ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第156回」

2013-11-27 |   ビタペクト配布活動
 11月27日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第156回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト3を12個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2104個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1930部となりました。
 今回で通算170回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2104人の子どもにビタペクトを、1930家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


今回は2家族がゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)の近くのテレシコビッチ村から、SOS子ども村に保養滞在していました。
この2家族は親戚になります。

(家族A)

家庭タイプ孤児院の家族で、お母さんが10人の子どもを連れてきていました。全員養子です。
この家族には8個のビタペクト3を渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時25歳)11ベクレル 
女子(16歳) 29ベクレル ○
男子(14歳) 31ベクレル ○
女子(14歳) 29ベクレル ○
女子(13歳) 42ベクレル ○
男子(13歳) 47ベクレル ○
女子(13歳) 33ベクレル ○
女子(12歳) 26ベクレル ○
男子(11歳) 30ベクレル ○
男子(10歳) 39ベクレル ○
女子 (9歳) 23ベクレル ○
 
 このうち、14歳の男の子と12歳の女の子は実の兄妹、13歳の男の子と9歳の女の子も実の兄妹、14歳の女の子と11歳の男の子は実の姉弟、16歳の女の子、13歳の女の子、10歳の男の子も実の兄弟同士です。
 
 健康状態についてお母さんにお話を伺いましたが、子どもたちは比較的健康ということでした。13歳の女の子が生まれつき腎臓が悪かったのですが、今はよくなったそうです。
ただお母さん自身が昨年心臓発作を起こして、入院し今もたくさんの薬を飲んでいるそうです。
いっしょに養子を育ててきたご主人は3年前に脳卒中で亡くなりました。それでも養子を受け入れているそうです。

18歳になると子どもたちは自立していくそうですが、すでに就職した子どもや結婚した子どももたくさんいて、孫(血のつながりはないですが)が20人もいるそうです。
(家族B)のお母さんは(家族A)お母さんが育てた養子のお嫁さんです。
 
 ところで13歳の女の子の実のお姉さんもこの一家の養女でした。(かわいそうなことに大学生のときに交通事故で亡くなったそうです。)
 高校生のとき胸のレントゲンで影のようなものが映っており、入院したのですが、全くよくならなかったので、育てのお母さんが退院させたそうです。
 すると同じ村に住んでいる人が、しぼったばかりのヤギの乳を飲めば治る、と言ったので、毎日コップを持ってその人が飼っているヤギの乳を飲みに行っていました。
 2週間後レントゲンを撮ると、影が消えていて担当医が
「いったい何を飲ませたんですか?」
ときかれたそうです。
 この一家では牛乳はほとんど飲まないそうで、ヤギの乳を飲むようにしているそうです。

 ヤギの乳はときどき放射能の測定に持って行っており、「飲んでもよい」と言われているそうです。検査は強制ではなく、自主的に行っていますが、この一家では
「子どもが飲むものだから、うちはちゃんと検査する。」
という考えだそうです。
 この一家は自分の畑でじゃがいもなど野菜を育てており、豚も飼っています。
 ヤギはその辺の草を食べているので、このヤギの乳が汚染されていない、ということは、土地がきれいである可能性が高く、おそらくじゃがいもも汚染されていないと思います。

 それなのにどうして子どもたちが全員被爆しているのだろうと、尋ねると
「それは鶏のえさのせいです。地元の人はみんな知っている。」
という返事でした。
 鶏を飼っている家庭が多いのですが、そのえさが袋入りで販売されており、それが実は汚染されているそうです。
 そのえさを食べた鶏に放射能が蓄積し、それを食べた人間も被爆する、ということでした。
 この家ではそのえさを買うのをもうやめたそうですが、学校の給食などに出てくる鳥肉はあやしい、ということになります。
 
 この一家の子どもはよくイタリアやベルギーに保養に行っているそうです。
 16歳の女の子は2年前まで毎年のようにイタリアへ行っていた、と話していました。
 保養は一般家庭にホームステイし、海水浴に行ったりしたそうです。
 WBCの被爆の測定などはしなかったということでした。なぜか歯の検査は毎回受けたと話していました。 


(家族B)
 お母さんが5人の実子を引率していました。
この家族には2個のビタペクト3を渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時24歳)39ベクレル
長男 (5歳)42ベクレル ○
次男 (4歳)19ベクレル
長女 (3歳)37ベクレル ○
三男 (1歳)34ベクレル 
次女 (1歳)63ベクレル

