ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

ウクライナ情勢 停戦合意

2015-02-12 | ベラルーシ生活
 ミンスクで昨日の夜(現地時間)から徹夜で行われていたウクライナ情勢をめぐる首脳会談(ウクライナ・ロシア・ドイツ・フランス)が先ほどようやく停戦合意で決着しました。
 各国の関係者も徐々に帰国の途に着き始め、ミンスク市内では要人通行のための道路の一時閉鎖が行われており、バスなどの交通機関に乱れが生じています。
 とにかく、このミンスクでの停戦合意がちゃんと実行されることを祈るばかりです。


チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第173回」

2015-02-09 |   ビタペクト配布活動
 2月9日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第173回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト3を8個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを2部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2302個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2084部となりました。
 今回で通算188目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2302人の子どもにビタペクトを、2084家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42

(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 今回は2家族がミンスク(チェルノブイリ原発から約350キロ)から、SOS子ども村に保養滞在していました。

(家族A)

 ミンスク(チェルノブイリ原発から約350キロ)から来た家族。
 お母さんが8人の実子を連れてきていました。この家族に4個のビタペクト3を渡しました。

 この家族は2011年にも保養滞在したことがあります。そのときの様子はこちらをご覧ください。
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第125回」(家族B)

 2011年と今回の体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を渡しました。
 
母親(事故発生時9歳)18ベクレル → 14ベクレル
長女(15歳)18ベクレル ○ → 16ベクレル
長男(12歳)29ベクレル ○ → 26ベクレル ○
次女(10歳)34ベクレル ○ → 26ベクレル ○
次男 (9歳)38ベクレル ○ → 21ベクレル ○
三男 (8歳)24ベクレル ○ → 24ベクレル ○
三女 (7歳)38ベクレル ○ → 18ベクレル
四女 (5歳)28ベクレル   → 15ベクレル 

 この一家はさらに四男が生まれて、子どもの数が8人になっていました。
 四男は生後9ヶ月なので測定は行っていません。
 子どもたちの健康状態についてですが、4年前と特に変化はないそうです。
 風邪をひいたりなどの病気はなく、ある意味健康だとお母さんは話していました。
 しかしチェルノブイリ原発から遠く離れた首都ミンスクで暮らしている子どもたちの被爆量が減ったものの、常時被爆している状態であるというのが気になるところです。


(家族B)

 お母さんが6人の子どもを連れてきていましたが、末っ子は生後2ヶ月なので、測定はしていません。(というより不可能。)この家族にも4個のビタペクト3を渡しました。

母親(事故発生時11歳) 9ベクレル
長男(15歳) 18ベクレル
長女(12歳) 34ベクレル ○
次男 (9歳) 32ベクレル ○
三男 (6歳) 28ベクレル ○
次女 (4歳) 26ベクレル ○

 お母さんに子どもたちの健康状態についてお話をうかがいました。
 長男は背骨の一部が縮んで歪みがでているため、サナトリウムにときどき行ってマッサージを受けています。
 次男は慢性的に足の痛みを訴えるので、医者からマグネシウムのサプリを飲むように言われ、定期的に飲んでいるそうです。
 三男は生まれつき心臓の壁に穴が開いていましたが、経過を見ていたところ、現在は自然にふさがったそうです。 
 次女は慢性気管支炎でしたが、最近は発症していないそうです。体が弱く月に1回は扁桃腺を腫らすなどの病気になっています。また牛乳や卵のアレルギーも持っています。

 お母さんは子どもたちの被爆量について、同じ兄弟なのに、どうしてこんなに差があるんですか?ときいていましたが、私から言わせれば、大きな違いはないと思います。

 子どもたちはみんなミンスクの生まれですが、お母さんはビテプスク州の出身です。
 実家のおばあちゃんの家の近くにある森で採ったベリー類を、毎年たくさん食べているそうです。
 お母さんが言うには、この森は安全な森で、ベリーやきのこを採ってもいいという場所にあるそうです。ただ採ったベリーを測定したことは一度もないと話していました。
 さらに「以前危険だった地域を今は安全として、そこで摂れた野菜を首都のミンスクで販売している。それを食べるより、汚染地域に指定されたことがないビテプスクの森で自分たちで摂って来たベリーを食べるほうが安全です。」とも話していました。
 ミンスク市内の市場には測定所があるので、念のため一度測定することを勧めました。

