこともあるかもしれません。
 そしてまたベラルーシに来てほしいです。 
 

トゥヴァの伝統文化 6

2013-01-24 | 日本文化情報センター
 他にもチョドゥラーさんはトゥヴァ語で子守歌を歌ってくれたり、口琴も演奏してくれました。
 口琴の生演奏を初めて聞いて感動しました。ただびよーんという音ではなく、もっと深い音色があるんです。
 そして何回見てもどうやって音程を取っているのか分からない・・・
 簡単そうに見えて、引くのは難しそうな楽器だと思いました。
 
 それから伝統的なお正月の遊びも教えてくれました。ヒツジの骨を使うのです。
ユルタ(遊牧民族が住むテント型の家)は狭いので、外で遊べない冬場、いろいろゲームをして遊ぶのだそうです。
 でもやはり狭いのであまり場所や空間を使わない遊びが多いということでした。

 このヒツジの骨ゲームですが、正方形のサイコロではないですが6面あります。
 それぞれの面が微妙に違っていて、それぞれ特徴があり「ヤギ」「馬」「ヒツジ」「ラクダ」といった動物の名称がついています。
 遊び方はまず自分の動物を決めて、それぞれ「ヤギさん」「馬さん」・・・になります。
 自分の骨をヤギさんだったら、ヤギの面を上にして置きます。これが各自のコマです。
 さらに残りの骨を直線に並べますが、これは升目の代わりです。
 そして全員一列になってスタートを切ります。
 4つの骨をサイコロのようにふります。上を向いた面を見て、ヤギが2個、馬が1個ラクダが1個・・・の場合、ヤギさんは自分のコマを2歩(2マス)進め、馬さんは1歩進め、ヒツジさんはそのまま、ラクダさんは1歩進みます。
 順番に4つの骨を振って、進んで行き、最後の升目に先に着いたほうが勝ちです。



  
 
 

トゥヴァの伝統文化 5

2013-01-24 | 日本文化情報センター
 この画像は民族衣装について話しているところです。
 吊るしてあるのはチョドゥラーさんのおばあさんの服だそうです。
 ふだんは日本と同じで洋服を着ている場合が多いのですが、昔はこのような民族衣装を着ていたそうです。
 これはシルクなので祝祭日に着る晴れ着です。
 帯が長いですが、締め方は日本の帯に比べると簡単です。
 シルクは中国からの輸入品なので、とても貴重で大事なものだそうです。
 それから顔の横に飾りをつけていますが、銀製のものが一番高価なもので、さらにたくさん、しかも長いタイプのものをつけている人もいるそうです。
 何でも悪霊は肩に乗るので、それを防ぐために長い飾りをお守りとしてぶら下げるようになったとか。
 他にも厄除けに鈴をつけることもあるそうで、日本と共通する部分もありますね。
 帯も悪霊から守ってくれるとか、伝統衣装の文様に幸福の意味があったりなど、やはり全てのものに意味がありました。

 トゥヴァでは現在、金や石炭が採掘されているそうです。
 さらには水銀、コバルト、アスベストも採れ、以前はウラン鉱山もあったとか・・・
 (このあたりちょっと体に悪そうな・・・)
 山が多いので鉱山資源が重要な産業の一つですね。
 地震も起こるそうです。(でも絶対津波は起こらないですね。) 
 
  

トゥヴァの伝統文化 4

2013-01-23 | 日本文化情報センター
 これもお正月にする儀式だそうです。絹の布を3つにたたんで長くしたものを、年長者が年少者に渡す儀式です。色はいろんなものがあって、黄色でないといけないというわけではありません。
 ちなみに一番神聖な色は白だそうで、お正月を意味する言葉シャガーも「白い月」という意味なのだそうです。
 
 この布の渡し方も決まりがあって、右側のモデル役になった子どもに説明しながら渡していました。言葉で説明するのは難しいのですが、儀式なので少し複雑な渡し方です。

 もらった布は家に持って帰り、どこでもいいのでとにかく高い場所にかけないといけません。
 私も青いのをもらったのですが、今自宅の鏡の枠の上部にかけてあります。
 絵の上でもいいのですが、布の両端が見えるようにかけないといけない、とチョドゥラーさんは話していました。