 三男と次女は双子です。まだ1歳なので、ビタペクト3をあげることができないのが、残念ですがしかたありません。
 子どもたちはアレルギー体質で、お菓子を食べると耳やあごの周囲が赤くなり、かゆいそうです。
3歳の長女はアレルギー反応で咳がでるのですが、普通の咳ではなく、聞いていると「何か吐き出しそう・・・」「息がつまるのでは・・・?」と心配になってくるような苦しそうな咳なのです。
 病院から薬をもらっていますが、完全にはよくなっていないということでした。

 画像は記念撮影したものです。ただ昼寝中などで写っていない子どもがいます。
今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、古い着物で作った巾着袋などをプレゼントしました。みんな日本語にとても関心があるようでした。
(でも漢字は難しそうなので、日本語の勉強はしたくない、とも言っていた・・・。)(^^;)
 
 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

「ビブリヤテカ・プラパヌエ」誌に掲載された新美南吉童話の感想文日本語訳

2013-11-23 |   新美南吉
 ベラルーシの雑誌「ビブリヤテカ・プラパヌエ」2013年11月号に新美南吉童話の感想が掲載されましたが、それを日本語に翻訳しましたので、このブログでご紹介します。

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芸術は心と大陸をつなげる

リジヤ・ボルネイキナ (ミンスク市立第19番ギムナジア学校 図書室司書)


たけのこや稚き時の絵のすさび 
               芭蕉

おとなは、だれも、はじめは子どもだった。
しかしそのことを忘れずにいるおとなはいくらもいない 
                  アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ 


 「でんでんむしのかなしみ」も「あめ玉」もどちらも驚くべきお話です・・・。どちらも独自の世界が描かれていて、強い印象を持っており、記憶に長く残る話です。よくあることですが子どものころお話を読むと、その主人公がどうなるか気をもんだり、いっしょに喜んだりするものです。

 新美南吉の『でんでんむしのかなしみ』に出てくるでんでんむしは、「カナシミハ ダレデモ モツテ ヰルノダ。ワタシバカリデハ ナイノダ。ワタシハ ワタシノ カナシミヲ コラヘテ イカナキヤ ナラナイ」というこの地上によくある出来事を理解できるのかどうかを提示しています。この作品は子供向けですが、日本の皇后が国際児童図書評議会第26回世界大会の講演で「少し大きくなると、はじめて聞いた時のように、『ああよかった』だけでは済まされなくなりました。」と語ったように、大人向けの作品でもあると言えます。
 この作品を読んだとき、私はアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの「星の王子さま」を思い出しました。時間が経ってから読み返すことにより話が持つ深みをまたちがって感じることができるようになると思います。
新美南吉の作品は才能ある画家が描いた作品のようです。他の画家とは違う独自の画風、スタイル、色彩、言葉を持っています・・・。そうでありながら作品の1ページごとに日本人の気質、伝統、哲学が見えます。それでいて、世界中の人々に共感されるような共通点、たとえば人間がみな抱える問題、大切にしなければいけないモラルの価値などが象徴的に描かれています。つまり言葉や文化の違いはあっても相互に理解しあいながら大きな地球上で平和に暮らすという希望はあるということだと思いました。

 新美南吉の童話が日本語から翻訳されました。これは日本文学と文化へ一歩近づいたということなのです。日本の魔法のような芸術の世界を理解できたり感じることが言葉の壁を障害にはならず、できるということなのです。
 著名な日本の児童文学作家、新美南吉の生涯とその作品については本誌2013年6月号に掲載された辰巳雅子さんが書いた記事で紹介されています。ベラルーシの人たちにとって、新しいページ、新しい世界への扉が開かれたのです。

 ベラルーシのお話はベラルーシ人にとってとても親しみを感じ、近しいものでよく理解できるし、人気があります。日本のお話は新しい世界です。そこには人間と自然が一体化している神話があり、桜の花が咲き乱れ、富士山の頂に雪が抱かれています。桜色の花畑の上には黄色い菊の花びらが散り、日本の長い歴史が息づいています。
 相互理解と友情は出会いと交流が出発点です。日本文化情報センターが開催した着物展に第19番ギムナジア学校の生徒が訪問し、大きな印象を受けました。全員着物展に来たのは初めてだったので好奇心いっぱいでした。着物は興味深く、独特な文化だと感動しました。

 私が最初に辰巳雅子さんと出会ったのは2011年にミンスクで行われたシンポジウム「チェルノブイリ原発事故25年 図書館が社会の中で受け持つ役割」でした。そこで私は学校の図書室での取り組みを発表しました。辰巳さんの発表は印象深く、感動的でした。初めて私はチロ基金について知り、そのボランティア活動について話を聞きました。そしてチロ基金の活動を行っている人が日本文化情報センターの代表を務めていることや、献身的に文化プロジェクトを行い保養対策にも力を注いでいることも知りました。これがベラルーシで現実的な支援となっているのです。私は辰巳さんと知り合いになりたいと思いました。なぜなら我が校にとって日本というテーマはおもしろいだけではなく、全く目新しいものではなかったからです。

