ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第70回」

2008-01-19 |   ビタペクト配布活動
 2008年最初の活動報告となりました。
 1月17日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第70回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を11個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1441個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1080部となりました。
  
 今回で通算80目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1441人分のビタペクト2、そして1080家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by



 今回も保養に来ていた家族にお話しを伺いました。2家族が来ていたのですが、両家族とも、3回目の滞在でした。前回の測定と比べて、体内放射能値はどのように変化したのでしょうか。

(家族A)
 ゴメリ州カリンコビッチ(チェルノブイリ原発から約100キロ)から来た家族。
 2005年2月と、2007年1月に保養滞在に来たことがあります。 
2005年の滞在のときの様子はこちらチロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第29回」をご覧ください。 

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2005/no29.html


2007年の滞在のときの様子はこちらチロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第53回」をご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/x/repo/hobby_book.cgi


 この家族には4個のビタペクト2を渡しました。
 2005年、2007年、そして2008年の放射能値の経緯はこうなります。以下の●印がついている子どもにビタペクト2を渡しました。

母親 10ベクレル   →15ベクレル● → 14ベクレル●
男子 16ベクレル● →15ベクレル● → 26ベクレル●
男子  0ベクレル   →19ベクレル● → 17ベクレル●
男子  0ベクレル   →23ベクレル● → 37ベクレル●
男子  0ベクレル   →11ベクレル    →  0ベクレル

 この家族にはもう二人子どもがいますが、今回は保養滞在に来ていませんでした。
 2007年の結果はちょうど1年前のものです。残念なことに体内放射能値が増えてきています。チェルノブイリ原発事故から20年以上経過しても、放射能はなくならない、と改めて思いました。
 結局1年前にビタペクト2を飲んだ人はまた今回も飲むことになりました。
 飲まなくても、0ベクレルになっている子どももいます。放射能がたまりやすい体質、たまりにくい体質があるように思われます。
 子どもたちは以前より元気になってきた、とお母さんは話していました。ただ、食べ物による皮膚アレルギー自体は反応が過敏になってしまったそうです。
 ビタペクト2は体内の重金属も体外に排出する働きがあるので、アレルギーの理由が重金属である場合、飲んだ後、アレルギー反応が軽減する可能性はあります。 

(家族B)

 この家族もゴメリ州カリンコビッチ(チェルノブイリ原発から約100キロ)から来た家族です。2004年7月と2005年1月にも保養滞在に来ました。ただ、今回初めて保養に来たという子ども3人も引率してきていました。
 2004年の滞在の様子はこちらの過去ログ、チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第20回」(家族A)をご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2004/no20.html


 2005年の滞在の様子はこちらの過去ログ、チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第28回」(家族A)をご覧ください

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2005/no29.html


 この家族には7個のビタペクト2を渡しました。
 この家族は合計4回放射能値の測定をしたことになります。(2004年1月、2004年7月、2005年1月、2008年1月)その推移はこうなります。(●印の子どもたちにビタペクト2を配布。)

2004年1月(1回目の測定結果。地元の学校で測定。)
 母親の記憶によると、家族は全員、44~47ベクレルの間の数値が測定され、定後3個のビタペクト2を6人の子どもたちが分け合って飲んだそうです。
 
 2回目、3回目、4回目の測定結果はこうなりました。
 母親 25ベクレル●→14ベクレル →14ベクレル●
 長女 31ベクレル●→18ベクレル →42ベクレル●   
 長男 26ベクレル●→14ベクレル →29ベクレル●
 次女 28ベクレル●→ 5ベクレル → 0ベクレル
 四女 13ベクレル●→ 5ベクレル →45ベクレル●
 五女 42ベクレル →19ベクレル●→32ベクレル● 

 この家族にはさらに六女が生まれ、現在生後5ヶ月です。当然この子は今回初めて測定しましたが、結果は0ベクレルでした。
 さらに2人の姉弟を引率してきていました。この二人は今回初めて放射能値を測定しました。
18歳の姉は23ベクレル(●)12歳の弟は40ベクレル(●)でした。 

 ちょうど3年ぶりの測定だったのですが、やはり残念なことに放射能値は全体的に増えていました。逆に0ベクレルまで下がった子どももいますが、理由ははっきり分かりません。やはり体質なのかなあ、と思います。

 お母さんのお話によると、子どもたちは以前頭痛に悩まされていましたが、最近はずいぶんよくなった、とのことでした。
 ただ引率してきていた姉弟のうちお姉さんのほうが、自ら話してくれましたが、心臓が弱く、よく入院している、ということでした。しかし、学校の成績がよいので、ミンスクの大学に進学を希望していました。しかし両親は体が弱いから、近くのゴメリの大学にしなさい、と言っているそうです。今年の夏、受験ですが、体が弱いからこそ、教養を身につけて、いい仕事に就けたらなあ、と思いました。とてもしっかりした子でした。