 正直言って、ミンスクの店で食料品を買って食べている家族Aと、夏場ビテプスク州の森で採れたベリーを食べている家族Bの被爆量にそんな大きな差はないなあというのが私の感想です。

 画像は記念撮影したものです。家族Aのお母さんは片目が失明しているせいか、写真を撮られるのがいやだそうなので、ここには写っていません。
今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、着物から作った巾着袋をプレゼントしました。

 子どもたちは折り紙が大好きなようすで、すぐに紙を取り出して、鶴を作っていました。しかも初めてだという割には上手にできていてびっくりしました。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書、巾着袋など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。



イスラム国による日本人人質事件をきっかけに考えてみました

2015-02-08 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
 イスラム国による日本人人質事件について連日報道されていましたが、ジャーナリスト後藤健二さんが殺害されたときにイスラム国は今後も日本人をテロの標的にすると宣言しました。
 日本政府は在外邦人の保護や国内でのテロの未然防止に全力を挙げる方針を発表しました。

 日本国内に住む日本人だけではなく、海外に住む日本人も標的にするということで、各地の日本人学校や日系企業が安全についての対応を求められるようになりました。
 ベラルーシには日本人学校がないので、日本人の子どもがまとめてテロリストに狙われるということはないと思います。
 日本外務省から邦人安全を促すよう日本大使館に通知されたそうです。今のところ在ベラルーシ日本大使館から、ベラルーシに住んでいる日本人への注意喚起の連絡は来ていません。
 ベラルーシはイスラム教の信者も少ないし、テロの危険性は少ないと思われているようです。
 しかしイスラム国がベラルーシでテロを起こさないという100%の保証はありません。

 今回の日本人人質事件が起きたとき、やっぱり自己責任の話が出てきていました。
 政府が自国民の安全のために「渡航を自粛」などの注意を促していた地域へすすんで行った人が悪い、という考えです。
 一方日本の憲法では行動の自由を認めているので、強制的に渡航するのを止めることができません。
 自己責任で危険なところへ行った日本人は助けなくていい、という日本人がいることを知った私は「そうか、私がベラルーシで何か危険にさらされても、そんなところに住むことに決めたあんたが悪いと言われて、助けなくてもいいと思われるのか・・・」と覚悟しました。
 日本政府は欧米諸国と比べて自国民を助けようという姿勢が乏しいといった意見も今回の事件を受けて出てきているのですが、私自身はこの意見に賛成も反対もできません。

 今から7年前に在ベラルーシ日本大使館が「安全の手引き」というパンフレットを作成し、ベラルーシに住んでいる日本人に無料配布しました。内容は海外に住む日本人向けだけではなく、具体的にベラルーシに住む日本人向けのアドバイスです。
 細かいアドバイスがあるのですが、いよいよ事態が悪化し、ベラルーシから退避するよう勧告が出た場合はどうしたらいいのかも記述があります。

1.飛行機に乗りベラルーシ国外へ脱出する。
2.空路の脱出が無理だった場合、陸路でリトアニアかポーランドへ脱出する。
3.緊急事態が発生し、大使館に集合するするよう言われることがあるので、そのときは大使館の指示にしたがうこと。
 そのときの携行する荷物は最小限にとどめること。
 ただし食料は各自が持参すること。
 大使館(というより日本政府が)避難先への交通手段(チャーター機など)を用意することもある。ただし交通費は各自が負担。後払いOk.

 ・・・ということなのですが、1と2の場合、自宅から空港へ行く途中の安全などは当然保障されていないわけです。陸路の交通手段というと、列車、バス、自家用車というパターンが多いですが、そこでの安全の保障もないわけですから、とにかく自分で自分の身を守りましょう、努力してください、ということです。
 3ですが、日本政府が用意するチャーター機なので、日本国籍を持っている日本人は乗れますが、そうじゃない人は乗れません。当然と言えば当然なのですが、私のように国際結婚している人はこれが困るんです。
 私と子どもは日本国籍を持っているので、このチャーター機に載って日本まで帰れますが、ベラルーシ国籍の夫は乗れないんです。
 つまり夫と今生の別れをするか、日本へ脱出するのはあきらめて、家族3人ベラルーシに住み続けるか決めないといけません。