 画像では無地に見えますが、卍模様やきれいなお花の模様などが入っています。
 わざわざトィヴァから持って来てくれて、ありがとうと思いました。

 話は変わりますが、チョドゥラーさんの長い三つ編みは本人の髪の毛ではありません。
 馬の毛(しっぽ)で作った三つ編みなのです。
 昔はみんな自分の毛で長い三つ編みを下げていたのですが、ソ連時代みんな切られて捨てられたそうです。
 最近はこういう馬のしっぽの三つ編みで代用しています。
 (日本人花嫁が神前結婚式のときに自分の髪の毛で日本髪を結わずに、かつらをかぶるような感じですね。)

 でも良く見るとこの三つ編み、途中で切れていて、間にきらきらした石の飾りがついています。そしてまたその下に三つ編みの続きがあります・・・。
 すごく不思議な三つ編みでした。

 

トゥヴァの伝統文化 3

2013-01-23 | 日本文化情報センター
 講演会当日は図書館関係者や近くの学校の生徒さんなど多くの人が集まりました。
 まず初めて見るチョドゥラーさんの民族衣装にびっくり。
 帽子の先が高くとがっているのは「少しでも神のいる天に近づくため」なんだそうです。
 そしてその先端には必ず結び目がついていますが、これも幸福のシンボルだと話していました。
 日本にも水引などこういう縁起のいい結び目がありますよね。

 講演会ではまずトゥヴァ語での挨拶。そしてトゥヴァがどこにあるのかの地図。(これがないとどこにあるのかすら分からない人が多いので、絶対必要。)
 そしてとても分かりやすいトゥヴァの歴史が30分で分かるビデオを上映しました。
 
 ソ連時代はロシア同化政策が推し進められ、トゥヴァ語の文字表記はラテン文字(日本語をローマ字で書くような感じです。)を使っていたのが、いきなりキリル文字(ロシア語)で表記するように変えられたとか(今でもそれが続いています。)伝統文化の廃止、シャーマニズムの禁止・・・などなど受難の時代だったようです。
 特にシャーマンの存在は共産主義の妨げになると考えられたそうで、シャーマンが次々と殺害されたそうです。
 その子どもはシャーマニズムを継承しないように年齢が上の子どもは強制労働をさせられたり、幼い子どもは衣服を取られて、厳寒の真冬に放置・・・
 トゥヴァでは夏は気温30度近くまで上がるのですが、冬はマイナス50度にもなるのだそうです。(場所によってはマイナス60度。)
 
 こうしてソ連政府はシャーマニズムを根絶しようとしたのですが、やはり隠れて伝統を継承していった人たちもいました。
 チョドゥラーさんが幼かったころ、お母さんが病気になったので、お父さんがシャーマンを呼んで治そうと思いましたが、ばれると大変なことになるので、真夜中こっそりシャーマンを招き、家の中で着替えをしてもらい、光がもれないように入り口に布を下げて、近所の人にもばれないように気を使いながら、祈祷してもらったそうです。その結果お母さんは元気になりました。
 ソ連が崩壊してからは逆に国を挙げて伝統文化の復興を目指すようになり、現在チョドゥラーさんのような若い文化継承者育成にも努力しているさなかだそうです。

 今は普通にシャーマンの方は仕事をしており、もう殺されることはありません。
 トゥヴァ人が人口を占める割合は約70%で、18%がロシア人、残りはそのほかの民族なのだそうですが、学校ではトゥヴァ人の子どももロシア人の子どもも仲良く勉強しているそうです。よかったよかった。

 さて、歴史のビデオはとてもおもしろく、モンゴル相撲に良く似たスポーツがあったり、古墳がたくさんあってその中から金の精巧な装飾品がたくさん見つかったり、乗馬の競走をしたりととても興味深かったです。
 シャーマンは日本の巫女やイタコのような口寄せはせず、どちらかと言うと加持祈祷で病気を治す、お医者さんのような役割が大きいと感じました。
 また文化はモンゴル、中国、チベット、ロシアの影響を受けており、独特な世界だと感じました。 