 今回も子ども達に折り紙や、折り紙の作り方のコピー、自分で作る竹とんぼなどをプレゼントしました。
 画像は子どもたちの様子なのですが、みんなですごくおいしいケーキを作ってくれました。男の子はミキサーの係で、材料を混ぜ合わせてくれたそうです。ケーキはとろけそうなほど、おいしかったです。
 そして、男の子たちが作ったブロックの家もテーブルに飾られていました。
 器用ですよね、本当に。(折り紙なんて簡単でしょうね。)
 
 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄付してくださった方々、またバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

CD「月と日」収録曲をクリスマスコンサートでトーダルが日本語で歌いました

2008-01-11 | ベラルーシ文化
 1月7日はスラブ正教のクリスマス。
 そして恒例トーダル&WZ-オルキエストラのクリスマスコンサートに行ってきました。(会場はミンスクコンサートホール)
 この日、トーダルは
「日本の歌を1曲日本語で歌う!」
と宣言。
 選んだ曲は(短くて覚えやすい)(^^;)「十五夜お月さん」。
 事前に日本語の歌詞をロシア語表記した紙を渡しておきました。
 トーダル君は早速練習を開始。発音を私が直したりして、繰り返し練習しました。

 そして本番・・・。
 まず先に「村祭」を演奏したトーダル&WZ-オルキエストラ。
 会場は「ドンドンジリドン ジリジリドーン!!!」
で大盛り上がりに盛り上がりました。トーダル君は
「マサカも会場に来てるぞ! さあ、みんないっしょに日本語で!」
と叫んでいましたが、ドンドンジリドンは日本語じゃないぞ。(^^;)
 それにしても、この盛り上がりぶりを日本人の皆様に見せてあげられないのが残念。

 そしてその後、いよいよ「十五夜お月さん」。トーダル君が
「日本語で歌ってみます。」
と言うと、会場から拍手が。
 しかし日本語の歌詞を全部覚えられなかったと見えて、ロシア語で書いた紙を譜面台にのせて、照明さんに
「ライトつけて!」
と指示するので
「大丈夫かね・・・。」
と心配になりました。

 しかし日本語で歌い始めると、またまた拍手が起こりました。
 会場の皆さん、真剣に聴いていましたよ。
 確かにまだちょっと言葉がうまくメロディーに乗り切れていませんでしたが、初めて日本語で歌ったわけですから、まあまあ、でした。
 コンサート終了後、「もっと発音の練習をしよう。」と言ったら笑っていました。

 (コンサートの画像、更新しましたが、遠いし暗いし、みんな立ち上がっているので、前に座っている人の頭ばかりが写っていますが、これが一番まともな画像だったので、勘弁してください。)

 ところで、トーダル君のコンサートではリクエストしたい曲やメッセージがあれば、紙に書いて、直接トーダル君に渡すことができます。
 今回、ある女性ファンから渡された紙を読んだトーダル君。
「ええっと・・・。『あなたは素敵だから、私と結婚して!』」
(ま、ファンの冗談ですが。)
 これを読んだトーダル君は
「僕はもうすぐ日本へ行くんだ。もしかすると日本でヨーコ・オノ(みたいな日本人女性)と出会って、電撃結婚するかもしれないから。」
という理由で、このプロポーズを保留扱いにしてしまいました。(^^;)


(「月と日」について詳細はこちらをご覧下さいね。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/songs/index.html


日本文化情報センターの展示品がベラルーシのテレビ番組に使われました

2008-01-10 | 日本文化情報センター
 年が明けてすぐの1月1日深夜、ベラルーシのテレビ局、OHTが放映したお正月特番「パブリンカ New」で、日本文化情報センターの展示品の一つである和傘が小道具として使用されました。

 そもそも「パブリンカ」はベラルーシを代表する作家、ヤンカ・クパーラの代表作ともいえる劇です。内容は簡単に言うと、貧乏なお百姓と恋人同士のパブリンカがヒロインで、その父親が、金持ちの男とパブリンカを無理やり結婚させようとする話。

 今回のテレビ番組ではそのパロディーをしていたのですが、パブリンカたちが住むベラルーシの村で、お祭があり、そこへ世界中から、外国人観光客がやってくるという設定でした。それで、もちろん日本人も来る、ということで、小道具として傘を貸してほしいと頼まれました。
(傘を持ってないと、日本人に見えないのかねえ。)

 実際の放送を見てみると傘はとても目立っていました。
 しかし、ベラルーシフィルムが用意した言う着物は・・・・・日本の着物とはとても思えず、何だか中国の伝統衣装とごっちゃになったような、摩訶不思議な服でした・・・・・(言葉では説明が難しい。)
 「日本人役」として、この「着物」を着て出演していた女性も、たぶん中国人だと思います。(小太りでメガネをかけて、気絶していた。これがベラルーシ人のイメージの中の日本人女性なのか?)

 まあ、ベラルーシの日本人に対する認識なんて、まだまだこんなものなのかも。それにお笑い番組なので、面白ければ、なんでもいい、という意図が製作者側にあったのでしょうね。
 ある意味、新年早々初笑いできましたね。(^^;)
 それに傘は本物の日本製だし、少しでも、ベラルーシのテレビ番組作成に協力できてよかったです。