 家族3人いっしょにどこかへ避難する方法もありますが、陸路の場合リトアニアとポーランド、ラトビアへ行くときに日本人はビザがいりませんが、ベラルーシ人はいります。
 ロシアへ行くのにベラルーシ人はビザはいりませんが、日本人はいります。つまり緊急に逃げないといけなくなったとき、家族そろって、国境を越えることができるのが、ウクライナだけなんです。
 ベラルーシがこんな緊急事態に陥っているときにウクライナがどうなっているのかも分からないのですが、いよいよとなったら、ウクライナへ避難することになると思います。

 こんな事態には陥りたくはないのですが、とにかくそもそも大使館や日本政府や頼りにしようとか、安全を確保してくれとかお願いする気持ちもあまりないです。
 と言うか、あまり頼り切ってしまうのはよくないと思っています。できる限りのことは自分でやらないといけないよね、と自分に言い聞かせています。

 大使館が上記のパンフレットを作成したとき、日本人の館員に1部いただいのですが、しばらくして、同じ大使館で働いているベラルーシ人スタッフが、同じパンフレットを日本人に配っていました。私はもういただいたのでけっこうです、と断ると、でもタダなんだしという感じでどうぞどうぞと言うので、
「あ、じゃあ1部は日本文化情報センターに置いておきましょうか。ときどき日本人旅行者がセンターに来ることもあるので。」
と言ったら、そのベラルーシ人スタッフはもう1人のベラルーシ人スタッフと顔を見合わせて、鼻で笑いました。
「Tさん、何言ってるんだろう。意味ないよねー。」と言う感じで2人はへらへら笑っていました。
 はっきり言って不愉快でしたが、そのときもう1部もらってきて、実際に弊センターで閲覧できるようにしています。(最初にもらった1部は自宅に置いてあります。)

 大使館員が一生懸命作ったパンフレットなのに、いっしょに働いているベラルーシ人スタッフがこんな低レベルの意識なので、大使館に全面的に自分の安全を守ってくださいと頼むつもりもありません。
 自己責任ではなく、自己防衛ですよ。

 ちなみに日本外務省が作成した海外安全マニュアルも大使館でもらえます。これを読むとテロ以前に偽警察に偽日本語ガイド、いかさま賭博にホテルでも盗難、ぼったくりバーに睡眠薬強盗、悪徳タクシーに麻薬の運び屋させられたとまあ、どこの外国へも行きたくなくなるような注意事項が並んでいます。
 外国へ行ったら周りの外国人がみんな犯罪者に見えてしまうんじゃないかと思えてくるぐらいです。でもそんなことを気にしていたら、外国暮らしなんてできないですよねえ。

 それとこのマニュアルに欠落している注意事項は「日本人だからと言って信用してはいけない。」とう点です。
 外国へ行って、外国人を警戒ばかりすると、つい日本人同士かたまってしまうようになるかもしれませんが、それがまた100%安全とは限らないと思います。
 日本人でも犯罪を起こす人はいっぱいいるわけですから。

 結局できるかぎり自分で自分の身を守る、そのためには知識を集めて事前に準備しておくことが大事だと思います。
 イスラム国が日本人を標的にすると宣言した中で、ベラルーシは宗教テロが起こる可能性は非常に少ない国ですが、日本文化情報センターとしては、日本大使館からは注意喚起の通知は来ていませんが、独自に安全確認をしておいたほうがいいだろうなと思いました。

 宗教テロはないのですが、過去にはベラルーシでこのような爆破事件が起きたこともあります。

 そのときには日本大使館から日本人全員に安全確認の電話がかかってきます。
 海外に住む日本人は、その国に三ヶ月以上滞在するときは現地の大使館に在留届を提出しないといけない義務があります。
 地域によっては三ヶ月以下でも提出したほうがいいとされているところもあります。
 この在留届を出していると、不特定多数の市民が巻き込まれる事件や事故、自然災害が発生したときに大使館から安否確認の電話がかかってきます。
 2008年に爆破事件が起きたときにも電話がかかってきてました。
 ちょうどそのときに知人の日本人がベラルーシへ旅行に来ていたのも知っていたので、まず自分の安全を大使館員に伝えた後に
「あのう、私の知り合いが今ベラルーシにいるんですけど、電話番号を知っているのでその人の安否を確認しましょうか?」
と話したところ、大使館員からは「(あ、その人の安否確認は)いいです。」と返事でした。
 この人が冷たい人間とかいうわけではなく、つまり在留届を出している人の安否さえ確認できたらそれでいい、という業務をこなしているだけなのです。
 要するにこういう決まりになっているのです。