 
 ビデオを見た後、チョドゥラーさんがさまざまな話をしてくれました。
 この画像は清めのスプーンとお茶で部屋を清める儀式です。
 スプーンというより木製のさじですね。9個の点のような模様がついていて、これを「目」と呼んでいます。
 お茶は緑茶と牛乳と塩の入ったもの。(現地では山羊乳を使うことのほうが多いのですが、ベラルーシでは手に入りにくいので牛乳で代用。)

 スプーンでお茶をすくい、まず東の方向から時計回りに南、西、北と4方向にお茶のしずくをパラパラとかけます。方向によって唱える言葉があります。(魔法使いみたい!)
 こうすることにより、家の中が清められます。そして無事新年を迎えられるわけですね。


トゥヴァの伝統文化 2

2013-01-23 | 日本文化情報センター
 チョドゥラーさんはおばあさんからトゥヴァの伝統文化を子どものときから自然に教えてもらったそうです。
 地元の音楽学校に学び、音楽学校の教師を経て現在はトゥヴァ共和国文化省に勤めています。
 この年末年始に一ヶ月の休暇を取ったチョドゥラーさんはセルゲイさんの勧めにより、ベラルーシへやってきました。
 
 ちなみにベラルーシからトゥヴァへ行くより、日本からトゥヴァへ行くほうが簡単です。
 昔セルゲイさんに話を聞くと「トゥヴァへの行き方」はまずミンスクからモスクワへ行き(列車だと一晩。飛行機だと2時間かからない。)それから3日間寝台列車に揺られ、それからバスで6時間、さらに馬に乗って山を越えるとトゥヴァにたどり着けるそうです・・・。
 トゥヴァへはまだ鉄道が引かれておらず、やっと2014年に鉄道の工事が始まる予定ですが、いつ完成するのか分かりません。

 このような遠い道のりをわざわざベラルーシへやってきたチョドゥラーさん。
 そして休暇中だから文化省の仕事でもないし、お金をもうけるわけでもないのにトゥヴァ文化をベラルーシの人に紹介するために自腹で講演会を行うことにしたのです。
 偉いですねえ。

 まずミンスクにある楽譜音楽図書館で講演会を行い、私も招待されて行ってきました。
 伝統文化、と言っても範囲が広いのでテーマはお正月についてでした。
 トゥヴァ語でお正月のことを「シャガー」と言うのだそうです。日本語の正月に似ているような・・・
 顔立ちも日本人と似ていますよね。

 この画像ですが、正月の行事の一つで枝を燃やした煙でお清めをする、という儀式なのです。
 前のほうに座って見ていたら、いきなり呼び出され、清めていただきました。体の周りや足を上げてその下も煙がまんべんなく体に当たるようにします。
 終わった後は世界で一番清い人間になったような気がしましたよ。

 そのほかとてもおもしろい貴重な話を聞くことができました。
 この講演会に感動した私は「チョドゥラーさんがまだベラルーシにいる間にぜひうちの図書館でも講演会をしてください。」と頼み、その場で即決定。

 こうして1月22日に日本文化情報センターがあるミンスク第5図書館内でトゥヴァの文化紹介が行われることになったのです。
 

トゥヴァの伝統文化 1

2013-01-23 | 日本文化情報センター
 日本文化でもベラルーシ文化のことでもないテーマなのですが、このブログでご紹介します。
 皆さんはトゥヴァ共和国をご存知ですか? 私は全く知識がなかったのですが、ご縁があって日本文化情報センターのある図書館内でトゥヴァ人のお客様を招いて、その伝統文化の一端をベラルーシで紹介しました。
 
 「トゥバ」「ツバ」「トゥワ」という日本語表記もあるのですが、このブログではトゥヴァで統一します。
 トゥヴァ共和国について詳しくはこちらのウィキぺディアの記事をご覧ください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%B4%E3%82%A1%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD


 これによると
黒澤明監督映画「デルス・ウザーラ」(1975年)の主役デルス・ウザーラを演じた俳優・歌手マクシム・ムンズク(Максим Мунзук、EN:Maxim Munzuk)は、トゥバ人である・・・