 私たちの学校の生徒は日本についてただ聞いたことがあるだけではありません。このテーマは身近に感じているものです。日本からの代表団が何度も訪問したことがあります。日出ずる国日本のことをお客様たちから知ることはいつもうれしいことです。ギムナジアに辰巳さんが訪問したこともあります。図書室のために日本についての多くの貴重な文献を寄贈してくれました。こうして「桜の国」の1ページが新しく加わったのです。生徒のために日本語や文化、伝統についての話を辰巳さんはしてくれました。生徒にとってこれは心によいだけではなく、友情の新しい架け橋が毎年のように強く広がっているということなのです。生徒の代表団はこの夏ミンスクの姉妹都市である仙台を訪問しました。

 私たちは学校と日本文化情報センターとこれからも協力し合い、辰巳さんとの交流を続け、興味と対話を持つことによって友情を保ち、ベラルーシと日本の文化交流を広げていきたいと願っています。

バラノビッチへ出張講演会&新美南吉童話朗読会

2013-11-15 |   新美南吉
 11月15日七五三に、ベラルーシの地方都市バラノビッチにある中央図書館で、日本文化の紹介そして新美南吉童話ロシア語訳の朗読会を行いました。
 生誕100年にあたる今年にミンスク以外の場所でも朗読会ができてよかったです。
 バラノビッチはミンスクから電車で1時間半ほどのところにある街で、交通の要地として発展してきたところです。今回初めて行くことになりました。前から行きたいなと思っていたのですがそれは、私の日本語の生徒さんが現在住んでいるからなのです。するとある日、中央図書館の司書さんからメールが来て、日本文化の紹介をしてほしいと頼まれました。ちょうど行きたいと思っていたので、これも運命のメールに違いないと思って行ってきました。

 図書館には60名近くの小中学生、教師、図書館関係者、地元テレビ局などが集まりました。
 まず図書館に日本に関する文献(書籍や雑誌など)を多数寄贈しました。
 この図書館は児童図書館ではないので、日本の小説は所蔵しているのですが(宮部みゆきのミステリーとかがありました。もちろんロシアで発行されたロシア語訳。)写真の多い雑誌や子供向けの本はなかったので、喜ばれました。
 そして以前チロ基金支援者の方々からいただいた寄贈品もこの図書館に記念にお渡ししました。
 立体折り紙のふくろうには、みんなびっくりしていました。
 それから、パッチワークの掛け物(紫式部の短歌入り)やくす玉などプレゼントすると、拍手が起こりました。やっぱり手作りの贈り物は喜ばれますね。
 そして一番の人気は招き猫でした。ベラルーシ人は猫好きが多いんですよ。

 寄贈品をお寄せくださった皆様、ありがとうございました!

 さて、せっかく七五三の日にバラノビッチに来たので、七五三について話をしました。
 スクリーンに着物を着たかわいい日本の子どもの画像を投影して、分かりやすく説明しました。
 女子のほうが人生1回余分に祝日があると知り、笑顔を見せるベラルーシの女の子たち。
 しかし、ひな祭りは休日ではなく、端午の節句は休日と知り、笑顔が消えるベラルーシの女の子たち・・・。(^^;)
ついでにお正月の話などもしました。ベラルーシのお正月と日本のお正月はだいぶ違うので、驚いていたみたいです。

 そして新美南吉童話ロシア語朗読会。今回は「でんでんむしのかなしみ」「あめ玉」「手袋を買いに」を朗読しました。美智子様の国際児童図書評議会第26回世界大会講演も紹介しました。
 「でんでんむしのかなしみ」の朗読の後、反応を見ると、なぜか場内はシーンとなってしまいました。でも話が気に入らなかったというわけではなく、こういう話(「かなしみは誰でも背負っているのだ・・・」という話)が出てくると全く思っていなかったらしく、びっくりしてしまったようなのです。
 「あめ玉」はなぜか妙に受けていました。さむらいが出てくるから?