 ここで問題なのは、在留届を提出しないといけないのは、滞在が3ヶ月以上になる人という点です。
 1ヶ月の短期留学をする人もいるでしょうし、旅行でベラルーシ訪れ3ヶ月以上滞在する人はほとんどいないと思います。
 ベラルーシへやって来る日本人の多くが在留届を出す義務はなく、したがって何か起きても、大使館は安否を確認してくれない(方法がない)、言い換えれば、自ら大使館に駆け込まない限り日本大使館は日本人を助けてくれないのです。
 この3ヶ月というのは長すぎると思いませんか。
 今回の日本人人質事件を受けて、この3ヶ月を短くしようと検討する動きが政府内で出てきました。
 そのほうが対象となる日本人が増えますので、非常事態が起きたときの邦人安全確保のためには一助になると思います。
 ただ、在留届を出していたらそれでいいというものではなく、やはり各人が自分でできることはできるだけするほうがいいと思います。

SOS子ども村について

2015-02-04 |   ビタペクト配布活動
 2003年からチロ基金が支援活動を続けているSOS子ども村について、こちらのページにて紹介しているのですが、孤児院なのか保養施設なのか分かりにくいというご指摘をいただきました。

 つまりチロ基金は孤児院に支援しているのか保養施設に支援しているのか、どっちなんですか?というご質問です。

 私自身も確かにそうだなあと思いましたので、もっと簡潔に分かりやすくここでご紹介したいと思います。

 SOS子ども村はそもそもベラルーシ国立の保養施設ではありません。

 外国(オーストリア)の基金が世界中に建てた孤児施設の1つです。
 ウイキペディアでは「SOS子供の村」として詳細を日本語で読むことができますので、こちらをご覧ください。
 
 ベラルーシにもSOS子ども村が1995年につくられ、2015年現在3箇所に増えています。
 SOS子ども村ベラルーシのサイトもリンクしておきます。(ただしロシア語版のみ。)
 最初に完成したSOS子ども村はミンスクに近いボロブリャヌィという町にありますが、創設されたときに、特別に保養施設も併設されました。

 理由はSOS子ども村の創立者ヘルマン・グマイナーが1986年4月26日の朝に亡くなったからです。そうチェルノブイリ原発事故発生と同じ日です。

 ご本人は事故の発生のことは知らないまま亡くなりましたが、後継者の間にはベラルーシにSOS子ども村を作り、放射能汚染地域に生まれ住む子どもたちを保養施設に招く活動をすることに特別の感慨があったようです。
 
 こうして1ヵ所だけ、住居施設としては3軒だけですが、ベラルーシのSOS子ども村内に保養施設が運営されることとなりました。

 3軒の内訳ですが、1軒は短期保養施設。19日の周期で2家族、あるいは3家族が保養のため、この住居型の施設に滞在します。
 この保養プログラムの1つにビタペクトを飲むというのがあり、それに必要な費用を日本のチロ基金が提供して、一助となればと支援しています。
 これが2003年から続いているチロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村」のことなのです。

 次の1軒は長期滞在用で、保養とは違い療養のために滞在している子どもたちが母親と滞在しています。期間は病状によってさまざまです。滞在にかかる費用はSOS子ども村が支給しています。(治療費はベラルーシの国立公立の病院は無料。)
 こちらのプログラムのほうは投薬治療を受けている子どもが多いので、医師の指示も必要ですから、ビタペクトをチロ基金から配布する活動はしていません。

 3軒目は事務棟で、保養滞在している母子のためのカウンセリングなども行われています。

 ボロブリャヌイにあるSOS子ども村には全部で20軒の建物がありますが、保養活動を行っているのはこの3軒だけです。
 残り17軒は他国のSOS子ども村のように孤児が「母親」と暮らしている住居施設か、あるいはスタッフが働いている事務棟です。

 孤児に対する支援活動はチロ基金は行ったことはあるのですが、わずかです。
 
 以上のような形態の支援活動を行っています。

 分かりづらい文章かもしれませんが、確かに特殊なタイプの保養施設ですし、SOS子ども村の施設としても世界的にベラルーシにしかない施設とプログラムだと思います。
 どうか日本人の皆様のご理解をお願いいたします。 
 

 保養プログラムについては以下のリンク先をご覧ください。

 SOS子ども村で行われている保養プログラムの詳細

 SOS子ども村で保養滞在している子どもたちが飲んでいるサプリメントについて。

 食事、つまりSOS子ども村で推奨されているメニューを一部再現したもの。