 とあるのを読んで、日本とも昔からつながりのある国だったんだと思いました。
 (この俳優さんの名前も「マキシム・ムンズク」という表記の場合があります。)

 でもトゥヴァ共和国で、一番人気が高いトゥヴァ人はセルゲイ・ショイグ(ロシアの政治家。現在のロシア連邦国防相。ただしトゥヴァ人の父とロシア人の母との混血)だそうです。詳しくはこちら。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A4%E3%82%B0


 私に直接トゥヴァのことを教えてくれたのはトゥヴァの音楽学校で喉歌を習っていたベラルーシ人のセルゲイさんでした。
 喉歌はモンゴルのホーミーが日本人には有名ですが、他の国でも歌われており、トゥヴァの喉歌はフーメイあるいはホーメイと言うのだそうです。
 詳しくはこちらのサイト「のどうたの会」をどうぞ。

http://tarbagan.net/nodo/throat-homeJ.html


 ここにフーメイの歌い方が詳しく解説されているので、がんばってやってみたけど、全然声も音も出ませんでした。(^^;)

 というわけで、私の頭の中のトゥヴァという国のイメージは、まずフーメイで、それからセルゲイさんが話してくれた不思議なシャーマンの話。
 今でもプロのシャーマンがおり、加持祈祷で病気を治してくれるのだそうです。

 後でもらったトゥヴァ共和国の公式パンフレットによると「わが国の宗教はシャーマニズムと(チベット)仏教である。」(ただしロシア系住民もいるので、ロシア正教も信仰されています。)と堂々と記載されていました。

 シャーマニズムって宗教の一つなんですね。確かにそうなんだけど、それが国の宗教として認められている、というのがすごい、と思いました。

 前置きが長くなってしまいましたが、そのトゥヴァ共和国の文化省に勤めており、トゥヴァ伝統文化の継承者であるチョドゥラーさんがベラルーシへわざわざ来て下さったのです。

 画像は民族衣装を着たチョドゥラーさんです。
 

ストロンチウム90の基準値

2013-01-22 | 放射能関連情報
 ベラルーシの市場で食品の測定をしたことは紹介しましたが、測定室の壁にはいろんな注意事項が書いてある紙が貼り出されていました。
 順番待ちの合間にそれらを眺めていると、基準値についても掲示されていました。
 皆さんすでにご存知のセシウム137の基準値のほか、ストロンチウム90のベラルーシの基準値も掲示されていました。
 もっともこの測定室ではストロンチウム90の測定は行われていません。

 でもせっかくなので、ベラルーシのストロンチウムの基準値についてご紹介します。

 単位は1キロ、あるいは1リットルあたりのベクレル数です。

 飲料水 0.37
 牛乳・純正乳製品 3.7
 パン・パン製品 3.7
 じゃがいも 3.7
 子どもが対象であることを表示している食品 1.85

 ・・・だそうです。
 「これだけ?」と私は思ってしまいましたが(^^;)他の食品についてはどうなっているのか、気になるので調べてみようと思っています。




 
 
 

シイタケの測定 市場編 5

2013-01-22 | 放射能関連情報
 これが測定結果の裏です。やっぱり私の自宅住所が書いてあるので、画像を一部加工しています。
(そんなに住所って大事なのだろうか・・・。それよりこのシイタケがとれた場所のほうが大事なような気がするのですが。)

 表の中ほどに2500という数字が見えますが、これは乾燥キノコの基準値が1キロ当たり2500ベクレルであることを示しています。
 その横に1キロ当たり20ベクレル以下、とロシア語で書いてあるのですが、これが結果です。
 これはつまりこの測定室の測定器の検出限界は1キロ当たり20ベクレルで、このシイタケはそれより少ない値だった。(不検出のこと)と言う意味です。

 ベルラド研究所での測定で、7ベクレル以下であることは分かっていたので、この結果を見てもびっくりはしませんが、検出限界20ベクレルというのは、いまいち精密ではないな、という印象です。

 測定員さんが容器に入れたシイタケを見せてくれましたが、とても浅い容器でシイタケが5枚ぐらいしか入れられない容量でした。
 そして測定員さんは
「この測定に使ったしいたけは返却できません。こちらで処分しますがいいですね。」
と念を押し(その前に読まされた同意書にその旨書いてある。)測定に使わなかったしいたけだけ袋に戻して返してくれました。