 バラノビッチの子どもたちの感想が聞きたかったのですが、感想を書くアンケート用紙を配ったところ、家でちゃんと絵を描きたいから、と持って帰ることになりました。後日バラノビッチの図書館で集めて、ミンスクまで郵送くれる予定です。感想が楽しみですね。 

 その日のうちにこの図書館のフェイスブックにも登場しました。早いですねえ。こちらこちらをご覧ください。

 バラノビッチへの交通費はチロ基金が支援してくれましたが、電車に往復3時間乗ったのに、交通費が500円ぐらいだったので、びっくりしました。まだ国内の移動は安いままですね、ベラルーシ。
 おかげで助かりました。
 また招待していただければ、ベラルーシの各地に足を伸ばしたいです。

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 頼んでいたアンケート結果が届きました。(複数回答可)

あめ玉 11人
手袋を買いに 10人
でんでんむしのかなしみ 4人

 男の子はほとんど「あめ玉」に投票しますねえ。
 そしてやはり「手袋を買いに」が強いです。日本でも人気がある作品ですが、ベラルーシ人の間でも心をつかんだようです。


チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第155回」

2013-11-12 |   ビタペクト配布活動
 11月12日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第155回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト3を14個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2092個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1920部となりました。
 今回で通算169回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2092人の子どもにビタペクトを、1920家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80




 今回は2家族がゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から、SOS子ども村に保養滞在していました。それぞれの家族にお話を伺いました。
 両家族とも今までSOS子ども村に保養滞在したことがありますが、引率してきた子どもの中には初めての滞在の子どももいました。2家族と分かれていますが、どちらもゴメリ市にある多子家庭と障害児を支援する会の会員の子どもたちです。 


(家族A)

 お母さんが1人の娘、2人の姪、4人の子どもを引率していました。この家族には6個のビタペクト3を渡しました。 
 この家族は2010年と2011年にSOS子ども村に滞在したことがあります。そのときのようすは、こちらをご覧ください。

 チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第119回」(家族A)

 チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第104回」(家族A)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/4996cd66afa6da48c0351b85ebdb0909


 また三女は2009年9月に、祖母に引率されてSOS子ども村に保養滞在していました。そのときの様子はこちらの記事をご覧ください。チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第96回」(家族A)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/f09ebd298248eb3f7f5c1299bdf04770


 それぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。三女は2009年9月測定分も示してありますが、それ以外は2010年6月の結果と2011年6月の結果、そして今回の結果を表示しています。○印の子どもにビタペクト3を渡しました。

母親(事故発生時14歳)9ベクレル → 10ベクレル → 13ベクレル ○
三女(15歳) 23ベクレル ○ → 22ベクレル ○ → 34ベクレル ○ → 33ベクレル ○
姪 (13歳) 15ベクレル → 0ベクレル → 44ベクレル ○
姪  (7歳) 23ベクレル ○ → 30ベクレル ○ → 37ベクレル ○
女子(13歳)28ベクレル ○
女子(12歳)16ベクレル
女子 (8歳) 0ベクレル
男子 (5歳)36ベクレル ○

 このうち13歳の女の子と5歳の男の子は姉弟です。
 お母さんはそんなに悪い結果ではなかったのですが、体内のカリウム量が非常に多すぎるため、ビタペクト3を飲むことになりました。(半分の理由はダイエットなんですが・・・) 
 
 三女は心臓が弱く、さらに慢性胃炎を患っていましたが、昨年胃潰瘍まで起こして、一ヵ月半入院したそうです。今でもお粥のような柔らかいものしか食べられないそうです。

 姪2人は免疫力が異常に低いそうです。8歳の姪は環境が変わると、すぐ嘔吐してしまうそうで、SOS子ども村に来ると必ず吐いてしまうのですが、一日するとよくなり、とても元気になるそうです。しかし帰宅すると、また環境が変わることになるので、今度は頭痛を起こすそうです。

 お母さんの話によると引率した子どもの多くが、保養のときは元気になってもゴメリの自宅に帰ったとたん、頭痛を訴えることが多いそうです。
 低放射能の地域から急に放射能のある地域に戻ると体にそのような反応が出るのかもしれませんが、はっきりした理由は分かりません。


 (家族B)

 おばあちゃんが孫と6人の子どもを引率していました。この家族には8個のビタペクト3を渡しました。この家族も(かぞくA)といっしょに2011年に保養に来たことがあります。前述の「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第119回」(家族B)をご覧ください。 
 それぞれの2011年と今回の体内放射能測定結果はこのとおりです。

祖母(事故発生時28歳)14ベクレル → 13ベクレル ○
孫  (5歳) 0ベクレル → 33ベクレル ○
男子(12歳)38ベクレル ○
女子(10歳)45ベクレル ○
男子(10歳)31ベクレル ○
女子 (8歳)44ベクレル ○
男子 (5歳)42ベクレル ○
女子 (5歳)20ベクレル ○