 放射能が検出されなかったのに、衛生上の目的で処分されてしまうんですね。
 でも5枚ていどのシイタケとさよならするぐらいなら許せますね。測定結果のほうが知りたいし・・・

 このように貴重な体験ができました。
 もしベルラド研究所での測定結果を全くちがう数値が出ていたら、びっくりしてしまいますが、今回のシイタケでの比較測定は想定内でした。

 私が行ったのは平日だったのにひっきりなしに測定に来ているベラルーシ人がいて(ほとんどがキノコの測定)意外と測定をこまめにしているんだなあ、と感心しました。
 が、実はこの市場では検査していないキノコは販売していけない、という決まりになっているため、商売でキノコを売りたい人は絶対に測定しないといけないのでした。

 どちらにせよ、私のように商売目的でなくても手続きを踏めば、安価で測定してくれるのでとても気軽ですよね。

 日本人の皆様ももしベラルーシに来ることがありましたら、食品の測定体験もぜひお試しください。
 カマロフカ市場でなくても測定を行っている市場がベラルーシ国内にはありますので、機会があればぜひ。

シイタケの測定 市場編 4

2013-01-21 | 放射能関連情報
 シイタケをたくした後、料金支払い窓口に並び、約210円支払って、レシートをもらいました。(料金先払い。)
 念のためレシートは測定結果をもらうまでなくさないようにしてください。

「測定には10分ほどかかるので、そのへんで時間をつぶしてください。」
と言われ市場で買い物などしました。
 
 再び測定室に戻って待っていると「キノコの測定を頼んだ人ー。結果出ましたよー。」と呼ばれたので、支払い窓口のところへ行くと、担当測定員さんが書類を持っていました。
 画像はその結果の表のほうです。
 私の自宅住所など、個人情報に関する記載もあるので、そこの部分は画像を加工してあります。

 この表のほうにはスタンプ(公印)は押してあるけど、検査結果は載っていません。
 なぜか測定したときの測定室内の気温と湿度が記載されており、空間線量は毎時0.17マイクロシーベルト(0.05マイクロシーベルトの誤差がある可能性あり。)と記されています。

 

シイタケの測定 市場編 3

2013-01-21 | 放射能関連情報
 こちらが左の測定室の内部です。
 このように壁に窓口がいくつかあいています。
 「野菜(キノコ類、果物を含む)」「加工肉」「卵」・・・というように食材によって受付窓口が異なるので注意してください。
 さらに料金を払う窓口は食材の違いに関係なく、一つですので注意してください。この画像で言うと真ん中に写っているのが料金支払い専用の窓口です。

 展示してあるのは食べられるキノコと毒キノコの見分け方です。(放射能は関係ありません。)

 さて、シイタケは野菜窓口で受付なので、その窓口に並びました。けっこうひっきりなしに測定に来る人がいて、混んでいる場合もあります。
 「シイタケの測定をしたいのですが・・・。」
と受付の人に頼むと
「生か乾燥のきのこしか測定できません。」「セシウム137しか測定できません。」と言われました。
 瓶詰めや酢漬けになっているキノコは測定できないそうです。

 さらに身分証明書(パスポートの提示)を求められます。
 そして測定に関する同意書を読まされ(ロシア語)依頼する旨、署名します。パスポートの番号や自宅住所なども記載しなくてはいけません。(全てロシア語。)
 
「検査結果は口頭で伝えますか、それとも書類にしますか?」
ときかれるので、印刷するほうを頼みました。

 1回の測定は日本円にして100円。口頭で結果を伝える場合は測定費用だけでいいのですが、書類を頼むと110円追加料金を払うことになります。(測定より、紙代と手数料のほうが高い。) 

 そして窓口越しにシイタケを渡しました。測定機械は窓口の奥のほうにあるので、測定のようすなどは全く見ることができません。
 働いている人はみんな白衣を着ていて、お医者さんのようです。
 しかし
「これ、どこのキノコ? 日本? 種類は? シイタケ? 知らない・・・。」
と言いながら、シイタケを鼻先に持って行って臭いをかいだり
「なかなか香りがいい。おいしそうなキノコ。」
といろいろ感想を言っていました。
 