 このうち12歳と5歳のの男の子は兄弟。10歳と8歳の女の子は姉妹です。
 このおばあちゃんも結果は悪くはなかったのですが、カリウム量が多いのでビタペクト3を飲むことになりました。
 
 おばあちゃんから話を聞きました。子ども達はよく風邪をひくそうです。10歳の女の子はしょっちゅう扁桃腺炎になるそうです。
 おばあちゃん自身も甲状腺の病気にかかっており、投薬治療中ということでした。

 この人には息子がいるのですが、チェルノブイリの事故が起きたとき、上の息子は3歳、下の息子は生後3ヶ月でした。
 現在2人とも甲状腺の病気を発病し、上の息子は手術を受けるそうです。

 2人のお母さんは口々に
「ゴメリは安全だと言われているが、線量計を持っている人が測定したら、線量が高い場所がたくさんある、と言われている。」
「病気の人がとても増えた。特に20代、30代の若い世代にがんが増えている。」
「障害児がたくさん生まれている。多いのは小児麻痺の子ども。親が被曝していて、それが子どもに遺伝したと思われる。」
と話していました。

 家族Aのお母さんは
「最近はとても体がだるくて、頭痛が毎日起こる。息切れもひどい。でもSOS子ども村に保養に来たら、そういった症状は全ておさまる。引率している子どもの数が多いので、食事や洗濯など家事が多くなるのに、疲れを感じない。ゴメリの自宅では夕方5時ぐらいになると、脱力感を感じ、家事はできないのに。」
と話していました。「ゴメリとSOS子ども村では空気がちがうのがすぐ分かる。」
とも言っていましたが、放射能に敏感な人なのかもしれません。
 お母さんたちはこういう被曝と思われる症状は人によって違うと言っており、
「気分が悪くなる」「頭痛」「吐き気」「せき」「のどの不快感」などいろいろだそうです。
 ちなみに、私はゴメリに何回か行ったことがありますが、そのような症状はありませんでした。(鈍感なのかな?)(^^;)

 画像は記念撮影したものです。ただ昼寝中などで写っていない子どもがいます。
 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、子どもの名前を書いた絵葉書などをプレゼントしました。
 
 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

ベラルーシの雑誌「ビブリヤテカ・プラパヌエ」に新美南吉童話の感想が掲載されました

2013-11-09 |   新美南吉
 ベラルーシの雑誌「ビブリヤテカ・プラパヌエ」2013年6月号に新美南吉生誕100年について、そしてロシア語訳された2作品が掲載されましたが、それを読んだ司書の方の感想が同誌11月号に掲載されました。
 感想を寄せてくださったのは、ミンスク市立第19ギムナジアという学校の図書室に勤務している司書、リジヤさんです。
 新美南吉作品の感想については簡単にいただいていたのですが、雑誌にもっと詳しく掲載されると思っていなかったので、驚きました。

 この雑誌はベラルーシ全国の図書館や図書室に配られているので、リジヤさんの感想に共感する図書館司書がもっと出てくるかもしれません。

 リジヤさんは日本文化情報センターで昨年行われた着物展に生徒さんを連れて来てくれたので、そのとき撮影した写真が記事に使われています。
 どうもありがとう、リジヤさん! 専門家の貴重な意見がもらえてよかったです。

 学校の図書室を中心に新美南吉の作品がベラルーシに広がっていけば・・・と思っています。


 この感想文の日本語訳についてはこちらです。


秋休みに新美南吉童話の朗読会を行いました

2013-11-04 |   新美南吉
  10月にあるベラルーシの学校の秋休みを利用して新美南吉童話のロシア語朗読会を行いました。今回は日本文化情報センターの近所にある小学校の子どもたちを対象に「でんでんむしのかなしみ」「あめ玉」「去年の木」「おじいさんのランプ」を紹介しました。
 その後アンケートで感想をききました。
 今回、よかったと思った作品名(複数回答可)はこのようになりました。

「あめ玉」12人
「去年の木」7人
「おじいさんのランプ」6人
「でんでんむしのかなしみ」4人

 男の子はみんな「あめ玉」に票を入れていましたね。「サムライが出てくるから。」というそれだけの理由で選んでいるようです。(小学校低学年だし、あまり深く考えていなさそう。)
 「おじいさんのランプ」は小学低学年には難しいかな、と思ったのですが、そんな心配はいらなかったようです。よかったよかった。

 またこれからも機会を見つけては朗読会を行います。せっかく翻訳したので、広めていかないといけませんね。