 どうしてシイタケのことを知らないのだろう・・・
 ちなみにシイタケはもともとベラルーシにははえていないキノコです。
 森の中で生えていないので、今までベラルーシ人食べたこともなければ名前も知りませんでした。
 ところが、今から約10年前、私はベラルーシの新聞でこのような記事を読みました。
「日本の体によいキノコ、シイタケをベラルーシ科学アカデミーが実用化を目指して研究に乗り出す。」
 それから数年後、ベラルーシでその名も日本語名そのままの「シイタケ」(複数形はシイタキ)が栽培されるようになり、今では生や干ししいたけの状態で、売られるようになりました。

 なのに、ミンスク最大の市場にある測定室で働いている人たちがどうしてシイタケを知らないのでしょうか・・・。
 こうして私のシイタケはつつかれたり、嗅がれたりした挙句、測定室の奥へと持って行かれたのでした。

シイタケの測定 市場編 2

2013-01-21 | 放射能関連情報
 この画像は右にある測定室の入り口付近のようすです。
 いろんなお肉の絵が表示されていますので、すぐ分かると思います。
 お肉の測定はこの測定室で受け付けていますが、私が持って行ったのはシイタケなので、右の測定室へ行ってきました。

シイタケの測定 市場編 1

2013-01-21 | 放射能関連情報
 次は市場で測定することにしました。
 行ったのはミンスク市内最大の市場カマロフスキー。(愛称カマロフカ)
 この市場の公式サイトはこちら。(ロシア語版しかありません。) 

http://www.komarovka.by/


 市場の中に測定室があります。この市場は国営で、(ただし中で商売している人は自営である場合が多いです。)測定室も国営です。
 公式サイトの中に市場の見取り図がありますが、分かりにくいですね。

http://komarovka.by/index.php/komarovskij-rynok/shema-komarovskogo-rynka.html


 ぱっと見て、ほぼ真ん中の上のほうに二つ緑色した場所がありますが、これが測定室です。(二つ測定室があります。)
 でもこの見取り図を見ても分からない人がほとんどなので、言葉で説明すると・・・
 まずカマロフカ市場には屋外と屋内の市場があります。
 屋内の市場用の建物の中央入り口(座ったおばあさんの銅像があります。)から入りそのまままっすぐ進みます。
 そして屋内市場をまっすぐ突っ切って、渡り廊下のようなところもまっすぐ進みます。途中に測定室の入り口(ドア)があります。
 画像は左側にある測定室のドアです。
 右の測定室はお肉を専用に測定しています。それ以外の食材、そして肉製品でも加工肉の場合は左の測定室で受け付けています。

 測定室に気がつかず、そのまま直進してしまうと、建物の外に出てしまいますので気をつけてください。

 それからベラルーシでは普通、市場は毎週月曜日は休みですので、注意してください。

シイタケの測定 ベルラド編 4

2013-01-21 | 放射能関連情報
 スイッチがいろいろ並んでいますが、研修を受けないと見ただけでは使い方が分からないですね。
 でも慣れてしまえばとても操作しやすい測定器だと思いました。
 重量ではなく、容器にいっぱい入っているのか(100%)半分入っているのか(50%)四分の1か(25%)で計算するようになっています。

 測定するのはセシウム137だけです。

 そして結果はその場で数字として表示されますが、ご覧のように0ベクレル!
 これは0か検出限界以下の数値であることを表していますが、ベルラド研究所の検出限界は1キロ当たり7ベクレルです。
 頼めば、結果をプリントアウトしてくれます。
 
 1回の測定費用は日本円にして約200円です。気になる場合は念のためもう一度測定してもかまいません。たまに別の数値が出ることがあります。食品から出てくる放射線がまちまちに出ているためです。再測定すると、また1回分の料金を払わないといけません。
 測定時間は約15分。
 とても簡単な測定で、気軽にできると思いました。

 測定に使ったしいたけは割ったものも全て、袋に戻して全て返してくれました。(食材によっては返却が難しいものもあるかと思います。)